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12/5発売『あらすじで読む霊界物語』(アマゾン楽天ブックス

文献名1大地の母
文献名2第1巻「青春の詩」
文献名3安閑坊喜楽
著者出口和明
概要八木清之助に冠句の弟子入り。お蘭が嫁いだため失恋。農具開発。八木弁との恋。
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2018-04-09 01:00:39
OBC B138901c06
本文の文字数30333
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本文  明治二十四年、二十一歳の春、喜三郎は徴兵検査を受けた。いわば成人の儀式であった。
 喜三郎は身長一・五六メートル(五尺二寸)で乙種予備兵に編入、兵隊には行かなかった。だが二十歳を過ぎてからも身長がのびたらしく、二十五歳の時に刑務所の看守になる検査を受けた時は一・五九メートル(五尺三寸)になっていた。
 穴太から四人の適齢者があった。大亀の息子太吉は一・四七メートル(四尺九寸)で丙種、穴太から一人も甲種が出ず、肩身を狭くした。田舎道を四人連れ立って帰りながら、一人丙種の太吉は腕まくりして、「樫は細ても強かろう。山椒は小粒でもぴりりと辛いわい」と負け惜しみ言った。
 外側の入れものの大小だけで、生身の人間に優劣のレッテルをはる。これで日本の軍隊は大丈夫なのか、との疑念は、喜三郎にもあった。
 ――図体のでかい人間だけが、お国の役に立つわけやない。人間は中身が大事や。国を富ませ、力を充実させるのは、まず優秀な頭脳、精神力。
 甲種になれなかったことに、なんのくやしさもなかった。学ばねばならぬことは、あまりにも多い。

 穴太寺の書院から眺める庭にも秋の気配が忍び寄る。静寂を破って鯉がはねた。「それじゃ秋の法会には、お弁を手伝いによこすわ」と言って腰を浮かす八木清之助を、行仁和尚は押し止めた。
「まあ待ちいな、兄さん……実は会ってやってほしい男がおる」
「ほう、誰やいな」
「上田喜三郎ちゅう青年や。阿呆か利口かつかめん男やが、ちょっとおもろい」
「その男がわしに何の用があるねん」
「兄さんが、度変窟烏峰ちゅう冠句の宗匠してる言うたら、ぜひ会いたいそうな。さっき使いを出したさけ、おっつけくるやろ。まあ熱いお茶でも入れるわ」
 火鉢の上で、鉄瓶の湯がたぎっていた。
 八木清之助は弘化四(一八四七)年、穴太から一里ばかり北の拝田村に生まれ、当年四十五歳。
 万延元(一八六〇)年三月桜田門外の変が起こり、井伊大老が水戸の浪士らに暗殺された年、清之助は十四歳で京へ出て、ある宮家の仲間奉公に住み込み、多感な少年期をめまぐるしい歴史の渦に巻きこまれる。翌文久元(一八六一)年十月十二日早暁、公武合体に決し、泣く泣く関東に降嫁される和宮の供として清之助も江戸へ下り、小石川藩邸に滞在する。
 文久二(一八六二)年七月、尊攘激徒は島田左近暗殺を皮切りに体制転覆をはかって乾坤一擲、捨身の行動に出た。つぎつぎと天に代って罪ある者を誅伐すると称して、猛烈なテロの嵐が吹きすさぶ。京都市中をふるえ上がらせたこの天誅の一連の事件を、十六歳の清之助は目撃したまま克明に記録した。
 文久三(一八六三)年八月十九日、八・一八政変の翌朝、小雨降る中を落ちていく七卿に従って十七歳の清之助も長州へ。
 元治元(一八六四)年七月十九日。六月の池田屋事件に続いて禁門の変起こる。長州から戻った清之助は桂小五郎と連絡。桂(のちの木戸孝允)は十八歳の清之助を頼って京をぬけ、拝田の清之助の家にひそむ。清之助は藁小屋に桂をかくまい、のち八木・園部を経て、但馬・出石へ逃がす。
 あの幕末動乱期の波乱に満ちた青春が懐かしい。そのころに冠句も学んだ。
 父が病弱のために維新後、郷里の拝田村に帰り、明治三(一八七〇)年に同い年のみつを娶り、翌四年二十五歳で八木家を相続した。以来、百姓のかたわら筆の行商をして生計を立てている。妻みつは三年前に四十二歳で没。みつとの間に一男二女があり、この春、長女さとを馬路の中川家に嫁に出した。女手がなくなったため、京都へ見習い奉公に出していた十七歳の次女弁を呼び戻し、老母と十四歳の長男の丑之助との逼塞した四人暮らし、時おり村の青年を集めて冠句の手ほどきをするぐらいが楽しみであった。
 次弟信太郎が穴太の村上三郎兵衛の養子になり、三弟が穴太寺にもらわれて穴穂姓を継いだ行仁和尚である。二人の弟が縁づいているため、行商の往き帰り、清之助はよく穴太に立ち寄る。
 行仁和尚と世間話をしながら熱い茶をすすり終わるまでもなく、継ぎはぎだらけの着物をまとった上田喜三郎が現れた。人なつこい邪気のない笑顔が清之助を魅きつける。
 行仁和尚が二人を引き合わすと、喜三郎は膝を乗り出した。
「わが大日本帝国がかりに軍備や経済力で世界の一流国にのし上がることができても、それは進路を誤まるものやと思います。日本は文化国家を目ざすべきであり、それこそまさに〝光は東方より〟ですわ。そのためには文化を都市の専有物にするのではなく、農村の隅々まで浸透させることが必要です。もちろんわしの言う文化とは鹿鳴館のような西洋の模倣文化とは違う。日本独自の文化です。
 そもそもわが穴太の産土神社である延喜式内小幡神社の御祭神が開化天皇であらせられることも、深い神策のあることと思うんですわ。すなわちこの曽我部村穴太の地より真の文化の花を開けとの御神示でっしゃろ。そこで及ばずながらこのわしが、いよいよ大日本帝国の真の文化革命の狼煙を上げてこまっしゃろと――ははは、どうもすんまへん。ところで度変窟烏峰宗匠の御意見を?……」
 きょとんとした眼で、清之助を見る。喜三郎の気炎にあおられて清之助が絶句すると、行仁和尚が苦笑いしながら言葉を添えた。
「まあそれより、喜三やんの用件を先に言いな」
「そうだっか、ほな申し述べさしてもらいますけど、そこで穴太を文化村にするためには何から手をつけるべきかとつらつら思案したんやが、見わたしたところ、穴太の連中ときたら文化とはおよそ縁のない代物ばかりでっしゃろ。行仁和尚がせいぜい漢籍を読むぐらいの素養で……あ、しまった、わしはその和尚から習うたんやった。後は斎藤源治はんところの養子の与四郎はんが中学を出たぐらいのもんや。詩とか和歌とか俳句とかあまり高尚なもんは、彼らの柄やおへん。ところが八木さんが冠句の宗匠やと聞いて、これじゃと閃いた。冠句、うん、冠句なら誰でも作れる。そこで手はじめに穴太に冠句のサークルを作ろうと思い立ったわけですねん」
 日本の文化革命と大上段にふりかぶったからには何事ぞと思えば、どうやら穴太に冠句会を作りたいと言うことらしいので、清之助はがくっとつんのめる気分であった。

