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文献名1霊界物語 第48巻 舎身活躍 亥の巻
文献名2第1篇 変現乱痴よみ(新仮名遣い)へんげんらんち
文献名3第1章 聖言〔1255〕よみ(新仮名遣い)せいげん
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2022-09-20 19:09:25
あらすじ宇宙には霊界と現界の二つの区界がある。霊界には、高天原と根底の国の両方面がある。この両方面の中間に介在する一つの界があって、これを中有界または精霊界という。現界に昼夜・寒暑の区別があるのは、霊界に天界と地獄界があることに比べられる。人間は霊界の直接または間接内流を受け、自然界の物質すなわち剛柔流の三大元質によって肉体を造られ、肉体に精霊が宿っている。精霊は、人間自身であり、体は精霊の居宅に過ぎない。霊なるものは、神の神格である愛の善と信の真から形成された一個体である。人間は一方に愛信の想念があり、一方には身体を発育し現実界に生き働くための体欲がある。この体欲も愛から来ている。しかし体に対する愛は自愛である。神より直接来る愛は神愛といい、神を愛し万物を愛する普遍愛である。人間は肉体のある限り、自愛も必要欠くべからざるものである。それと共に、本源にさかのぼって真の愛に帰正しなくてはならない。精霊は善悪両方面を抱持している。人間は霊的動物であると共に、体的動物でもある。精霊はあるいは向上して天人となり、あるいは堕落して地獄の邪鬼となる。人間は善悪正邪の分水嶺に立っているものである。たいていの人間は、神界より見れば精霊界に彷徨している。精霊の善なるものを正守護神といい、悪なるものを副守護神という。正守護神は神格の直接内流を受け、人身を機関として天国の御用に奉仕すべく神より造られたものである。正守護神をよく統制し得ることができれば、一躍本守護神となって天人の列に加わるものである。悪霊すなわち副守護神に圧倒され、使役される卑怯な精霊となるときは、精霊自らも地獄界へ落とされてしまうのである。悪霊は、自然界にける自愛、すなわち外部から入り来たる諸々の悪と虚偽によって、形作られるものである。悪霊に心身を占領された者を体主霊従の人間という。現代の人間は精霊界、または地獄界に籍をおいているものが大多数を占めている。現代の学者は、霊的事物を覚知せずに宇宙の真相を究めようとしている。これを体主霊従的研究という。大本神諭に途中の鼻高とあるのは、天国自国の中途である精霊界に迷っている盲どものことを言っているのである。まず現代の学者は霊的事物の存在を認め、神の直接内流によって真の善を知り、信の真を覚る糸口を捕捉しなくてはならない。自然界にあって自然的事物の科学的研究をどこまで進めても解決がつかないような知識では、霊界の門内に一歩でも踏み入ることさえできるはずがない。現界の研究さえまだ門戸に達していない学者どもが、霊界のことにくちばしを入れて瑞月を審神者しようとするのだから、実に滑稽である。この『霊界物語』も、これを読む人々の智慧証覚の度合いによって、神霊に感応する程度に幾多の差が生じるのはやむを得ないのである。宇宙の真理は開闢の始めより億兆万年の末に至るまで、決して微塵の変化もない。これに対する人間の智慧証覚の賢愚の度によって、種々雑多に映じるのである。霊界に通じる唯一の方法として、鎮魂帰神という神術がある。人間の精霊が直接、大元神すなわち主の神に向かい、神格の内流を受け、大神と和合する状態を帰神というのである。それゆえ、帰神は予言者としてもっとも必要な霊界真相の伝達者である。次に大神の御神格に照らされ、智慧証覚を受けて霊国のエンゼルとなった天人が人間の精霊に降り来たり、神界の消息を人間界に伝達することを神懸という。これを神格の間接内流ともいう。