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文献名1霊界物語 入蒙記 山河草木 特別篇
文献名2附 入蒙余録よみ(新仮名遣い)
文献名3大本の経綸と満蒙よみ(新仮名遣い)おおもとのけいりんとまんもう
著者出口王仁三郎
概要
備考2024/2/21出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。
タグジンギスカン(成吉斯汗) データ凡例 データ最終更新日2024-02-21 03:14:39
あらすじいよいよ大本は開教四十周年を迎えることになりました。教祖のお筆先には、三十年で世の切り替えをするが、あまりに乱れがひどいので、それが十年延びた、とあります。そうしてみると、ちょうど今が立替建直しの時期になったと信じます。満四十周年に、神様からかねてご警告になっていた、シベリヤ線を花道とするということがいよいよ実現して来ました。この事があることは神様から聞かされておりましたので、蒙古を独立させておこうと、大正元年ころから馬の稽古をし、準備をしていました。それが大正十三年に年来の意思を決行したのです。ジンギスカンの挙兵から六百六十六年目に、日いずる国から生き神が出て国を救う、という蒙古の予言と符合したために、最初は思いのほか事が進みました。ところが張作霖の裏切りに会って、危うく銃殺されようというところにまでなりました。当時の人々や信者は、大変な失敗であったと感じたのであります。今、皇軍が連戦連勝でほぼ東三省を平定したのですが、先の蒙古入りが種まきとなって、時がめぐってきています。というのも、武力で平定したとは言え、結局民衆の心をも服従させるのには、宗教をもって行うしかないからです。国によって垣根を作っていた、その出雲八重垣を破るのには、人類愛善の精神が必要です。すでに先般、満州へ日出麿を派遣しており、また自身も満州へ行って活動したいと考えております。先に蒙古入りしたときは、とにかく先鞭をつけて、日本国民に満蒙の意義を意識させておかねばならない、ということでした。しかし今は、日本国民全体が、鉢巻をして多いに考え、尽くさなければならないときが来ています。世界の戦争が起き、日本は世界を相手に戦わなければならない、という悲壮な覚悟をするときであると思うのであります。
主な人物 舞台 口述日1925(大正14)年08月15日(旧06月26日) 口述場所 筆録者松村真澄 校正日 校正場所 初版発行日1925(大正14)年2月14日 愛善世界社版355頁 八幡書店版第14輯 679頁 修補版 校定版357頁 普及版 初版 ページ備考
OBC rmnm7001
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本文  愈々大本は開教四十周年を迎へる様になりました。教祖様の御筆先には、三十年で世のきり替へをすると出てゐますが、それが余り世の乱れ様がひどいので更に十年延びたといふ事が書いてあります。本年が開教四十年に相当しますから、十年引いて見ると本年がまる卅年であるから、立替立直しの時期になつた事と信ずるのであります。
 卅と書くと世界の『世』といふ字になる。外国では百年一世紀といつて居るが、日本では卅年が一世紀であります。世界の『世』といふ字は十を三ツよせたのである。で人間の一代といふのは約り卅年で、三十歳で世帯を持つて六十になつて隠居するといふ事になる。隠居する時分には殆ど子が三十歳になる。かういふ工合に人間の一世紀といふものは、文字の上から見ても卅年ときまつて居るのであります。
 本年は壬申の年であります。結婚なんかに就てよく迷信家は今年は申の年で『去る』だからいかぬと云ふ。然しこれは総ての禍をみづのえさる──水に流し去る年であつて非常に結構な年である。仏法の法は水偏に去である。今年は壬申の年であるから、仏法がすたれて神の御教の発展すべき時になつたのであります。
