文献名1大本七十年史 下巻
文献名2第7編 >第4章 >2 教団体制の確立よみ(新仮名遣い)
文献名3大本愛善苑よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
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一九四六(昭和二一)年二月に愛善苑が新発足してから、わずか二年たらずで聖師の昇天をむかえ、ここに二代苑主の時代となった。一九四八(昭和二三)年二月四日、二代苑主によって出口伊佐男が委員長に再任され、東尾がふたたび副委員長となった。委員には従来の伊佐男・東尾・貞四郎・新衛・栄二・光平に、虎雄(一月二九日田上を出口に改姓)をくわえて七人となった。この段階に入って教団の組織機構はいっそう充実した。
六月には、本部機構の一部があらためられて、亀岡天恩郷には総務部(総務・庶務・会計・建設)、教務部(教修・国際・芸術・史実)の二部八課と瑞光社(出版・編集・経理の三課と中外印刷所・工業所など)が設けられ、綾部梅松苑には、祭務部のもとに祭事・霊祭・庶務・作業の四課をおかれた。また愛善みずほ会の設立(後述)によって厚生部が廃止された。同時に人事の更新がおこなわれ、総務部長に大国以都雄、教務部長に桜井重雄、瑞光社副社長に出口新衛、同中外印刷所長に土井三郎が、それぞれ任命された。
同年一〇月二八日には、開祖三十年祭を期して規約および事務規定の一部改正をおこない、教学の確立と宣教第一主義の運営がはかられた。教学確立の重点としては、「神観の確立」と「開祖、聖師、二代教主の神格と使命を正しく明らかにする」ことがさだめられた。そして、教学局を新設するとともに、従来の総務部・教務部をあわせて、総務・庶務・会計・教修・編集・国際・芸術・史実・建設の九課と本部道場など、ほとんどの事務機関を統轄した宣教部が新設された。
そして教学局長には出口伊佐男、宣教部長には伊藤栄蔵、祭務部長には出口栄二、瑞光社長には土井三郎が就任した。また一〇月一日から入会金は一〇〇円となった。
さらに同年一二月六日には会則の一部を改正した。その主要な点は、決議機関であった委員会を廃止し、審議会を最高の決議機関としたこと、委員会の廃止にともなって委員長・副委員長の名称を会長・副会長と変更し、会長の選出は審議会でおこなうことにしたところにある。当時の審議会議長嵯峨保二はこれらの改革について、「愛善苑が発足三年にして、その民主化が徹底し進展しつつあるのはよろこばしいことである。愛善苑における民主主義は、根本的に現在の民主主義よりも更に一歩進んで、神に根ざしているところの民主主義であって欲しい。会の決議はあくまで神意をうかがいながら、しかももりあがる声との合致点を見出すことによって進めてゆきたい」とかたっている。同月一六日、第九回審議会をひらいて、出口伊佐男を会長に推選し、会長の指名によって東尾吉三郎が副会長に就任した。
一九四九(昭和二四)年度には信徒二万人倍加が指示されたが、これを饑に従来の講師制度にかえて、同年二月三日には、宣伝使制度を復活した。正宣伝使・准宣伝使・宣伝使試補の三階級をもうけ、同日あらためて正宣伝使一一人・准宣伝使六三人・宣伝使試補一二一人が任命された。同時に講師全員が解任され、あらためて道場講話を担当する本部・地方講師が任命された。以後宣伝使の新任は大祭などの機会におこなわれることとなり、宣伝使には二代教主によるみ手代が下付されることになった。八月四日宣伝使総会において宣伝使会を結成し、地方にはその分会をもうけることになった。七・八日には第一回の宣伝使研修会が開催されている。
さらに同年八月にはふたたび会費制度(普通会費月額一〇〇円未満、維持会費月額一ロ一○○円以上、特別維持会費月額一口五〇〇円以上)を実施して、教団護持のため財政基盤の確立をはかり、宣教部からは「執務指針」が支部・府県連絡事務所・会合所に指示されるなど、つぎつぎと教団体制の充実をはかる手が打たれていった。