 冠句については、今日ほとんど知られていないし、参考書も入門書もない現状なので、若干の説明を加えておこう。
 冠句は、笠付・烏帽子付・かむり付・かしら付などともいう雑俳の一種だが、戦後、NHKの「とんち教室」で冠づけとして盛んに行なわれたといったら「ハハーン」といわれる方が多いだろう。初期は、俳諧入門の一法として、前句付についで元禄頃から広く利用された。季感も季語も切れ字もない、その自由さが大衆に受けた。
 徳川五、六代将軍の頃は、入選者に賞金が出たりして、あちこちの冠句会に出ることを渡世のようにする者が出る始末で、幕府はしばしば禁令を発したという。赤穂浪士大高源吾の「なんのその岩をも通す幸の弓」という冠句も知られている。
 しかし文芸的には成熟を見ぬまま次第に衰え、近くは明治・大正年間に地方的に冠句熱を盛り返したが、現在はほとんど行なわれず、わずかに教団「大本」にその伝統を残すのみである。
 冠句の形式は、俳句・川柳と同じく、五・七・五の三句からなる。俳句・川柳との大きな差は、前者は「初雪」という題が出れば初雪に関したことを吟ずればいいが、冠句は題そのものを上の句とし、作者は中の句と下の句をつけ加える。題を上にして自分の句をつける姿が冠をいただく風なため冠句、逆に題を下にして上に五・七文字をつければ沓句となる。通常、良い句から順に、天位・地位・人位、これを「天地人三光明」と呼び、ついで軸とする。次に秀調、佳調、月並の句を平調、それ以下は没句とする。選の発表を「巻開き」と称し、天位になることを「巻をとる」という。
 八木清之助は喜三郎の意を察して、おもむろに言った。
「御趣旨はよう分りました。そこでわしに句会作りの協力せいと言わはるのやな」
「いや、それはわし一人でやります。度変窟烏峰宗匠には選をお願いしたいんや」
「しかし御承知やと思うが、わしは百姓のかたわら筆の行商をしてどうやら食うとるようなわけで、それに拝田村でも冠句を教えとるさけ、毎月の例会に責任持って顔を出せるかどうかもお約束でけしまへん」
「ああ、それは大事おまへん。宗匠の場合は言うたら箔づけのためで、大きな冠句会で年に一、二度選してもろたらええのや。並の句会には朝寝坊閑楽宗匠が選しよりますさかい……」
「なんや、そのずぼらな名前の宗匠は?……穴太にそんな宗匠おったかいな」と、行仁和尚がびっくりした声を上げた。
「いまんがな、いまんがな、ほれここに……」と喜三郎は自分の鼻の頭を指でさし、
「もっとも和尚が御存知ないのも無理はない。この名前はいま思いつきたてのほやほやや」
 清之助と和尚は二の句が継げず、自信に満ちた喜三郎の顔を眺めた。ややあって清之助が訊く。
「すると何でっか、上田さんは今までに冠句をだいぶやりなはったんですか」
「やりまっかいな。そやさけ度変窟烏峰宗匠にお初に弟子入りしますのやがな」
「……弟子入りして、すぐに宗匠?……」
「よろしやんか。別に家元があるわけやなし、要するに宗匠としての力量が問題や」
「そやかて、なんぼなんでも……」と、和尚がこだわる。
「会としたら、宗匠の多い方が景気がええ」
 行仁和尚はいささか坊主頭に来たらしく、開き直った。
「よっしゃ、そんならわしが試しちゃるわい。出題するさけ、一秒以内に答えるのやぞ」
「あれ、まだ教わらん先にとは、和尚も気が早い」
「うるさいわい。えへん、まず〝女房に〟でどや」
「女房にしてから器量わるく見え――」
「なるほど、こいつはおもしろい」
「おもしろいまっ最中に妻嵐――」
「うむ……と〝朝夕に〟はどうじゃ」
「朝夕に昼に三度の飯を食い……これでは曲がなさすぎる。やり直しや。朝夕に臭ても便所を訪問し――朝夕に木魚の割れ目で思い出し――朝夕に寝床で木魚たたく僧――どうにも品がようない。けど和尚のことやないで。一般論や」
 冠句の巧拙はともかく、湧き出るような作句ぶりに、清之助は舌を巻いた。
「分りました。上田はんなら初歩の人の手ほどきぐらい充分できるやろ。そこで朝寝坊閑楽宗匠としての指導方針をうけたまわりたい」
「冠句は大衆文芸の上乗なものである。俳句のごとく拘束なく、歌のごとく冗長ならず、しかもきわめて凡俗なるが故に、老人にも子供にも、男にも女にも、学あるも学なきも、誰でも作れるのが味噌ですなあ。その範囲が非常に広いちゅうところが、まだいくらでも進歩発達の余地があるわけや。そこで初代朝寝坊閑楽宗匠の抱負としてはですなあ……」
「ちょっと待ち。初代とは、つまり喜三やんのことか」と、和尚が口をはさむ。
「わしが初めて朝寝坊閑楽を名乗るのやさけ、わしが初代にきまっとりますがな」
「ふーん、まあ続けてくれ」と、和尚は毒気を抜かれて茶をすする。
「冠句は、奥さんとか女房とか言うところを、嬶とか嬶村屋とかわざと下品に表現して興がるところがある。それを朝寝坊閑楽が深く掘り下げて芸術にまで向上させようというわけです。たとえば出題も神とか人生とか真理とか……」
 きりなくまくし立てようとする喜三郎を、慌てて清之助がさえぎった。
「上田さんの芸術論はまたの機会にゆっくりうけたまわることにして、具体的に会を結成するとなると、まとめ役がいりまっしゃろ」
「それはもう決まってます。このわしが、つまり安閑坊喜楽が幹事役を引き受けますがな」
「安閑坊?……上田はんの号は朝寝坊やないかいな」
「ああ、朝寝坊の方は選をする時の仮の名や。投句する時の本来の号は安閑坊喜楽。今後はわしのことは、〝喜楽はん〟と呼んでもらいます」
「しかし上田はん……」
「喜楽はんと呼んでえな」
 清之助は苦笑して、
「それじゃ喜楽はん」
「はい……」
「つまり何ですな、安閑坊喜楽としてあんたが投句しなはった句を朝寝坊閑楽としてあんたが選することになりますなあ」
「まあ、そう言うことですわ。せっかく集句しても、巻をとる句がしょうもないんでは物笑いでっしゃろ。やっぱり安閑坊喜楽の名句も入れときたい」
「けどそれでは具合悪いことないか」と和尚が言う。
「朝寝坊閑楽宗匠としては、たとえ喜楽の句とはいえ、絶対に依怙贔屓しまへん。厳正至直に選するさけ心配ない」
「……」
「それから会の名前は偕行社。同人のほとんどが偕行小学校出身やさけ、これは文句おへんやろ。月に一ぺん出す句集の名前は〝あほら誌〟でどうでっしゃろ。顧問は行仁和尚、いや、顧問ちゅうても別に仕事せんでもよろし、資金さえ出してくれはったらええのや。どうせ働かんとお布施で食ったはるのやから、ちっとは社会に還元する必要がおますやろ。そや、例会の会場はこの穴太寺や」
「おい、待て。顧問のことも会場のことも、わしは初耳やで」と行仁和尚。
「わしかて初言いや。未来の文化村穴太の為に、それぐらい貢献した方がよろしやろ」
「そらまあなあ……」と釣りこまれて行仁和尚は承諾する。
「ほなこれで何もかも本決まりや。これから同人集めせんならん。度変窟烏峰宗匠、どうぞよろしく。ほなごめん」
 ぺこんと頭を下げていったん書院を出た喜三郎、再びそそくさと戻ってきて清之助に向い、
「大事なことを忘れるとこやった。わしはずっと前から宗匠の弟子やったことにしといとくれなはれ。何しろズブの素人がいきなり朝寝坊閑楽宗匠では仲間が承知しまへんやろ。わしが宗匠、あんたが大宗匠、そや、これで行きまひょ。その代わり、安閑坊喜楽の師として烏峰宗匠の名は後世まで残ることになりまっせ。あれ、話に夢中でお茶飲むのん忘れとった」
 冷えきった茶を一息に飲みほすと、あっけにとられる二人を残して喜三郎はとび出して行った。ややあって、清之助が呟いた。
「ほんまに阿呆かかしこか分らん男や。ともかく並の神経の持ち主やないのう」