予言者を求めてその精霊を充たすのである。悪霊または副守護神が外部から人間の肉体に侵入し、罪悪と虚偽を行う状態を、神憑という。偽予言者、贋救世主などは、この副守のささやきを自ら深く信じ、憑霊を貴き神と信じている。神憑は、現界の人間の善霊と肉体を亡ぼそうと謀るものである。ゆえに霊界の研究者は霊媒の平素の人格についてよく研究をめぐらし、その心性を十二分に探査したうえでなくてはならない。好奇心にかられて不真面目な研究をするようなことでは、学者自身が中有界はおろか、地獄道に陥落するにいたってしまうことになる。帰神も神懸も神憑もひとくくりに神がかりというが、その間には非常に尊卑のへだたりがあることを悟らなければならない。大本開祖の帰神では、開祖はいつも神様が前額から肉体におはいりになられるといわれていた。前額部は高天原の最後部に相応する至聖所である。畏れ多くも口述者は審神者として開祖を永年間注目し、ついに大神の聖霊に充たされ給う地上唯一の大予言者であることを覚り得たのである。また、高天原には霊国と天国の二大区別がある。霊国の天人を説明の便宜上、霊的天人と呼び、天国の天人を天的天人として説明を加えようと思う。霊的天人から来る間接内流は、人間の肉体の各方面から感じ来たり、頭脳に流入する。前額およびこめかみから、大脳の所在全部にいたるまでを集合点とする。この局部は霊国の智慧に相応する。天的天人からの間接内流は、後脳すなわち耳より始まり、頸部全体に流入する。この局部は証覚に相応するからである。天人が人間と言葉を交えるときは、人間の想念中に入り来るものである。天人と語り合う者は、高天原の光によってそこにある事物を見ることができる。しかして天人はこの人の内分を通じて地上の事物を見ることができる。天界の天人は人間の内分によって世間の事物と和合し、世間は天界と和合する。これを現幽一致、霊肉不二、明暗一体という。大神が霊界の消息や意志を現界人に対して告示するとき、まずおのが化相をもって精霊を充たし、この充たされた精霊を予言者の体に遣わし給う。この精霊は、大神の霊徳に充ちてその言葉を予言者に伝える。これらの言葉は大神より直接に出て来た聖言であるので、一々確乎不易にして神格によって充たされているものである。しかし人間は何事も自然的、科学的意義にしたがって聖言を解釈しようとするゆえに、懐疑心をますばかりで解決がつかない。ここにおいて大神は、瑞霊を世に降して直接の予言者が伝達した聖言を詳細に解説せしめ、現界人を教え導こうとなし給うたのである。大神の御神格が予言者を充たして聖言を伝達し終わると、大神は天に帰り給う。すると予言者の神格はにわかに劣り、言うことは明晰を欠くようになる。そこで予言者は、自分はやはり精霊であり、聖言は大神から言わしめ給うたことを知覚し承認するに至る。大本開祖は、万民のために伝達の役を勤めていたことをよく承認していられたのである。開祖に帰神し給うたのは大元神大国治立尊様である。その精霊は、稚姫君命と国武彦命であった。天人は開祖によって示された聖言を直ちに理解することができるが、現界人には容易に通じない。それゆえ、聖言を細かく説いて諭す伝達者として、瑞の御魂の大神の神格に充たされた精霊が変性女子の肉体に来たり、地上の天人として神業に参加せしめられた。その詳細な説明をもってしても疑念をさしはさみ研究的態度に出ようとする者もある。されど神は至仁至愛にましますので、かくのごとき難物をも種々に身を変じ給いてその精霊を救おうと昼夜御心を悩ませ給いつつある。
主な人物 舞台 口述日1923(大正12)年01月12日(旧11月26日) 口述場所 筆録者松村真澄 校正日 校正場所 初版発行日1924(大正13)年10月25日 愛善世界社版7頁 八幡書店版第8輯 589頁 修補版 校定版7頁 普及版3頁 初版 ページ備考
