文献名1二名日記
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名35月11日 於阿波徳島支部よみ(新仮名遣い)
著者月の家(出口王仁三郎)
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データ最終更新日2018-08-19 19:22:22
ページ48
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本文
朝の八時雨烈敷降りて止まん気配だになし。四日間の宿を恵まれし足立卓子館を宣使まめ人等数多に見送られ、牛追橋南詰の人類愛善会支部長森厳夫氏方に立寄り、神前に一同と共に神言を奏上し暫時休息の上土佐名産の珊瑚樹の布袋、高さ一寸許りなるを或店より持ち来り代価二十五円なりといふ。斯かる高価なる贅沢品をとは思へども、土佐路旅行の永久的記念とすべき品物なければ求むる事とは為したり。途中松平某と云へる人京都皇典講究所に於て吾弟幸吉と同窓の友なりしとて、雨中に吾を官幣中社土佐神社の鳥居前まで送りける。高知市の人々も三台の自動車にて此処まで見送られ鳥居前にて袂を別ちたり。雨はますますはげしく降り来り、うつとうしき事限りなし。大阪山根曳、領石、大歩危、小歩危なぞ山路を走りて二十五里を突破し、鉄路の通ふ池田の駅につく。此処は最早阿波の国にして、比較的栄えたる町なり。此処にも徳島よりの出迎へ人ありて清月館に入りて昼飯を摂る、正に午時なり。午後三時十五分の汽車にていよいよ徳島市に進むこととはなりぬ。
朝八時足立氏方を立出でて橋向ふなる森氏の家訪ふ。
九時すぎて車に乗れば同窓の松平藤佐根氏名刺を通ず。
分所長高知宣信代表し吾送らんと同車して行く。
徳島市酒井支部長鳴球氏白嶺氏と共同車従ふ。
土佐神社華表の前にて見送りの人と袂を雨中に別ちぬ。
大阪を登れば右手の山の上に古城趾ありて老樹茂れり。
岡豊山雨に煙りて古の城の跡さへかすみて見えず。
傘川を流れ矢の如馳せ行けば土砂降りの雨一入強し。
領石の国分川橋のりこえていよいよ上り坂となりけり。
樹々茂る根曳峠を二里上り峠に立てば雨雲低し。
降る雨に煙れる雲の山々の景色はさながら画の如くなり。
繁藤橋渡れば右手の谷川に疏水工事の施してあり。
鉄道の敷設工事の準備にてトンネル切り抜き工夫いそしむ。
降り行く右手に穴内川清く流れて吉野大川に入る。
吉野川架け渡したる鉄橋は最も長く最も高し。
四国一風光明眉と聞えたる吉野の流れ見るもさやけし。
連日の雨降りにさへ川水の清けく澄める吉野川かな。
大杉村進めば山の中腹に奇代の大杉雲を衝き樹つ。
穴内川吉野の川の釣橋を数多越えつつ進む阿波路へ。
太田口橋打ち渡り西豊永の煙草の産地に進みてぞ行く。
走り行く道の左手に色々の草花畠艶を競へり。
美はしき山々数多ありながら雨にけぶりて頂見えず。
吉野川清流遥に見下せば流るる筏赤く見えたり。
西豊永川戸に煙草専売局ありて山腹人家立つ見ゆ。
土佐の国阿波の国との境谷来れば午前十一時前。
車窓より東北の空ながむれば剣尖山は雲にそびゆる。
吉野川谷の向ひの山腹にいと珍らしく水車の廻ふ見ゆ。
三名村下名の里に来て見れば小さき狭き学校建ちけり。
吉野川流れ迫りて底深く水色清く風致妙なり。