 かくして明治二十四年秋、冠句サークル「偕行社」が結成された。撰者は度変窟烏峰宗匠(八木清之助)・朝寝坊閑楽宗匠(上田喜三郎)。社長に四十がらみの文学青年村上信太郎(八木清之助の次弟)を祭り上げ、幹事は安閑坊喜楽(上田喜三郎)――第一回冠句会は喜三郎が天位を得た。以来、冠句に熱中し、村でも「喜楽はん」が通り名になっていく。

 徴兵検査に乙種であったこと、喜楽はんと呼ばれて文化人気取りで悦にいっていること、ひまさえあれば本を読んでいることなど、すべて吉松には不満の種であった。
「本を読むひまがあったら、百姓に励め。学問などして、親の雪隠に糞たれんようになったらどもならん」
 吉松の口癖であった。その文句をきく度に、世祢は恐れるように面を伏せ、つらそうに涙ぐんで、おずおずと息子に哀願する。
「喜三や、お前は百姓の伜や。上田吉松の息子や。どんなに気ばらはっても蛙の子は蛙。羽をはやして空をとぶような高望みなど、起こさんといてなあ」
 宇能だけは違っていた。年老いて耳はひどく遠かったが、夜更けて本を読む喜三郎のために土器に灯油を足してくれたり、人知れず気を配ってくれた。反古紙があれば喜三郎のために大切にとりのけておいてくれた。その裏に、喜三郎はひそかに絵を描く。建築現場で拾った木片をけずって、胸ときめかして彫りつける。だがそれすら、吉松は許さぬ。苦心の絵を引き裂き、未完の彫刻はかまどの火に投げ入れる。
「くだらん絵など描きくさって、貧乏所帯がもてるけえ。この極道め」
 喜三郎は叫びたかった。
 ――父さん、目をこすって、世の中の大勢をちょっとは見てくれ。大日本帝国憲法は発布されたんやで。帝国議会かてひらかれたんやで。これからは全国の草莽が、お国のために立ち上がらんなん時代や。親の雪隠に糞たれるばかりが孝行け。この大事な時を車力と蛙とばしのみみず切り(百姓のこと)で過ごせちゅうのか。
 ――泥鰌みたいに泥の中をはいずり廻り、やれ田草とりじゃ、肥料や、水や、害虫やのと身も心もすりへらし、でけた米も大半は地主におさめ、屑米ですら新年までも食いつなぐだけ残りよらん。米を作る百姓が米を買う。米を作らぬ地主は、ぬく袖であり余るだけの米がころがりこんできよる。父さん、ほんまにこれでよいんか。それもこれも、百姓が勉強せんと、地主らの頤使に甘んじてたさけやんか。
 しかし理屈で父親に楯ついても、ぶんなぐられるのが落ちであった。

