文献名1惟神の道
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3政治の大本よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考出典不明
タグ
データ凡例
データ最終更新日----
ページ188
目次メモ
OBC B123900c064
本文のヒット件数全 0 件
本文の文字数1212
その他の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい
霊界物語ネット
本文
現代の政治家は政治の大本を知らず、教育家は教育の真髄を覚らず、宗教家また宗教の何ものたるかさへ弁へず、その他世の指導的立場にある者ことごとく天地の大本を知らず、自己の小智小才をもって総てを律せむとす、誤れるのもはなはだしきものである。
「政治」とは祭事の事である。円満無上の天国の象を地上に移し、天国の御作業を地上に行はせ給ふ「祭事」で「天上地上の真釣ごと」である。真釣とは、ちやうど度量衡に物をかけて釣り合はす如く、釣り合はす意義の国語である。故に完全円満具足の天国を識るにあらざれば、地上国土の経綸は覚束ない、天国自然の大御経綸を知らなければ一身一家は斎はない。ようするに、天国を知るは国家経綸の根基、一身一家修斎の大本であり、日本国大道の根底は実にここにあるのである。
「祭」を単に祖神を祭祀する意味とのみ思ふのは大なる誤りである。しかして政事の本意義はなほこれに止まらず、この本理を融解して、弘くこれを宣り伝ふる事が必要である、これを「法」と云ふ。「理」を融解して宣り伝ふる意味である。
更にこの法したるものを一切の諸々に結び合す必要がある、これを「礼」と云ふ。ここにおいて一切の諸々は、その大本理を身に体して、これを少しも放たぬやうに拳々服膺して身にしめおく、これを「道」といふのである。道といふ国語は、身に血が満つるやうに少しも離るる事なくひしとしめおく事である。道は離るべからず、離るべきは道ではない。日本の大道は実に厳乎として永遠である。しかして民は道に住し、小臣は礼を宣べ、大臣は法を行ひ、君は理に住し玉ふが故に、君、大臣、小臣、民の四階級が必然に生ずる。全大至尊の極徳が自然に分れてかかる四大分身を生じたもので、偶然にこの世に出来たものではなく、天理の然らしむるところである。現今の人々の中には、君も大臣も小臣も民も人が勢力の優劣より作り出したるものの如く思ひ居るものもあるが、これは大なる誤りである。(ただし外国は然らず)故に一般世上にて称へ居る所の道は真の道ではない。
理と云ふものがよく諒解せられたる上に法があり、法が明確になりし上に真の礼があり、礼が確立して後に道は天下に行はるるのである。されば道を説くものは必ずまづ礼を説かねばならず、礼を説く者は法を説き、法を説く者は理を知らねばならぬ。理を究むるは神に基づくべきである。即ち祭(政治)の本義を営み行ふべきである。
故に君の最も貴びます御職掌は祭事(政治)であり、大臣は君の命を受けて事を致せど、同じくその最も貴き職掌は祭事である。小臣、民も同様の義理にて祭事が最貴の職掌である。農業を為すも工業を為すも、これ即ち祭事と見るが最も根本的の見方である。宇宙一切をあげて、一の祭事あるのみ也といふも差し支へない。ただし君の政事と、大臣、小臣、民の祭事とは、その種類自ら異なる所以を善く了得して、決してその間に一毫も他を犯すところあってはならぬ。