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文献名1大本七十年史 下巻
文献名2第6編 >第4章 >2 第二審の公判(大阪控訴院)よみ(新仮名遣い)
文献名3判決よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
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ページ604 目次メモ
OBC B195402c6423
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本文  一九四二(昭和一七)年七月三一日。この日は、「空前の大不祥事件」として社会に衝撃をあたえた第二次大本事件にたいして、ふたたび裁断がくだされた日である。教団は「塵一つのこさじ」と破壊され、しつような当局の圧迫や、冷酷な社会の非難に耐えて、この日の来るのをまちにまっていた全国の信者たちは、人目をはばかりつつも、早朝から大阪控訴院の前につめかけてきた。控訴院第三号法廷は、開廷前すでに二〇〇人をこえる傍聴者で超満員となった。
 午前九時、いよいよ開廷が宣告された。四九人の被告が着席し、弁護人一同が入廷すると、やがて高野裁判長、田村・土井の両陪席判事、平田検事が着席した。一瞬法廷内は物音一つなき静寂にかえった。裁判長は二時間半にわたる判決文を読みあげた。最初に判決主文が読みあげられ、治安維持法違反はすべて無罪、不敬ならびに出版法違反および新聞紙法違反は有罪との判決がくだされた。被告人も、弁護人も、傍聴していた信者も、治安維持法無罪の声におもわず感涙をもよおし、よろこびの色が法廷内にみなぎった。弁護人の一人はただちに、法廷外につめかけていた信者に「無罪だ」と知らせ、法廷外にあつまっていた信者たちは、声をあげ肩をたたきあってよろこんだ。ただちに全国各地の信者へ、「治安維持法無罪」の電報がうたれたことはいうまでもない。

   主文
 被告人王仁三郎ヲ懲役五年 被告人与之助、由太郎、仙蔵、徳太郎及弘ヲ懲役壱年六月 被告人重雄ヲ懲役壱年 被告人愛隣ヲ懲役八月 被告人助三郎ヲ懲役六月ニ処ス
原審ニ於ケル未決勾留日数中被告人王仁三郎ニ対シ七百日 被告人与之助、由太郎、仙蔵、徳太郎及弘ニ対シ各参百五拾日 被告人重雄、愛隣及助三郎ニ対シ各其刑期ニ相当スル日数ヲ夫夫右本刑ニ算入ス
被告人由太郎、仙蔵、徳太郎、弘及愛隣ヲ各治安維持法違反ノ所為ニ付無罪トス
被告人すみ、伊佐男、留五郎、吉三郎、同吉、昂三、斎治郎、浩三、慶三郎、雄次郎、義邦、新衛、猛彦、純一、田中省三、勇造、市左衛門、靖都、隆三、中、久治、東洋男、鎌吉、敏雄、貞次、盛政、井上省三、満蔵、新助、恭一郎、常雄、幹造、守、光俊、義之輔、康男、武夫、知二、隆次、及喜八郎ヲ無罪トス(以下略)

 治安維持法違反事件について、判決文は「惟フニ治安維持法第一條ノ国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織スルノ罪ハ特定ノ多数人力国体変革ナル共同目的遂行ノ為継続的集合体ヲ組織スルニ依リテ成立スルモノニシテ……」とまず治安維持法の性格をのべ、公訴事実にいう「不逞ノ共同目的」「不逞結社ノ組織」について解明し、これを無罪にした理由を「第一、右被告人等カ昭和三年三月三日頃斯ル不逞ノ共同目的ヲ有シ居タルヤニ付案スルニ……大本ノ根本目的タルみろく神政成就カ公訴事実摘記ノ如キ不逞ノ思想ヲ包含スルヤ否ヤ即チみろく神政成就ノ真意義ヲ把握スルニハ 先ツ大本思想ノ基調ヲ成ス大本ノ宇宙観神霊観人生観即チ教理ヲ明ニセサルヘカラス」とのべ、

