文献名1開祖伝
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名310 身だしなみよみ(新仮名遣い)
著者愛善苑宣教部・編
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このように貧乏のどん底にあって、仕事はボロ買いという汚い仕事に携っていながら、身なりは決してくずされませんでした。破れた所には継ぎをあて、小ざっぱりと洗濯をして、のりの落ちたようなものを着ることは、かつてなかったのであります。
「お直さんが糊つけを着ているのは、他の人がおこそを着ているより立派に見える」
と町の内儀さん達がいつも話し合っていました。
久子さんが桧山という所へ女中奉公に行っておられました頃、開祖様はのっぴきならぬ金の工面に恥をしのんで奉公先を訪ねられましたとき、奉公先の主人が久子さんに、
「あれがほんとにお前のお母さんか」
と不思議そうに三度まで繰り返してたずねたほど、身に粗服はまといながらも、娘を女中奉公に出しているとはどうしても思えない気品が備わって居ました。
また商売に出掛けるときお子さん達に、
「家のまわりに気をつけて、草があったら抜いておいておくれよ。父さんが寝ているので草を生やしていると思われてはいかんでな。それからよその物には藁一本も手をかけるでないぞ、欲しいものは母さんが帰ってから何でも買ってあげるでな」
と必ずこういって諭されました。
極度に貧乏な生活をすれば誰でも、子供の養育には手が回らないのが普通ですが、開祖様は子供の養育のためには、生活難も眼中になく、八人の子供を大切にいつくしまれ、大きな声で叱りつけるというようなことはかつてありませんでした。紙屑買いの同業者仲間では「貧乏人のくせにあまり子供を大事にしすぎる」と、開祖様の気位の高さに嫌味を云う者さえありました。
またお商売から帰られると、いつも稲の落穂を一掴みほど袂からお出しになるのが常でした。これは田圃道のあちらこちらに稲の穂が落としてあるので拾って来られるのです。
「この尊いお米さんは、神様の御守護によってできるのじゃ。なんでもお土から上がるものはみな神様の御姿と同然なのに、世間の人はもちろん、百姓をする人さえ踏んで歩いているのがもったいのうて……」
と近所の人達にもよくお話しされました。
毎年大晦日の晩には、神床や仏壇に白い御飯を大きな鉢に盛ってお供えになり、子供さん達に向かって、
「お水の御恩というものは、この世のなかで一番大きなものじゃが、誰もその御恩を返すことを知らぬ。お水の御恩は毎年大晦日に夜通し起きて、何でも手に合う仕事をしもって返すものじゃ。お水は決して無茶に使ってはならないよ」
と諭しながら、足袋のつくろいなどして徹夜されました。