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文献名1霊界物語 入蒙記 山河草木 特別篇
文献名2第5篇 雨後月明よみ(新仮名遣い)うごげつめい
文献名3第37章 大本天恩郷よみ(新仮名遣い)おおもとてんおんきょう
著者出口王仁三郎
概要
備考2024/2/19出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。
タグ データ凡例 データ最終更新日2024-02-19 13:44:27
あらすじ財政問題も日出雄が綾部に帰りつくや、一掃されてしまった。祥会本部を亀岡から綾部に移して宇知麿に総覧を一任した。そして自らは真澄別を率いて万寿苑に居を定め、万寿苑を天恩郷と命名した。日出雄の居館である光照殿造営に際して、亀山城址の基礎石は掘り起こされた。欧文印刷所の新設や、海外宣伝部の移転などで、月照山の弥勒塔の光輝もますます増した。月宮殿造営の日を鶴首して待つのは、信徒のみではないほどである。
主な人物 舞台 口述日1925(大正14)年08月17日(旧06月28日) 口述場所 筆録者 校正日 校正場所 初版発行日1925(大正14)年2月14日 愛善世界社版340頁 八幡書店版第14輯 672頁 修補版 校定版343頁 普及版 初版 ページ備考
OBC rmnm37
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本文  財政問題や日出雄の保釈問題に関する、小田原評議で低迷せし周章狼狽の空気は、日出雄の保釈帰綾と共に一掃され、全くの嵐の跡の夫れの如く、天地清明の聖地と復活したのである。
 爾来進展主義の日出雄は、負債や世評に屈することなく、祥会本部を亀岡より綾部に移して諸務の総攬を宇知麿に一任し、自らは真澄別其他を率ゐて、万寿苑に根拠を定め、入蒙出発の際宣言せし如く、単に三五聖団の日出雄としてでなく、世界の源日出雄として、万界の暗を照破すべき、神界経綸の実現に着手したのである。
 先づ以て万寿苑は天恩郷と命名され、日出雄の居館たる光照殿が新築される事となつた。久しく寂寥を感じて居た万寿苑は頓に活気横溢し、数多の信者は各地より、吾れも吾れもと先を争つて参集し、光照殿造営に奉仕する事となり、亀山城趾の基礎石は夫れ夫れ掘り起されて、誂へた如く神業に役立つ奇縁に、弥永久世弥永の掛声も勇ましく、四辺の空気を震撼せしむる盛況に、驚嘆の眼を睜るは亀岡町の人々のみならず、日出雄が天下無敵の経綸振と其説示の絶対なるに、今更の如く耳目を欹て、或は教を請ふべく、或は事業経営の主宰と仰ぐべく、往来する人々引きも切らず、更に欧文印刷所の新設、海外宣伝部の移転などで、月照山の弥勒塔日に日に其光輝を増す祥に、月宮殿造営の日をも鶴首して待つのは敢て信徒のみではないのである。あゝ惟神霊幸倍坐世。
(大正一四、八、一七、筆録)
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