(一) 「大本教旨『神ハ万物普遍ノ霊ニシテ人ハ天地経綸ノ司宰者ナリ 神人合一シテ茲ニ無限ノ権力ヲ発揮ス』ハ大本ノ教理ヲ端的ニ表明シタルモノニシテ 之ヲ解説シタル人類愛善新聞昭和二年四月一日号(被告人出口伊佐男事件証第七〇号)所載神ト人ト題スル伊佐男執筆ノ論説ハ右諸文献ニ現ハレタル大本ノ教理ヲ要約シタルモノニシテ其全貌ヲ窺フニ足ルモノナリ」としてその全文を引用し、大本教旨ノ「人」ハ「王仁三郎カ自ラ大真人ナリト称シタルコトヲ以テ日本及其ノ他世界ノ統治者トナルヘ半無限ノ権力ヲ持チ居レルコトヲ暗示シタルモノトハ解シ難ク」とし、

(二) 「大本ノ主祭神」については「大本ノ主祭神ハ大本皇大神ニシテ大本皇大神トハ天照皇大神ヲ奉称スルモノナルコト」また「天照皇大神ト天照大御神トハ……別神ト観念シ居ルニ非ラズ 働ノ相違スルコトヲ明ニスル趣旨ニテ称呼ヲ別ニセルモノト認ムルヲ相当トス」と判決した。また

(三) 「大本「神国日本ノ皇統ニ対シ如何ナル見解ヲ持シ居ルヤ」については、『出口王仁三郎全集』をはじめ多数の大本文献を引用して一々これを検討し、「被告人中一部ノ者ノ予審ニ於ケル大本ノ説ク皇道ハ表看板保護色ニシテ真ノ皇道ニ非ストノ供述及大本ノ文献中天津日嗣天皇、神皇陛下、皇上陛下、現人神トアルハ王仁三郎ヲ指称スルモノナリトノ供述ハ孰レモ措信シ能ハサルモノナリ」と断じた。
 筆先については、「なかノ筆先ヲ通観スルニ 其中ニハ不敬ト目セラルル語辞尠カラスト雖モ之ニ現ハルル思想ハなかノ不遇ナル境遇ト其ノ当時ノ世相ヲ反映シ 欧米崇拝思想、唯物思想、現実主義思想ニ対スル反感ヨリ来ル排外思想、唯心思想、復古思想ヲ表現シ 個人道徳ノ頽廃 上流社会ノ不道徳、政治ノ矛盾 国際戦争ノ不合理ヲ攻撃シ腐敗シタル社会ヲ根本的ニ救済スルニハ 先ツ個人ノ改心ヨリ発シ国家社会ヲ大革正(おほたてかへ)シテ全世界ヲ統一シ 一君主ノ下ニ平和幸福ナル理想世界ヲ建設スヘキコトヲ説キタルモノテビア 其ノ中ニ天皇ニ対スル不逞思想ヲ包蔵スルモノトハ認メ難ク 却テ其ノ基底ニハ尊王愛国思想ノ流ルルヲ看取スルニ難カラス」と多数の筆先を引用して、「尚多数ノ被告人ハ予審ニ於テ 大本ノ教典其他ノ文献ニハ忠誠ヲ説キタルモノナシト供述シ居レトモ 出口王仁三郎全集第一巻ニ集録セラレタル論説ノ如キ 敬神尊王愛国ヲ説キタルモノニ非サルハ無シト云フモ過言ニ非サルノミナラズ 大本ノ教典中最モ不穏ノモノナリト目セラルルなかノ筆先ニ於テスラ前掲文辞ノ存スルヨリ之ヲ観レハ 右予審ノ供述モ亦真実ニ非サルモノト断セサルヲ得ス……従テ皇道大本信条第四条※ニ不逞ノ意義ヲ包蔵スト為ス論説ハ採用ノ余地ナシ」と判定した。