藤川橋渡れば風光絶佳なる大歩危峠にさしかかりけり。
古は山の尾の上に土佐へ行く道ありしとぞ聞くぞ珍らし。
高山のその中腹を自動車に乗りて馳せ行く昭和の御代かな。
細々と青葉を分けて瀧水の落つる姿の面白きかな。
十一時半頃小歩危の山村に進めば雨足疾くなりけり。
大歩危や小歩危の嶮しき渓道を寝ぼけトチボケ夢に過ぎけり。
古の土佐の街道見え初めて三里半行きや池田駅とふ。
銅山川橋を渡れば渓深く流れも清く心地よきかな。
射矢渓は昔平家の落武者の住みし所と話し聞き行く。
三綱浜此処より流木筏とし徳島までも流すとぞ聞く。
釣橋は東洋一の三好橋渡る刹那の勇ましきかな。
正午頃一行漸く池田町清月館に車降りたり。
清月館玄関前に徳島の支部長其他七人迎ふる。
清月館一行着けば警察吏玄関先まで訪なひて行く。
海川や山野のうまし物ならべ昼飯なせり十三人客。
三時間汽車待つあいだのもどかしく欠伸の種をかみしめてけり。
眼の釣りし女中の給仕に眼尻を下ぐるお客の無きぞ幸なれ。
家広き清月館の伽藍堂何とは無しに落着かぬかな。
泉水に大鯉一尾あたま兀げ静に浮ける雨の宿かな。
一本の三葉躑躅の葉となりて庭のおもてに雨浴びて立つ。
花の色褪せし躑躅の三四株庭のおもてに寂しくうつむく。
自動車の音姦ましく宿の下女発車迫ると報じ来れり。
停車場に来りて見れば知る知らぬうごなはり居て吾を見詰むる。
雨煙る吉野川辺を走りつつ入桑枝茂る辻駅につく。
辻駅の南に高き青葉山雨雲ふかく包みて清けし。
麦の穂はまだ青々と茂りつつ土佐路に比して季節おくるる。
紫の花一面に咲き匂ふ桐の畠の美はしきかな。
吉野川奇岩怪石立ち並ぶあたりの淵の青みて深し。
阿波加茂の駅に進めば四方の山雨雲深く包みて見えず。
稲苗代や麦の穂見れば丹波路と余り差異なき野面なるかな。
常磐木の茂る山根の江口駅は吉野の川の眺め妙なり。
阿波半田駅に進めば半田山白雲の裾まくり初めたり。
貞光の駅に向へば雲切れて山の剣尖現はれにけり。
小島駅進めば裏の高山に白雲来住繁く美はし。
穴吹の駅に進めば白雲の風に散りつつ雨晴れ渡る。
穴吹川渡れば向つ山の尾に雨雲またも彷徨ひ初めけり。
水浅せて河巾ひろき拝原川は阿波第一の大河なりけり。
山腹に人家の並ぶ川田駅の四辺の連山水雲ただよふ。
高越山千百二十三尺の霊峯雲の被布きて立てり。
近昔莨の産地阿波の野も今は桑園のみぞ連なる。
銅鉱に庭を埋めし湯立駅あたりの丘に人家沢建つ。
山瀬駅吾汽車つけば又しても卯の花くだしの雨降りきたる。
賤の家の軒に赤々橙の実れる見えて学駅に入る。
学の駅南に常磐木茂りたる丸岡の景いともさやけし。
東の岡に櫟の珍らしく栄えて清き川島駅かな。
西麻植の駅の真北に槻の森神さび立ちて古神社あり。
このあたり見渡す限り桑園の連なる中に人家交はる。
小雨降る中を女生徒傘さして鴨島駅に押しよせにけり。
牛の島来りて見れば赤狗子一匹泥にまみれて遊べり。
駅頭に楠の大樹の青々と茂りて清き石井駅かな。
雨そぼつ大野ケ原は青麦の蓆を敷きし如くなりけり。
大毎の記者なる藤井氏乗車して五分間談せよと打込む。
山遠く野辺広くして眼の届く限りは麦生の畠なりけり。
蔵本の駅に大毎写真班吾小照を車上に撮り行く。
徳島の駅に漸く着きぬれば宣使まめ人旗立て迎へり。
二軒屋町徳島分所へ夕の空一行無事につきにけるかな。