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文献名1惟神の道
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3惟神の真理よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考霊界物語第四六巻第一七章「惟神の道」の後半とほぼ同じ
タグ データ凡例 データ最終更新日----
ページ92 目次メモ
OBC B123900c027
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本文  人間がこの世に生れ来り、美醜強弱貧富貴賤の区別がつくのも決して人間業でない。何れもみな惟神のよさしのままに、それ相応の霊徳をもつて地上に蒔きつけられたものである。富める者はどこまでも富み、貧しき者はどこまでも貧しいのは、その霊の内分的関係から来るものであつて、決して外分的関係より作り出されるものでない。貧しき霊の人間が現界に活動し、巨万の富を積み、金殿玉楼に安臥し、富貴を一世に誇るといへども、依然としてその霊と肉とは貧しき境遇を脱する事は出来ない。
 それはちやうどいかに醜婦が絶世の美人の容貌にならむと、紅白粉を施し、美はしき衣服を装ひ、あらむ限りの人力を尽すといへども、醜女は依然として醜女たるの域を脱せざると同一である。鼻の低い者はいかに隆鼻術を施すとも到底駄目に了る如く、貧者はどこまでも貧者である。すべて貧富の二者は物質的のみに局限されたものでない。真に富める人は一箪の食一瓢の飲を以て天地の恵を楽しみ、綽々として余裕を存し、天空海濶たる気分に漂ふ。いかに巨万の財宝を積むとも、神より見て貧しき者はその心平かならず豊かならず、常に窮乏を告げ、欲の上にも欲にかわき、一時たりとも安心立命することが出来ない。金の番人、守銭奴たるの域にあくせくとして迷ふのみである。
 また天稟の美人は美人としての惟神的特性が備はつてゐるのである。美人の慎むべき徳として、吾れ以外の醜婦に対しなるべく美ならざるやう、艶ならざるやう努むるを以て、道徳的の根本律としてゐるのは、惟神の真理を悟らざる世迷ひ言である。美人はますます装ひを尽せば、ますますその美を増し、神または人をして喜悦渇仰の念を沸かさしむるものである。これが即ち美人として生れ来りし自然の特性である。これを十二分に発揮するのが惟神の真理である。また醜婦は決して美人を妬みそねまず、自分の醜をなるべく装ひ、人に不快の念を起さしめず、かつまた美人に対して尊敬の念を払ふのが醜婦としての道徳である。
 富者となり貧者となり、貴人となり賤民となり、美人となり醜婦となり、智者となり愚者と生れ来るも、みな宿世の自ら生み出したる因果律によつて来るものなれば、各自にその最善を尽し、賤民は賤民としての本分を守り、貴人は貴人としての徳能を発揮し、富者は富者としての徳を現はし、貧者は貧者としての本分を守るのが天地惟神の大道である。かくの如く上下の万民が一致的にその本分を守るにおいては、神示にいはゆる桝かけ引きならして、運否のなき五六七の世が現出するのである。
 私がかくの如き説をなす時は、頑迷固陋の倫理学者、道徳学者らは、必ず異端邪説として排斥するであらう。しかしながら天地の真理、惟神の大道たる以上は、如何ともすることが出来ないのである。
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