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文献名1出口王仁三郎全集 第2巻 宗教・教育編
文献名2【宗教編】第1篇 既成宗教よみ(新仮名遣い)
文献名3第7章 信仰の堕落よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
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ページ27 目次メモ
OBC B121802c108
本文の文字数4197
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本文  皇道大本にては、『神は万物普遍の霊にして、人は天地経綸の司宰者なり』との信仰を抱いて活動しつつ在るのでありますから、随って神を信仰する点に於ても、従来の各宗教の襲用せる信仰とは非常な相違が在ります。今迄の各宗、各教の神仏に対する信仰は、全部乞食的信仰であって、極めて消極的であります。信仰すれば他力に依って極楽浄土に救はれて、百味の飲食を間断無く賦与されるとか、キリストに従へば死後無限の地獄の永苦を免れて天国に上り、神の右に坐し、天国に安住さして貰へるとか、如何なる極重悪人も唯称念仏往生安楽国とか、自分の勝手の好い事ばかりを一心に祈願して、夫れで以て神仏が何事も意の儘に為て呉れるものの如うに、根本から大誤解を為て居るのであります。恰も乞食、非人が人の門戸に佇み冷飯の残りや一文の小銭を、半ば泣声を出して御願ひ申します、と言うて居るのと少しも変らぬのであります。外国人なら是非は無いが、日本神国の神民と生れ、七十五声の正音を自由自在に賦与せられ、万世一系の皇統を戴き、天地経綸の司宰者たる天職を具備せる日本の神民が、印度人か毛唐人の真似をして、只管に神仏に頼む頼むと朝から晩まで、鉦や太鼓や拍子木などで、アタ八釜しい祈り捲くる態は、見られたものでは無いのであります。

   万世一系の霊魂

 日本神国は皇統のみが万世一系ではない。日本人は真の神の直接の御分霊を頂戴して居るので在るから、生代り死代り幾度と無く顕界と幽界に出入する事の出来る、所謂日本魂なるものを各自に享有して居るのであります。故に各自の霊魂、即ち真神の分霊は神と倶に悠久無限に存続する事が出来るから、所謂万世一系、天壤無窮の霊魂であります。外国人の霊魂は或る特殊の霊魂を除く外、大部分は人間として再生する権利を亡失して、恰も泡沫の如きものであります。故に彼等の徒が体主霊従、物質万能を以て唯一の真理となすは無理も無き次第であります。彼等の霊魂は万世一系、天壤無窮で無いから、祖先の霊を奉祀する必要も無ければ、死後の心配も無い。日本人以外の人間は死後霊魂の滅、不滅を論断する資格は無い位のものであります。

   日本人の地獄落

 斯く謂ふ時は読者の中には、余り偏狭極まる勝手な愚論だと言ふ人も在りませう。然し外国人の霊魂でも絶対的に滅亡するのでは無いが、大部分は体主で在るから、霊従の地位に在る霊魂は其霊能が下落するのは当然である。之に反して日本神国、神裔の民は本来が霊主体従で所謂、ヒノモトの身魂である。霊魂が不滅だから幾度も肉体の容器は変っても、天壤無窮に易る事が無いのである。何故に博愛なる神が日本人計り特に殊寵を垂れさせられて、日本以外の人民には恩寵が浅いかと理窟を云ふ人が在るであらうが、外国人だとて大本神諭に在る通り、改心をして霊主体従の、日本魂に成りさへすれば、万世一系の霊魂たる資格が具はるのである。日本人は神国清潔の神民として天下を和平ならしめ、世界万民の救主たる天職を生前より与へられ、天下の経綸者たる資格を、神誓神約に因り完全に賦与されて居るのである。其の天職を肝腎の日本人が根本誤解し、天授の霊魂を汚濁し、折角神の任し給ひし天権を放棄して、キリスト教国や仏教、儒教国の教に迷うて、勇壮活発なる気稟を自ら滅却し去り、腰抜け、蛆虫の境遇に沈淪して、可惜一生を酔生夢死に終って、神界の任し給うたる職責を尽さない者は、残らず根の国、底の国に逐ひ退れて、無限の永苦を受けねば成らぬ破目に成るのである。本来霊主体従の霊魂は不朽不滅なるべきものであるから、日本人たるの天職を怠り、神界に復命の出来ない霊魂は、ドウシテも懲戒の為に、仏者の所謂地獄へ落ちて苦しむのである。

