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文献名1霊界物語 入蒙記 山河草木 特別篇
文献名2第1篇 日本より奉天までよみ(新仮名遣い)にっぽんよりほうてんまで
文献名3第6章 出征の辞よみ(新仮名遣い)しゅっせいのじ
著者出口王仁三郎
概要
備考2023/12/31出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。
タグ データ凡例 データ最終更新日2023-12-31 17:38:47
あらすじ大正十年二月十二日に、晴天白日の空に、上限の月と太白星が白昼燦然と大阪の空に異様の光輝を放った。この日はまさに、大本事件の勃発した日であった。下って大正十三年二月十二日、同日の天空に楕円形の月と太白星が、やはり白昼燦然と輝きだしたのであった。これよりにわかに蒙古入りの決心を定めると、その夜のうちに出発することを、数名の近侍の役員に伝えた。祥雲閣の主人・中野岩太氏に別れを告げるため、二三の従者とともに訪ねて行くと、東京より来合わせていた佐藤六合雄、米倉嘉兵衛、米倉範冶をはじめ、十数人の熱心な信者が期せずして集まっていた。日出雄はこれらの人々に蒙古入りの決心を打ち明け、演説を試みた。大本は既成宗教のように、現界を穢土として未来の天国や極楽浄土を希求するものではない。国祖の神のご神勅により、大神様のご神示を拝し、上は御一人に対し奉り、下は同胞の平和と幸福のため、東亜諸国ならびに世界の平和と幸福をきたすべき神業に奉仕する責任を、大本信者は持っているのです。大正十年の節分の後、変性女子の御魂を人が行かないところに連れて行く、という神諭は、まず第一次事件による勾留で実現し、また今回蒙古入りにあたって、示されたように考えれらてならないのです。日出雄は日本建国の大精神を天下に明らかにする所存です。万世一系の皇室の尊厳無比なることをあまねく天下に示し、日本の建国精神は征伐ではなく、侵略でもない、善言美詞の言霊をもって万国の民を神の大道に言向けやわすことにあると、固く信じます。大正五十一年には日本の人口が一億人を超えると言われており、食糧問題への対処から、政府は植民政策でメキシコ、南米、南洋諸島、米国ら遠方の国へ農耕移民を進めています。国家の長計から言うと、これではまだ足りないのであって、満蒙の地への開発・殖民こそ、地政学上からも埋蔵資源からも最も重要な課題と考えられます。そこでいよいよ神勅を奉じて、二三の同志と共に徒手空拳、長途の旅に上ろうとしています。日出雄は祥雲閣のふすまに書をしたため、発車の間際まで嬉々として東亜の経綸を談じつつ、しきりに筆紙を動かしていた。
主な人物【セ】源日出雄【場】中野岩太、佐藤六合雄、米倉嘉兵衛、米倉範治【名】- 舞台 口述日1925(大正14)年08月15日(旧06月26日) 口述場所 筆録者加藤明子 校正日 校正場所 初版発行日1925(大正14)年2月14日 愛善世界社版47頁 八幡書店版第14輯 564頁 修補版 校定版48頁 普及版 初版 ページ備考
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本文  大正十年二月十二日、陰暦正月五日晴天白日の空に上弦の月と、太白星は白昼燦然として浪花の空に異様の光気を放ち、天地の変動を示してゐる。此日日出雄は大阪市の玄関口梅田駅頭に、大正日々新聞社長として社務を総理してゐた。
 此日は例の大本事件の勃発した日であつて、日出雄は同新聞社より京都府警察部へ招致され、次いで京都地方裁判所予審判事の形式的取調を受けて京都監獄に投ぜられた──大本にとつて実に印象深い日であつた。此天空に於ける異様の現象は之に止まらず、下つて大正十三年二月十二日、而も同日の天空に楕円形の月と太白星が白昼燦然と輝き出した。日出雄は天空を仰いで去る大正十年の二月十二日を追懐せずには居られなかつた。而も満三ケ年を経た同月同日の白昼に、天空に同様の異変あるは決して只事ではあるまい。愈々自分が神命を奉じ万民救済の為、人類愛実行の為、天より我にその実行を促すものと考へたのである。これより彼は俄に渡支の決心を定め、今夜の中に出発せむことを数名の側近く侍する役員に告げた。あまり急激な彼の宣言に侍者は稍狼狽の気味であつた。けれ共彼は神命を信じ、是非今夜出発せむと決心した上は、彼の平素のやり方に対し到底その考へをひるがへすことは出来ない事を知つてゐた。
