文献名1惟神の道
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3神の経綸よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考出典不明
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目次メモ
OBC B123900c003
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本文
「三千世界一度に開く梅の花」この言葉は、今より四十年前の正月元旦に大本開祖が天の啓示を享け、宇宙の人群万類に向って警告され、かつ神の経綸を発表された所の金言玉辞であります。神様の御経綸は、この短い一句につくされてゐる。梅の花はごく小さいものであるが、梅の実を結ぶ元である、即ち梅の主である。主といふのは皇国の「ス」であり、世界を統べる「ス」であり主の「ス」であります。
世界は五大州になってをり、あだかも梅の五弁に当り、また人の行ふ道も五倫五常といひ、人間の体も五体といふのである。それに比べて獣類は六になってゐる。尻尾がついてゐるから六になるのである。人間らしくない人間のことをけだものといふのは、人間五常の道以外の道を行く者を指すので、過ぎたるは及ばざるにしかずといふ訳になる。
それで梅の花といふのは、一切万事に対して言はれた言葉である。三千世界といふのは過去、現在、未来、あるひはまた天国、地獄、中界の意であり、また現界、幽界、神界を指すので、つまり仏教でいはゆる三千大千世界といふことを略した言葉であります。
開祖の獅子吼されてから四十年になりますが、その第八年目に私は聖地へ引寄せられ、それから今年で三十三年になります。この八の数字にも、またこの三十三の数にも深い意味があります。その間に世の誤解の中に立って色々な激流を渡り荊棘の道を越え、猛獣に追はれ三十三相の働きをせねばならぬ種々な艱難を経て来ましたが、いよいよ神様の道が開ける時が参りました。
大本の根本霊場たる本宮山(一名桶伏山)に神声碑が建つ時にいよいよ神様が表に現はれるのであると私に神様から始終仰せになってをったのでありますが、その神声碑が神命に依って建てられたのが昨年(昭和六年)の九月八日でありました。
満州事変は一方から見れば国難でありますが、他の一方から見れば国難といふよりはむしろ国福でありまして、これから東亜の光が世界に光被して、日本神国の光が八紘に輝き渡る、その開き初めの状態に遭遇したのでありますから、この国難に対しては一切の言動を慎み、思想国難、外交国難、経済国難に対し、国民は小さいことを棄て大同に向ってこれを打破して進まねばなりませぬ。しかしてすべてが打破され、総てが改まる……改まれば国難は一転して大なる国福となるのであります。即ち国歩艱難の時において初めて国の光を輝かすところの端緒を開くのである。あだかも大本の教が法難に依って初めて信者の誤れる思想や観察が内省されて、かへつて真の道が開けて来たのと同様であります。
私は大本の法難を決して法難とは思はずかへつて法福であると信じて感謝して愉快に迎へて来たのであります。あれが本当に不敬罪であったならば、神様がお許しあるはずもなく、これは日本国民として陛下に申し訳がない。愉快どころではない、政府の刑罰をまつまでもなく自ら切腹して死んでしまふのでありますが、吾々は国家のために、皇室の御為めに一生懸命にやったことでありますから、さういふ気の弱いことではならない、どこまでもあかりを立て、一方神様の道の明かなことを示さねばならぬといふ考へを以て勇往邁進して来たのであります。
そこで、人類愛善といふのは、仏教では一切衆生を愛すといふので、人類愛善は意義が狭いなどといふものもありますが、大本の神諭にも「この神は虫ケラまでも助ける神」とある如く、人類といふことは「人群万類」といふことを略したのでありまして、森羅万象一切を愛するといふことになる。人類とは人群万類の省略である。人群万類愛善会ではあまり長過ぎるから略したまでである。会員の方やこれを宣伝する者は特にこの点を承知して貰ひたいものであります。しかしてこの国難は愛善の道に依って打開して行けば国福に転ずるのでありますから、会員ならびに全日本国民はもちろん、世界の全人類と共にこの大光明を望んで愛善の道に大同和合せねばならぬと信ずるのであります。