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文献名1霊界物語 入蒙記 山河草木 特別篇
文献名2第4篇 神軍躍動よみ(新仮名遣い)しんぐんやくどう
文献名3第28章 行軍開始よみ(新仮名遣い)こうぐんかいし
著者出口王仁三郎
概要
備考2024/2/9出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。
タグ データ凡例 データ最終更新日2024-02-09 17:20:22
あらすじ三井、佐々木からの情報によれば、洮南付近で盧占魁の名をかたる馬賊が横行しているため、張作霖は、盧占魁が東三省から立ち退かないと、討伐軍を差し向けると言っている、とのことである。ところが、この報を聞いても盧占魁は、これはかねてから張作霖と約束した計略であり、張作霖が討伐して追いやった馬賊を自分が糾合する、という作戦なのだ、と言っていた。しかしその後、輸送の弾薬が来ないことや、奉天から連絡がないことから、盧占魁もやや不安を感じたと見えて、六月二日、今後の動静について参謀一同、密議を凝らすことになった。真澄別は張作霖を当てにせず、興安嶺に進出して独立を企てるべきだと主張した。これに対して盧占魁は、綏遠・チャハル地方に一度戻ってそちらの部隊に合流を促し、物資を補給してから外蒙に向かうようにしよう、と決めた。ところがその間に、盧占魁軍に参加している蒙古馬賊の一隊と、東三省正規軍との間で戦闘が発生した。馬賊らは機動力を活かして見事に撤退して来たが、結局盧占魁は彼らの救出には動かなかった。そして、官軍との衝突で東三省に構えているのはまずいと意を決したのか、西北に向かって進軍するように全軍に命令を出した。全部隊は木局子を引き払って行軍を始めた。行軍中、先日東三省の官軍と一戦交えた馬賊の頭目・大英子児(タアインヅル)が日出雄を訪問してきた。彼は日出雄への敬意を表し、するめを戴いて帰ったが、その夜、盧占魁が救出に動かなかったことを不服として、部下とともにいずこかへ逐電してしまった。果たして、今日では彼は熱河の奥地に本拠を構え、三千の軍を組織し、日出雄の弔い合戦をするのだ、と日出雄・真澄別の再渡来を待っているのだという。
主な人物【セ】盧占魁、真澄別、岡崎将軍、坂本【場】源日出雄【名】三井、佐々木、張作霖(張大師)、大倉、楊崇山、源義経(ジンギス)、馬副官、大英子兒、揚萃廷、鄒団長、曼陀汗、張彦三 舞台 口述日1925(大正14)年08月 口述場所 筆録者 校正日 校正場所 初版発行日1925(大正14)年2月14日 愛善世界社版250頁 八幡書店版第14輯 639頁 修補版 校定版253頁 普及版 初版 ページ備考
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本文  これより曩、洮南より三井及び佐々木が密使を遣はし『洮南附近盧の名を騙る小馬賊の横行甚しく、官民共に困苦の結果、張作霖よりも此際盧が東三省圏外に出でざる限り、大々的に討伐軍を差向くべし』と報じて来たが、盧司令は事もなげに、
『それは自分が予て張大師(張作霖の敬称)と約束した計略で、東三省内の馬賊を討伐の名に於て索倫へ向け追ひ放ち、自分は之を全部糾合して部下となすべき、一挙両得の妙案なのだ』
と云つてゐた。然るに爾後引続き後方より輸送せらるべき筈の弾薬武器は来らず、又所要のため帰奉した佐々木、大倉、楊崇山等より何等の消息も到達しないといふ情況なので、盧も稍不安を感じたのか、六月二日腹心の部下数騎を率ゐて、上木局子なる日出雄の仮殿を訪づれ、茲に密議は凝らされた。秘密事項又は特に緊要なる問題は、何時も日出雄の意を受けたる真澄別と盧占魁と筆談にて解決するのが例であつたから、無論此日も筆談に依つて両者間に問題が議せられたのであるが、其要点は凡そ左の如き問答であつたと、著者は推断すべき理由を有つてゐる。
真澄別『何時迄も、此処に駐屯して居た所で仕方がないぢやありませぬか。張作霖は貴方の思ふてる程、貴方を決して後援しませぬよ。それよりも独立開発の計を立て、先づ源義経が初めて王旗を飜したと伝へられてる興安嶺の聖地迄進軍したら何うですか、興安嶺には七千の赤軍が居ると貴方は謂はれましたが、霊眼で見ると、乗馬は四五百頭ある様だけれど、人は二百足らずですよ。通訳官さへ付けて呉れれば、私一人先発して立派に妥協して見せますがなア』
