文献名1暁の烏
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3(二)引掛戻の仕組よみ(新仮名遣い)
著者井上留五郎
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ページ153
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本文
「大本の経綸は引掛戻の仕組であるぞよ」と神諭に明示してあるくらいでありますから、信者のほとんど総てがこれを体験しているところであって、大本においても大本事件、奥津城改築神殿取毀、大正日日新聞関係、ご結婚問題等その他いかに引掛戻しが続出しつつあったかは周知のところであります。ヤハリ今後もこの点について覚悟しておらねばならぬのであります。
さて何のため引掛戻しが来るのであるか、それには大略左の四通りの意義があるのであります。
一、罪障の借銭済
「世が悪の世にひっくり返りておりたから、世界の人民がよいと思うてやりたことがめぐりを積むことばかりで、われには何も判りはせんし、太古からの霊魂の宿業というものは、一代や二代のお詫びをしたとてかなわんなれど云々」
と御神諭に示されておる通り、吾々の身霊には実に沢山の罪障を負うているのであるが、しかし今度は世の切り替えであるから、改心して神様に縋りさえすれば帳消しにして頂けるのであります。また
「人間界では何ほど立派な誠の人民でも、昔からの霊魂の罪咎があるから、今度の御用は苦労の固まりで、昔からの霊魂の帳消しを致して、水晶の元の霊魂にいたして御役に立てるのであるから、誰も慢心のないものはないから、九分九里まで取違いを致して、結構な御用を取外すから、それで筆先を十分腹の中へしめ込みておりて下されと申すのであるぞよ。今度の世の立替に間に合う身魂ほど、苦労が授けてあるぞよ。苦労無しには何事も成就いたさんぞよ。この大謨な御用を致さす因縁の身魂が、何事もスット思うように行たら、途中から邪魔が這入りて物事成就いたさんから、この大本は月の形の御簾の中、日に日に変わる仕組が致してあるぞよ。大本の経綸は引掛戻しであるから、あまりトントン拍子に行きよると、また後へ戻すから、その覚悟でおらんと辛うてこばれんから、ここを貫ぬく身魂でないと、三千年余りての仕組の御用には使わんぞよ」
と信じされておりまして、要するに引掛戻しは大歓楽の来たる前兆であって、また一方大難を小難に祭りかえて頂く御恵でありますから、考えてみると
「心配が出来てもこれも御神徳であると善き方に取りて、神の申すように致せば、心配が楽しみになりて、何事も善く変わりて来るぞよ」
とのご神意も明らかに会得が出来、感謝の念が自ら湧き出して来るわけであります。
一、試験及び鍛錬
「役に立つ身魂と見たら、一旦は谷底へ突き落とすぞよ」
「苦労の凝の花の開くのであるから、引掛戻しで、チットも見当が取れんように仕組であるから、皆が辛からいたなれど、そこをこばりて凌いで来んと誠のことは出て来んから、種々と致して練りたが、因縁のある身魂止めは結構であるぞよ」
と御神諭に示されておりますが、試験的事変に逢うても落伍さえせねば、神様の御恵みはヤガテ水火も侵すことの出来ぬ身魂に鍛錬されて行くことになるのであります。
一、合わせ鏡