 喜三郎が成人した初めての夏――待ちかねた盆踊りの季節がやってきた。若人の情熱をかきたてる櫓太鼓が鳴り響く。この日のためにとっておいた新しい下駄をおろし、浴衣がけに赤襷、粋に裾をはしょって、胸はわくわく、顔はさも、さりげなさそうに集まってくる。
 斎藤家の広い庭の中央に例年どおりこしらえた音頭台には、太鼓のわきに酒が一升、唄い手ののどをうるおす分である。ひやであおって酔いにまかせて声を張り上げる連中の中で、喜三郎だけは饅頭を頬ばり水を飲む。下戸であった。しかし陶然と酔った気分は人一倍だ。
 踊りの輪は、三重、四重と熱気をこめた渦になる。ここだけで踊り足らぬ若者たちは、遠近の村々へ移動する。しょせんは異性の香にひかれ渡り歩くのであろう。踊り狂って夜明かしして、朝戻った時はおろしたての下駄がちびてはけなくなっていたという。
 騒音防止条例などのない、まことに古きよき時代のことである。
 夜ごとの踊りにもさすがに疲れのみえてきた晩夏、八月二十三日の踊りじまいの宵であった。
 喜三郎は踊りを抜けて、離れの前にある勝手知った清水の石段を下りた。半間四方ほどの石垣で囲った小さな湧き水のたまりである。手をひたすと、しびれるほど冷たい。疲れたのどをうるおし、清水にかぶさって低く枝のたれた楠の木陰に憩う。
 ここにいると、動の世界からふいに静の別天地に踏みこんだ感がする。「妙々々々」と単調なリズムが流れてくる。低くかすかではあるが、若人たちの喧騒とは全く別の、澄み切った声である。離れの間で、斎藤家の隠居直子が毎晩心を澄まし、一万回の妙々を唱えているのだ。
「おーい、川原に涼みに行こけえ」
「喜楽はーん、どこじゃーい」と友らの呼び声がする。
「ここや。先に行っとれよう」と答えながら、妙々に耳を傾け、喜三郎の腰は動かぬ。門を出て行く友らの足音が遠ざかると、白い浴衣の裾が近寄り、木陰の暗がりをのぞきこんだ。
「肉桂……肉桂とりに行かはらへん、喜三やん」
 はっと顔を上げると、音頭櫓の紅提燈の灯に輪郭だけ淡くにじませた蘭である。
「うち、先に行ってる……」
 囁くなり、返答も待たずに蘭は去った。すぐには、喜三郎は立てなかった。
 源治夫妻の意であろう、年頃になった蘭の身辺には、常に妹の栄がいた。栄と共に与四郎がいた。その上、夜ふけては、庭の踊り場からさえ姿を消した。言葉を交わす隙もなかったのだ。
 そうだ、肉桂があった。この家の下男であった十五の時、十二の蘭にせがまれて、よく中庭の奥の肉桂の根を掘ったものだ。二人でしゃぶった肉桂のつんとくる香気と辛みを思い出し、喜三郎は涙ぐんだ。
 踊りの輪をすり抜けてそっと西門を押すと、ぎいっときしみながら開く。それを後手で閉め、月明かりの縁と座敷をうかがった。人の気配はなかった。肉桂の大木が庭の半ばを濃いかげでおおっている。つつじの丸い植込みが続き、千両のおい茂った奥の石灯篭の足元に蘭はしゃがんでいた。蘭は無言でとびついてきた。月の光も届かぬ中で、おののきつつ、二人はひそと抱き合った。蘭の肌のぬくみ、髪の香りに魂も空をとびそうである。
「うち、毎晩、喜三やんにもろうた松と鷹を彫った煙草盆、抱いて寝てるの」
 耳元に甘くかおる息がくすぐったい。
「お蘭はん、煙草吸うのか」
「うち吸わへんけど、あの煙草盆、喜三やんが一生懸命作ってくれたんやもん……」
「そうか。そら、わしにしたら悪い気はせんけど、あれ四角うて固いし、あんなん抱いて寝たら痛いやろに……」
「ちょっとぐらい痛うても、喜三やんの代わりや思たら……」
「けどあれにはごつい字でわしの名前が彫りつけたるさけ、誰かに気づかれたら……」
 と、荒々しく西門が開いて、誰かがあわてたように入ってくる。与四郎だ。二人は息をつめた。互いの心臓の鼓動が雷のように響き渡る。与四郎は気づかず、とび石伝いに庭を廻って明智蔵の方へ消えていく。
「与四郎に見つかってもだんない。ここにいて、喜三やん」
 蘭は喜三郎の腕にしがみつき、必死になって囁く。が喜三郎は、己の労働のいやしい汗の匂いが急に恥じられて、いたたまれなくなった。蘭がかつての主家の娘であり教え子であったことにも、愕然として気がついた。与四郎の足音が戻ってくる寸前、喜三郎は蘭を突き離してとびのいた。
「今夜はあかん。こらえてくれ」
 夢中で米蔵の方へ廻り、植込みを踏んづけて逃げた。卑怯者と己れをののしりながら。

 悶々として寝られぬ夜が続いた。あの夜より、蘭は家に閉じこもって姿を見せなかった。さぞ恨んでいよう。突き離して逃げる時、蘭の泣き声を聞いたような気がする。せめて蘭に会って、一言許しを求めたい。恋しているのは自分だ。こんなに激しく狂おしく慕っていながら、身を投げかける蘭を抱き止めることもようせず逃げた、わが胸のうちを訴えたい。
 夜中に蘭の家のまわりをさまよった。米蔵の裏から忍び入って、肉桂の幹に抱きついて歯をくいしばった。表立って逢いに行く勇気はなかった。かつての主家の娘であることが、喜三郎の心を縛っていた。いつだったか、恋は盲目と誇らかに友らに宣言した。だがまわりのすべてに眼をつぶって、蘭だけを奪う、そんなことがどうしてできよう。情にまかせて散らすには、蘭はいとしすぎる。奪ったのち、どんな幸せを与え得よう。己れの独力で蘭を養うどんな術があるというのか。二十一歳の小百姓の小伜はふるえて泣く。
 ――私は必ず出世する。出世した暁には、あなたを堂々と妻に迎えに行く。それまできっと待っていて下さい。
 喜三郎は筆を走らせる。が、水茎の跡の乾かぬ間に破り捨てる。出世? いつ、どうやって? いったい、いつまで待てと蘭に言うのだ。幾度書いても同じこと。絵空事だ。さげすまれても仕方ない。おれは弱虫だ、卑怯者だ、男の中の屑だ。
 八文喜三は、また一段と呆けたように空行く雲を眺めていた。稲は重く穂をたれ、悩む一時の間も許さぬ穫り入れの季節がもうやってくる。

 ある日、喜三郎は先祖から伝わる胯矢をとり出し、久兵衛池の真鯉を狙って突き刺した。氏神の祭礼の日のために父が大切に飼っている鯉であった。仕止めた鯉は和一郎の家に持って行き、鯉こくにして共に食った。
 明日は祭礼という日、吉松は鯉が一匹足らぬのをみつけて、ぼやき出した。と、和一郎の弟徳やんが顔を出して、ぶちまける。
「あんなあ、言うちゃろか。せんに喜三やんが持ってきて、兄さんと一緒に食てもたわ」
 聞くなり喜三郎は横っとびに逃げ出し、和一郎の家に隠れた。夜になって、和一郎をなだめ役に先に入れ、喜三郎は軒下にたたずんで、わが家の気配をうかがった。和一郎のしどろもどろの声が聞こえる。さいわい亀岡の伯母岩崎ふさと船岡の叔父佐野清六が祭りのためにきていたので、吉松の怒りはうやむやのうちにおさまった。
 翌日の秋祭りには、ぜんざい餅と鯖ずしをつめこみ過ぎて、三、四日はピーピーと鵯の谷渡り(腹下し)である。
 谷渡りがすむと、柴刈りだ。快調となった腹の運動に、高らかに一発放屁した。折あしく背後で柴刈っていた爺さんが怒って鎌をふり上げ、帯を切った。切られた帯をつなぎ合わせて帰ると、吉松に気づかれ、わけもいわぬ先に煙管がとんできた。
「また下手くそな相撲とりくさって」
 喜三郎は弁解しなかった。誤解をとけば、また煙管がとぶばかりだ。おでこのこぶに唾をつけながら、心の中で呟いた。
 ――父さんかて、都鳥の四股名で若い頃よう相撲とらはったそうやんか。先祖代々好きな相撲やさけ、わしかてとりたいんや。
 ここで喜三郎のため一言つけ加えたい。いまでは、喜三郎の方が父より遥かに体力はすぐれていた。抵抗すれば、拳固や煙管のつぶては軽くさばけたろう。しかしそうすることなど、考えもしなかった。なぐられっぱなしか、さもなくば恐怖や自責のために逃げ出すだけだった。
 どんなに叱られても、性懲りがない。屋根裏に行司の団扇が三、四本、くすぼったまま投げ出されていた。上田家は祖父の代まで三、四代、宮相撲の行司役をしていたのだ。喜三郎は行司団扇をそっと取り出し、辻相撲に使った。煤けた団扇を川水で洗うと、もろくも破れた。その部分に紙を貼って墨で黒くよごし、屋根裏に返しておいた。父に見つからぬかと、しばらくは屋根裏をみる度にびくびくしたものだった。

