文献名1惟神の道
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3信仰即忠孝よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
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備考出典不明
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ページ210
目次メモ
OBC B123900c071
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本文
我が国の国教は「忠孝」がその根幹である。忠孝とは御祖神の御名を現はし奉りその御心のまにまに実践躬行することである。絶対的この境地、信仰を真の忠孝と云ひ、これに対する不信仰を不忠不孝といふ。故に不忠不孝は大罪悪中の大罪悪であって、このほかに根本的の罪悪は無いのである。忠孝の志篤き者は勇気必ず内に満つ。勇気が無ければ忠孝の道は尽し難い。勇気は献身的大精神から出で、献身的精神は天則を守ることにより、自ら生まれ来たるものである。また一面勇気の無いのは活動の無い事を物語り、活動のなきは死に等しく暗黒である。
わが国教は永遠の大光明であり、活気臨々たるものである。故に絶対的勇気がなくてはならぬ。臆病は即ち不信となるのである。
○
身体髪膚を直接に享け得たのは父母であって、親子一体の大生命線に入れば永遠の御祖神あるのみである。御祖神と父母との中間にあって、大権を掌握し給ひ、真釣りの本義を執り行はせ給ふは陛下であらせられる。
故に敬神と忠孝は一如である。即ち忠道の本義は敬神にあり、孝道の本義もまた敬神より生まるるのである。敬神を外にしての忠道孝道は邪道である。この大義名分は厳乎として毫も犯す事の出来ぬ永遠絶対のものである。
かくして、常に絶対的この信仰の状態にあり、これに離れざるを我が国語にて「麻柱」といふのである。
○
また、我が国教は一切が事実である。天上地上顕幽生死を貫通して常に永遠史乗中の存在である。この永遠全貫の大歴史は、皇典古事記においてはじめてこれを見、日本国においてはじめて立証し得るのである。
外国では、その教義と歴史、宗教と政治とが極めて縁遠いのであるが、我が国においては歴史以外に宗教なく、史乗ことごとくこれ天地人道を具象的に顕示証明する神典である。
故に我が国教は、宇宙開闢より永遠に到る御神業であり、御祖神の御意志であり、神人道であり、大歴史である。吾らが国教に従ひ、歴史を重んずる事、生命よりも大切に為さねばならぬ所以は実にここにあるのである。