帰幽者ありたる場合、ことに一旦信仰に入りしものが国替すれば、前述の意義に併せて合わせ鏡即ち精霊の幽助の下に、顕幽一致の働きがより以上に出来るのであります。霊界物語に説示してある如く、帰幽者は信仰の程度いかんにより直ちに天国に上るか、或いは中有界(一名浄罪界)にて一定期間の贖罪的修業を経て後、各自所主の愛により、それぞれ天国に上るのであります。中にも大本信者は地の高天原の霊界即ち最奥天国霊国に安住すべき因縁を有し、ここへ上がったものは大出口神の直接間接のご指揮の下に神業に奉仕しているのであって、その関係は現界において聖師様の下に我々が御用を勤めているのと何の変わりはありませぬ。従って内面的には帰幽者と絶えず相応していることとなるから神業奉仕の上にはもちろん一身一家に対しても非常に便宜を得ることとなるのであります。そして現界におる人々の身魂が向上すればするほどこの関係が密接となり、後には明らかに生前通り同居団欒していることが判るとのことであります。生死は、一つは因縁上定まっているのであって、結局これを善用して頂くことになるのであります。
一、霊界における御経綸
これは大部分は幽界(中有界、地獄)に群居せる各精霊に対する御経綸であります。即ち一方その改心帰順を促さるる御神策であり、一方御神業の妨害を防止さるるためのご摂理であることは、御神諭ことに霊界物語に詳述されているところであります。御神諭に
「この大本はまだまだ良くならぬが、良くなりかけたら、この中の一切の事を心配り致さんと、怠惰ものが集まりて来て、結構ばかり待ちて、人の苦労で徳を取ろうと致して、大本を喰物に致す守護神やら、悪神が出て参るぞよ。出口直の血筋をねらうて、悪神の頭がかかりて来て、大本の一輪の仕組を横奪りに来るぞよ。来て見て目的が立たぬと見たら、出口直を悪く申して引き裂こうと致すから、その覚悟を致してござれよ」(明治三十一年七月十六日付)
「……変性女子は機の緯の御用であるから、さとくが落ちたり糸が切れたり、いろいろと軸の加減が違うたり致して、何かの事がここまで来るのには、人民では見当の取れん経綸がしてあるから、機織る人が織りもってドンナ模様が出来ているか判らん仕組であるから、出来上がりてしまわんと、誠の経綸が判らんから、みな御苦労であるぞよ。霊が変化て致さな出来ん仕組がしてある故に、えらい心配をみなさせたなれど、もう何かの準備が立ちたから、この先はよく判るようになりて来るぞよ。これまでには判りたら、邪魔が侵入りて、物が出来が致さんから、九分九厘までは何も開明ては言われん大事の仕組であるぞよ。言わんから判らんなり、判らんから疑うて敵に取りて来るなり、言えば肝腎の仕組の邪魔になるなり、出来上がらんと天晴れ言うてはならず、辛い仕組であるから各自に心を磨いたら、神の御蔭は心次第の事をしてやるから、神の心を推量致して仲良く御用を勤めて下されよ。ほどなく実地を始めるから、そうなりたら、守護神も人民もえらい経綸がしてありたと、皆が申して吃驚を致すなれど、大成るまでは智慧でも学でも判りはせんぞよ。深い経綸であるぞよ。筆先を充分読みて、世界を見ておると、筆先通りが出現て来るなれど、筆先の読みようが足らんと、肝腎の事が判明んぞよ。大本の経綸は守護神ではわからんこと、神にも仏事にも人民にも、今度の二度目の世の立替の事は、判らんのであるから、我れの事さえ判らんような神に世の立替が出来そうな事はないぞよ。云々」(大正五年旧九月五日付、索引参照)
と示されてありまして、大本に起こる種々の引掛戻しもまたこの実現にほかならないのであります。この霊界における御経綸は吾々個人に取っても内面的(吾々の精霊は霊界に所属しているから)には大関係を有するのであって、かの下らぬ神懸りとか或いは信仰の動揺を来さしむる種々の誑惑等はみなこれに属するものであります。この種の引掛戻しにはかからぬよう注意せねばなりませぬ。
以上述ぶるところを一括して云えば、引掛戻しは、
一は、現界的であって、物質的及び肉体的御経綸として来たり、間接に信仰の上に大関係を有すること。
一は、霊界における御経綸として来たり、内面的には現人の精霊と直接の関係を有することでありまして、何分三界に亘る大御神業に参加し、舎身活躍の大々的奉仕をせねばならぬのであるから、水も漏らさぬ御経綸の下に、どこまでも身魂の修養をさせらるる御恵みであります。