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本文
 宇宙には霊界と現界との二つの区界がある。而して霊界には又高天原と根底の国との両方面があり、此両方面の中間に介在する一つの界があつて、これを中有界又は精霊界と云ふのである。又現界一名自然界には昼夜の区別があり寒暑の区別があるのは、恰も霊界に天界と地獄界とあるに比すべきものである。人間は霊界の直接又は間接内流を受け、自然界の物質即ち剛柔流の三大元質によつて、肉体なるものを造られ、此肉体を宿として、精霊之に宿るものである。其精霊は即ち人間自身なのである。要するに人間の躯殻は精霊の居宅に過ぎないのである。此原理を霊主体従といふのである。霊なるものは神の神格なる愛の善と信の真より形成されたる一個体である。而して人間には一方に愛信の想念あると共に、一方には身体を発育し現実界に生き働くべき体欲がある。此体欲は所謂愛より来るのである。併し体に対する愛は之を自愛といふ。神より直接に来る所の愛は之を神愛といひ、神を愛し万物を愛する、所謂普遍愛である。又自愛は自己を愛し、自己に必要なる社会的利益を愛するものであつて、之を自利心といふのである。人間は肉体のある限り、自愛も又必要欠くべからざるものであると共に、人は其本源に遡り、どこ迄も真の神愛に帰正しなくてはならぬのである。要するに人間は霊界より見れば即ち精霊であつて、此精霊なるものは善悪両方面を抱持してゐる。故に人間は霊的動物なると共に又体的動物である。精霊は或は向上して天人となり、或は堕落して地獄の邪鬼となる、善悪正邪の分水嶺に立つてゐるものである。而して大抵の人間は神界より見れば、人間の肉体を宿として精霊界に彷徨してゐるものである。而して精霊の善なるものを正守護神といひ、悪なるものを副守護神と云ふ。正守護神は神格の直接内流を受け、人身を機関として天国の目的即ち御用に奉仕すべく神より造られたもので、此正守護神は副守護神なる悪霊に犯されず、よく之を統制し得るに至れば、一躍して本守護神となり天人の列に加はるものである。又悪霊即ち副守護神に圧倒され、彼が頤使に甘んずる如き卑怯なる精霊となる時は、精霊自らも地獄界へ共々におとされて了ふのである。此時は殆ど善の精霊は悪霊に併合され、副守護神のみ我物顔に跋扈跳梁するに至るものである。そして此悪霊は自然界に於ける自愛の最も強きもの即ち外部より入り来る諸々の悪と虚偽に依つて、形作られるものである。かくの如き悪霊に心身を占領された者を称して、体主霊従の人間といふのである。又善霊も悪霊も皆之を一括して精霊といふ。現代の人間は百人が殆ど百人迄、本守護神たる天人の情態なく、何れも精霊界に籍をおき、そして精霊界の中でも外分のみ開けてゐる、地獄界に籍をおく者、大多数を占めてゐるのである。又今日のすべての学者は宇宙の一切を解釈せむとして非常に頭脳をなやませ、研究に研究を重ねてゐるが、彼等は霊的事物の何物たるを知らず、又霊界の存在をも覚知せない癲狂痴呆的態度を以て、宇宙の真相を究めむとしてゐる。之を称して体主霊従的研究といふ。甚だしきは体主体従的研究に堕して居るものが多い。何れも『大本神諭』にある通り、暗がりの世、夜の守護の副守護神ばかりである。途中の鼻高と書いてあるのは、所謂天国地獄の中途にある精霊界に迷うてゐる盲共のことである。