 印度の言葉で法のことをダルマと云ひますが、達磨さまといふのは、本来抽象的の仏であつて、眼を大きく描くのはこの法を表徴したものである。そして無茶苦茶に大きな眼を描くのは日月に譬へたのである。これは天地日月の法であるといふ意から達磨といふのでダルマは即ち印度の言葉である。今年は所謂ダルマの年であり、弥勒の年であるのであります。この満四十周年に際して、神様が予て御警告になつて居りましたシベリヤ線を花道とするといふ事が愈々実現して来たのでありますから、吾々はジツとして居られない、日本臣民として袖手傍観する事が出来ない場合になつて来たのであります。兎も角吾々の頭の上に火の粉が落ちて来たのであります。この火の粉をどうしても払はねばならぬ。この事あるを私は神様から始終聞いて居りましたので、大正元年頃から今の中に蒙古を日本のものにして置きたい。蒙古に行つて蒙古を独立さして置いたならば日本は仮令外国から経済封鎖をやられやうが、或は外国から攻めて来られようが、自給自足、何処迄も日本の本国を保つ事が出来る。──かういふ考へをもつて大正元年から馬の稽古をやつたのであります。本当にやりかけたのは大正五年からでありますが、何故馬の稽古を始めたかと云ふと、昔から支那では南船北馬と申してゐる通り南に行くには船でなければならず、北に行くには馬でなければならぬので、蒙古の大平原を行くのにはどうしても馬術を知つて置くのが肝腎であると思つたがためであります。一時は金竜、銀竜、金剛、千早といふ馬を四頭も置き、その他の馬にも乗り廻して馬術を稽古して居りましたが、愈々大正十年になつてこれから入蒙を決行しよう、節分祭から行かうと思つて居つた時に、あの十年事件が突発したため、満州でなくて人の来られぬ様な所に一寸はいつて来たのであります。
 それから大正十三年に愈々年来の素志を決行したのであります。所が、その時恰度蒙古のタークロンと云ふ所に偉い喇嘛が居つて、昔成吉斯汗が蒙古に兵を挙げてから六百六十六年目にナランオロスからイホエミトポロハナが出て蒙古を助ける。即ちナランオロス(日出づる国)から生神が出て来て蒙古を救ふといふ予言があつたのであります。それが恰度甲子の年、大正十三年が六百六十六年目に当つて居つたのであります。吾々はさういふ事は知らなかつたけれども、恰度さうなつて居つたのであります。しかもこの蒙古を救ふ人は年五十四歳と云ふのでありましたが、当時私は五十四歳であつたからこれも符号したのであります。その外色々な事が符号した為に蒙古人に歓迎されまして、思ひの外にどんどんと進んだのであります。けれども結局は張作霖の裏切り及び赤軍との戦ひの疲れ、呉佩孚軍との戦ひによつて携帯した所の食料も弾丸もなくなつて了ひ、已むを得ず白音太拉で吾々は捕へられ、銃殺されむとする迄に至つたのでありましたが、その当時には世間の人々及び大本の信者の人は大変に失敗をして来た様に感じて居つた。その時私一人が大成功だと云つて、自分一人で平気で居りましたので、皆が負けをしみが強いと云つて笑つて居つたのであります。けれどもこれが一ツの種蒔きとなつて恰度今時がめぐつて来たのであります。
 今皇軍は連戦連勝で東三省は殆ど平定された様な形でありますが、この東三省の民衆の心は未だ未だ服従して居らぬ。これをさせるのにはどうしても宗教をもつて行かねばいけないのであります。
 愛といふ事は基督も、マホメツトも説いて居る。仏教は慈悲心を説き、或は十善といふ事を説いてゐる。各神道、各仏教は皆愛と善との外に出てゐないのであります。併し今迄の宗教は国によつて皆垣を造つて居る、出雲八重垣を造つて居る。即ち猶太は猶太の神、支那は支那の神といふ風に自分一国の神様にして居る。この垣を、この出雲八重垣を破るのには、人類愛善といふ大風呂敷を頭から被せて行くのが一番よいのであります。
 ラテン語で云うと『人類愛善』と云ふ言葉は『大本』といふ事になる。それで『人類愛善』も『大本』も精神は少しも違はない。併し乍ら『大本』は至粋至純なる日本の神様、日本の国体を闡明する所のものであり、『人類愛善会』は各思想団体及び各宗教一切の融合統一する所のもので、同じ名であつても異なつた働きをして居るのであります。で先般満州へ日出麿をやりましたのも、さういふ精神からであります。先づ東三省の人心を統一する事が肝腎である。あらゆる宗教を人類愛善の大風呂敷で包んで了はねばならぬといふ考へで、人類愛善旗を飜して満州の天地に活躍をして居るのであります。私自身でも満州へ行つて活動したいと思つて居ますが、それも余り慌ててもいかぬし落付きすぎて機を逸してもいかぬ。恰度六月時分の柿は未だ渋いが九月から十月頃になると熟して美味しくなつて柿の木の下に行くと、何もしないでも味のよいのが落ちて来る。約り熟柿の落ちる迄待つのが一番賢明なやり方である、と云つても只ジツとして居るのではない。それ迄に総ての準備を整へて置かぬと熟柿も拾へないのであります。