 この秋、また接骨医の世話になった。松葉かきに行き、恋しい蘭の面影を追って歩き、岩の上から足を踏みはずしたのだ。谷に落ち、足の筋を痛め、越畑の名医には懲りていたので、村の接骨医の平助爺さんにかかった。七十に余る爺さんは、年齢に似ぬくそ力で痛めた足をひねり、ますますこじらせてしまった。晩秋の二月余、立てぬまま家で寝た。谷に落ちこむ心配もなく、存分に蘭を抱き空想の羽をのばす。
 あれはもう六年前、深夜の斎藤家の下男部屋、松の木に羽を休める一羽の鷹の図柄を自作の煙草盆に彫刻していると、蘭が忍んできて乏しい灯りに油を足してくれた。完成したら蘭にやる約束をした。十二の少女に使い道などないのに、蘭はでき上がった煙草盆を胸に抱きしめ、撫でさすっていとおしんだ。十八になった蘭は、今夜もあれを抱いて寝ているのだろうか。それとも気づかれて取り上げられたろうか――。
 多恨の血のたぎりはうっすらと涙になる。こうしてはおれぬ焦燥の思いが、激しく喜三郎の全身をかむ。
「おい、兄貴、よい話、教えたろか」
 由松がにやにやしながら、喜三郎の枕元にあぐらをかいた。
「聞きとないわい」
 また嫌がらせにきまっとる、と喜三郎は背を向けた。由松は中腰になって去る気配をみせながら、
「お蘭のこっちゃ、聞きたないのけ」
「な、なんやて、おい……」
 喜三郎は向き直る。
「へへっ、顔色が変わったの。お蘭が何しよと兄貴には関係ないやんけ。それとも兄貴、お蘭となんぞあったんこ?」
「お蘭はんはそんな娘やないわい」
 由松の卑しげな薄笑いに反撥して、喜三郎は断言した。由松の眼がきらっと光る。
「やれやれ、そやろ、そやろ……」
「由松、はよ言わんかい」
 焦れて、喜三郎は痛い足を投げ出したまま、上半身を起こす。
「娘十八、番茶も出花や。おっと、番茶どころか、まず村では玉露ちゅうとこや。摘むなら早いが勝ちやった」
「お蘭はんが……」
「与四郎にいかれてもたわい。もうすぐ結婚式やと。なんで急ぐにゃろと思たら、へへっ、腹ぼてになっとんやて。どや兄貴、おぼえはないか」
 由松は兄の顔をのぞきこむ。
「もっとも小作の伜、おまけに斎藤家の元下男喜三公では、手も足も出んのう」
「あっちへ行け。眠いんじゃ」
 喜三郎は頭から蒲団をかぶった。
 ――ほんまやろか、お蘭はんが……。
 珍しく真剣な由松の眼であった。嘘をついている顔ではない。無念の涙がふき上がる。出世した暁にこそ蘭をと念じていたのに、彼女はすでに成熟していたのだ。盆踊りの最後の一夜が瞼に浮かぶ。蘭を与四郎に突きやったのは、わしではないか。子を、与四郎の子を。いずれはそうなる運命だったのだ。許婚の仲であれば、むしろ祝福してよいではないか。なに咎めることができよう。喜べ、喜んでやれ。己れに命じながら、世の中が急激に光を失っていた。何もかも失って闇となった思いに慟哭した。

 斎藤家の婚礼の賑わいは、寝ている喜三郎の元にまで伝わってくる。蒲団の中で輾転反側した。美しい花嫁姿の蘭、子を宿した蘭の幻影に苦しんだ。
「兄貴、よう兄貴……」
 また由松だ。
「腰抜け兄貴、お蘭を取り戻す気ないのけ」
「じゃかましわい」
「河原に失恋組が集まっとるぞ。やけ酒やない、やけ醤油の飲みくらべやて。醤油屋の五助が一升持ってくるそうや。一等には一円の賞金がついとるぞ」
「……」
「式をぶっ潰しに行くか、そやなかったら河原へ行け」
「足が痛とうて動けるけえ。それよりお前こそ……」
 言いかけて言葉をのんだ。由松の顔に走る痛みを見たのだ。蘭と由松は同い年で、学校でも机を並べていたが、意地悪ばかりする由松を、蘭は嫌っていた。そうか、あいつも好きやったんか――。
 喜三郎ははね起き、杖をついて、足を引きずりながら表へ出た。満月が青白く光と影を分かっている。すすきの白い穂をかきわけて、やっと河原に下りる。車座になった人影が五、六……歓声を上げて喜三郎を迎える。由松はいない。どこかでやけ博奕であろう。
「よう来れたのう、その足で……」と和一郎は言う。重太郎も嬉しげに、
「これで蘭に未練のある奴はみな来よった」
「へん、喜三公、心の妻やなんてうまいことぬかしくさって、お蘭の薙刀が与四郎の一本差しに、いかれてしもたやんけ」といまいましげに太吉が嘲ると、他の連中が馬鹿声で笑った。
「さあ、飲もけえ。くそ、負けへんぞ」
 喜三郎は腹をすえた。弟由松の分も飲まねばならぬ。死んでもいい。一同で出し合った金が一円、車座の中央に置かれた。醤油を茶碗になみなみついで、それぞれに飲みほした。一杯目をむりやりのどに流しこむ。一杯目を何とか飲んだのは、喜三郎のほかは太吉だけであった。二杯目がつらかった。死ぬ苦しみを味わった。あとは他人のことなど分からぬ。夢中であおった。和一郎が喜三郎の手から茶碗をもぎ取り、掌に一円をにぎらせる。五合飲んでいたのだ。
 金を捨てて、喜三郎は足をひきずり川辺に走った。すでに太吉たちが景気よく吐いていた。喜三郎は、流れに首を突っこんで、川水をがぶがぶ飲んだ。のどのひりつく痛みと乾きが、飲んでも飲んでも襲った。布袋腹がぼてぼて揺れる。飲むのは苦しく、飲まぬのはもっと苦しい。このまま大蛇になって淵に沈むのではないかと思った。
 友達に両脇から抱えられ、げろげろ吐き通しながらやっと裏木戸から入り、這うようにして蒲団にたどりついた。夜中、ひっきりなしに雪隠に通いつめた。恋しい人の婚礼の夜も、いまの喜三郎の頭には遠かった。失恋の悩みも、肉体の苦痛の前にはかすんでいく。
 また半月、喜三郎は、病床に呻吟した。半月目に、吉松は醤油飲みの噂を聞きつけ、喜三郎の病因を察して激怒した。病床から追い出された喜三郎に、麦まきが待っていた。由松と並んで、力ない体に鍬をにぎった。三男幸吉はすでに佐伯村に奉公に出て、穴太にはいなかった。