こうして愛善苑の活動がすすむにしたがって、当初つくられた愛善苑会則は、だんだん実情にそぐわないものとなった。そこで一九四九(昭和二四)年のなかごろから、全面的な規則改正の準備がはじめられた。文部省宗務課の助言をもとめ、ひろく各方面の資料をあつめて全面的な改正案をつくり、同年一〇月二八・二九の両日にわたってひらかれた第一一回臨時審議会で可決され、二九日に「大本愛善苑教団規則」として実施されることになった。その改正要点はつぎのとおりである。
一、「愛善苑」の名称を「大本愛善苑」と改める。
二、「愛善苑会則」を「大本愛善苑教団規則」と改める。また奉斎主神を「おほもとすめおほかみ」と明示するなど、教団たる性格を明確にした。
三、総本苑という信仰の中心(本部教会)と、大本愛善苑本部という教団事務の中心(教団本部)とが機構の上で立てわけられ、教団本部が亀岡天恩郷に、総本苑は綾部梅松苑および亀岡天恩郷にわたってもうけられた。ただし人事の上では一元的に運営されるように配慮された。
四、信仰の中心たる苑主の地位と、教団の主管者(宗政面の責任者)の立場とが、いっそう明確に規定され、主管者の名称は「会長」を「総長」とあらためられた。
五、地方機関としての「連絡事務所」の名称を一律に「支部」と改め、会合所のうち所定の手続きを経たものは、教団に所属する宗教法人としての「分苑」を設立することができることになり、また従来の「分苑」はこれを「別院」と改称した。
教団の名称が「大本愛善苑」と改称されたことについては、一二月九日の支部長会議で総長から「愛善苑が旧大本に復したという意味ではなく、大本に根ざして新発足した愛善苑が成長して、名実ともに新しい段階に進み発展して来たことを意味する」と、その積極的意義が強調されているが、これはかねて、「愛善苑は大革新された大本であり、それが更にじゅん化され一大躍進して生れ出たものである」とのべられていたように、新発足した当初からの一貫した方向でもあった。この改称の前提にはおおむね二つの理由があった。一つは二代苑主から「大本」の名を用いることが要望されていたことと、いま一つは、この大本愛善苑教団規則が審議会に上程された同じ日の審議会に、人類愛善会の再出発の機運がたかまり、「人類愛善会再出発に関する件」が上程可決されたことである。すなわち「大本愛善苑」と「人類愛善会」との性格があきらかとなり、愛善苑と人類愛善会との二本建てによる全面的改革が必要となった。なお、教団規則のほかに、本部・総本苑・地方機関の組織・運営などに関する規定もそれぞれ制定された。
教団は本部と総本苑とにわけられたため、内部機構もおおはばに改正され、本部には教学所と総務部(総務・会計・渉外の三課と瑞光社)・宣教部(宣伝・編集・海外宣伝・史実の四課)をもうけ、総本苑には主管者ハ総長)の代務者として参事をおき、梅松苑参事(綾部)のもとに庶務・祭事・厚生・建設の四課が、天恩郷参事(亀岡)のもとに内事・庶務・道場・建設の四課がそれぞれもうけられた。そして一〇月二九日付で、教学委員長に出口伊佐男、梅松苑参事に出口栄二、天恩郷参事・総務部長に石田卓次、宣教部長に伊藤栄蔵がそれぞれ任命された。役員としては参務がもうけられ、常任参務として、森慶三郎・大国以都雄・桜井重雄・土井靖都・出口貞四郎・土井三郎が就任した。また財政の確立をはかるため教団費規定を別にさだめ、従来の会費制に入会金(一〇〇円)を併用した。
一九五〇(昭和二五)年二月節分大祭には、大本愛善苑信条が裁定発表された。大本愛善苑信条はつぎのとおりである。
第一条 われらは天地万有を生成化育したもう霊力体の大元霊にまします主神を信奉する。
第二条 われらは主神が厳霊国常立尊、瑞霊豊雲野尊と現われたまい顕幽両界を立替立直し、みろくの世を実現したもうことを信奉する。
