文献名1開祖伝
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名334 御日常よみ(新仮名遣い)
著者愛善苑宣教部・編
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開祖様は前述のように極貧の家庭に育ちながら、そのような御様子は少しも見えない気高い方でした。粗服ではありましたが、いつもさっぱりした着付をされて、人は、開祖様はいつも絹の肌着を着ておられる、などと見まちがうほどでした。
時折申されるには、
「女はいつも薄化粧ぐらいしておるのが良い」
とおもらしになりましたが、御自身ではなさいませんでした。もっとも色の白い、キメの細かいお肌のきれいな方であったからでもありましょうが、身だしなみのことなどよくお話でした。
日常召し上がるものはまことに少食で、大きな塗椀に二口か三口くらいの御飯にお湯をかけたりして、ゆっくりとおとりになり、せいぜい二杯くらいでした。
お好きなおかずは魚ならば鯉のみそ汁や甘煮にしたもの、鮎は大変お喜びでした。外の魚はほとんど召し上がりませんでした。その外高野豆腐、椎茸など、野菜ものは何でもお上がりになり、生湯葉はことの外お好きでした。
蔬菜をつくるのがお好きで、暇あるごとに畑に出てお世話をされ、南瓜を作ることなどは非常にお上手で、人がびっくりするほどの収穫をあげられました。
よくお見うけしたのは、夕方になると縁先にうずくまられ宵の明星に見入って、時のたつのも忘れたようにしていられることでした。
星について面白い話しがあります。お竜さんの新宅の普請が出来たので是非見に来ていただきたいと、あまりいわれるので開祖様はお出かけになりましたが、お帰りになってから、
「お竜の家で珍しいお星様を見て来た。若い時分に見たことのある星を何十年振りに見た」
と繰り返し繰り返しさもなつかしげに申され、新宅の造作などは何の御関心もない様子でした。
開祖様のおきらいなのはたちいふるまいの騒々しいことや、鼻歌気分で仕事をするような人で、ある時は「ここをどこと心得ておられるか」と御立腹の言葉を聞くのも珍しくはありませんでした。従って身の行跡の定まらぬ人や、偉そうな事をしたり、いったりする事も大のおきらいでした。
ある人が来て、
「開祖様、私はこの神苑の庭掃きでもなんでもよろしいから、させて頂きたいものです」
といわれました。そのとき開祖様は、
「それは結構なおぼしめしじゃ」
と申されましたが、その人が帰ったあとで、
「ここはだれ彼なしに箒一本持つことのできぬ尊い所であるのに、庭掃きでもとは何というもったいないことをいう人であろう。なかなか見ぬいた上でなければ、庭も掃いて貰うことのできぬ尊い所であるのに……」
とおもらしになりました。
謹厳な御性格と申しましても、決して厳格一途ではなく実にやさしい慈愛そのもののお方でした。こんな話しがあります。
二代様が七歳のころ、福知山へ子守奉公に行かれることになりましたが、生まれて始めて他人の家へ奉公に行く幼な子を、わずか綾部から福知山へ三里余りの道を先方まで送り届けることができず、途中の島ヶ坪まで送ってお別れすることになりました。
親子二人は島ヶ坪の茶店に休まれながら、せんべい一枚買って食べることができません。店先には、二代様がまだ口にしたこともない飴玉が並べられてありました。頑是無い二代様は今日迄の厳格なしつけにもかかわらず、店の者の見ていない間にひょいとその飴玉を一つ摘ままれました。
開祖様は見るとはなしに気づかれましたが、これから一人で奉公に出られるいじらしい娘の別れぎわに、その場でしかることもならず、苦しい胸をおさえて知らぬ風をよそおいながらそっと懐中から五厘銭一つ出して飴の箱の中に置いて茶店を出られました。少し行ってから開祖様は、
「お澄や、見ておったでよ、五厘銭置いて来たが、あんなことするなよ」
と優しく仰しゃいました。
生まれてはじめてのひとり旅を、うしろ髪をひかれつつとぼとぼと歩まれる二代様のかれんな姿が見えなくなるまで、開祖様は茶店の前に立って見送られました。
また、らい病をわずらっている人と一緒に風呂に入ってお助けになったこともあります。
明治二十八、九年ごろですが、綾部の東南、須知峠の近くの台頭という部落に、らい病をわずらっている貧乏な老婆がありました。四方与兵衛さんの導きで信仰に入り、綾部へ始終お詣りに来ました。開祖様はいつもお松の葉をせんじたお風呂をわかしてその老婆を入浴させられましたが、病気で手が不自由なため、開祖様は御自分も一緒に入って体を洗ってあげられました。
やがてその人は御神徳を頂いてすっかり直り、ますます信仰をはげんで、毎月のお祭り日毎には欠かさず参拝に来ていました。あるお祭りの日に、開祖様がその人を心待ちに待っていられたが、姿が見えぬので気がかりになり、家を出て見に行かれました。
途中で出会うかと思って行くうちに、とうとうその人の家まで来てしまいました。家の前には柴が一荷背負うように用意して置いてあり、中へ入って見ると、床の間の神様の前でその老婆は手を合わせたまま安らかに国替えしていました。家の前の柴は、綾部へおまいりして神様にお供えしようと用意していたものでした。
「兵隊がかわいそうだ」「女工がかわいそうだ」といつも申されました。
朝早く工場の汽笛がなると、「あれで女工が起きるのやで」と、よく同情の言葉をもらされました。
煙草はお好きでしたが、女が煙草を吸うのは見苦しいと言って辛抱していられました。二代様の吸いかけをそっとお吸いになっているところを直日様が二度ほど御覧になったが、恥しそうに言訳していられたそうです。