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文献名1開祖伝
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名33 子守奉公よみ(新仮名遣い)
著者愛善苑宣教部・編
概要
備考
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ページ 目次メモ
OBC B100600c03
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本文  これがため間もなく開祖様は、同じ福知山の米久呉服店へ子守奉公をされることになりました。
 物堅い御気質で、乱雑なことのお嫌いな開祖様の慎み深い身だしなみと、骨身を惜しまず陰日向なく働かれる行いはスッカリ主人の気に入り、奉公人一同の褒められ者になられました。
 開祖様の主人に対する御奉公振りが模範的であったのみならず、御生母おソヨさんに対してはまことに至れり尽せりで、毎年半期々々の仕着せの着物のごときは、一枚も御自分の手をお通しにならず、ことごとくこれをお金に替えて御生母のお手もとへ差し上げられ、お給金はもちろんのこと、三度々々の食事の時でも、珍しいものがあれば御自分は召し上がらず、一走りして御生母のところへ持って行かれるといったように、心から孝養をつくされたので、福知山の三人孝女として時の藩主から表彰されました。このとき開祖様は十三才でした。
 米久呉服店における子守奉公の年期三年を終えられ、それから川北の衣川清太夫とか、泉屋七兵衛という饅頭屋とか、その他二三の家に奉公され、どこの家でもすこぶる評判がよかったのですが、いつまでも奉公ばかりしておっては御生母を安心させることが出来ないというので、十七才のとき生家へお帰りになって、御生母の仕事を手伝って糸を紡ぐけいこを始められました。
 やがて糸紡ぎは大変お上手になられ、あのきっちりした御気性のためでもありましょうが、出来上りがよいので他の人の二倍の工賃を貰われたそうです。
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