※ 皇道大本信条第四条 「我等は皇上陛下が万世一系の皇統を継承せられ惟神に主師親の三徳を具へて世界を知ろし召さるる至尊至貴の現人神に坐すことを信奉す」

(四) 「大本ノ根本思想ヲ成セル立替立直ノ理論」については
「(イ) なかノ筆先ニ現ハルルトコロハ 日本ハ霊能元素(霊主体従)ノ国ニシテ世界無比ノ神国ナリ 然ルニ日本ノ現状ハ上下相争ヒ同胞相食ミ獣類ノ世ト化シタリ 日本カ斯ル醜悪ノ世界ト為リタルハ 上ニ立ツ為政者 上流階級ハ外国ノ邪神ニ憑依セラレ外国思想ニ魅セラレテ其ノ本来ノ精神ヲ失ヒ 体主霊従ノ施政方策ノ下ニ外国ノ文物制度 宗教政治ヲ模倣シテ利己、欺瞞、無責任ノ政治ヲ為シ 誠ノ神ノ道ヲ踏ミ外シ 下ニ在ル人民ハ上ノ為ス所ニ従ヒテ 遂ニハ日本魂ヲ失ヒテ自己主義 物質主義ノ悪魔ト為リタルカ為ナリ 而シテ日本ハ今ヤ優勝劣敗弱肉強食ノ紛乱状態ニ立至リテ 将ニ破滅淪亡ノ危殆ニ頻セリ 斯ノ危急ヲ救フ為ニハ正ニ二度目ノ岩戸開ナル根本的ノ立替立直ヲ為シ 従来ノ外国模倣 体主霊従ノ政治ヲ革正シ 人民ヲ改心セシメテ本然ノ日本魂ニ還ラシメ 日本ノ誠ノ御血筋ノ統治ノ下ニ 天照大御神ノ神世ノ政治ニ立替ヘサルヘカラス 而シテ国際間ニ戦争ノ絶ヘサルハ 各国分立シテ互ニ其ノ領域ヲ争フカ為ナレハ 神ノカエ依リ諸国ヲ統一シテ 日本ノ神国ノ万代動カヌ一王ノ下ニ統治シ 世界ノ人民斉シク平和幸福ヲ楽シム世ト為スヘキナリト謂フニ在リ」とし、さらに、
「王仁三郎ハ其ノ大成シタル前示大本教理ニ従ヒテ立替立直ヲ必要トスル理由ヲ 地上現界並ニ地上神界ノ双方ニ分チテ説クニ至リシモノト謂フヘク 之ヲ通シテ其ノ根本ヲ為スハ大宇宙ノ独一真神タル天御中主大神(天照大御神)ノ宇内統理ノ理想ニシテ 地上ノ神界現界ハ共ニ大神ノ大理想ニ反シ 悪鬼邪神ノ跳梁ノ結果 霊主体従ノ本義ヲ忘レ 社会万般体主霊従(悪)ノ思想ノ下ニ支配セラレ為メニ自己主義 物質主義ト為リ 優勝劣敗弱肉強食ノ世相ヲ来シ破滅ニ瀕スルニ至レルモノナレハ 社会万般ノ指導原理ヲ霊主体従ノ本義ニ還元シ世界ヲ一国ニ統合シテ 大神ノ宇内統理ノ理想ヲ実現セサルヘカラスト謂フニ在リ」と判定した。

「(ロ) 国常立尊ノ隠退及再現ノ教義」については、大本の諸文献を引用してこれを解明し、その結論には「盤古大神即チ瓊々杵尊ト認ムヘキ証左ナキヲ以テ右公訴事実ハ謬見ナリト謂ハサルヘカラズ 従テ国常立尊ノ隠退及再現ノ教義ニ関シ 国常立尊ノ隠退後瓊々杵尊カ日本ニ渡来セラレ 其ノ御系統ニ坐シマス現御皇統ニ於テ日本ヲ統治シ給ヒタル為 大本ノ所謂体主霊従(物質主義)悪逆無道ノ現社会ヲ招来シ 優勝劣敗弱肉強食ノ惨状ヲ呈スルニ至リタル旨大淞ニ於テ主張シ居ルカ如キ公訴事実ハ肯定シ得サル所ナリ」とのべた。

