文献名1出口王仁三郎全集 第2巻 宗教・教育編
文献名2【宗教編】第2篇 新興宗教よみ(新仮名遣い)
文献名3第6章 時運と解釈よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考2023/10/03校正。
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データ最終更新日2023-10-03 04:03:13
ページ85
目次メモ
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本文
天下を平かに治むる大経綸は、我皇祖皇宗の統べ保ち玉ふ神道の本義なる事は、皇孫への御遺訓、即ち古事記の巻頭にある、大安万侶の序文に因りて明白である。然るに千有余年間、其真意が少しも解らなかつたと謂ふは、誠に不思議の事であるが、是れは発表すべき時機が未だ到らなかつたからである。然しながら日本国が千有余年間に世界の文物を輸入し、その影響を受けた治乱盛衰の歴史の印を閲する時は、畏くも天皇の御玉体に迄も迫害の及びたる時代に遭遇せるも、万世一系の御高徳は赫然として保ち玉ひ、明治の御聖代を現実し来りたるは、実に天津日嗣の御稜威に他ならぬのである 然るに、日本国に文明を輸入したる外国の歴史は如何と省れば、誠に憐むべき状態を呈して居るではないか。古き歴史を問はず、現代文明と自称して居る国情は、各爪を磨き、強者が弱肉を喰ふを理想として、恒に其機会を窺ひつつあるのである。是れを自然の原則として進むならば、実に世界の人類は、鳥獣以下の生活状態を現出する事は明白である。
畏くも万世一系を保ち玉ふ明治天皇は、実に現人神に在し坐すによりて
常しへに民安かれと祈るなる
我世を守れ伊勢の大神
と御製を遊させられて、大御心の宗とし玉ふ意を示し玉ふ。是が即ち時運到来を国民に示し玉ふ所であると信ぜねばならぬのである。外国にては、現代の混沌たるを日本の危機と称して其成り行きを刮目して居るではないか。
洋の東西を問はず、百般の学芸と謂はず、彼等の足跡を追ひて足れりとするならば、我れが五十歩進めば彼れは百歩進み、徒らに奔命に労れて終に強者の餌と成り終る事は、火を賭るよりも明白なる事である。
達見せる外国人は、日本の国体を不可思議的の感を以て恒に注目しつつあるのである。彼の有名なる英国人チャンバーレンは、明治二十年頃、已に日本神典古事記に注目して、研究して居る。然るに日本人は現今に到りて漸く一部の人士が其名を知る位で、中流以下の人は古事記と謂ふと、乞食の事と間違へる位に、無意識である。然しながら日本の国体は、彼の群衆心理を基とする国柄とは全然根本を異にし、前に記し奉りたる大御心を実現して世を平かに治め玉ふ天津日嗣が坐ますゆへに、茲に天運循環の時機到達と共に、道の本義が自然と明白になり来り、天津日嗣の精華の光輝を世界に照し玉ふことは近き将来に実現すべきを確く信ずるのである。
さて、神道の本義の主体なる古事記は、已に本居氏の「古事記伝」に最も詳細に明説してあるが、この説明は所謂其時代の産物であつて、現代に適切なる説明を与ふるものでない事は明白である。是は決して、本居氏等を批評するのでない。吾等は常に本居氏の功労に対し尊敬して居るが、露骨に謂へば、古事記伝は文字の解釈を、其時代に顕れ居る事実と、伝説とを総合したものに依るのであつて、未だ国体の精華を発揮する活きたる宝典たる資格は無いのである。
本居氏の功労は実に偉大である。其必要なる時代に於て、其自然の天意的使命を尽されたるものなる事は明白なる事実である。が、国体の尊厳にして万世一系を保ち玉ふ事は敢て本居氏の説明を待つ迄もなく、古事記の巻頭に載せたる安万侶氏の序文を仔細に熟読すれば明白に解釈し得るのである。
要するに、古事記の全本文を解釈するには、普通の文章的や、又日本国語の本源の不明なる時代に於て解説しては、其御遺訓の明白と成らざる事は止むを得ぬ事である。
古事記の撰録者、安万侶氏も明白に其序文に左の如く発表して居る。
謹随詔旨。子細採摭。然上古之時。言意竝朴。敷文構句。於字即難。已因訓述者。詞不逮心。全以音連者。事趣更長」云々
是に因りて明白である。実に、人智を以て慮られざる真理を明細に説き玉ひたる皇祖の御遺訓なる故、或る程度迄に人智の進む間は、国体の精華を発表する時機でないのである。無理にコジツケると、彼の古事記の「三大考」の如きものが出来て却つて物笑の種となるゆへ、慎まねばならぬ。
現代の学者諸君は、万歳一遇の機会に際して人生を禀けたる事を覚知し、大いに努力して、天賦の徳を顕す覚悟を持たねばならぬのである。
(大正三、八、一五号、敷島新報)