文献名1霊界物語 第20巻 如意宝珠 未の巻
文献名2第2篇 運命の綱よみ(新仮名遣い)うんめいのつな
文献名3第8章 心の鬼〔670〕よみ(新仮名遣い)こころのおに
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ
データ凡例
データ最終更新日2021-04-18 03:33:02
あらすじ宗彦は聖地に上り、言依別命から宣伝使に任命され、三国ケ嶽に割拠する魔神を言向け和す任務を与えられた。武志の宮に奉告祭をなし、親子兄弟、村人たちに別れを告げて宣伝の旅についた。村はずれには、留公と田吾作が先回りして待っていた。宗彦が来ると、二人は宣伝の旅に供として一緒に連れて行くようにと頼み込んだ。しかし宗彦は、宣伝使は一人旅だと行って断った。二人は先回りして、明石峠の大滝に禊をしながら、宗彦が来るのを待っていた。宗彦は明石峠の大滝にさしかかったが、丹波霧にさえぎられて、二人が禊をしているのに気づかず、通り過ぎてしまった。二人も滝の音で宗彦が通り過ぎたことに気がつかなかった。宗彦が明石峠の長上に着くと、一人の四十くらいの女が登ってきた。宗彦が訳を尋ねると、その女・お露は語って、夫の原彦という者が憑き物病で伏せっていて、その祈祷に滝に打たれに行くところだという。宗彦はそれを聞くと、自分は宣伝使だから診てやろう、と言って村に案内してもらうことになった。村に着くと、相当に広い家があり、そこが女の家であった。宗彦が通されると、病人は次の間でしきりにうなされている。家の者に病状を尋ねると、男はしきりに「田吾が来る、田吾が来る」とうなされるという。また、自分が過去に人殺しをした罪をうわごとに告白するのだという。天罰だという村人に対し、宗彦は、誰でも心に知らずに罪を犯すものだ、と説いた。そして罪を憎んで人を憎まずと諭し、公平無私な神様は肉体を罰し給うということはない、と教えた。だからこれは、原彦が自らの罪のために苦しんでいるのだろうから、罪が取れれば本復するだろう、と診立てた。宗彦は、むしろデモ学者やデモ宗教家がもっとも罪が思い、と説いた。なぜなら、神様からいただいた結構な魂を曇らせる、誤った学説や宣伝を為すからだ、という。心の罪や、デモ学者・デモ宗教家の罪は、どうやって裁かれるのか、という村人の問いに対して、宗彦は、不完全な人間が、善悪や功罪の判断をつけることはできない、と説いた。神が表に現れて善悪を立て別けるのであるから、人間はただ、自分が最善と信じたことを貫くのが、天地経綸の司宰者としての本分だ、と説いた。人間の法律上の善悪は、あくまで有限的なものであって、神界とは矛盾している場合もあるのだ、と続けた。すると次の間より病人が、田吾作赦してれ、と叫ぶ声が聞こえた。原彦は自問自答で怒鳴っている。宗彦は禊をして天津祝詞を奏上し、病人の枕頭で天の数歌を唱えた。そして病人と問答し、田吾作という者の特徴を問いただした。宗彦はその答えで、田吾作とは宇都山村の自分の義弟・田吾作その人だと確信し、生きていることを原彦が知れば、全快するであろうとお露たちに告げた。宗彦が休んで待っていると、留公と田吾作が家の戸を叩き、宗彦を探しに来た。宗彦はさっそく、田吾作を病人の間に連れて来た。田吾作は合点がいかなかったが、やがて原彦が、十三年前に橋の上で争った泥棒だということに気がついた。その当時、原彦は、田吾作が持っていた玉を狙っていた。橋の上で争ううち、田吾作は濁流の大井川に落ちてしまったが、宇都山村の村人たちに助けられたのであった。田吾作は、逆に自分の玉への執着のためにこのようなことになってしまったことを原彦に詫び、その玉を懐から取り出すと、原彦に手渡した。それより原彦は回復に向かい、十日ほどですっかり健康になった。原彦夫婦や村人一同は、執着心から来る心の罪の恐ろしさを悟り、宗彦の教えを奉じた。熊田村はすっかり三五教を信じることとなった。
主な人物
舞台
口述日1922(大正11)年05月13日(旧04月17日)
口述場所
筆録者北村隆光
校正日
校正場所
初版発行日1923(大正12)年3月15日
愛善世界社版165頁
八幡書店版第4輯 209頁
修補版
校定版172頁
普及版73頁
初版
ページ備考
OBC rm2008
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