「(ハ) 次ニ素盞嗚尊ノ神逐及再現ナル教義」に関しては「素盞嗚尊ニ付キテハ 至仁至愛ノ神トシテ贖罪神 救世神或ハ統治神等其ノ説ク所ニ変遷アリト雖 立替立直ノ担当神トシテハ終始国常立尊ニ従タル関係ニ在リ 立替立直ヲセラルルハ国常立尊ニシテ 素盞嗚尊ハ愛ヲ以テ諸人ノ罪ヲ贖ヒ世ヲ救ヒ 或ハ邪神ヲ帰順セシメ 以テ国常立尊ノ立替立直ノ神業ヲ輔佐セラルルモノト為シ居ルモノナリ 而シテ斯ル見解ハ亦後述スル如ク素盞嗚尊ハ体系臣系ノ神ナリトシ 天照大御神ニ対シ輔佐神タル地位ニ在リト為スコトヨリ生スル 当然ノ帰結ナリト謂フヘシ」とのべ、大本諸文献を究明して「天照大御神ノ詔勅ハ伊邪那岐尊ノ神勅ニ背反スルモノナリト主張スル旨ノ公訴事実ハ之ヲ認ムルコト能ハス」とし、
「次ニ右公訴事実ニハ 伊邪那岐尊ノ神勅ニ依リテ天津神ト国津神トノ区別歴然トシテ定マリ 国津神ノ御系統ニ於テ統治セラルヘキ日本ヲ天津神ナル瓊々杵尊並其ノ御系統ナル現御皇統ニ於テ統治シ給フハ伊邪那岐尊ノ神勅ニ背反スルモノナリトアルモ 大本ニ於テ天津神ト国津神ノ区別カ伊邪那岐尊ノ神勅ニ依リテ定マリタルコト 並日本ハ国津神ノ系統ニ於テ統治セラルヘキモノナルコトヲ主張シ居ルモノト認ムヘキ証左ナシ……之ヲ要スルニ素盞嗚尊ノ神逐及再現ノ理論ハ王仁三郎ノ独創ニ係リ 教祖なかノ説ク所ニ非ス 而シテ其ノ所説ハ古事記ニ伝ヘラレタル伊邪那岐尊ノ三貴子ニ対スル神勅等ノ事実ヲ基礎トシ 之ニ独得ノ解説ヲ為シタルモノテビア 素盞嗚尊ノ神逐ヲ以テ天津神国津神ノ罪穢ヲ負ヒテ其ノ贖罪ノ為神逐ニ逐ハレタルモノト為ス点ニ於テ宗教的意義ヲ存シ 同神ノ再現ノ理由ヲ基礎付ケタルモノニシテ 再現ノ根拠ヲ伊邪那岐尊ノ神勅ニ在リト為スハ正鵠ヲ得タルモノニ非ス 同神ハ贖罪神救世神ニシテ 天照大御神ノ天業ニ対シ之ヲ輔翼セラルル輔佐神ナリト為ス点ニ在リト解スヘキモノトス 而シテ素盞嗚尊カ地上ニ再現セラルルハ 救世済民ノ業ヲ担当シテ国常立尊ノ立替立直ノ神業ヲ輔佐セラルルモノト認ムルヲ相当トシ 公訴事実ノ如ク国常立尊ノ隠退及再現ノ教義ト素盞嗚尊ノ神逐及再現ノ教義トヲ併存セシメ居ルモノト為スハ謬見タルヲ免レス 又国常立尊ノ隠退及再現ヲ地上神界ノ事象 素盞嗚尊ノ神逐及再現ヲ現界ノ事象トシ両者ヲ移写関係ニ依リ説明セントスル説モ亦正当ナラス」と裁断した。さらに立替立直後における統治者の問題にふれて、(判決文の(ニ)は省略)

