文献名1開祖伝
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名326 鞍馬山参りよみ(新仮名遣い)
著者愛善苑宣教部・編
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OBC B100600c26
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明治三十三年閏八月八日午前一時、開祖様は六十五才の御老体をお厭いもなく、聖師様、二代様、四方春三氏を従えられ、菅の小笠に蓑、ござ、草鞋、脚絆の御扮装にて、神命のまにまにどこを当ともなく御出修されることとなりました。前日よりこのことを知って集まった役員信者らは、各々お袖にすがってお供を願い出で、しきりに同行を嘆願し、はては、
「どうぞ途中までなりとお見送りさせてください」
と涙ながらに頼みましたが、開祖様は神様のお許しなきため、頑としてお許しにならず、開祖様は梅の杖、聖師様は雄松の杖、二代様は雌松の杖、四方春三氏は竹の杖を突きながら、須知山峠の峻坂を登り、枯木峠を踏み越えて榎木峠の頂上にさしかかれますと、福林安之助氏が、あまたの信者を出し抜いてソッと旅装を整え、梅の杖まで用意し、先へ回って焚火をして開祖様御一行を待っていました。そして一行の姿を見るや否や大地にひれ伏して、
「特別を以てお伴をお許しください」
としきりに懇願致しましたが、開祖様は、
「何事も神様の御命令なれば、この三人の外にはいかなる事情があるとも随行して貰う訳にはゆきません」
と頑としてお許しになりません。
福林氏は詮方なく、腹の底より湧き出る涙と共に嘆願し、
「今ここでたとえ死ぬともこのまま家へは帰りません」
と容易に初心を変ずる気色がありませんので、聖師様はその真心を推し量られ、いろいろと取りなされまして、
「今度にかぎり破格を以って随行と言わず、荷物持ちとして連れて行ってあげたらどうでしょうか」
と特別にお頼みになりますと、開祖様もついにその誠意と熱心とに感じられまして、ようやく随行を許されることになり、福林氏は天にも昇るごとく喜び勇んで四人の荷物をかつぎ、一行の後について行くことになりました。
途中一行は木崎の川原町で休憩され、さらに八木の会合所・福島家へお立寄りになって御一泊されました。
前述の通りこの度は御出発以来御目的地が判っておりません。ただ御神命のまにまにここまで進んで来られたのですが、翌九日朝、聖師様が神前に御祈願をこらされ、行途の如何と御用のおもむきを伺われましたところ、大神様は聖師様の御手を通して、
世の中の人の心のくらま山
神の霊火に開くこの道
という神歌を出されましたので、初めて行途が、鞍馬山であることが判りました。
御一行は途中、北野神社に詣でられ、開祖様の御訓話によって国祖大神様の御永苦をしのび奉り、いよいよ鞍馬山へ急がれました。
鞍馬山に到着された御一行は、その夜はお宮の前でお通夜をされ、翌日京都から園部へ出で八木で一泊され、無事綾部に帰着されました。