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文献名1開祖伝
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名38 病床の夫よみ(新仮名遣い)
著者愛善苑宣教部・編
概要
備考
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ページ 目次メモ
OBC B100600c08
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本文  明治十八年、開祖様五十才の時、夫・政五郎さんは中風症にかかられ身体が不自由になられました。それでもどうにか小仕事をしておられましたが、翌年仕事先でどうしたはずみか高いひさしから落ち、腰骨をしたたか打ちました。それがもとで慢性の酒毒も手伝って中風が益々ひどくなり、三年間身動きもならぬ大病人となられました。
 悪いときには悪いことの重なるもので、長男の竹蔵さんが当時興村の吉蔵さんという大工の所へ見習いに行って居ましたが、大工の仕事が嫌になって自殺を計り大騒ぎとなりました。幸い一命は取り止めましたが、なかなかの重症でした。
 これがため食うや食わずの極度の貧窮の中に、身動きならぬ二人の重病人を看護しながら、沢山な子供の養育をせねばならぬことですから、その後苦労は一通りでなかったのであります。
 身を切るような寒風の吹きすさぶ夜も、薄いせんべいぶとんにみんなでくるまり、抱き合って寒気を防がれ、夏ともなれば蚊帳はとっくに医薬の代となり、綾部名物の蚊を防ぐには終夜桑の根をいぶして、辛うじて三人の愛児を眠りにつかせるという悲惨な状態で、開祖様は全く不眠不休でした。
 開祖様の血を吐くような御苦労に対して、病床の政五郎さんはどうであったかと申しますと、例の無頓着な御気質でしたから、相変わらず諧謔百出、時々狂歌などお詠みになっておられました。記録に残って居るものに左の三首があります。

 べにがらの稲荷のような家建てて
        鈴は無けれど内はがらがら
 借金の穴ほど深いものはなし
        家うち込めど穴は塞げず
 隣には餅搗く音の聞ゆれど
        我は青息つくばかりなり
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