 すべて宇宙には霊界、現界の区別ある以上は、到底一方のみにて其真相を知ることは出来ない。自然界の理法に基く所謂科学的知識を以て、無限絶体無始無終、不可知不可測の霊界の真相を探らむとするは、実に迂愚癲狂も甚しといはねばならぬ。先づ現代の学者はその頭脳の改造をなし、霊的事物の存在を少しなりとも認め、神の直接内流に依つて真の善を知り、真の真を覚るべき糸口を捕捉せなくては、黄河百年の河清をまつやうなものである。今日の如き学者の態度にては、仮令幾百万年努力するとも、到底其目的は達することを得ないのである。夏の虫が冬の雪を信ぜない如く、今日の学者は其智暗く其識浅く、且驕慢にして自尊心強く、何事も自己の知識を以て、宇宙一切の解決がつくやうに、否殆どついたものの様に思つてゐるから、実にお目出度いといはねばならぬのである。天体の運行や大地の自転運動や、月の循行、寒熱の原理等に就いても、未だ一として其真を得たものは見当らない。徹頭徹尾、矛盾と撞着と、昏迷惑乱とに充たされ、暗黒無明の域に彷徨し、太陽の光明に反き、僅かに陰府の鬼火の影を認めて、大発明でもしたやうに騒ぎまはつてゐるその浅ましさ、少しでも証覚の開けたものの目より見る時は、実に妖怪変化の夜行する如き状態である。現実界の尺度はすべて計算的知識によつて其或程度までは考察し得られるであらう。併し何程数学の大博士と雖も、其究極する所は、到底割り切れないのである。例へば十を三分し、順を追うて、追々細分し行く時は、其究極する所は、ヤハリ細微なる一といふものが残る。此一は何程鯱矛立になつて研究しても到底能はざる所である。自然界にあつて自然的事物即ち科学的研究をどこ迄進めても、解決がつかないやうな愚鈍な暗冥な知識を以て、焉んぞ霊界の消息門内に一歩たりとも踏み入ることが出来ようか。口述者が霊界より大神の愛善と信真より成れる神格の直接内流や其他諸天使の間接内流に仍つて、暗迷愚昧なる現界人に対し、霊界の消息を洩らすのは、何だか豚に真珠を与ふる様な心持がする。かく言へば瑞月は癲狂者或は誇大妄想狂として、一笑に附するであらう。併し乍ら自分の目より見れば、現代の学者位始末の悪い、分らずやはないと思ふ。プラス、マイナスを唯一の武器として、絣や金米糖を描き、現界の研究さへも未だ其門戸に達してゐない自称学者が、霊界のことに嘴を容れて審神者をしようとするのだから、実に滑稽である。故に此『霊界物語』も之を読む人々の智慧証覚の度合の如何によつて、其神霊の感応に応ずる程度に、幾多の差等が生ずるのは已むを得ないのである。
 宇宙の真理は開闢の始めより、億兆万年の末に至るも、決して微塵の変化もないものである。併し乍ら之に相対する人間の智慧証覚の賢愚の度によつて、種々雑多に映ずるのであつて、つまり其変化は真理そのものにあらずして、人間の知識そのものにあることを知らねばならぬのである。もし現代の人間が大神の直接統治し給ふ天界の団体に籍をおき、天人の列に加はることを得たならば、現代の学者の如く無性矢鱈に頭脳を悩まし、心臓を痛め肺臓を破り、神経衰弱を来さなくても、容易に明瞭に宇宙の組織紋理が判知さるるのである。
 憎まれ口はここらでお預かりとして、改めて本題に移ることとする。茲に霊界に通ずる唯一の方法として、鎮魂帰神なる神術がある。而して人間の精霊が直接大元神即ち主の神(又は大神といふ)に向つて神格の内流を受け、大神と和合する状態を帰神といふのである。帰神とは、我精霊の本源なる大神の御神格に帰一和合するの謂である。故に帰神は大神の直接内流を受くるに依つて、予言者として最も必要なる霊界真相の伝達者である。
 次に大神の御神格に照らされ、知慧証覚を得、霊国に在つてエンゼルの地位に進んだ天人が、人間の精霊に降り来り、神界の消息を人間界に伝達するのを神懸といふ。又之を神格の間接内流とも云ふ。之も亦予言者を求めて其精霊を充たし、神界の消息を或程度まで人間界に伝達するものである。
 次に、外部より人間の肉体に侵入し、罪悪と虚偽を行ふ所の邪霊がある。之を悪霊又は副守護神といふ。此情態を称して神憑といふ。