「(ホ) 国常立尊 豊雲野尊 素盞嗚尊カ立替立直ノ神業ニ従事スルハ 終始天照皇大神ノ命ニ従ヒ其ノ理想達成ノ為大本ノ所謂麻柱ノ道ニ精進スルニ在リテ 同神等ノ大神ヨリ託サレタル大任ハ 紛乱状態ト為レル地上世界ヲ革正シテ神政ニ復古シ地上天国ヲ建設スルニ在リ 故ニ立替立直ノ担当者ト立替立直後ノ統治者トハ同一ニ非サルコトヲ明ニ看取セサルヘカラズ……地上現界ノ立替立直完成後之ヲ統治セラルルハ 立替立直ヲ担当セル国常立尊ニ非ラス 豊雲野尊 素盞嗚尊ニモ非ラスシテ天照皇大神ナリ 地上現界ヲ統一シテ地上ニ理想天国ヲ建設スヘキ大理想ヲ託サレ地上ニ降臨セラレタル大神ノ御代身皇孫瓊々杵尊及其ノ御系統ニ坐シマス現御皇統ニシテ 立替立直ノ諸神ハ其ノ神業成就後ハ之ヲ天皇ニ奉還スルモノナルコト明ナリ 従テ斯ル思想ノ是非ハ格別トシテ 王仁三郎カ国常立尊 並素盞嗚尊ノ霊代トシテ 現在ノ紛乱シタル日本及世界ヲ立替立直シテ至仁至愛ノ世界ヲ実現シ 其ノ唯一ノ統治者ト為ルモノナリト為ス公訴事実ハ之ヲ肯認シ得サルナリ 尚地上神界ノ立替立直後ノ主宰神カ国常立尊ナルコトハ 天照皇大神ノ特別ナル命令ナキ限リ国常立尊ノ隠退事情ヨリ来ル当然ノ結論ニシテ 之ニ就キテハ疑問ノ余地ナキ所ナルモ 神界ニ於ケル立替立直ノ担当神ト其ノ後ノ主宰神トノ関係ヲ移写ノ理論ヲ以テ現界ニ移シ 現界立直後ノ統治神ハ国常立尊又ハ素盞嗚尊ナリト為ス所論モ亦前示 理由ニ依リ採用シ得サル所ナリ」と判定し、

(五) 「之ヲ要スルニみろく神政トハ 大宇宙統理ノ神ナル天照大御神カ地上現界ニ其ノ理想ヲ実現センカ為 世界ノ聖地日本ニ降臨セシメ給ヒタル皇孫瓊々杵尊ノ御皇統ニシテ 現神人ナル天皇ヲ唯一ノ統治者(天立君主)トシテ日本ヲ基ニ世界ヲ統一シ 世界ノ人民ハ天皇ノ下ニ一大家族ヲ為シテ統合セラレ 社会規範ノ原則ハ神ヨリ定メラレタル霊主体従ノ道ニ従ヒ 諸事運行ニ矛盾ナク争闘ナク至仁至愛 万民平和幸福ヲ楽シム世界ナリト謂フニ在リ 従ツテ大本ノ根本目的タル立替立直ニ因ルみろく神政成就ニ不逞ノ意義ヲ包蔵スルモノニ非サルコトヲ認メ得ヘク 前掲被告人等カ王仁三郎ヲ首班トシテ 万世一系ノ天皇ヲ奉戴スル大日本帝国ノ君主制ヲ廃シテ 王仁三郎ヲ独裁君主トスル至仁至愛ノ国家建設ヲ共同ノ目的ト為シ居タリトノ公訴事実ハ之ヲ認ムルニ足ル証拠ナシ」として、公訴事実の「不逞ノ共同目的」は全面的に否認したのである。

 なお、「不逞思想ヲ端的ニ表現シタルモノニシテ有カナル証拠ト目セラ」れていた「十ニ段返ノ宣伝歌(被告人中野与之助事件第一号ニ掲載ノ歌)」については、「王仁三郎ハ予審ニ於テ右宣伝歌ハ自己ノ作成シタルモノト詳述シ居レトモ 措信シ得サルコト明ナリ」と判決文((六)の(ロ))に指摘した。また、「凡ソ調書ノ記載カ犯罪ノ証拠ニ供セラルルハ其内容疑ノ余地ナキ場合又ハ反対ノ証拠ナキ場合ニシテ 暴行強迫ニ基因スルヤ否ヤハ現在ノ法制上採否ノ絶対事由ニ非ラサルナリ」とし、「本件検挙及取調ニ関シテハ……警察協会雑誌大本事件特輯及……警保局保安課発行大本事件ノ真相ナル小冊子ハ……其ノ事情考査上逸スヘカラサル資料ノ一タルヲ失ハス」と判定したことが注目される。