第三条 われらは開祖が厳霊の神格に充たされ神諭を伝達して救世の基を開き顕幽両界を守りだもうことを信奉する。
第四条 われらは聖師が瑞霊の神格に充たされて愛善信真の大道を啓示し、みろく神業の主体として顕幽両界を救いたもうことを信奉する。
第五条 われらは二代苑主が教御祖たる開祖、聖師の道統を継承し、救いとむすびの使命を成就せられることを信奉する。
第六条 われらは綾部梅松苑および亀岡天恩郷が神業の根本聖地たることを信奉する。
第七条 われらは主神をはじめ諸天使を「おほもとすめおほかみ」と仰ぎて斎き奉り、祖霊の祭祀を重んじ、まつりの本義を全うすべきものなることを信奉する。
第八条 われらは厳瑞二神の神教にもとづき苑主の裁定された教を信仰の神髄としてあなないの誠をつくし天地経綸の神業に奉仕するものなることを信奉する。
第九条 われらは人は神の子であり人類は同胞にして万有は本来一体であることを覚悟し天賦の神性を発揮して人類愛善の実践を期すべきものなることを信奉する。
第十条 われらは万教同根の真理にもとづき広く相たずさえて万民和楽の地上天国実現のために協力すべきものなることを信奉する。
その後、同年八月、本部機構の簡易化・機動化を目的として、規定が改正され、同時に地方機構の改正もおこなわれた。総本苑・天恩郷の四課は全廃され、その事務は教団本部でおこなうことになった。そして総務部には総務・会計・造営の三課と瑞光社をおき、宣教部には大道場と宣伝・編集・史実の三課をもうけた。
地方機構としては、都道府県に主会を新設して従来の支部を全廃し、主会のもとにあらたに支部をもうけ、更始会員三〇人以上を有する会合所を支部に昇格し、会合所は更始会員三世帯以上としてひろく設置する方針をとった。主会長は審議員の兼務とし、一二月六日第一回主会長会議が開催された。教団財政確立のため、教団費規定を廃し、大本更始会(普通会員・維持会員・特別会員・参与会員に区分)を復活し、その会章には、過去の大本時代における更始会の会章(一名宇宙紋章)を用いることとした。
一九五一(昭和二六)年四月三日には、これまでの宗教法人令が改められて宗教法人法が制定されたが、これを契機として宗教法人「大本」への気運がもりあがり、一二月六日の第二〇回審議会では、宗教法人「大本規則」を可決した。翌一九五二(昭和二七)年三月二七日の審議会においては、「大本教法」「大本教則」が可決されて、四月一日から実施することとなった。二月二日には「大本」への全面的移行を円滑にはこぶため、新「大本教則」の線にそって、教団および総本苑の機構の改正がおこなわれた。その結果教学所を教学院とし、総務部・宣教部の二部制をあらためて、祭務部(祭事・霊祭・庶務・作業・会計の五課)、大道場、宣教部(地方宣伝・編集の二課)、楽天社(業務・研究・編集の三課)、社会事業部、造営部、財務部(会計・用度の二課)、庶務部(庶務・厚生の二課)、瑞光社の九部門になった。
同日付で教学院長に出口伊佐男、祭務部長に出口栄二、大道場長・宣教部長に伊藤栄蔵、楽天社社長に出口虎雄、社会事業部長に出口光平、造営部長に出口新衛、財務部長・瑞光社長に土井三郎、庶務部長に土居重夫がそれぞれ任命された。こうして四月一日を期し宗教法人「大本」へ移行する準備がととのえられていったのである。
〔写真〕
○昭和23年の天恩郷 右から現大本会館付近の櫟林と西光館 雑草しげる現万祥殿横の濠と東光苑 p834
○大銀杏台付近 昭和23年 手前は昭和35年に撤去された極楽橋 天恩郷 p835
○第一期金龍海工事をおわった綾部の神苑 昭和25年 梅松苑 p836
○神木 榎の付近 昭和24年 綾部 p837
○草木染にいそしまれる二代苑主 未整地の鑛泉付近 綾部梅松苑 p839
○月宮宝座 国魂石と天拝石 亀岡天恩郷 p841