文献名1出口王仁三郎全集 第1巻 皇道編
文献名2第4篇 日本精神の真髄よみ(新仮名遣い)
文献名3第5章 古事記の事どもよみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
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データ最終更新日2016-11-28 06:20:13
ページ220
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本文
○神聖なる皇祖の御遺訓、皇典古事記は、畏れ多くも天津日嗣天皇の御天職を示させ給ふもの也。今謹んで一二の例証を挙げ奉れば、古事記中巻に曰く、
(一) 神沼河耳命。坐葛城高岡宮。治天下也。(後世綏靖天皇と奉称す。)
(二) 師木津日子玉手見命。坐井塩浮穴宮。治天下也。(後世安寧天皇と奉称す。)
古事記下巻の終りに、
(三) 豊御飯炊屋比売命。坐小治田宮。治天下三十三歳。(後世推古天皇と奉称す。)
即ち我が大日本国天皇は、天下を治め給ふを以て唯一神聖なる御天職と為し給ふ。誠に尊く惶き極みなり。
○万世一系。是れ実に言ふべくして甚だ行はれ難き事に属す。然り而して我が至尊の御皇室に於てのみ、厳然として弥益々栄えさせ給ふ。誠に『国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ』との玄理の秘奥、讃嘆するに余りあり。然るに天下を治むる天職を帯び給ふ万世一系の皇統在坐す我日本国の現状は、抑そも如何、大本開祖の神訓に曰く、
『日本の人民は、上も下もみな、外国の教が良いと申して、外国のまねばかりを致して、開けた国ぢゃと申し、我己主義の経綸致し、人が死なうが倒れやうが、少とも構はず、サツパリ獣類の精神に成りて了ふてをるから、此れでは国は亡滅れるより仕様はないぞよ。日本の人民は、神の直系の霊能を天賦うて居りて、外国人よりも惨い悪のやりかた致して居るが、其れでは神国の神民とは申されんぞよ。云々』
嗚呼大日本国神民たるもの、感奮興起、以て大に神勅に奉答するところ無くして可ならんや。
○畏れ多くも万世一系の皇統を保有し給ふ天津日継大正天皇陛下は、忠良なる臣民の協翼に倚らせ給ひて、全世界を統一経綸し給ふべき時機に到着あらせ給ふにも拘らず、国民長夜の迷夢は依然として醒めず、一切万事暗中模索、根底の国の惨状を呈露せり。今の時に於て、日本人を死地に救ひ、其の天賦神聖の大使命を遂行せしむるの道は、皇祖の御遺訓皇典古事記の真義を研究することと、大本開祖の神訓を奉体する事との外に之れ有る可からず。
○万世一系の御皇統は、是れ実に天下を治むる天職を帯び給ふが故なること、皇祖の御遺訓に明瞭なり。神聖なる皇祖の御遺訓は天下を治むる皇道を示し給ふものにして、之を八咫鏡と申し奉る。即ち皇典古事記の真義にして、畏れ多くも天津日継天皇の学ばせ給ふべき天皇学たる也。即ち天下統治の唯一無二の御教典たり。諦に聴き奉れ、神聖なる皇祖の御遺訓皇典古事記の真義は、実に国家経綸の根本要義也。故に皇宗天武天皇は皇典古事記を以て『邦家之経緯』と詔り給ふ。是れ即ち国家経綸の要義に非ずして何ぞや。『王化之鴻基』と詔り給ふ。是れ即ち皇運発展の基本ならずして何ぞや。即ち吾人は古事記の真研究を以て我が国体の精華を発揮し、大本神諭の骨髄を闡明すべき唯一無二の根本義なる事を絶叫する所以也。
○吾等は日本人也。皇祖の御遺訓、皇宗の御遺詔並びに開祖の垂訓を、絶対に信仰し奉る。而して皇典古事記の秘蔵されたる真義なるものは、我皇国独特なる神代より幸ひ助け、天照ると謂ふす言霊の妙用によりて、始めて闡明し奉ることを得たり。これ憂国慨世、思神、思君、思民の誠意に対する、天恵自覚の賜なりと信じ奉る也。
我が国民の特に猛省注意を要するところのものあり。曰く、
(一) 古今の国学者は皇典古事記の釈義を根本的に誤れる事。