 第二、「次ニ王仁三郎外十八名カ昭和三年三月三日みろく大祭ヲ執行シ 国体変革ヲ目的トスル不逞結社ヲ組織シタリトノ点」については、「参列者一同カ神前ニ一致団結シテ献身的活動ヲ為スヘキコトヲ誓ヒタルハ神ニ対スル祈誓ニシテ 参列者相互ノ意思表示ニ非ス 之ヲ以テ参列者間ニ結社組織ノ合意アリタリト為スヲ得サルコト明瞭ナルカ故ニ 右事実アリトスルモ之ニ拠リ結社組織ノ要件タル合意ヲ認ムルコト能ハス」とし、「大祭前日ノ教主殿ニ於ケル会合 至聖殿ニ於ケルみろく祭典ヲ以テ国体変革ヲ目的トスル結社ノ合意アリタリト為ス公訴事実ハ 之ヲ肯認スルヲ得サルナリ」とし、公訴事実の「不逞結社ノ組織」も全面的に否認された。そして最後に、「叙上ノ理由ニ依リ本件公訴事実中被告人王仁三郎カ日本及諸外国ノ統治者ヲ廃シ自ラ独裁君主ト為リ 全世界ヲ統一シテ至仁至愛ノ大家族制度ノ国家ヲ建設セントスル不逞ノ意図ヲ有シ 其ノ目的遂行ノ為昭和三年三月三日みろく大祭ヲ機ニ 被告人すみ、伊佐男、留五郎、吉三郎、斎治郎、同吉及昂三等ト共ニ 万世一系ノ天皇ヲ奉戴スル大日本帝国ノ君主制ヲ廃止シテ王仁三郎ヲ独裁君主トスル至仁至愛ノ国家建設ヲ目的トスル大本ト称スル結社ヲ組織シタリトノ事実ハ之ヲ認ムヘキ証明ナキモノトス 従テ同人等ノ治安維持法違反ノ爾余ノ行為 並其ノ他ノ被告人等ノ右結社ニ加入シ役員タル任務ニ従事シ 又ハ其ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタリトノ治安維持法違反ノ所為ハ之ヲ認ムルニ由ナシ 被告人等ノ本件治安維持法違反ノ所為ハ王仁三郎、重雄、与之助及助三郎ニ対シテハ前掲不敬、出版法違反又ハ新聞紙法違反ノ所為ト夫々一個ノ行為ニシテ 数個ノ罪名ニ触ルル場合ニ該当スルモノトシテ起訴セラレタルモノト認ムルヲ以テ 治安維持法違反ノ罪ニ付特ニ無罪ノ言渡ヲ為サス 爾余ノ被告人等ニ対シテハ治安維持法違反ノ一罪若クハ前掲不敬罪ト併合罪ノ関係ニ於テ起訴セラレタルモノト認ムルヲ以テ 刑事訴訟法第三百六十二条後段ニ則リ 夫々無罪ノ言渡ヲ為スヘキモノトス
仍テ主文ノ如ク判決ス

