文献名1大本神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3明治41年旧10月15日よみ(新仮名遣い)
著者
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日----
年月日1908(明治41)年11月8日(旧10月15日)
神霊界掲載号大正7年10月1日号(第71号) 9頁(次号に続く)
神霊界八幡書店復刻版第3巻 227頁
七巻本第4巻 99頁
五巻本未調査
三五神諭なし
東洋文庫天の巻111頁(天の巻p111と火の巻p82は同じ神諭(ただし火の巻の方は後半部がない))
東洋文庫火の巻82頁(天の巻p111と火の巻p82は同じ神諭(ただし火の巻の方は後半部がない))
連合会水の巻なし
大本史料集成未調査
庶民生活史料集成32頁
OBC os141
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本文の文字数2059
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本文
今度二度目の世の立替は、変性男子が天晴現はれて守護致さねば、従来は蔭からの守護でありたから、分るに隙がいりたなれども、この先きは、世に出て居れる方の守護神に大分わかり掛けたから、神に分りかけたら人民には早う分るから、人気の悪るい所から、惨い事があると申してあるが、何も一度に成りて来て、一度に開くぞよ。九分九厘行くと掌が覆すと申してあるが、其所まで行かんと、世界中は分らんから、何も知らん、悪の働きして居る利己主義の守護神が、まだ邪魔を致すなれど、分りて来るほど、何となく心が寂寥しく成りて来て、善の道には敵はんと、発根と往生致すやうに、日本の国の大和魂の種が、地の底へ落してありた、其種で、元の昔に立ちかへりて大和魂にねじ直すのであるから従来に仕放題にして居りた守護神は、大分辛いなれど世は持ち切りには致させんぞよ。
誠の道を立てるのは、我身を棄てて、我の体躯は砕けても、今度の大事業な御用を勤めあげて、元の活神が皆揃ふて、世に上るのであるから、それについては、我の事は棄て置いて、他を助ける心の人民でありたら、天晴表面に出るに近うなりたぞよ。今度は綾部の大本で御蔭を落して、他所で分る所が無いので、一旦御蔭を落して居りても、大本へ縋りて来ねばならんから、十分衆に気を附けて置くぞよ。温順な人民から善く成るから、これから先きは分るが迅いから、今に敵対て居る人民が可哀想なから、煩う気をつけて置くのぢゃぞよ。神が困るので無いぞよ。貰へる御蔭が後廻はしになるから、それが可哀想なから、今の今迄気をつけるのであるぞよ。綾部の大本で御蔭を落して、他所に分る所があるなら、斯様煩うは申さんなれど、他所の教会は皆先走りであるから、世界中を尋ねて歩いても、この綾部の仕組の分る所は何所にも無いぞよ。綾部の大本へ来て、筆先を見て居りて、他所へ参りて、此綾部を敵対て居りても、些との間は左程分りも致さねど、先きに成る程後悔が出来て来るから、後で出て来て悄々として居るのが、この方出口直の性来は厭な性来であるぞよ。誠を立てるのは、些とは違ふ所が無いと辛抱が出来んぞよ。誠の道を誠の活神が誠心誠意で、日本の大和魂に立て替へる世界の大本であるから、辛抱は痛苦いなれど、辛抱致さねば誠の道は立たんぞよ。
待ち焦れて居りた元の活神が揃ふて守護致し出すと、一旦世界はいろいろと、彼方此方に厭な事があるよって、鼻高さんも心が寂寥くなるから、分る所は綾部の大本より外には何所にも無いのぢゃから、寂寥うなる程大本は忙しうなるから、何彼の事を心得て居りて下されよ。出て来出すと何も一同に成りて来て、人が足らんやうに忙しく成るぞよ。神の方からも出て来出すぞよ。
世界にはいろいろ何れは困難があるよって、神に一心に縋りて居りたら、立別けて見せてやるから、今度の世の立替は、何程世界中の人民に霊魂の神が憑依りて、世の立替を致さうと思ふても、世に零落て居りた活神が、海の底の龍宮へ落ちて居りた活神が、皆揃ふて綾部の新宮本宮の元の宮の陸の龍宮館に、高天原が出現れて、世界の大神と現はれて、昔から無かりた事を致すのであるが、今の世界の人民は、学で出来た智慧であるから、吾に学があると鼻高に成りて、人を見下げて、下へ落ちて居る者を、脚で蹴飛ばさんばかりの世の中に成りて居るが、これが外国の霊魂の性来であるぞよ。露国の極悪神の性来を、日本の国へさッぱり映らして了ふて居るぞよ。此先きは日本と外国との大戦に成るから、日本の国の人民に大和魂の辛抱の善い身魂が無いやうに成りて居るから、向ふの国が強いと思たら外国へ附かうと致す人民が八九分あるぞよ。其身魂は矢張り外国の身魂に成り切りて居るのぢゃから、外国行が沢山あるといふことが、知らしてあるが、これ丈に気をつけて置いたら、何が出て来ても不足言ひには来もしまいなれど………。
世の元を造へるのは、これ一と色能う為んといふ事は出来んのであるから、霊魂の神では出来んと申すのであるぞよ。余り大事業な事であるが、今度の世の立替は元の肉体の其儘である国常立尊が現はれると、次ぎに龍宮の乙姫殿が、日之出の神をお使ひになりて居るから、引添ふて現はれなさる也。岩の神、風の神、荒の神、雨の神、地震の神、残らずの金神………。金神の中にても結構な金神と、酒飲みの道楽な御用には使へん道楽なのもあるよって、此方が使ふのは道楽な名の無いやうに成りて居る金神は、行儀品行をモ一度査べて使ふから、流浪に立つが厭なら今の中に行状も出来んやうな事では、戦争の手伝位は出来もするが、世を立替て天下太平に世を治めて、至仁至愛の世になると、従来のやうな行状はモー出来んぞよ。神の道も、さッぱり造りかへて了ふから、人民の道も造へて昔の元へ世を戻すのであるから、人民からは神を敬へば神力が強う成るから、人民を神が守護致すなり、持つもたれて、神の心に映りて行けばそれが神世と申すのであるから、さうなりたら人民も今の世ほどあせらいでも、穏和に行ける世になるのぢゃぞよ。