物ごころさとりはじめて夜遊びに
赤毛布肩にかけて出でたり
毛布裏に小砂利や木の葉の附着せるを
翌朝見出でて顔赤らめつ
夜遊びに毛布かかえて出る奴は
男惣嫁よとわらう友がき

 喜三郎自作の歌である。惣嫁というのは路傍で売淫する最下級の売春婦のこと。
「ここがええ。ここなら誰にも邪魔されんとラブを語れるし、池の眺めかて最高や」
 喜三郎は肩にした赤毛布を地に敷くと、先に坐って女を招く。
「かなわんわあ、こんなとこ。虫にさされへんやろか」と女は口では躊躇をみせながら、はち切れそうな肉体で喜三郎にすり寄ってくる。背景はうっそうとした樹々。前面は蓮池。星くずが空一ぱいに広がっている。
「あんたへえ、ほんまにうちが好きかいさ」
「好きや、好きやさけ、こうして会うてるにゃんか」
「ほんまかいさ。嘘いうたら承知せえへんえ」
 押しつけてくる女の熱い頬のでこぼこは、いまを盛りのにきびのせいであろう。
 和一郎や重太郎や他の友達はとっくに童貞を破っており、金があれば亀岡や京都まで足をのばして曖昧屋に首をつっこんだり、夜這いを敢行したりしていた。喜三郎のみ、彼らの誘いにのらず、臆病者よと笑われながら一人蘭を想って身を清く保っていたのである。
 その喜三郎の童貞が誰によって失われたかは明らかではない。恋しい人に会うと物も言えぬうぶな男が、失恋の深傷をおうや一転してドンファンに変わっていた。何事にもせよ、右から左へと振幅の度合いの大きいのが喜三郎の特徴である。
 当時の農村、特に穴太では、いざ結婚ともなれば、株とか家柄とか財産とかに束縛されひどくやかましかったが、それはそれとして男女の性生活はまことに解放的であった。日常の普通の会話でも、性器そのものの名前がしきりにあらわれる。
「穴太よいとこ女の夜這い、男寝て待て後生楽」この歌は、穴太のかわりに別の地名を入れ替えるだけで、全国各地でうたわれているようである。しかし当時の穴太はまことにこの歌の通り。性の乱れ云々と道学者流にひらき直るほど淫靡なものでなく、娯楽のない農村では、おおらかな青春の捌け口であった。人里をちょっと離れれば、どこにでも男女のひそみ伏す木かげや草むらがあった。意気投合したら昼休みに田の畦ででも寝たもんやと古老は懐かしむ。
 穴太の隣村、薭田野村大字佐伯村、田野神社の佐伯燈籠祭は、古い歴史を持つ天下の奇祭である。この儀式は深夜に行われるのが特徴であるが、この夜は女をさらってもよいという古くからの習慣があったらしい。八月に入ると、丹波路の話題はこの祭に集中し、穴太の若者たちもこぞって参加、翌日は、ほらもまじえた手柄話に花を咲かせた。
 こういう土地柄だから、若者たちの間で、征服した女性の数を誇り合う風潮があった。醤油飲みにも命をかけかねない喜三郎だ。一旦童貞を破っておそまきながらスタートを切ると、この競技に猛然とハッスルした。競技である以上は、個々の美醜を意にしなかった。
「人の嬶でも、後家でも、婆でもかまうけえ。穴太中の男以外は全部わしがいてこましたる」と放言、実行にふるい立った。夜這いも盛んであった。
「敷居に小便こいて、戸をあける時に音のせぬような配慮をしたんやで」と晩年になっても、喜三郎は当時の苦心談を語り聞かせたものだ。
〈今業平〉と自認し、才智と機転に富む喜三郎が相手選ばずアタックするのだから、征服は容易であったらしい。もっと後になって、喜楽亭なる小屋に一人で寝泊りした夜など、歌の文句そのままに女の方から夜這いに来た。
 ある夜、別々にしのんできた女が喜三郎の寝所で鉢合わせし、女同士つかみ合いの喧嘩をおっぱじめた。さすがに喜三郎、頭かかえて逃げ出して、一夜野天で寝たという。その奮迅ぶりと成果の目ざましさに、さすがに村人たちもあきれて、〈ボボ喜三〉なるまことに直截な綽名を呈するが、喜三郎は女性征服の月桂冠として、むしろ甘受するのだった。

要領を得んと思いてふだんから
不得要領の仮面をかぶる
山に寝ね草に伏しつつ若き日の
人目をしのぶラブ・グロテスク
若き日のラブイズベストをとなうれど
会心の者なき田舎かな
二世ちぎる細し女なきを嘆きつつ
われ若き日はむなしく暮れたり
玉の緒の命のラブはうばいさられ
やむをえずして屑のみ拾う

