文献名1霊界物語 第47巻 舎身活躍 戌の巻
文献名2第3篇 天国巡覧よみ(新仮名遣い)てんごくじゅんらん
文献名3第13章 下層天国〔1246〕よみ(新仮名遣い)かそうてんごく
著者出口王仁三郎
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日2023-04-26 21:15:15
あらすじ高天原の東と西の団体は、信愛の善徳に居る。東は分明に愛の善徳を感得し、西はおぼろげに感ずるものが住む。南と北の団体は、愛信の智慧証覚に居るものである。南は明白に、北はおぼろげに光れるものが住む。高天原の天国にある愛は、神に対する愛である。これより来る真光は、智慧と正覚である。霊国にある愛は隣人に対する愛であり、仁である。仁愛から来る真光は智慧であり信である。高天原には時間空間、春夏秋冬の区別はない。ただ天人各自の情態の変化があるのみである。現界の人は時間の概念を離れることができない。天人はみな情態の上から思惟する。春と朝は第一情態における愛の善、証覚の境涯に対する想念である。夏と午時は第二情態における愛善および証覚の境涯に対する想念である。秋と夕べは第三情態の愛善および証覚の境涯、冬と夜は地獄に落ちた精霊の境涯に対する想念である。言依別命は説明を続けた。いかなる状態にある人間でも、生まれ赤子の純粋無垢の心に帰りさえすれば、直ちに第一天国と相応し、神格の内流によって容易に天国に上り得ると説いた。天国の太陽とは、厳の御霊の御神格が顕現したものであるという。また霊国では瑞の御霊の大神が月と現れ、天国ではまた太陽と現れ給うという。神様の愛は現実界の太陽の熱烈なるに比較して一層強く、その神愛は下降するにしたがって熱烈の度を和らげて行き、第三天国のもっとも低いところでは大神の御光を拝することが遠く、現界の太陽を拝するように明瞭にわからないのだという。第三天国の天人たちの前に、神がそのまま太陽となって現れると天人たちの眼がくらんでしまうので、大神様は一個の天人となって善、真、智慧証覚相応の団体へおくだりあそばし、親しく教えを垂れさせ給うという。治国別と竜公は、言依別命の案内で二三丁ばかり丘を下って行った。言依別命は火光と化して天空に姿を没した。二人は暗夜に火を取られた心地ながら大地にひざまづき、言依別命に涙ながらに感謝をささげた。治国別は、言依別命の案内に頼る心を持った自分たちの想念の過ちによって、神様が遠ざかったのだと竜公のみならず自らを諭し、合掌して感涙にむせびながら主神に祈りを凝らした。
主な人物
舞台
口述日1923(大正12)年01月09日(旧11月23日)
口述場所
筆録者北村隆光
校正日
校正場所
初版発行日1924(大正13)年10月6日
愛善世界社版191頁
八幡書店版第8輯 543頁
修補版
校定版199頁
普及版95頁
初版
ページ備考
OBC rm4713
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