文献名1惟神の道
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3青年の意気を持てよみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考出典不明
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ページ15
目次メモ
OBC B123900c006
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本文
人間といふものは総て天津神の精霊を受けてこの世に生まれ出でたのでありまして、神が幾万劫の昔から幾万年の後の世へかけて不老不死にまします如く、人間の精霊も不滅であります。
私は本年(昭和七年)六十二歳でありますが、六十二年前に私の精霊が天地の間に出来上がったのではない、その時には肉体が誕生したばかりです。従って私の肉体に老いのきざしは見え初めても、精霊は老いを知らない。世間には肉体と一緒に早く老いてしまふ人間があるが、はなはだ残念なことであって、さういふ考へ方では人間としてだけの役目をもこの世において果たしきれない、ましてや神の思し召しによってこの世界に生まれ出でた意義に副ふことは困難であります。
大体日本人の癖として、もう六十になった、七十になったと自分の年齢を勘定して自ら心を弱くするやうであるが、これも非常によくないと思ひます。私が蒙古に赴いた時、あちらの人に年齢を訊ねたところ、蒙古人には過ぎ去った自分の年を数へるやうな馬鹿はありませぬと答へられ、これでなくては本当の仕事はやって行けないと感心しました。人間にとって明日はすでに精算済みのものである。神様にこの世に生んでいただいて、それに応へるだけの仕事をして行くには、明日を生きた、有意義な明日にしてゆくだけでよい。さう考へて、私自身、六十二歳にてなほ青年の感情と青年の意気を失ってゐないのであります。
そこで青年であるが、云ってみれば若いうちは肉体が全盛期にある。この事は、家なら建てて間のないうちで、柱も傾かねば壁も落ちてはゐない。さういふ時に、出来るだけの仕事をしておくといふのは当然の任務であります。が、肉体が老いたからと云って、精霊までが衰へたと思ふのは間違ひで大隈侯などは百二十五歳説を持し、四十五十は少年であるとなしたが、私も人間七十八十を働き盛りだと考へ、いよいよの仕事はこれからだと思ってゐます。
精霊は滅びないものである。人間は不老不死のものであると云ふことを証拠立てる例として、臨終の際まで魂がしっかりしてをることを云はねばならない。手も足も動かぬやうになり、耳も聞こえなくなっても、気力は確かで、頭脳は冴えて来る。これは人の精霊が何処までも生き通してをる証拠で、現代の唯物論者が云ふやうな健全な肉体に健全な精神が宿るのではなくて、健全な精神の所有者こそは健全な肉体を所有して得るものであります。
これで、肉体といふものが魂を入れる器であり、神の生宮であると云ふことがハッキリして来るのであります。で、総ての人は、自分は断じて死にはしない、老いゆきもしないと云ふ信念を持ち、世界のために、いつも申す人群万類のために、常に青年の意気を持って働き、私の提唱する御神業に参加して欲しいと思ふのであります。特に今や東西の形態はすこぶる急なものがあります時に当って、日本人は格別な使命をもってゐるのであります。昭和といふのは、その文字に注意して貰へば判りますが、昭の字は日に召さると書いてあります。即ち日の大神のお召しに応じて和す所の大任を有つてゐるのでありますから、この点をよく悟って、昭和の天命に応ふるだけの信念がなければならぬと信ずるのであります。