 すべての偽予言者、贋救世主などは、此副守の囁きを人間の精霊自ら深く信じ、且憑霊自身も貴き神と信じ、其説き教へる所も亦神の言葉と、自ら自らを信じてゐるものである。すべてかくの如き神憑は自愛と世間愛より来る凶霊であつて、世人を迷はし且つ大神の神格を毀損すること最も甚しきものである。斯の如き神憑はすべて地獄の団体に籍をおき、現界の人間をして、其善霊を亡ぼし且肉体をも亡ぼさむことを謀るものである。近来天眼通とか千里眼とか、或は交霊術の達人とか称する者は、何れも此地獄界に籍をおける副守護神の所為である。泰西諸国に於ては今日漸く、現界以外に霊界の在ることを、霊媒を通じて稍覚り始めたやうであるが、併し此研究は余程進んだ者でも、精霊界へ一歩踏み入れた位な程度のもので、到底天国の消息は夢想だにも窺ひ得ざる所である。偶には最下層天国の一部の光明を遠方の方から眺めて、臆測を下した霊媒者も少しは現はれてゐる様である。霊界の真相を充分とは行かずとも、相当に究めた上でなくては、妄りに之を人間界に伝達するのは却て頑迷無智なる人間をして、益々疑惑の念を増さしむる様なものである。故に霊界の研究者は最も霊媒の平素の人格に就てよく研究をめぐらし、其心性を十二分に探査した上でなくては、好奇心にかられて、不真面目な研究をするやうな事では、学者自身が中有界は愚か、地獄道に陥落するに至ることは想念の情動上已むを得ない所である。
 さて帰神も神懸も神憑も概括して神がかりと称へてゐるが、其間に非常の尊卑の径庭ある事を覚らねばならぬのである。大本開祖の帰神情態を口述者は前後二十年間、側に在つて伺ひ奉つたことがある。開祖は何時も神様が前額より肉体にお這入りになると云はれて、いつも前額部を右手の拇指で撫でてゐられたことがある。前額部は高天原の最高部に相応する至聖所であつて、大神の御神格の直接内流は必ず前額より始まり、遂に顔面全部に及ぶものである。而して人の前額は愛善に相応し、顔面は神格の内分一切に相応するものである。畏多くも口述者が開祖を審神者として永年間、茲に注目し、遂に大神の聖霊に充たされ給ふ地上唯一の大予言者たることを覚り得たのである。
 それから又高天原には霊国、天国の二大区別があつて、霊国に住める天人は之を説明の便宜上霊的天人といひ、天国に住める天人を天的天人といふことにして説明を加へようと思ふ。乃ち霊的天人より来る内流(間接内流)は人間肉体の各方面より感じ来り、遂に其頭脳の中に流入するものである。即ち前額及び顳顬より大脳の所在全部に至る迄を集合点とする。此局部は霊国の智慧に相応するが故である。又天的天人よりの内流(間接内流)は頭中小脳の所在なる後脳といふ局部即ち耳より始まつて頸部全体にまで至る所より流入するものである、即ち此局部は証覚に相応するが故である。
 以上の天人が人間と言葉を交へる時に当り、其言ふ所は斯の如くにして、人間の想念中に入り来るものである。すべて天人と語り合ふ者は、又高天原の光によつて其処にある事物を見ることを得るものである。そは其人の内分(霊覚)は此光の中に包まれてゐるからである。而して天人は此人の内分を通じて、又地上の事物を見ることを得るのである。即ち天人は人間の内分によつて、現実界を見、人間は天界の光に包まれて、天界に在るすべての事物を見ることが出来る。天界の天人は人間の内分によつて世間の事物と和合し、世間は又天界と和合するに至るものである。之を現幽一致、霊肉不二、明暗一体といふのである。
 大神が予言者と物語り給ふ時は、太古即ち神代の人間に於けるが如く、其内分に流入してこれと語り給ふことはない。大神は先づおのが化相を以て精霊を充たし、此充たされた精霊を予言者の体に遣はし給ふのである。故に此精霊は大神の霊徳に充ちて其言葉を予言者に伝ふるものである。斯の如き場合は、神格の流入ではなくて伝達といふべきものである。伝達とは霊界の消息や大神の意思を現界人に対して告示する所為を云ふのである。