 話がそれている間に、赤毛布の上の喜三郎と屑とうたわれた女の一人があい擁し、熱してくる。と、急に足音がして、背後の繁みがざわついた。二人ははっと離れ、一散に里への道を逃げ出した。
 惜しい思いで女と別れると、喜三郎は置き去りにした赤毛布が心に残ってならない。とぼとぼ引き返し元の場所へくると、赤毛布が消えている。梟があざけるように鳴くばかり。
「くそったれ、梟まで馬鹿にしくさる」
 ふくれて石を池に蹴り込む。ふいに背中を叩かれ、喜三郎はとび上がった。
「喜三やん、この毛布、もういらへんのかいさ」
「あ、お仙はん」
 喜三郎はきゅんと小さくなった。仙の手には、先ほど忘れた赤毛布がある。それは仙のプレゼントであった。
「うち、これ返してもらうえ。喜三やんには、お邪魔らしいもん」
「そんな……大事やと思えばこそ、わざわざ引き返して赤毛布取りに来たんやないけえ」
「にくたらしい。うち、喜三やんほど箸まめな人、知らん。そらなんぼ女を抱かはったかて男はんの甲斐性やさけ、なんにも言わへんえ。それでもこの毛布の上でなんて……これはなあ、うちがあげた真心やのに……」
 仙はしくしく泣き出す。平あやまりにあやまる喜三郎。
「喜三やんの浮気が直るまで、うち、この毛布あずかっとくえ」
 しゃくりあげつつ、仙はしなをつくって横目でにらむ。
 ――浮気やなけりゃ、お前らとこんなことせんわい。
 思わず言いかけて、喜三郎はあわてて言葉をのんだ。
 翌日、穴太寺の庫裡で友達と無駄口を叩きあっていると、和尚に用事があって八田きわが入ってきた。かつて突然に結婚して若者たちに衝撃を与えた美貌の女性である。一女を産んで四年足らずで離婚。ますますつやを加えた独り身の二十六歳。このきわも、いつ渡りをつけたのか、すでに喜三郎との噂は広まっていた。
「おい、喜三やん。誰やらが来たぞ。みろやい」
 喜三郎ちらとふり向いて、
「もっときわ(傍)へこんと分からんわい」
 この話は、喜三郎の機転のきく一例として、今でも穴太の年寄りたちの一つ話になっている。
 秋が深まると、辻の藁小屋で、夜ごと交代して稲の番がある。里に降りてきて藷を食いあらす猪や、稲掛けの稲を盗む不心得者を防ぐためだ。喜三郎の番のまわってきた夜である。退屈紛れに畦の枝豆を抜いてきて、土堤で火をたきほうりこむ。藁が燃え尽きると、畦豆がはじけたまま焼けて残る。藁灰の中から焦げ豆を選び出して口にほうりこむ。灰だらけの豆をかんでは、黒い唾液をプップッと吐き捨て、何の変哲もない田の面をみわたす。
 霜おく夜半になると寒さが身にしみる。藁小屋の藁の中にもぐって頭だけ出し、ついうとうとしていると、番小屋の戸がかたかたと鳴る。眠い眼をこすりこすり、藁戸をあける。
「あ、お仙はん、どうしたんや」
 仙が赤毛布を抱きしめながら、うなだれている。
「喜三やん、かんにん……」
「な、な、なんでや」
「うちなあ、一人で稲の番してはって、喜三やん、さぞ寒いやろと思うと心配でかなんかった。いけずして毛布とり上げてかんにんやで」
「なに寒いことあるけえ。さっきからお仙はんのことばっかし思とったら、胸が熱うて、裸になろうかと思とったぐらいや」
 出まかせを言いながらも、仙のやさしい心根にほだされ、本当にいとしくなる。仙を藁小屋に引き入れて、赤毛布を敷く。朝日がすき間からまぶしく洩れ入ると、仙は未練げに藁くずをはらって起き上がる。仙の顔は、喜三郎の口のまわりの藁灰が移動してうす汚れている。笑い合いながらむつまじく小川で顔を洗った。
「喜三やん、お願い。これぎりほかの女に心をうつさんといてや。な、指切りしてえさ」
「よっしゃ。今日からはお仙はんだけがわしの女子や。一句できた。『いやなれば花としてみむ蕃椒』、どや」
「おうきに、うち、喜三やんの女房やなあ」
 仙は喜三郎の小指にひしと小指をからませる。あやうく二世をちぎろうとして、喜三郎は口ごもった。赤毛布を女の真心と思えというこの女性を妻として、一生を穴太の土にうずめる気か。幼い頃から夢みてきた大望を捨てて。
 急にうろたえ、跪いて、仙を拝まんばかりに言い出した。
「嘘や、嘘や、今のは嘘や。わしはまだ、嫁はんもらうことなど考えてへんで。独り立ちでけるまで妻はもらわん。頼む、今の指切りとり消してえな」
 そういう時は田舎のドンファンも形なしで、全く情けない、くそまじめな顔になる。
「知っとるえ、喜三やんのは遊びや。けど何でか知らん、うち憎めへん。遊びでもよいさけ、お願い、うちのことも思い出したら、たまには抱いてえさ」
 仙は赤くなって、目の前にある喜三郎の頭をかき抱く。
 こんな放埒な日々を送りながら、当時を回想してぬけぬけと喜三郎はうたっている。

吾わかき時より神の守りけむ
いまだ女難にかかりしことなし

 女性への耽溺にかけた息苦しい情熱は、冬がやってくるまでに冷えていた。ちょうど足が泥沼の底にふれたように、急に底を蹴上げて浮き上がり、正反対の清冽なものへと激しく焦がれる。
 変わり身の早さは、よしあしを除いて若い日の喜三郎の根を肥やしていく。

 その冬、喜三郎は、村人たちに「迷信家よ」と笑われつつ、夜な夜な産土さまに日参した。

われを世に立たせ給わば百倍の
御恩返しをなすと誓わん

 いつわらざる喜三郎の心境であった。利をもって神にかけあう。
 ――信仰はまだその程度に若かったが、応答を求め神の門戸を叩かねば止まぬ激しさがあった。
 ある夜半、長い祈願をこらして面を上げると、大樹の根方を離れて動くものの気配があった。
 目を凝らすと、星明かりに人影が――女がにじり寄る。
「喜楽はん、喜楽はん……」
 喜三郎の冠句の号で呼んで、嬉しげに含み笑った。髪がほぐれて、背の半ばまで散っている。
「なに祈らはったか、うち、知っとるえ。女がほしいんやろ、なあ、喜楽はん……」
 喜三郎は全身をこわばらせて、後ずさる。女の熱い息がすり寄ってくる。
「誰も見とらへんさけ、うちを好きになってもだんないで」
 やにわに抱きついてきた。狂女だ。失恋の果てに狂ったという噂の女だ。喜三郎はねばりつく女の腕をふりほどこうと焦る。
「くくくく……」
 梢に鳴る風の音も、狂女のくぐもる笑いも寒けだつほどいやらしい。
「いらん、女はもう卒業したんや、げっぷがでるほどや。はなせ、はなしてくれ」
 やっとの思いで突き倒し、社殿の石段を駆け下り、境内をつき抜けて化け燈籠の影にへばりつく。燈籠は油を節して灯はともっていない。
「喜楽はん、喜楽はん……」
 叫びながら化け燈籠の横の石段を上がりきり、また下りてきて、鼻をならした。
「人くさい、ふん、ふん……なんで逃げはるんや」
 化け燈籠の向こう側から、白い手がのびる。あやうく身をかわして逃げ、犬飼川の土手を滑り下り、夢中で薄氷のはる川にとびこんだ。やっと対岸にはい上がり、振り向くと、狂女は声を上げて手招いている。ずぶ濡れになって歯をかみ鳴らしつつ、遠まわりして家へ帰った。
 次の夜、小幡神社の参道をこわごわのぞく。拝殿の脇に、たしかに昨夜の黒い影が――草むらに伏し、あわただしい黙祷を捧げると足音を忍ばせて戻った。深夜の境内に、狂女があきらめてあらわれなくなるまで、喜三郎は何日も遥拝だけですました。
 霜の降るある夜、喜三郎は神前にぬかずいていて、不思議な幻影をみた。駒のひずめのかっかっと冴えた音が近づく。はっと身を起こすと、闇の中に浮き出たのは、白馬にうちまたがった異様な神人であった。神人と白馬はそのまま社殿に吸いこまれるようにかき消えた。喜三郎は畏れてひれ伏した。

