文献名1霊界物語 入蒙記 山河草木 特別篇
文献名2第2篇 奉天より洮南へよみ(新仮名遣い)ほうてんよりとうなんへ
文献名3第13章 洮南旅館よみ(新仮名遣い)とうなんりょかん
著者出口王仁三郎
概要
備考2024/1/13出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。
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データ凡例
データ最終更新日2024-01-13 18:36:20
あらすじ日出雄一行は三月八日の午後九時三十分にようやく洮南駅に到着した。そして洮南旅館で真澄別一行と合流した。洮南府は日本官憲の勢力がない場所であった。現在は特殊の関係のある者のみが二十五名逗留しているだけの地である。ここは鄭家屯の北から鉄道で百四十マイル、東蒙古における唯一の大市街である。支那人が蒙古に発展する拠点となった街である。四方を城壁で囲み、門は官兵や巡警が控えていて護証の検査をなし、また税金を取り立てている。蒙古の地にあって、その勢力も政治も支那の主権に属し、奉天省が管轄している。そして日本人排斥の思想が濃く、鄭家屯の日本領事館員でさえ、なかなか市内に入ることができない。こういう場所に潜んで、一同は種々の計画を練っていたのである。その間に、満鉄の三井貫之助氏が訪ねてきたが、岡崎、大倉の両人が接見した。また、佐々木の手紙が届き、帰化城方面の支那人哥老会の揚成業氏が、一万の兵を率いて参加するという知らせがあった。また、関東庁の陸軍三等主計正の日本人某が視察にやって来ていて、一泊した上で翌朝の汽車で帰って行った。また、有名な評論家・横山健道が日出雄と入れ違いにこのホテルを出て行ったという。横山が揮毫したという立派な書を、ホテルの支配人から見せてもらった。日出雄も請われて、日本人に書画を書き与えた。またある日、鄭家屯の日本領事館書記生某氏が、視察のために洮南に来て、満鉄の三井氏が調査した書類を書き写し、四五日滞在して帰って行ったりした。日本官吏による調査は、すべてこのように行われていたのである。この日、城内の猪野氏・平間氏宅に、日本人全員が移転することになった。名田彦があまり自分が選ばれた大本信者であると回りに吹聴し、計画を漏らすようなことを言うので、岡崎の機嫌は非常に悪くなった。日出雄がたしなめると、名田彦は黙り込んでしまった。
主な人物【セ】源日出雄、名田彦【場】真澄別、大倉伍一、王元祺、三井貫之助【名】揚成業、日本人某(関東庁の陸軍三等主計正)、横山健堂、猪野敏夫、平馬慎太郎、秦宣、山田、佐々木弥市、大倉伍一、趙倜、憑占元、山田文治郎
舞台
口述日1925(大正14)年08月
口述場所
筆録者
校正日
校正場所
初版発行日1925(大正14)年2月14日
愛善世界社版113頁
八幡書店版第14輯 589頁
修補版
校定版114頁
普及版
初版
ページ備考
OBC rmnm13
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