 と言渡して、被告人らにたいする訓諭をあたえた。こうして判決の言渡しがおわったのである。
 右の判決は、大本の根本目的である「みろく神政成就」が公訴事実でいう「不逞な意義目的」をもつものではないとし、その「公訴事実」を証拠だてる大本教典および諸文献はないと判定したものである。大本検挙にあたり内務省側が作成した理論をもって、検事があくまで固執した「公訴事実」は、判決によって破棄され、昭和三年三月三日に不逞結社を組織し、爾来その活動をつづけたという「治安維持法違反」はその事実のないことが証明されたのである。
 裁判長は判決にあたり、「案スルニ 本件治安維持法違反事件ハ多数信徒ヲ擁スル宗団ノ首長カ 畏レ多クモ天位ヲ窺窬シ其目的達成ノ為宗団幹部ト共ニ結社ヲ組織シタリト云フ稀有ノ重大案件ナリ 苟モ斯ル事実ノ存スルアラハ天人共ニ許サザル大罪トシテ 之ヲ処罰スルニ寸毫ノ仮藉スル処アルヘカラス 然レドモ若シ其事ナキニ誤断スルコトアランカ 天皇ノ赤子ヲシテ末代払拭シ得サル逆徒ノ汚名ヲ被ラシムルモノナリ 裁断スルニ当リテハ冷徹克ク片鱗ニ拠リテ全貌ヲ看破スルノ用意アルト共ニ 虚心以テ末梢ノ辞句ニ泥ミテ全局ヲ誤ルコトナキヲ期セサルヘカラサルナリ」(「判決文」)とのべているが、政治権力の独裁化が急速に強化されつつあった当時の情勢のなかで、三権分立の原則を固守し、当局の政策的意図に支配されず、宗教にたいする理解をもった裁断であったといえよう。
 昭和一六年三月には、すでに治安維持法が「改正」公布されて、大本に治安維持法を適用した不当性があきらかになっていたが、第二審の判決がおこなわれたころには、緒戦の奇襲による勝利もむなしく敗色をしだいに濃くし、連合軍の総反攻によって、戦局は後退しはじめていたのである。しかし軍部は敗戦をひたかくしにかくして、国内の統制や弾圧を一段と強化し、「国体護持」「戦争協力」が強要される一方、国民の愛国思想をますます高揚することにつとめていた。そのような状況下にあって、治安当局が全力をかたかけて大本をおしつぶそうとし、第一審では極刑を科せられた大本事件にたいして、治安維持法「無罪」の判決がなされたことは注目すべきであろう。裁判は公訴によって成立する。したがって裁判の争点は、大本の教理そのものではなく公訴事実の認否にあり、それは証拠によってのみ判定される。第二次大本事件では、第二審での無罪の判決によって、治安維持法違反事件の公訴事実が全面的に否認されたが、同時に、虚構の事実にもとづいてなされた治安当局による大検挙、検察当局による公訴事実、予審判事による予審終結決定、第一審判決などの不当性があきらかにされたのである。高野綱雄裁判長は、昭和一四年九月に、大本弁護団がおこなった王仁三郎以下五人の勾留期間更新決定にたいする抗告を棄却した関係もあったので、第二次大本事件の裁判を担当するにあたって、弁護団にたいし「僕が気にいらねば、いつでも忌避してくれ」との話もあったが、宗教に造詣のある判事はこの人以外にはないとして、弁護団の意見も一致し、高野裁判長を忌避しないことにしたという。
 高野裁判長は厖大な一件書類に一々目をとおし、調査をすすめ、予断にとらわれず厳正な態度で審理にのぞんだ。そのため公判廷における取調べは実に峻厳であったか、今井弁護人のように「高野さんの裁判で調べか手きびしかったら、いつも無罪になっている」と期待していた人もあったという。陪席判事であった土井一夫はのちに「高野裁判長はいい裁判長でした。公平だし、名利にとらわれなかった」といい、長年高野の下で書記をつとめた豊田真三は「高野さんは立派な方でした。あんな方は一寸ないでしょう。あれだけ世間でやかましかった事件を無罪にしたのには、勇気がいります」とも述懐している。陪席判事であった田村千代一は当時を回顧して、「予審調書を読んだとき、どの調書もまったく同じことで、これはおかしいと思った」とまずはじめに疑問をいだいたといい、判決については、「昭和三年三月三日に国体変革を目的とする結社を組織したということが非常に無理で、結局それで大本が無罪になった。無罪の判決としてはくわしすぎるかもしれないが、あれほど力を入れて起訴した事件で、無期懲役まで言渡しているのを無罪にするのであり、昭和一七年といえば大東亜戦争の始まった後だから、あれだけの理由を書いておかないと世間が納得してくれないから……」と語っている。
 第二審で有罪とされた不敬事件については、『霊界物語』や「祥新聞」に掲載せられた神諭の一節と、『霊界物語』や『昭和十年日記』に掲載された王仁三郎の歌六首が、皇室にたいする不敬と判定されたものである。しかしそれらの短歌も、〝日の光昔も今も変らねど東の空にかかる黒雲〟〝言さやぐ君が御代こそ忌々しけれ山河海の神もなげきて〟というたぐいのものであった。
 第二審の判決がおこなわれてから二日めの八月二日に、不敬罪その他で有罪とされた出口王仁三郎以下九人は、大審院へ上告の手つづきをした。一方、翌八月三日には松坂検事総長らが検察首脳会談をおこなって、治安維持法違反事件で無罪となった被告人の全員にたいし、検事側もまた上告をした。なお病気のため公判を分離されていた出口貞四郎は、八月三一日に無罪を言渡されたが、九月一日には検事側から上告された。