 而して此等の言葉は大神より直接に出で来れる聖言なるを以て、一々万々確乎不易にして、神格にて充たされてゐるものである。而して其聖言の裡には何れも皆内義なるものを含んでゐる。而して天界に在る天人は此内義を知悉するには霊的及び天的意義を以てするが故に、直に其神意を了解し得れども、人間は何事も自然的、科学的意義に従つて其聖言を解釈せむとするが故に、懐疑心を増すばかりで到底満足な解決は付け得ないのである。茲に於てか大神は、天界と世界即ち現幽一致の目的を達成し、神人和合の境に立到らしめむとして、瑞霊を世に降し、直接の予言者が伝達したる聖言を詳細に解説せしめ、現界人を教へ導かむとなし給うたのである。
 精霊は如何にして化相によつて大神より来る神格の充たす所となるかは、今述べた所を見て、明かに知らるるであらう。大神の御神格に充たされたる精霊は、自分が大神なることを信じ、又其所言の神格より出づることを知るのみにして、其他は一切知らない。而して其精霊は言ふべき所を言ひ尽す迄は、自分は大神であり、自分の言ふことは大神の言であると固く信じ切つてゐるけれども、一旦其使命を果すに至れば、大神は天に復り給ふが故に俄に其神格は劣り、其所言は余程明晰を欠くが故に、そこに至つて、自分はヤツパリ精霊であつたこと、又自分の所言は大神より言はしめ給うた事を知覚し、承認するに至るものである。大本開祖の如きは始めより大神の直接内流によつて、神の意思を伝へ居ること及び自分の精霊が神格に充たされて、万民の為に伝達の役を勤めてゐたことを能く承認してゐられたのである。其証拠は『大本神諭』の各所に明確に記されてある。今更ここに引用するの煩を省いておくから、開祖の『神諭』に就いて研究さるれば此間の消息は明かになることと信ずる。
 開祖に直接帰神し給うたのは大元神大国治立尊様で、其精霊は、稚姫君命と国武彦命であつた。故に『神諭』の各所に……此世の先祖の大神が国武彦命と現はれて……とか又は……稚姫君の身魂と一つになりて、三千世界(現幽神三界)の一切の事を、世界の人民に知らすぞよ……と現はれてゐるのは、所謂精霊界なる国武彦命、稚姫君命の精霊を充たして、予言者の身魂即ち天界に籍をおかせられた、地上の天人なる開祖に来つて、聖言を垂れさせ給うことを覚り得るのである。
 前巻にもいつた通り、天人は現界人の数百言を費さねば其意味を通ずることの出来ない言葉をも、僅かに一二言にて其意味を通達し得るものである。故に開祖即ち予言者によつて示されたる聖言は、天人には直に其意味が通ずるものなれども、中有に迷へる現界人の暗き知識や、うとき眼や、半ば塞がれる耳には容易に通じ得ない。それ故に其聖言を細かく説いて世人に諭す伝達者として、瑞の御霊の大神の神格に充たされたる精霊が、相応の理によつて変性女子の肉体に来り、其手を通じ、其口を通じて、一二言の言葉を数千言に砕き、一頁の文章を数百頁に微細に分割して、世人の耳目を通じて、其内分に流入せしめむ為に、地上の天人として、神業に参加せしめられたのである。故に開祖の『神諭』を其儘真解し得らるる者は、已に天人の団体に籍をおける精霊であり、又中有界に迷へる精霊は、瑞の御霊の詳細なる説明に依つて、間接諒解を得なくてはならぬのである。而して此詳細なる説明さへも首肯し得ず、疑念を差挟み、研究的態度に出でむとする者は、所謂暗愚無智の徒にして、学で知慧の出来た途中の鼻高、似而非学者の徒である。斯の如き人間は已に已に地獄界に籍をおいてゐる者なることは、相応の理によつて明かである、斯の如き人は容易に済度し難きものである。何故ならば、其人間の内分は全く閉塞して、上方に向つて閉ぢ、外分のみ開け、その想念は神を背にし、脚底の地獄にのみ向つてゐるからである。而して其知識はくらみ霊的聴覚は鈍り、霊的視覚は眩み、如何なる光明も如何なる音響も容易に其内分に到達せないからである。されど神は至仁至愛にましませば、斯の如き難物をも、種々に身を変じ給ひて、其地獄的精霊を救はむと、昼夜御心を悩ませ給ひつつあるのである。あゝ惟神霊幸倍坐世。
(大正一二・一・一二 旧一一・一一・二六 松村真澄録)
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