文献名1出口王仁三郎全集 第5巻 言霊解・其他
文献名2【随筆・其他】よみ(新仮名遣い)
文献名3赤猪子の話よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考2023/10/08校正。
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データ最終更新日2023-10-08 19:23:35
ページ580
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本文
或時雄略天皇が多くの臣下を連れて、大和の美和といふ所へお遊びに行かれました。美和といふのは美和河の河上で御座います。天皇が御覧になると、河の辺で洗濯をして居る所の十五六才の綺麗な娘がありました。其娘は外に二人とないやうな非常な別嬪であつた。そこで天皇はその童女を御覧になつて、お前は誰の子であるか、とお尋ねになつた。一体往古は名告るといふことを非常に喧ましくいうたものでありまして、人に逢うたときは目礼位はするけれど、無暗に名告るといふ事はしなかつた。若しも名告つたなれば婚約が成立するのである。其人のお嫁にならなくてはならぬ。問ふ、答へる、もう直ぐ夫婦になつたことになるのであります。今日とは大分形式が違つて居たのです。雄略天皇がお尋ねになりますと、その娘さんが答へて言ふのには、私の名は引田部の赤猪子と申します。そこで天皇が仰せになるには『汝は嫁がずてあれ、何処へもお嫁に行かないで居よ。年頃になれば、親からも勧められるであらう。外からもいろいろ言うて来るであらう。けれども、朕が今に喚し出してやる、妃にしてやるから、何処にも行かないで居れ』と仰せになつて、御還幸になつた。赤猪子の方では、天皇から直々に仰せられたのですから、もう召し出されるか、もう御命令があるかと、正直に待つて居りました。其間には、親からもいろいろと言はれますし、縁談の口も喧しく来るのでありますが、それを何とか彼とか言うて待つて居りましたけれども、とんと御沙汰がない。そのうちに到頭八十年待つて了つた。十五六才の時から八十年も待つたのですから年が九十五六才といふ所であります。大抵の者なら、待ち遠しくて耐らない。催促に行くとか、或は人を入れて運動するとか、今の人であつたなら直接談判に出かけるとか、外の方へ頼んで了ふとかするのでありますけれども、そこは質朴にして正直、物堅い往古の人でありますから、一言命令を聴いた以上は、汝を妃にしてやろうと仰せられた以上は、其お言葉、つまりは操を守つて八十年間も控へて居つたのであります。是に、赤猪子思ひけるは、勅命を仰ぎ待ちつる間に、現に沢山の年月を経て、姿、形、容貌がすつかり失せて醜くなり、痩せ衰へ、萎びた姿になつて了うたから仕方がない。今までは、もうかもうかと待つて居つたけれども、年をとつて腰はまがつて了つた。これ以上待つて居つた所が仕様がない。もう何の頼もない。けれども折角今まで操を守つて居りましたといふ此真情を、一遍天皇に申上げ度い。然うせぬことには残念である。私の誠心が天皇に届かぬでは心もとないと考へて、百取の机代の物を持たしめて、お嫁に行くといふのでいろいろ仕度をして居つた。その何百荷といふやうな沢山な荷物を持たせて皇居にやつて参つた。所が天皇は、まさかお戯れに仰せられたのではありますまいが、其後いろいろの事に紛れて、其時のお言葉をお忘れに成つて了はれましたので、今お婆さんが沢山の荷物を持つて御所に参上したといふことを聞召されて、それは不思議ぢや、何者であらうと思召したが、何はともあれ、折角参つたものであるから、此所へ伴れて来るがよいと仰せになつて、赤猪子に拝謁を許されました。お前は一体誰ぢや、何処の婆ぢや。何の為めに来たのかとお尋ねになつた。そこで赤猪子はお答をして、今は昔、八十年のそのかみに斯う云ふ御勅令が御座いましたので、今日までお待ち申して居りましたが、最早八十年も経ちましたから、容貌も衰へ、姿も老いて、もう何にも役に立たなくなりました。併し私の志のある所を一言申上げようと存じまして、罷り出でました次第で御座いますと申上げました。是に天皇はいたく驚かせ給ひて、おう、そんなことがあつたか、是は実に済まぬことであつた。実は疾うの昔忘れて了つて居つた。罪なことをした。けれども、おまへが勅命を遵奉し操を守つて今まで待つて居つて呉れたとは、誠に有り難い、実に感心の至りだとは言ふものの、あたらお前の肝心な盛り時を過させて了つたのは、実に可愛さうな事であつた。済まぬことであつたと仰せられまして、さうして今お妃になさらうといふお心はあつたのでございますけれども、何というてももう九十五六才といふ婆さんで、いかにも極りが悪い。他のものに対して憚りが多いので婚させられずして、其代りに歌を賜つたのであります。
御諸の 厳加斯がもと 加斯が本 忌々しきかも 加斯原媛女
引田の 若栗栖原 若くへに 率寝てましもの 老いにけるかも
若いときに、早く呼んでやればよかつたものを、遂忘れて了つて、詰らぬことをした。清め斎きたる白加斯に対して、甚だ相済まぬ。此年老いてゆゆしく清い、誠心に対して心恥しいと仰せられたのであります。これにお答へして、赤猪子は涙ながらに二首の御返歌を奉つて、いろいろの下され物を頂いて還りました。実に昔の人は然う云ふ工合にして、一口聴いたならば、それを一生忘れないのであります。尤も今日の女の方は、時代も違ひ思想も変つて来て居りますから、必ずしもそんな工合には行かぬのであります。けれども徒らに軽佻に流れ、浮華に陥り易い今日、余程さう云ふ所も参酌をして行く、心得て行くといふことが、婦人として此世の中に処して行くといふ上に、よくはあるまいかと、思ふ次第で御座います。
(大正九・一〇・一五 大正九年十一月号 神霊界誌)