文献名1出口王仁三郎全集 第1巻 皇道編
文献名2第2篇 皇道我観よみ(新仮名遣い)
文献名3第5章 世界無比の神国よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
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データ凡例2017/9/20校正。
データ最終更新日2017-09-20 13:27:58
ページ73
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本文
我日本国は古来神国と称し、細矛千足国、豊葦原瑞穂中国、磯輪垣の秀妻国、また豊秋津根別国、大八洲根別国、玉垣の内津御国、浦安国、言霊の天照国、大倭国、日本の国、国の本国等と称し、世界無比の神国なれば、異邦に勝れて尊きは言を待たず、寒暑共に其中を得て、地は南北に渉り、東西に跨りて、四方に清海を環らし、風土清けく地味膏沃、五穀其他の作物豊饒にして、山野に草木繁茂し、果実能く熟して其味ひ殊に美はしく、金、銀、銅、鉄、鉛、錫、石炭の類に至るまでも生産し、一切欠くる事無ぎ、天産自給の宝国なり。殊に世界に比類なき粳米を、全国に産出せざる土地なく、殊に刀劒の原料なる因雲産の鉄鉱ありて、自然に鋭利なる武器を作ることは、全世界に比類なく、近海には岩石多く点在して、敵艦を近くるに便ならず。加之人民の衆多なるは、面積比較上外国に数倍し、天賦の霊能日本魂有るを以て、勇気、智量、慈愛、親睦の良質を惟神に包蔵し、平素清潔を好み、神祇を崇敬し、皇室を敬ひ尊び、大義を重んずる事は、此神域に生を享けたる神国神民の自然より出づるものなり。併し淳朴質実にして、神勇神胆あるが故に、日本の太古は、天道地道人道などの名称も無く、忠義孝貞などの名目も無し。只々神随言挙せぬ国にして、不言の教、無為の化、自然に行はれ、其の行事の道に違反せしもの少く、大伴氏の遠祖、天押日命の誓言にも、海行かば水潜屍、山行かば草生屍となりて、取り治むる者なくとも毫も厭はずして、大君の辺にこそ死なめ、閑には死なじ、顧みはせじと言ひ、筑紫の防人とて、東より賦役にさされて行く土兵が、額に箭は立つるとも、背には箭は負はず、進む事ありとも、退く事は為さじと言ひし如く、君臣の大義父子の親愛も、自ら備はりけるが、人民漸次数多く生るに従つて、惟神の美風良俗次第に破れむとし、一の教法無くては、治まり難く成りしが故に、崇神天皇の御宇に至り、和光同塵的御政策の時代の必要に迫れるを思召され、漢土の聖人の教書を、我国に採用し玉はむとして、三韓より、阿直岐及び王仁をして、教書を伝ヘしめ給ひ、国民を教導き、治国平天下の輔翼と為し給ひしより、儒道は皇国に弘道し、其道は今に至つて尚ほ勢力を張りつつあれども、皇国古有の大道、即ち皇道の枝葉とも称すべき教義なれば、日進月歩の今日の皇国の実際に適合せず。故に古には、少々治国の輔となりしものも、わが国聖代の人民を教ふるには、隔靴掻痒の感なき能はず。此を以て、礼儀廉恥の四維を張る可き志を奮起せしむるにも足らず、今や皇道実現の聖代に於ては、全然無用の長物視さるるに至れりと雖も、若し此儒教をして、真面目に漢土に行はしむる時は、支那五億民衆の良教書と為すを得べし。元来皇道は、日本神国に具はれる大道にして、日本魂の根元なれば、異域の人の咀嚼し得べきものに非ず。皇道の教は『神は万物普遍の霊にして、人は天地経綸の司宰者なり』てふ神教に基き、天津日継天皇が、天の下四方の国を、安国と平けく治食す可き規範たるべきものなれば、世界の人類を治め助け、善美なる言行の範を示し、上御一人の御尾前に仕へ奉りて、世界を経綸するの天職を、惟神に具有するものにして、決して外来の宗教説の如く、未来の楽土を欲求し救助を求め、万事哀願的に出るとは、全然其選を異にす。故に凡ての外来宗教なるものは、我国に在りては、害ありて益少く、日本男子の去勢的道具にして、天祖の神慮に叶ひ奉らざるものなるを知らざる可らず。
皇国は畏多くも、皇祖の大御親神に坐す、天之御中主大神の御実体の顕現にして、世界一切を具有し給ふ神国なれば、世界一切の生民を同胞と為し、高天原に霊的活動し、且つ不滅に常住し、出ては地球上面の各国土を経綸し、入りては宇宙、即ち高天原に静養し、畏くも皇祖の御神勅に依りて、天下を治むる天職を帯ばせ給ふ、神聖不可犯の、天津日継天皇が、天壌無窮に鎮座あらせられ、神国の神民は、畏くも御皇室と共に、万世一系以て皇運を扶翼し奉る天職を、完全に先天的に具有し、皇祖大神の授け給へる、敏心の日本心は、天稟の良性にして、決して亡ぶる事無きが故に、今にもあれ、皇道の大本を講明し、以て之を激励する時は、必然日本魂の発現し来りて、天授の神魂に復帰す可きは論を待たず。譬ば三冬の厳寒に水は凍り、土涸れて、樹木の葉は悉く落ち散り、一見枯果てたるが如く、草の茎葉は朽果て、残るもの無きが如くなるも、其枝幹若くは根本に、花実となり茎葉となる可き原質は、尽く含有せるが如くなるは、野人匹夫の目に一丁字さへ無き輩、郷丁傭夫の徒にも、折々侠腸義気突破して、事に臨みては、敢て一死を顧みざる者有るを見ても知られたり。故に今、皇祖の御遺訓並に、国祖の神諭に依り、国人固有の日本魂を研き、其光輝だに現出せば、我一を以て異方の百千万人に当るに足る可く、国土の豊満なる事は、外国の及ぶベき所にあらざるなり。