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文献名1霊界物語 第6巻 霊主体従 巳の巻
文献名2第7篇 黄金の玉よみ(新仮名遣い)おうごんのたま
文献名3第39章 石仏の入水〔289〕よみ(新仮名遣い)いしぼとけのにゅうすい
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2020-04-24 18:21:05
あらすじ青雲山から流れ出る四恩河は雨水増して、架橋中の橋がまたしても流されてしまい、四恩郷の人々は交通に困っていた。人夫たちは、年に何度も四恩河の橋が流されてしまう事態を嘆いていた。また、ウラル彦が黄金の玉を取りに来るため、四恩河の架橋を急いで行うように命じられていたのである。人夫の一人は、黄金の玉がアーメニヤに取られることを神様が嘆いて、こんなに雨が降って橋が流されるのだ、と悲しそうに行った。人夫の戊は、皆が沈んでいる中、どうしたら橋を架けられようか、と歌いながら陽気に踊り出した。人夫の甲は、戊の能天気さに腹立ち、戊を河に突き落とした。しかし戊は増水の河水の中を平気で泳ぎ回り、岸に上がると、今度は甲を河に突き落とした。甲はおぼれて沈んでしまったが、戊が飛び込んで救い上げた。と見る間に、戊は大きな亀となって河の中に姿を隠してしまった。果たしてこの亀は何神の化身であろうか。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年01月23日(旧12月26日) 口述場所 筆録者井上留五郎 校正日 校正場所 初版発行日1922(大正11)年5月10日 愛善世界社版236頁 八幡書店版第1輯 711頁 修補版 校定版236頁 普及版99頁 初版 ページ備考
OBC rm0639
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本文  天津御空は黒雲の、いや塞がりて降り続く、雨に水量増り行く、四恩の河の架橋は、押し流されて四恩郷、往来途絶えし苦しさに、この郷の酋長寅若は、数多の郷人を引き具して、晴れたる空の星のごと、数多の人夫を駆り集め、今や架橋の真最中なり。
 青雲山より落ち注ぐ百谷千谷の一処に集まり来る水音は、百千万の獅子虎の、声を揃へて一時に、咆哮怒号せるにもいや勝り、その凄じさ譬ふるにものなかりける。
 酋長の指揮に従つて、数多の人夫は真裸体となり、河中に飛び込み、彼処此処の山より数多の木を伐り運び来つて、架橋に余念なく従事し居たりき。
 酋長は人夫の頭目に何事か命令を伝へ、吾家に帰り去りぬ。
 人夫の中より優れて骨格の逞しい、身長の高い色の黒い、大兵肥満の男は立ち上り、
『オイ皆の者、一服しようではないか』
といふにぞ、何れもこの一言に先を争うて河の堤に寄り集まり、草の葉を煙草に代へながら、スパスパと紫の煙をたて雑談に耽る。
甲『一体全体この橋はよう落ちるぢやないか。一年に少くて二度、多くて五六度落橋すると云ふのだから、吾々四恩郷の人間はほんとに迷惑な、四恩河なンて恩も糞もあつたものぢやない。至難河だ』
乙『死なぬ河なら長命して善いぢやないか』
甲『貴様は訳の判らぬ奴だな。この橋見い、長命どころか二月か三月に一遍づつ死ぬぢやないか。四恩河なンてほんとうに善い面の河だ。神さまもチツと気を利かしさうなものだねー』
乙『変れば変る世の中といふぢやないか。今度の雨で、昨日や今日の飛鳥川、淵瀬と変る世の中に、変らぬものは恋の道』
甲『ソラー何吐かす。とぼけるない。歌々と歌どころの騒ぎぢやない。この橋を十日間に架けて了はなくつちや、吾妻彦命から又どえらいお目玉だぞ』
丙『そんな無茶な事云つたつて仕方が無いぢやないか。この泥水に何うして斯んな長い橋が十日やそこらに架かつてたまるものか』
乙『たまつても、たまらいでも仕方がない。毎日掛つて居るのだい。吾々は雨の神とやらに橋を落されて、はしなくもこの苦労だ』
丙『洒落どころぢやないわい。今酋長が言つて居たよ。アーメニヤのウラル彦神が青雲山へお出になるのだて。それでそれ迄に架けて置かぬと、どえらいお目玉ぢやと聞いた。俺等は夜昼なしに、たとへ歪みなりにでもこの橋架けて了はなくちや、酋長に申し訳がないわい』