 それで信者の中には『もう行かれさうなものである。何時行かれるか何時行かれるか』と尋ねる人があるが、さう簡単なものではない、大きな仕事である。日本の明治維新でも当時内地人は三千万であつたが、矢張り憲法発布迄には廿三年かかつて居るのであります。同じく不思議にも三千万人の東三省の人──此処にはロシア人も居れば支那人も居る。西洋人も居れば日本人も居る、又朝鮮人も居る。かういふ様なゴチヤゴチヤの人種が集り面積は殆ど東三省だけで日本の三倍もありますが、日本の同じ人種、同胞で廿年かかつた、それに今満蒙を統一しようとするのですから、神様の徳によつて割とたやすく出来るとは思ふのでありますが、皆様が考へて居られる様な容易な事ではないのであります。それに就ては私は非常に責任を感じて居るのであります。心は千々にはやつて居ります。心の駒は足掻してゐます。けれどもこの手綱を引きしめて愈々といふ時を考へるといふ事が最も必要な事でありますから、落付いて時の来るのを待つて居るのであります。
 今日は出口澄子の誕生祭でもあります。又節分祭でもあります。この節分といふ事はこれは冬から春にかはるのであるが、天の陽気は節分が冬の真中になつてゐるのであります。節分がすめば大寒になつて来る。皆は節分が来れば春と思ふけれども少しも暖かくならぬ。旧の二月にならぬと、梅の花が咲かぬ様に、矢張未だこれから寒くなる。然し、この冬といふものは万物雌伏の時代である。人間も矢張り雌伏する時代であつて大いに考へねばならぬ時である。軽挙妄動をつつしんで極く着実に一年中の事或は将来の事を考へるのには今が最も適当な時期だと思ふのであります。で私もそれに倣つて非常に──若槻さんぢやないが深甚の考慮を払つて居るのであります。今迄は若槻さんを嘘つき礼次郎と云つて居るものがあつたが、今度は犬養首相は修練による心境の変化と云つて居る。嘘を云つても心境の変化と云へばすんでゐるといふ事は、今日の日本としては面白くない事と思ひますけれども、併しさういふ大臣の言葉は今の日本国民の精神を代表して居るのであります。併し吾々は始めから終始一貫何処迄も心境の変化をせない様に貫徹したいものであります。
 かう云つて居りましても、時期の変化によつて、約り心境の変化ではなく時期の変化によつて三月に飛び出すか、五月に飛び出すか、それとも本年中飛び出さないかも知れませぬ。そこをよく考へて貰はぬと、もどかしがつて貰うと困ります。今度の事は重大であるから沈黙を守つて居る。よい加減な事であつたならば、とうに騒いで行つたのである。この前に蒙古に行つた時と今度は違ふ。あの時は兎も角先鞭をつけて置きたい、成功するせぬは別として、日本国民に満蒙といふ事を今の中に力強く意識させておかねば日本は滅びると思つたのであります。この点満蒙問題に先鞭をつけた事は非常に効力があつたのであります。
 蒙古人はかういふ事を云つて居る『黒蛇が世界中を取巻くその時に愈々世の立替があつて弥勒仏が現れ蒙古の国を救はれる。その時は禽獣草木が人語を囀る』と。今日の世の中は木や草──民草と云へばこれは人間の事であります。木や草がものを云ふ、所謂普選になつて蛙切りでも、田子作でも、議員とかなんとかいふものになつて、ものを云ふ時になつて居る。黒蛇といふ事は鉄道といふ謎で、已にシベリヤ線が出来て蒙古を取り巻いて了つてゐる。かういふ予言があり、然も初めて私が行つた時は六百六十六年目に当つてゐた。六百六十六の獣といふ事がありますが、六六六といふ事は非常に意義のある事であります。六六六はミロクであるから──家を建てるのにも天地上下が揃はないと駄目である。その時から本年は恰度八年になつて居ります。六百六十六年──六百七十四年になつて居る。吾々大本信者は云ふに及ばず、日本国民全体が鉢巻をして大いに考へ、大いに尽さねばならぬ時が来たのでありますから、吾々は世界の戦争が起る、或は日本は世界を相手に戦はねばならぬといふ悲壮なる覚悟を要する時だと思ふのであります。
(昭和七、二、四、みろく殿に於ける講演──三月号神の国誌)
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