盧『イヤ、誠に遅延して済みませぬ。長銃が不足だものですから、あれでもと思ふて待つて居ましたが、モウ決心致します。併し興安嶺のあの地帯は食料がなく、これ丈の人数が繰込んでは忽ち物資に困ります。それよりも先づ綏遠、察哈爾地方より当方へ参加する大部隊に早く合する様、其方向に向ひ、充分物資を豊富にして、それから外蒙へ向ひませう。兎に角二三日の内には出発する様に取計らひますから……』
 斯る折柄、下木局子に留守居をして居た馬副官は顔色を変へ、全速力で馬を飛ばしてやつて来て、何事か慌しく報告した。これを聴くと盧は決心の色を面に浮べて立上り、日出雄一行に出発の準備を請ひおき、直ちに司令部指して急ぎ帰つた。
 司令部の東南方約三十支の地点に殿として、満州馬賊の大頭目大英子児が手兵の一部六十余騎を率ゐて駐屯して居たが、此日恰も大英子児は司令部へ出頭し不在中部下の者共は、寛いで昼寝の夢を貪つてゐる最中、洮南の官兵約三百余騎が突然襲撃したのである。大英子児の部下は少数なりと雖も、皆一騎当千の粒揃ひの事なれば、直ちに裸の儘銃を取つて応戦し、数百の官兵を一歩も寄せつけず、一方急を司令部に報じた。司令部にては戦非戦両派対立して議容易に纏らずといふ有様なので、大英子児は単身馬を飛ばして、自分の屯営に立帰り、部下を引纏め悠々として司令部迄引揚げた。其敏活さ、豪胆さに官兵は肝を奪はれてか、敢て追撃もしなかつたのである。
 此時司令部の一室に控へて居た岡崎将軍は参謀連の不甲斐なきを怒り、
『こんな連中と一緒に居ては先生の御身が案ぜられる』
とて手近にあつた兵糧を取纏め、牛車数台を徴発して之を積載し急ぎ上木局子の仮殿に向つた。之と入れ違ひに、盧司令は司令部に帰つて来たが、彼は参謀揚萃廷の『討伐隊は大英子児を撃ちに来たものだ』との言を信じたものか、或は東三省の兵と戦ふのは自分で自分の立場を危くするものと解したか、議論百出の間に西北へ向つて移動の命令を下し、車輪不足の為積載出来ぬ兵糧などは、黒竜江の木局署へ処分を委託し、西北指して行動を起す事とした。
    ○
 夜の帳がスツポリと卸された頃、上木局子なる日出雄の仮殿の周囲は下木局子を徹退した軍兵を以て幾重にも取巻かれ、馬の嘶、犬の遠吠、篝火の焔、今迄静寂なりし上木局子の天地は俄かに殺気が漲つた。
 仮殿内にては盧以下数名の幹部が日出雄、真澄別、岡崎に向ひ前途に関する行動に就き説明を重ねつつ夜を更かしてゐたが、結局地理不案内なる日本人側は進路を盧に一任する事となつた。折柄暗の一遇に銃声一発と、断末魔の声が聞えた。哀れなる一兵卒は上官に反抗せるの故を以て、即座に銃殺されたのであつた。
 兎角する内翌六月三日午前三時となつた。鄒団長の部隊、先鋒となり、盧は自ら日出雄護衛の任に当り、曼陀汗は殿り、大英子児は全隊の見廻り、張彦三は牛車隊の監督など、夫れ夫れ役割を定め、西北興安嶺の聖地を指して行軍を開始する事となつた。道路とて別に定まつたものはなく、唯樹木点綴せる大高原を洮児の流を標準に縫うて進むのである。途中黄楊の大木があると、坂本は馬上より指して、
『二先生、こんな黄楊一本あれば、築前琵琶が幾つも出来ますなア』
と歎声を漏らす程のが数知れず樹立してゐるのは、特に日本人連中には珍らしかつた。
 此日暮近き頃、洮児の上流、河畔の森影を日出雄一行の陣営と見計らひ、露営の夢を辿る事とした。
『モウ上木局子を離れては当分人家は素より家畜も見られない』
と曼陀汗が説明する。狼其他猛獣の襲来を防ぐ為とて、所々に揚る焚火の紅煙は天を焦さむ許り森を真赤に照して居た。此夜半頃大英子児は窃かに日出雄を訪問し、岡崎を介して『私はどこ迄も貴方方を御保護申上ます』と誓ひ、日出雄の手づから与ふる鯣を再三推し戴き『言語さへ通ずれば……』てふ物足らぬ心を面に現はしつつも、ニコニコとして辞し去つたが、彼は前日下木局子に於ける盧の所置を快しとせず、窃かに期する所あつて、此夜脱出し、部下諸共何れへか姿を消して了つた。果せる哉彼は今日熱河の奥地に本拠を構へ、已に三千の精兵を引具して紅帽軍を組織し、日出雄の弔合戦をするのだ……と堂々の陣を張り、日出雄、真澄別の再渡来を待つてゐるさうである。大英子児脱退と同時に、予て非戦論を潔しとせざる勇士は続々として姿を隠して了つたので、翌朝出立の際は、騎馬兵五百騎、馬整はずして牛車に便乗せるもの三百有余と算せられた。
(大正一四、八、筆録)
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