(二) 我が史学研究者にして、往々国体の根本を破壊する如き異見怪説を主張するものある事。
大正の日本神皇国臣民は、此の学者輩の誤謬を根本より排斥して、御国体の精華を研究し、祖先の遺風を顕彰せざる可からず。
○皇典古事記が天津日継天皇の御天職と、大日本神皇国の天職を示し給ふ御遺訓なる事は、その序文に於て明白なり。今謹んで左に録し奉る。
皇宗天武天皇の御詔勅
朕聞。諸家之所賚。帝紀及本辞。既違正実。多加虚偽。当今之時。不改其手。未経幾年。其旨欲滅。斯乃邦家之経緯。王化之鴻基焉。故推撰録帝紀。対格旧辞。削偽完実。欲流後葉。
以上の御詔旨を克く拝承し奉る時は、皇典古事記は神聖なる皇祖の御遺訓に坐ますこと、一点の疑義を挟む余地無きに至る也。然も其の『今の時に当りて其の失を改めざれば幾年を経ずして其旨滅びむと欲す』と宣言されたるは、現代の危局に立てる日本人の頭上に、大鉄槌を加へられたるの感無きを得る乎。
皇典古事記の解釈は、古今の学者の如く文章の上より、或ひは文字の意義によりて解釈すべきものにあらざる事は、古事記を撰録せし大安万侶氏が、特に其の序文に注意を表記せるを以て確実なる証左とす可き也。
詔臣安万侶。撰録稗田阿礼所誦之勅語旧辞以献上者。
謹随詔旨。子細採摭。然上古之時。言意並朴。敷文構句。於字即難。已田訓述者。詞不逮心。全以音連者。事趣更長。是以今或一句之中。交用音訓。或一句之内。全以訓録。即辞理區見以注明。
この注意は実に斯学研究者の最大深重の着眼点たり。然るに古今の学者は此の点に就いて一向留意するもの無く、全然文章的に解釈し、勝手次第なる見解を下して牽強附会の臆説を作為し、以て之を天下に流布したるが為めに、現今の学人をして五里霧中に迷はしむるに至れり。本居氏の古事記伝の如き、平田氏の古史伝の如き、誤解謬見の最も大なるもの也。之によりて御国体の本義を闡明し、皇運を扶翼し奉り、世界を治むる経綸の大道を発見せむとする事は、木によりて魚を求むるよりも尚ほ至難の業なり。古今の学者が滔々として、何れも其の研究着手の方針を誤り来りたるは、撰録者太安万侶氏の注意を無視したるの結果なり。殊に本居宣長氏の如きは、古訓に注意したるが、却って大なる誤りを伝へたり。古事記の初めに『高天原』をタカマノハラと訓を附したる、是れ大なる根本誤解なり。高天原はタカアマハラと訓むべき也。特に太安万侶氏が『訓高下天云阿麻。』と称し居れるを無視せるが為也。又三種神器の第一なる八咫鏡を、ヤタカガミと訓したるは大なる誤りなり。ヤアタ鏡と訓むが正当なり。『訓八咫云八阿多。』と特に注意せられあるを以て也。此等は一見して何れに解するとも、格別の支障無きが如くなれども、神聖なる皇祖の御遺訓として、撰録者の意志を厳正に研究する時は、『あ』の一言の有無は、解義上に於て極めて重大なる関係を起すもの也。シカモ如斯誤訓は古事記全篇を通じて非常に多く、誠に慨嘆の外無きなり。吾人は敢て斯道に尽されたる先輩偉人を非難せんとするものに非ず。ただ今日の大機に当り、日本神民非常の覚悟を要するの時に際したるを以て、モハヤ徒らに固陋の謬見に囚はれて、守株待兎の迂を繰返すを許すべからず。故に聊か苦言を述ぶるの已むを得ざるに出でしのみ。
○聖代の大御代は、古事記一巻に愚み込まれたる一切の秘奥の啓示せられ、一切の経綸の実現すべきの時なり。則ち時運到来せるが故に、茲に大本開祖の神訓宣揚となり、又大日本国に幸ひ助け天照り玉ふ言霊の稜威によりて、皇祖皇宗の御遺訓を闡明し奉る事を得たるなり。古来未だ皇運発展の時運到らざりし時代に於ける学者が、御国体の真義を知り得ざりしは、当然の事どもなりとすべし。故に古今学者の態度は、皇典古事記を不可解視して敬遠主義を執り得たる也。それは何も時節に決して責むべきにあらざらんも、心得難きは近来泰西の学術に心酔せる輩の、我が御国体の根本を破壊せんとする如き妄見愚説を固執して、恥とも思はざる事也。不敬不忠不義の国賊的学者の輩出するは、洪嘆の至り也。
