文献名1出口王仁三郎全集 第8巻 わが半生の記
文献名2【上巻】故郷の弐拾八年よみ(新仮名遣い)
文献名309 祖父の性行よみ(新仮名遣い)
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データ最終更新日2023-10-01 18:25:26
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祖父の吉松は至つて正直で、清潔好きであつた。今にも祖父の逸話は古老の口から沢山に漏れることである。然るに祖父には只一つの難病があつて、五十九歳で身を終るまで止まなかつたのである。その難病と云ふのは、賭博を好み、二六時中賽を懐から放したことがないのである。そして酒を飲まず、莨も吸はず、百姓の隙には丁半々々と戦はして勝負を決するのが、三度の飯よりも好きであつた。それが為に祖先伝来の上田も山林も、残らず売払ひ、只壹百五十三坪の屋敷と破れ家と三十三坪の買手の無い蔭の悪田が一つ残つただけであつた。斯様な家庭へ養子に来た父の吉松こそ、実に気の毒である。祖父は死ぬ時も賽を放さず、死んだら賽と一緒に葬つて呉れと言つたさうである。その時の辞世に、
打ちつ、打たれつ、一代勝負
可愛賽(妻)子に斯の世で別れ
賽の川原で賽拾ふ、ノンノコサイサイ ノンノコサイサイ
女房が米が無くて困つて居ようが、醤油代が足るまいが、債鬼が攻め寄せて来ようが、平気の平左衛門で、朝から晩まで相手さへあれば賽を転がし、丁々半々と日の暮るるのも、夜の明けるのも知らず、行燈と二人になるまで行つて行つて行りさがし、臨終の際になつても博奕のことを言つて居つた気楽な爺さんだつたと、何時も一つ話に祖母が話されたものである。
五月の田植時と秋の収穫期を除く外は、雨が降らうが風が吹かうが、毎日毎夜相手を探して賽斗り転がし、朝に田地が一段飛び、夕に山林が移転して了ふと云ふ状態であるから、柔順な祖母が恐る恐る諫言すると、祖父の言草がふるつて居る。
『お宇能よ、余り心配するな、気楽に思うて居れ、天道様は空飛ぶ鳥でさへ養うて御座る。鳥や獣類は別に翌日の貯蓄も為て居らぬが、別に餓死した奴はない、人間もその通り、餓ゑて死んだものは千人の中に只の一人か二人位のものぢや。千人の中で、九百九十九人までは食ひ過ぎて死ぬのぢや。それで三日や五日食はいでも滅多に死にやせぬ。私もお前の悔むのを聞く度に胸がヒヤヒヤする。けれども、是も因縁ぢやと断念めて黙つて見て居つて呉れ。止める時節が来たら止める様になる。私は先祖代々の深い罪障を取払ひに生れて来たのだ。一旦上田家は家も屋敷も無くなつて了はねば良い芽は吹かぬぞよと、いつも産土の神が枕頭に立つて仰せられる。一日博奕を止めると、直ぐその晩に産土さまが現はれて、何故神の申すことを聞かぬかと、大変な御立腹でお攻めになる。是は私の冗談ぢやない、真実真味の話だ。さう為なんだら、上田家の血統が断絶する相ぢや。私も小供では無し、物の道理を知らぬ筈はない、止むを得ず上田の財産を潰す為に生れて来て居るのぢや。大木は一旦幹から切らねば若い良い芽は生えぬ。その代りに孫の代になつたら世界の幸福ものになるさうぢや。これは私が無理を言ふと思うて呉れるな。尊い産土様の御言葉である』
と云つて、産土の森の方に向つて拍手する。斯ういふ次第であるから、祖母も断念して其後は一言も意見らしいことは為なんだと云つて居られたのである。
大本の御神諭に、
『三千世界の一旦は立替であるから、先祖からの深い罪障を除去て遣りて、何一つ埃の無い様に掃除を致して、一代で除れぬ罪を神が取りて遣りて、生れ赤児に致して、神が末代名の残る結構な御用に使うて、世界の宝と致すぞよ』
と、御示しになつてあるのを見ると、そこに深甚微妙の神理が包含されてあることを今更ながら感激して止まぬ次第である。
『神の致す真の経綸は、人民では分らぬぞよ。何事も神に任すが良いぞよ』
との御神示は、祖父と祖母とによつて大部分実行された。その酬いで王仁が至貴至尊なる大神の御用に召さるるやうになつたのだといふことを忝なく思ふのである。
祖父一代の逸話は、なほ沢山に遺つて居るが、これは王仁が奉道の経路に就いて余り関係の無いことであるから、省略しておく。