<判決の反響> そのころ全国の新聞は一県一紙に統合され、掲載記事への検閲も一段と強化されていた。新聞用紙の統制によって極度に圧縮されていた紙面は、連日戦争の記事でうずめられていた。第二審の判決は、そのかたすみに小さく報道され、大検挙をスクープした「大阪毎日新聞」でさえわずかに三段見出しの三一行、「大阪朝日新聞」は二段見出しの三八行、「東京日日新聞」は一段見出しの一九行という、ごく簡単な記事をのせたにすぎなかった。その記事の量は、大検挙直後にぼうだいな紙面をさいた報道にくらべると、九牛の一毛にもみたないわずかなものであったし、新聞界が一県一紙に圧縮されていた当時にあっては、とうてい末端にまで滲透しえようはずはなかった。
 しかも記事の見出しは「元大本教祖王仁に懲役五年─不敬事実に対し判決」とか「大本教の判決─不敬罪で処断」とかいう、不敬事件の有罪をつよく印象づけようとするたぐいのもので、治安維持法違反事件の無罪について、これを積極的に報道したものはなかった。逆に「国民新聞」のように「検事局が……被告等の行為は治安維持法に抵触するものであるとなす主張こそは、正しくわれ等日本国民たるものの通念と感情とに合致するものである……国体擁護に不覊の決意を示した検事上告に満腔の敬意を表さずには居られない」(昭和17・8・6「散兵壕」)と論評したものすらあった。八月七日にはガダルカナル島に米軍が上陸し、ついにガダルカナルを撤退せざるをえなくなって、戦局はいっそうきびしくなり、国内は戦時一色にぬりつぶされて、思想統制もいよいよはげしくなった。やがて満鉄調査部員ら三〇〇人の検挙がおこなわれる(9月20日)などの事件もあいついだ。こうして、社会の脳裡にふかくきざみこまれていた「大本邪教観」をぬぐいさる機会は、むなしく失われてしまったのである。その影響は今日にいたるもなお、おおきいものがある。
 一方内務当局は「予想外の判決言渡しありたるため一般社会に及ぼしたる影響大なるものありたり」として、ただちに各方面の意嚮の打診と、「大本再建運動」にたいする取締りにのりだしている。各方面の意向として当局がまとめたところによると、「(2)一般第三者に在りては等しく其の無罪乃至軽罪なりしを意外とし『司法官は客観情勢を無視し法條に拘泥するの弊がある』『国体明徴の風潮に背馳する判決』等の意向を洩し、今次裁判の失当を難じ、『元の信者に再建運動の余地を与へる丈のものだ』として大本教再建を憂慮し、 (3)右翼関係にありては『現在の司法官には確固たる国体信念が乏しい』となす者極めて多く、『幸徳秋水事件と同様な大本事件が僅か五年以下の懲役言渡しでは司法当局の威信が失墜されはしないかを憂ふる』として司法権の威信失墜を懸念し、 (4)宗教、左翼関係にありても右と大同小異の意向を洩し、今次裁判を妥当視せるもの皆無の状況」(『社会運動ノ状況』)と記されている。しかし、当局のもとめに応じて意見をよせたのは、大日本翼賛壮年団や右翼・在郷軍人などの特定の階層であり、これらはむしろ内務当局の意向に迎合するものばかりであった。

〔写真〕
○土井一夫 田村千代一 高野綱男 p604
○ついに信者の努力は実をむすんだ 第一審の判決をくつがえして無罪が宣告され 大本の抹殺をねらった権力の意図はもろくもくずれさった 判決書副本 p608
○大阪にうつされた聖師ら3人は2年4月の間 北区刑務支所に拘禁された 昭和16年11月19日に大阪拘置所と改称 p611
○必勝の信念が強制され防空演習も日常の生活になってしまった p614
○判決を報道した新聞の態度はつめたく無罪の事実をしらせ邪教観をぬぐいさる機会はうしなわれた p616
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