 和知川の清流、並木の松を逆に映し、魚は松樹の枝に躍つてゐる。颯々たる松風の音、水面に魚鱗の波をただよはしてゐる。その傍に悄然として建てる祥雲閣は、彼が病躯を横へて十万枚の原稿を口述したる霊界物語の発祥地であつた。
 此日彼は俄に旅行の決心を定め、祥雲閣の主人中野岩太氏に別れを告ぐる為、二三の従者と共に訪ねて来た。東京より来合せてゐた佐藤六合雄、米倉嘉兵衛、米倉範治を初め、十数人の熱心なる信者が期せずして集つて来た。此時彼は神示の経綸実行の一歩を進むべく蒙古入の決心を打明け、且つ一場の演説を試みた。彼の演説
『神縁に依つて私が茲に神の経綸の一端に奉仕し、今晩を期して愈々渡支渡蒙を決行せむとするに当り、招かずしてお集りになつた諸氏は必ずや神界の深き経綸の糸に引かれて、お出になつた方々と固く信じます。我大本は既成宗教の如く、現界を厭離穢土となし未来の天国や極楽浄土を希求するのみの宗教ではありませぬ。国祖の神の仁慈無限なる神勅に依り、日本神州の民と生れたる我々皇国の臣民は、此の尊き大神様の御神示を拝し、上は御一人に対し奉り、下は同胞の平和と幸福の為めのみならず、東亜諸国並に世界の平和と幸福を来すべき神業に奉仕せなくてはならない責任を持つてゐるのは大本信者でありませう。御神示にある通り「大正十年の節分が済みたら変性女子の身魂を神が人の行かない処に連れ行くぞよ」とお示しになつて居ることは、皆さま御承知のことと思ひます。その神示は毫末の間違ひもなく、二月十二日私は御承知の京都監獄に投ぜられたのでありました。そして又本回も節分祭のすみた十二日に、人のよう行かない処へ行かねばならぬ神の使命が下つて来たやうに考へられてなりませぬ。私は日本建国の大精神を天下に明にし、万世一系の皇室の尊厳無比なる事を洽く天下に示し、且つ日本の建国の精神は征伐に非ず、侵略に非ず、善言美詞の言霊を以て万国の民を神の大道に言向和するにある事を固く信じます。凡て世界の人民を治むるは武力や智力では到底駄目です。結局は精神的結合の要素たる、凡ての旧慣に囚はれざる新宗教の力に依るより外はないと信じます。
 つらつら現今の我国情を考へて見まするに、我国の人口は年々七十万宛の増加を以て進みつつあると統計学者は云つて居ります。此割合で進んで行けば大正三十一年には七千七百万の同胞となり、同じく五十一年には一億余万人に達すると云ふ計算になります。兎に角我国人口の増加は年々の事実の証明する処であつて、之に要する食糧品たる米麦が現に年々七八十万石の不足を告げつつある事も亦事実である以上、此人口と食糧との不均衡は、我国存立の上に於て一問題たらねばなりませぬ。国内現在の未墾地を開拓し耕地の整理を徹底的に断行すれば、約二百万町歩の水田火田が得られ、二千万石の米麦の増収が出来るとの説もありますが、乍然此開墾や整理は何時になつたら完成されるでせうか。仮令我官民が熱誠努力の結果、幾十年かの後にそれが完成されるものとしても、その時には人口は既に一億以上になつてゐる筈であります。此の人口と食糧との均衡が依然として保たれるでせうか。国家の前途を案ずれば百千年の長計を目途とせねばならぬ。一時の糊塗策は決して国家永遠の存立を保障することは出来得ないでせう。乍然我国の植民政策はかかる基調から発足してゐるやうであります。殊に我国家将来の存立及発展に就ては単に米麦が満足に得らるるのみではすまされませぬ。日進月歩の世界の前途には、鋼鉄や綿類や毛布皮革等を主として幾多の物資が無限に需要さるる事は、今日に於ても明なる題目であるのに、我国に於ては之を将来に充実せしむべき安全なる政策が立つて居りますか、実に思うて見れば心細い次第であります。一朝有事の時に、海外からその供給を断たれたならば、我国は如何なる方法を以てその需要を充たす事が出来やうか、思うて此処に至れば実に慄然たらざるを得ないのであります。我国為政の局に当る人々は国家の前途を焦慮した結果、植民政策なるものを立て、過剰の人口を他に移して、その移住者の生活の安定を得せしめむとして居ります。
