文献名1惟神の道
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3壬申所感よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考出典不明
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データ凡例
データ最終更新日2021-12-07 04:14:25
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目次メモ
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本文
大本は明治二十五年の旧正月元旦、開祖出口直子刀自に国祖大神の神懸りがあって開教されたのであるが、今年を以て四十周年の記念祭を挙行した次第である。
開祖の手を神様がつかはれて、神諭を書かれたが、その神諭には三十年で世の替り目が来ると示され、それが十年延びると書かれてゐた。本年は十年延びて四十周年の日が来たので、世界の世の字は「世」と書いてあるが、人間も三十にして起つといひ、又それに三十を加へた六十で本家帰りといふやうに、三十年、三十年で一段落となる。人間界のことはすべて三十年を以て一期とし、また神界のことは三千年を以て神の一世といふのである。
○
壬申の年は「さる」といふので、世人が縁起をかついで結婚を見合はすといふが、これは間違ってゐる。みづのえさるは、すべての禍を水の洗礼によって洗ひ去るの意で、本年はその年回りになってゐる。仏教のいはゆる「法」の字はさんずゐ(水)に去ると書く。これも水の洗礼の義になるのである。法はまたダルマで、ダルマの巨眼は日月の姿に表現される。これは日月揃うた弥勒の意でもある。この弥勒出現して水の洗礼によって世を清めるのである。
○
今年はいよいよ吾々の頭上に火の粉が落ちかかって来た。この火の粉はどうあっても打ち払はねばならぬ。この事あるは、ずっと前に神様から聞いてゐた。大正元年から蒙古を日本に引きつけおく必要を神から聞かされて、自分は入蒙の準備として乗馬の稽古をしたりして、いよいよ蒙古入りの決行を考へてゐた時、大本のいはゆる十年事件が起こり、延期して大正十三年に入蒙が実現出来たのであった。当時私の入蒙は、パインタラで張作霖のために、邪魔がはいって失敗したやうに世間では見てゐたらしいが、私自身は決して失敗ではなく、大いに成功であったと信じてゐた。
蒙古のアルホラ大庫倫に成吉思汗の挙兵以後六百六十六年にして、ナランオロスからイホエミトポロハナ(大活神)が出て来るといふ予言があったが、ナランオロスとは、日出づる国といふ意味であり、またその活神は五十四歳の人だと予言されてゐて、ちょうど私が五十四歳であったので、いよいよ日出づる国から五十四歳のイホエミトポロハナ(大活神)が来たといふ訳で、蒙古から大歓迎を受けたのであった。
当時人類愛善の精神を以て彼の地に人民愛撫の基礎を作っておいたのが、今回の満蒙問題の勃発に当たって、世界紅卍字会との共同的活動を実現し得た結果となったのである。人類愛善主義の拡充を以て世界大和合の働きをせねばならぬが、先づ満州東四省統一の基礎を造るために日出麿(人類愛善会副総裁)を満州に出張せしめた次第である。