○彼等盲目学者、不敬不忠不義漢の主張する所によれば、高天原は中央亜細亜に在りと謂ひ、或ひは中央政府の事なりと謂ひ、或ひはアルメニヤなりと云ひ、大和高市郡にありと云ひ、或ひはギリシヤに在りと謂ひ、或ひは高千穂峰なりと云ひ、或ひは常陸の国に在りなどと称し、又は我が皇祖は海外より渡来せしとか、野蛮人種なりとか、殊に甚だしきは皇祖の御遺訓を撰録せしめ給ひたる天武天皇を非難し奉りて、遂には古事記を以て、天皇が己れの非行を隠蔽せんが為めに、殊更に偽作し玉へるものなりとさへ称するものあり。嗚呼これ何たる不敬不忠の暴言ぞや。如斯学者は、眼中国体無く御皇室無く、人面獣心の徒にして、不倶戴天の国賊なるが、その国賊が日本神国上下に散在して国家に害毒を流しつつあるの実状に想到し、之を見之を聞くものも敢て憤を発するものさへ無き現下の状勢に考へては、心あるの士をして実に慄然たらざるを得ざらしむるに非ずや。
○神人一致、之を天津誠の道と謂ひ、又之を人道と謂ふ。これ大日本神皇国政治の根本義なり。『神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の司宰なり』この神理と運用を説明し給ふは、神聖なる皇祖の御遺訓並びに大本開祖の神訓也。
○皇典古事記の御真義は、神聖なる天津日嗣天皇の御天職を掌り玉ふ御統治の洪範を示し給ふものにして、神聖なる大日本皇道(大本の教)なり。神聖なる天津日嗣天皇学なり。古来王道覇道と称し、近来は帝国主義、社会主義、民主主義、民本主義、自由主義、個人主義、共産主義、世界主義等と称するものありて、古来の賢哲英雄思想家等が各々理想とせる国家経綸の形式を採用実行し居れるが、国家経綸の最要義たる真の治国安民の実を挙げ得たるもの、一として之れ無きは、古今の史乗に之を証するところ也。是れ抑も何に由って然る乎と云ふに、其の経綸の根本に二大欠陥あるを以て也。
(一) 人生根本義の不明。
即ち人類は現世界に如何なる使命を帯び、如何なる必要ありて生るるものなる乎。
(二) 天地間組織経綸の不明
天地創造の因縁、天地間の活動的経綸と人間との関係如何。
この二大根本義は、古来の聖賢学者等が惨憺たる苦心を重ねて解釈を試みんとしたる処なれども、終に一の合格者をも出さざりき。既に其の二大根本義の真義を究むる能はざるが故に、今日各国に見る通りの武装的平和の似而非文明を現象し来りたる也。
○神は万物普遍の霊也。神とは何ぞや。神の性質、神の本体、神の活用、此の神の性質を知らずしては治国安民の要道たる国家経綸の根本要義を知る可からず。抑も神は万物活動の根源なり。即ち天地運転の大より原子微分の小に至るまで、皆悉く神の活用なり。神の性質は、各天賦の形本と名性とに因りて、各特質的本能を表明し給ふなり。古来未だ其の真の意義を闡明したるもの無し。神の本体は畏くも我御皇祖天之御中主大神なり。即ち畏くも此の御皇祖より天照大御神、御皇宗正勝吾勝勝速日天之忽穂耳命より、万世一系御皇統を継承し給ひたる御歴代の天津日嗣天皇より現代の現人神陛下が畏れ多くも霊機活如たる神の御本体にましますなり。是れ即ち万世一系の御皇統を保有し給ふ所以也。皇祖天照大御神が、是は専ら吾御魂として吾前を拝くが如く政を為せと詔り給ひて、御皇孫日子番能邇々芸命に授け給ひたる八咫鏡と草那芸剣を保ち給ひて、天下を治むる御天職を遂行し給ふ時運の到来を待ち給へる所以也。然り而うして此の八咫の御鏡は実に神聖なる皇祖の御遺訓の御事なり。此の御遺訓は畏れ多くも皇宗天武天皇の『斯乃邦家之経緯、王化鴻基焉』として撰録せしめ給ひたる皇典古事記なることは、大日本国に幸はひ助け天照り給ふ言霊の活用によりて、明かに伺ひ奉るを得べき也。即ち皇典古事記には神々の御性質、天賦の本能、天地の組織、経綸の順序を説き明かし給へるものにて、天津日嗣天皇が天下を治め給ふ御天職の御次第書に坐すなり。
(大正七年十一月十五日)