王仁DBβ版 出口王仁三郎と霊界物語の総合検索サイト 文献検索 画像検索 単語検索 メニュー開く
サイトの全面改修に伴いサブスク化します。詳しくはこちらをどうぞ。(2023/12/19)

文献名1聖師伝
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名37 小学校時代よみ(新仮名遣い)
著者大本教学院・編
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
ページ 目次メモ
OBC B100800c07
本文のヒット件数全 0 件
本文の文字数767
その他の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい 霊界物語ネット
本文  喜三郎さんが小学校在学中に一つの事件が起りました。ある時、吉田有年という先生から修身書を教っておられました。
 修身書の中に大岡越前守忠相という字句が出て来たところ、先生は「タダアイ」と読んだので、喜三郎さんは立って「タダスケです」と注意をされました。先生はききませんでしたので、喜三郎さんはどこまでも「タダスケ」を主張されました。先生は大へんに怒って「貴様は生徒の分際として教師に反抗するとは不都合な奴だ」といって喜三郎さんの手首をぬけんばかりに引っぱって行こうとするので、思わず校長先生の名を呼ばわりました。隣室に教鞭をとっていた校長先生は驚いて走って来ました。
 逐一事情を話されますと、校長先生は本を見ながら大勢生徒のいる面前で「ここは生徒の読んだタダスケが本当だ、君もモ少ししらべておき給え」といいました。
 喜三郎少年の小さな胸はおさまりましたが、吉田先生はそれ以来、喜三郎さんを非常に憎みました。一字でも一句でも、読み誤りがあろうものなら、なぐったり、あさ縄の太いので後手にしばり上げたり、大きな珠算の上に、一時間あまりも坐らすというような乱暴をしました。そればかりでなく、乞食が通れば「喜三郎さまのお父さんが通る、お母さんが通る」と指さし、倒れかかった雪隠があると「喜三郎さまのリッパなお宅だ」と嘲るので、他の生徒までが面白がって手をうって笑うのでありました。喜三郎さんは子供ながらも怒りの極点に達し、ある日吉田先生の学校から帰る途中を待ちうけ、青杉垣の中から竹の先きにクソをつけたまま先生の腰の辺を突きさし、自宅へ逃げ帰られました。
 これが学校の問題となって、吉田先生は免職となり、喜三郎さんも退校を命ぜられました。しかし数日後に喜三郎さんは吉田先生の代用教員として採用され、下級の生徒に教鞭をとられることになりました。
霊界物語ネットで読む 霊界物語ネット
オニド関係の更新情報は「オニド関係全サイトの更新情報」を見れば全て分かります!
王仁DB (王仁三郎データベース)は飯塚弘明が運営しています。 /出口王仁三郎の著作物を始め、当サイト内にあるデータは基本的にすべて、著作権保護期間が過ぎていますので、どうぞご自由にお使いください。また保護期間内にあるものは、著作権法に触れない範囲で使用しています。それに関しては自己責任でお使いください。/出口王仁三郎の著作物は明治~昭和初期に書かれたものです。現代においては差別用語と見なされる言葉もありますが、当時の時代背景を鑑みてそのままにしてあります。/ 本サイトのデータは「霊界物語ネット」掲載のデータと同じものです。著作権凡例 /データに誤り等を発見したら教えてくれると嬉しいです。
連絡先:【メールアドレス(飯塚弘明)
プライバシーポリシー/0/
(C) 2016-2024 Iizuka Hiroaki