乙『なんと、アーメニヤがウラル彦つて、何んだい。毎日日にちアメニヤがふられ彦で橋まで落されて俺等の迷惑。アーメニヤがふられとか、ふるとかが橋を渡るなんて、一体訳が判らぬぢやないかい』
甲『判らぬ奴だ。黙つて居れ、貴様のやうな奴あ、雨でも噛んで死んだらよからう』
乙『死ねと云つたつて、貴様最前死なぬ河つて吐かしたらう。雨でも噛んで死ねなんて貴様こそ判らぬ事を云ふぢやないか』
丁『実際の事あ、こちら様がよく御存じぢや。お前達一同は謹聴して、吾々の御託宣を承れ』
乙『イヨー、大きく出やがつたぞ』
丁『大きいも小さいもあるかい。この毎日日にち雨の降るのは、青雲山の御宝の黄金の玉とやらをウラル彦神が持つて去ぬと云ふので、神様が嘆いて毎日涙をこぼさつしやるのだ。それで涙の雨が降るのだ。困つた事になつたものだ。昔神澄彦天使さまが御守護あつた時は天気も好かつたなり、何時も青雲山は青雲の中まで抜き出て立派な姿を現はし、山の頂からは玉の威徳によつて紫の雲が靉靆き、河の水は清く美しく、果物は実り、羊はよく育ち、ほんたうに天下泰平であつたが、アーメニヤのウラル彦神が、青雲山に手を付けてからと云ふものは、ろくにお天道さまも拝めた事はなく、毎日々々、ザアザアザアと雨が土砂降りに降るなり、羊は雨気の草を食うて病を起してころつ、ころつと息盡なり、五日の風十日の雨は昔の夢となり、こんな詰らぬ世の中は有りやしない。何を言つても肝腎の大将が、鬼掴とかいふ悪い奴にまゐつて了うたのだから、お天道さまも御機嫌が善くないのは当前だ。それ迄は二十年や三十年に橋が落つるの、家が流れるのと云ふ様な水が出た事が無いぢやないか。何でも国の御柱神様は、あまり悪神が覇張るので業を煮やして、黄泉の国とかへさつさと行つて了はれたと云ふことだ。後に天の御柱神様が独り残されて、何も彼も御指揮を遊ばすと云ふ事だが、一軒の内でもおなじ事、女房が無くては家の内は暗がりと同じ様に、世界も段々暗うなつて来るのだよ』
と悲し相にいふ。
戊『何うしたらこの世が治まるか。何うしたらこの橋架けられよか』
と唄ひながら立ち上つて踊り出した。
 甲は『馬鹿』と云ひながら、戊の肩を力を籠めて押した途端に、戊は河の中に真倒様に落ち込んだ。
 戊はやにはに橋杭に取り着き、又もや一同の方に向つて、
戊『何うしても私は流れませぬ。何うしたらこの橋架けられよか、何うしたら甲奴が倒されよか』
と杭に抱きつき不減口を叩いて唄つて居る。漸くにして戊は河土手に、濡れ鼠となつて這ひ上り、一生懸命に真裸体になつて衣類を搾つて居る。さうして又もや、
戊『どうしたら衣物が乾かうか、これだけ降つては仕様がない、どうしようぞいな、どうしようぞいな、スツテのことで土左衛門』
と気楽さうに踊り出す。
 この男は河童の生れ変りで、水の中を何ンとも思つて居ない。寒い時に温泉にでも這入つた様な心持になる男なり。
 戊は甲の傍にツカツカと寄り来たり、
『お蔭で泥水を沢山頂きました。なんとも御礼の申様がありませぬ』
と云ひながら、むんづと斗り甲の腰を引つ抱へ自分から体を躱して、共に河の中に飛んだ。甲は石仏を放り込んだ様にぶくぶくと泡を立て、河底へ沈むで了つた。大勢の人夫は驚いて、どうしよう、かうしようと狼狽まはりたり。戊は又もや橋杭に取りつき、
戊『何うしたら生命が助からう、ぶくぶく沈んだ石仏、どつこいしよのしよ』
と唄ひ居る。
 大勢は腹を立てて有り合ふ石を手に握り、戊を目がけて打ちつける。
 戊はたちまち水中に潜り込み、しばらくすると甲の体を両手に捧げて浮き上つた。石の礫は雨のごとく降つて来る。戊は甲の体にて雨と降る石礫を受け止めた。甲は、
『あ痛、あ痛』
と頭をかかへて渋面を造つて泣き出すを見兼て、戊は甲を浅瀬に救ひ上げ、巨大なる亀と化し、悠々として水上に浮び、再び姿を隠したり。この亀は果して何神の化身ならむか。
(大正一一・一・二三 旧大正一〇・一二・二六 井上留五郎録)
(第三七章~第三九章 昭和一〇・二・一七 於木の花丸船中 王仁校正)
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