   天津祝詞の太祝詞

 中臣の神嘉言に曰く、「天津宮言以て天津金木を本打切末打断て、千座の置座に置足はして、天津菅曽を本刈絶末刈切て八針に取裂て、天津祝詞言を宣れ、如斯宣らば、天津神は天の磐戸を推披きて、天の八重雲を伊頭の千別に千別て所聞食む、国津神は高山の末短山の末に上り坐て、高山の伊保理、短山の伊保理を掻別て所聞食む云々」
 神代の昔に天の磐戸の前に於て、五伴緒神の一柱なる天児屋命が天照大御神の御出現を奉請したる、天下修齎の一大神辞であって、降って神武天皇の御宇、天児屋命の子孫なる天富命は之を大成し、ヒフミ文字にて誌し置かれたのを、後世の人常磐大連が今日の漢字を以て、現代の人々に誦読し易からしむる為に書き改められたもので在りますが、実に雄大荘厳を極めた天下修齋の大神辞であります。天津宮言と申す事は善言美詞の意であって、所謂七十五声の正音である。日本人は斯の正音を天賦的に具有し、以て天地の経綸を司どる天の選民である。外国人の如く音声も少く、且つ不正なるに比して天壤の相違があります。又下等動物に成る程声音が尠く、且つ不正であって、モウとかヒンヒンとかニャンとかワンとかカアカアとかチュウチュウとか極めて尠いのである。日本人が七十五声の発音を完全にする事を得るに引かへて、外国人は僅に其一部分を発するのみ。而も極めて不正であって、殆んど畜生の声音に似て居るのであります。日本は太古より言霊の助くる国、言霊の幸ふ国、言霊の天照る国と申しまして、実に大神其儘の声音を用ゆる事を許されて居りますから、ドウシテも神様の代表者と成って宇宙万有を修齋いたさねば成らぬ責任を有して居るのであります。日本神国の選民が心身を清浄にして、善言美詞を応用します時は、天地も為に感動し、宇宙の妖気を払拭し去るの神業が遂行されるのでありますが、現代の日本人は第一に身魂が外国化して居りますので、自然に声音が濁り、口の上では七十五声を発しましても、其言霊に権威も無ければ徳もない。隨って天地神明を感動させ、宇宙万有を修齋する事が出来ない処まで堕落して了ふたのであります。

   八咫鏡は言霊也

 新約全書、約翰伝首章には言霊の秘事を漏しあり。曰く「太初に道あり。道は神と倶にあり。道は即ち神なり。この道は太初に神と倶に在りき。万の物これに由て造らる。云々」即ち宇宙万有の主宰に坐しませる全一大主神は、言霊を以て天地を創造し、且つ経綸を創め玉ひし事を知るべし。現代の世界の大難を救ひ、万民を安堵せしめ万世不易の神国を招来せむとするは、到底今日の軍器や軍法や教育や政治や宗教や哲学では絶対に不可能である。然らば最後の修齋は何を以て之に当るか。外でも無い天津神の依さし給ひし八咫鏡、即ち言霊の妙用に外ならぬのである。併し今日の日本人は前にも言うた通り、霊肉倶に混濁の極に達して居るから、言霊の応用が不可能である。世界の大難どころか今我国の脚下に猛火が燃えて来て、我国土が焦土に成ると云ふ場合でも、是を如何ともする事が出来ないのは実に情無い次第である。吾人の言霊をして神変不可思議の妙用活動を為さしめむとせば、先づ先決問題として、皇道に立脚し自己の守護神を神として鎮祭し、霊主体従の実行に着手せねばならぬのであります。

   守護神の奉齋

 皇道大本に於ては其人の御本尊たる霊魂即ち守護神を鎮祭致しますが、是皇道の最要なる神術神業なのであります。吾人の本尊たる霊魂を神として奉齋し、且つ天祖の許容を受けて、生き乍ら神の列に加はり、以て令回の世界修齋の大神業に奉仕させて頂くのであります。
 皇典古事記神代の巻に、
 『於是、大国主神愁ひまして、吾独して、何でかも此の国を得作らむ。孰の神と与に、吾は此の国を相作らましとのりたまひき。是の時、海を光して依来る神あり。其の神言りたまはく、我が前を能く治めてば、吾共与に、相作成してむ。若し然らずば、国成難しとのりたまひき。爾、大国主神曰したまはく、然らば治奉らむ状は、奈何ぞとまをしたまへば、吾をばも、倭の青垣、東山上に齋き奉れと答言たまひき。此は御諸山上に坐す神なり』
とあります如く、大国主命が少彦名神と協心合力、以て国土の経営に従事されたる時、少彦名神は或る事情の為に常夜の国にお出でになりました。是に於て大国主命は独力、以て国土経営の大困難なるを歎かせ玉ひて、三保の碕に出て海の遠方を眺め居られし時しも、海上に光ありて神の前に近付き来りたれば、大国主神は其光の神に向って、汝は何れの神ぞと問はせられました。さうすると其の光の神は答へて、吾は外でも無い汝(大国主神を言ふ)の奇魂、幸魂なりと仰せられ、只今迄は汝の体より出て外国に遊離せしなり。然れども今は汝大国主神は少彦名神に離れて歎き給へば、汝の大業を守らむ為に帰り来れりとの意を詔らせられました。そこで、大国主神は汝は何処に奉齋せば善きやと反問し給ふや、奇魂幸魂の守護神は直ちに答へて、我を倭の国の青垣山の東の山上に伊都岐奉りなば、国土成就せむと答へられたので、其答の通り御諸山に奉齋し、以て国土経営の任務を全うせられたのであります。大国主神は神代にては智仁勇絶倫の大神であったのですが、夫れでも自分の霊魂、即ち守護神の幾分かが遊離して、外国へ国作りせむと活動して居っては、充分の神業を遂行する事が出来ないと云ふ事の証拠であります。今迄は少彦名神と云ふ義兄弟と一緒になって、他と協同して経営に竭して居られたのが、俄に離別せねば成らぬ事情が起って来たので、大国主神は大変な当惑をなされた所へ、自分の守護神が俄に本体に帰り来られ、其霊魂を御諸山に鎮祭して、弥国土経営の大業を成就されたのであります。故に人間も其通り、自分の守護神を尊敬奉齋して、惟神の日本魂に立帰り、他人を力とせず、大神と守護神を第一に敬祭して、以て凡ての事業に着手したならば、如何なる事も成就せない事はありませぬ。茲に初めて霊主体従の実が学るのであります。
(大正七、四、一号神霊界誌)
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大正10年(1921年)10月18日に王仁三郎が霊界物語の著述を開始してから
令和3年(2021年)10月18日で百年目を迎えます。
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