文献名1惟神の道
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3天意に順応せよよみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
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備考出典不明
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ページ355
目次メモ
OBC B123900c105
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本文
古来我が国の建築法に蟇目なるものが伝へられてゐる。それは建造物をこの法によって天柱に繋ぐのであって、蟇目の法を修したる建造物は、地震で揺れると自然に地上を離れて浮き上がり、風が吹けば地上に固定して動揺しないのである。
今日の欧米流の建築法は、土台を石やコンクリートで固める。鉄骨や鉄網をやたらに使用し、蜂の巣のやうにコンクリートで塗り上げてその堅牢を誇ってゐるのであるが、これは本当の建築法から云ふと最も幼稚なやり方なのである。素人目から見ると如何にも頑強のやうに思はれるが、それはいはゆる地上に建てたバベルの塔であって、ある限度以上の地震で揺れると無残な結果になるのである。
綾部及び亀岡における建造物はみな余がこの蟇目の法によって天柱に繋いで居るのである。綾部のミロク殿は五百六十七畳敷き一間の建物でずいぶん繋ぐのに困難を感じた。しかしてこの蟇目の法を修するには深夜人のゐない時でなければならないのであって、もし繋いでゐる時に人が通りでもすると、それがために法が破れてしまふのである。余が過去四十年間に亘って日本国中を隅から隅まで旅行したのは、一つにはこの国土を天柱に繋ぐためなのである。
我が国においては政治のことをマツリゴトといふが、マツリとは真釣であって天下を治める蟇目の法なのである。ところが今日の政治はちゃうど鉄骨の西洋建築や都会文化と同様であって、一見はなはだ堅牢にして便利のやうに思はれるが、非常の際に幾多の犠牲をはらはなければならぬ重大な欠陥があるのである。それは関東の大震災に遭遇した東京の人々にはハッキリと判るであらう。
余は、今日の学問や技術を決して無益であると貶すのでもなければ、その効果を否定するのでもない。しかし天柱に繋がれたる科学、天意に順応した制度でなくては、天壌無窮の弥栄の道は開かれないと云ふのである。経済機構にしても財政制度にしても、天理に合一しないものは必ず行き詰るものである。それは本当に心ある人であったならば誰でも悟り得るところである。これだけ政治学が研究され、これだけ経済学が論ぜられ、これだけ法律学が進んだら、今少し善い政治が行なはれ、今少し暮らしよい世の中が出現し、今少し悪人が減少しなければならないはずである。
余は長い間、天意に順応した政治、経済、教育への立替へを絶叫し、天柱に繋がれたる科学への立直しを呼号して来たのであるが、最近、次第にそれに共鳴する人が現はれて、神社中心の政治、教育の必要が説かれる秋になったのはまことに喜ばしいことである。
しかし神社中心の思想にも二種類あるやうに余は思はれる。即ち神社参拝を敬神の誠心に基を置かずして、心理学的方法論として考へてゐる人が少ないやうに思はれるのである。もしそんなことが事実あったとしたならば、これほど恐ろしいことは無いのである。万象を唯物的に見て、精神を無視した科学のみで世を持って行かうとすることが、つひにかくの如き万般の行き詰りを来たしたのであるが、その破綻はむしろ徐々であったけれども、もし敬神を心理学的方法論と考ふるが如き神を冒涜する心が上下に充ち渡ったならば、これほど怖るべき邪道はないのであって、今日の日本人はこの点を深く反省してみる必要があるのである。即ちこの世界を正しく持って行くためには「誠」以外に何ものもないのである。