文献名1惟神の道
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3学者の態度よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考霊界物語第四八巻第一章「聖言」からの抜萃
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ページ97
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OBC B123900c029
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宇宙には霊界現界の区別があって、到底その一方のみにて真相を知ることは出来ない。いはゆる科学的知識を以て、この無限絶体無始無終、不可知不可測の霊界の真相を探らむとするは、実に迂愚癲狂もはなはだしといはねばならぬ。
先づ現代の学者はその頭脳の改造をなし、霊的事物の存在を少しなりとも認め、神の内流によつて真の善を知り、真の真を覚るべき糸口を捕捉せなくては、黄河百年の河清を待つやうなものである。今日の如き学者の態度にては、たとへ幾百万年努力するとも、到底その目的は達することを得ないのである。夏の虫が冬の雪を信ぜない如く、今日の学者はその智暗くその識浅く、かつ驕慢にして自尊心強く、何事も自己の知識を以て、宇宙一切の解決がつくやうに否ほとんどついたもののやうに思つてゐるから、実にお目出度いと云はねばならないのである。
天体の運行や大地の自転運動や、月の順行、寒熱の原理などについても、未だ一としてその真を得たるものは見当らない。徹頭徹尾、矛盾と撞着と、昏迷惑乱とに充たされ、暗黒無明の域に彷徨し、太陽の光明に反き、わづかに陰府の鬼火の類を認めて、大発明でもしたやうに騒ぎまはつてゐるその浅ましさ。少しでも証覚の開けたものの目より見る時は、実に妖怪変化の夜行する如き状態である。
現実界の尺度はすべて計算的知識によつて、ある程度までは考察し得られるであらう。しかし何ほど数学の大博士といへども、その究極する所は到底割り切れないのである。たとへば十を三分し、順を追うて追々細分し行く時は、その究極する所はやはり細微なる一といふものが残る。この一は何ほど現代の学者が、鯱矛立になつて研究しても到底解し能はざる所である。