 先づ第一に合衆国の如き異人種憎悪に富んでゐる国土の外、メキシコや、南米や、南洋諸島を目的としてゐるやうですが、国家万年の長計からすれば、此等の遠隔の諸地方へ農耕移民を送つた計りでは済みますまい。我接境の比隣には国家としての支那や露西亜があり、相互の関係は善にもあれ、悪にもあれ到底離るべからざるものがあるのであります。又我領土内には朝鮮あり、その将来については所謂識者と云はるる人々が不断に頭をなやましてゐるやうです。我皇国がその永遠存立を安全ならしめ、関係諸国と共に共存共栄の福利を楽しまむとすれば、是非とも之に添ふべき一大国策を樹立せなくてはなりませぬ。所謂帝国の満蒙政策は即ち此目的精神から立てられたものであります。蓋し満蒙の地はその位置が支那本部と露領シベリアとの中間にはさまり、我朝鮮とは鴨緑の水を隔てて相連つてゐるのみならず、あらゆる産業の資源備はらざるなく、開発の前途は実に春風洋々の感があり、而も近世の歴史的関係は必然的に我皇国がその開発任務を負はねばならぬやうになつたのであります。故に今我国が上下一致努力して既定の開発策を徹底せしむるには、我対支政策全部の基調を満蒙におくことにより、行詰つた日支関係の現状を相互的に善導し得ると共に、将来永遠の円満策を樹立する事が出来るでせう。又ロシアとの交渉の中継点とする事が出来るでせう。鮮人多数に生活の安定を得せしめて、朝鮮統治上の有力なる補助とする事も出来るでせう。人口食糧調節の上にも実に偉大なる効験をなし得らるるでせう。又我重要物資の供給地たらしむる事も出来るでせう。我皇国国防の第一線要地たらしむる事も出来るでせう。乍然満蒙の経営は議論と実地は大変に径庭がある。如何なる有識者の徹底せる立策と雖も、肝腎要のその人を得ざれば到底完成するものでは無い。渺々として天に連る満蒙の大沙漠、此処には無限の富源が天地開闢の当初より委棄されてある。此の蒙古の大平原こそ天が我国に与へたる唯一の賜物でなければならぬ。
 我国の為政者が満蒙開発策として満鉄を敷設し、鄭家屯や、洮南府や、パインタラの東蒙古の一部に少し計り手をつけてゐる位では、到底此開発策は物にはならないであらう。どうしても我皇国存立の為、東亜安全の為、世界平和の為に、我国が率先して天与の大蒙古を開拓せなくてはならない位置にある事を私は固く信じます。そしてその目的を達するには、旧慣に囚はれざる新宗教の宣伝を以て第一の手段方法と考へるのであります。我国に於ける既成宗教の現状を見れば、宗教の発展どころか、現状維持に汲々たる有様ではありませぬ乎。気息奄々として瀕死の境にある我国の既成宗教が、如何にして此大事業に着手するの余裕がありませう。又一人の英雄的宗教家の輩出せむとする気配もなき、我国の瀕死的宗教に頼るの愚なる事は言をまたないでありませう。故に私は日本人口の増加に伴ひ発生する生活の不安定を憂慮し、朝鮮に於ける同胞の安危を憂ひ、次いで東亜の動乱の発生せむ事を恐るるのあまり、愈々神勅を奉じて徒手空拳二三の同志と共に長途の旅に上らむとするのであります。私は御承知の通り支那語も蒙古語も皆目知りませぬ。さうして蒙古は我国の面積に比べて殆ど十六倍の面積があり、その民は慓悍にして支那民衆の古来恐怖する獰猛の民である。加ふるに馬賊の横行甚しく、旅人を掠め生命を奪ひ、日支人の奥地に入るものは一人の生還者もないと伝へられてゐる蒙古の地に、大胆と云はふか、無謀と云はふか、殆ど夢に等しい経綸を胸に描いて出て行く私としては、実に名状すべからざる感慨に打たれるのであります。然し乍ら私は天地創造の神を信じます。天下万民の為に十字架を負ひあらゆる艱難を嘗め、生死の境に出入することを寧ろ本懐とするものであります。今の時に於て満蒙開発の実行に着手せなくては、金甌無欠の我皇国も前途甚だ心細い事になるであらうと憂慮に堪へないのであります。吾々は神の国に生れ、神の国の粟を喰み、神の国の大君に仕へ、神に選まれたる民として、今日の世界の現状を坐視するに忍びないのであります。どうか今此の席にお集りになつた神縁深き諸氏は、今回の私の遠征の首途に対し御諒解あらむことを希望致します。云々』
 と述べ終り、記念の為とて祥雲閣の襖に左の如き文章ともつかず、詩ともつかないやうな文字を書いた。

推倒全身之智勇。開拓万之荒原。神竜雖潜淵。曷池中物。天運茲循環来而。代天地樹立鴻業。嗚呼北蒙之仙境。山河草木凝盛装。歓呼而待望我神軍到矣。英雄之心事亦々非壮快哉。

 又彼は発車の間際まで嘻々として快活に東亜の経綸を談じつつ頻りに筆紙を動かして居た。傍より伺ふ者の目には、寸時の後に海外万の未開国に向つて出発する人の態度とは見えなかつた。彼が出発の際に詠んだ沢山な歌がある。その中の一首を左に紹介しよう。

 日地月星の団子も食ひ飽きて今や宇宙の天海を呑む

 ここに至つて彼の心理状態の益々異状なるに驚かざるを得ない。神か、魔か、人か、誇大妄想狂か、二重人格者か、将又変態心理の極地に達せる狂人か、殆ど評するの言葉も出ない。
(大正一四、八、一五、加藤明子筆録)
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