 八木、新庄を経て、橋のない大堰川(保津川上流)を船で対岸に渡り、田道を歩いて、三里半の道をしばしば船岡へ通った。船岡は、父の郷里である。叔父佐野清六は、生まじめで篤信の妙霊教会布教師であった。喜三郎が来ると、清六は、同じ家並にある船岡分教会に連れて行った。この年に建ったばかりの教会は、真近にせまった低い山なみと田畑の中に木の香も新しい。喜三郎は、叔父と共にこの分教会を設立した山田甚之助に教義について教えを乞うた。
 甚之助は、岸本勇助の導きで若い頃に入信している。母兼が喘息を病んでいたので、ちょうど佐野家に滞在し布教中の岸本に祈祷を求めた。岸本は兼の顔をじっと見て宣した。
「あんたの喘息は、わしが拝んでもあかんわ。あんたの息子はんが入信したら、病気はすぐにも治るけどのう」
 兼から岸本の言葉を聞いた少年甚之助は、眉唾ものとしか思わなかった。山師の仮面をひっぱがす気で、甚之助は岸本に面会を求めた。しかし岸本に会ってその人柄に打たれ、素直に神に向って「妙々々」と一心に唱えるうち、母のしつこい病気が癒えたという。以来、甚之助は熱心な信者となり、長ずると佐野清六と手をたずさえ、口丹波地方の布教に功績を残した。
 甚之助は喜三郎の才能に惚れこみ、叔父とともに、口を酸くしてすすめた。
「岸本先生はのう、喜三やんのことを『まれに見る天才で、神に仕えるほか道のない男や』といつも言うてはるで。そやさけ、絶対にこの教会の布教師にならなあかん」
 帰途は、大堰川を船で下った。船頭が竿をあやつって早瀬をたくみに乗り切る。そのスリルが喜三郎の何よりの楽しみであった。宇津根の浜に上陸すると、もう穴太までひとっ走りだった。

 世祢が、顔色を変えて身じたくしている。上の姉賀るが病気と知らせが届いたのだ。一里余の千代川村今津まで、世祢は身重の体もいとわずに通い続けた。母と交代で、三日おきに喜三郎も伯母を見舞った。みすぼらしく荒れた家に、賀るは痩せ衰えて一人病みふせっていた。夫は野良へ出ていない。
「喜三や、会いとうて夢見てたわ。よう来てくれはったなあ」
 賀るは、なつかしげに骨ばかりの手をさしのべる。目尻のしわに涙がたまる。が、起きる気力は失せていた。
「伯母はん、どこが悪いねん」と喜三郎が細い手首を握って聞いた。
「ここや、ここにお狐さまが入りなはって暴れはるさけ……」と言いながら、そこだけふくれた腹部を苦しげに押える。
「ごめんやす」
 野太い声の老婆が声と共に上がりこんで、さっと大幣をうち振り、大仰に呪文をとなえ始めた。稲荷下げの祈祷がはじまると、賀るは呻きをあげ、形相凄まじく転げ廻る。棚の上に祀ってある大きな稲荷の祠に気がつき、喜三郎は暗然とした。もだえ狂う伯母を前に、なす術もない。額に油汗をにじませて、ただ伯母の苦痛の軽減を祈るばかりであった。
 今津へ行くたび、喜三郎は稲荷下げの老婆に出会った。老婆の自信に満ちあふれた態度に、喜三郎まで伯母から狐が離れる日を半ば信じた。しかし暑い夏を越せず、賀るは死んだ。五十八歳である。
 賀るに憑いた狐がその肉体を離れた途端に息が絶えたと、稲荷下げの老婆は主張する。ぺちゃんこになった賀るの腹部を示し、狐はたしかに離したが、入れ代わりに賀るの魂が戻ってこなかったのだと。賀るの夫はその言葉に納得し、老婆をねぎらった。世祢は号泣した。こんな激しい感情をみせる母を、初めて喜三郎は目撃した。
「堪忍して。うちが姉さんをこんなにした。うちが悪いのや」
 世祢は叫び続ける。腹の子を案ずる吉松に抱きかかえられ、やっと通夜の席から去った。
 父に叱られて殿山に逃げた喜三郎に、「一緒によそへ行かへんか」とさそった伯母、四十過ぎてひっそりと心細げに嫁入った伯母……嫁にいってからも子に恵まれず、幸せだったとは思えない。花も実もない伯母の人生を想うと、喜三郎は長姉をさしおいて婿をとった母にもまして、己れの責任かのような苦痛を覚えた。己れの無力を憎んだ。たかが畜生狐のために、伯母の命を――。
 無智な農村にはびこる狐狸の類が人を惑わし、つけ入って仇なす力の激しさに、喜三郎は憤然となった。
 伯母の死をみつめると、神霊の実在すら疑わしく、虚しく思える。しょせんこの世は自分を信じ、自らの力をたのむ以外にないではないか。夜ごと神助を乞いに通った産土の神に対する燃えるような信仰心まで、はかなく揺れ動くのを感じた。
 友と相撲やエロ話に熱中する代わりに、人生について真剣に語り合うことが多くなった。柴を刈り終えて友らと一服しながら、小作の伜貞吉はいまいましげにぼやく。
「わてんとこのお袋、また腹ぼてじゃ。兄弟がせんぐり殖えて、その厄介がみな長男のわてにかかる。親の一時の慰みのために――あんまりやと思わんか。おまけにあいつらがごつう(大きく)なりよったら、嫁や婿やとありもせん財産持っていきよるんや」
「ほんまやのう、よい年さらして孕みよる親の顔みたら、けったくそ悪いで……」
 繁蔵が相槌を打つ。
「女いう奴は何であんな仰山孕みたがるんやろ。けったいな動物やで」
「一人でも身内が殖えたら、心強うてよいがのう」と喜三郎。
「そや。喜楽はんとこのお袋も腹ぼてやんか」
 気がついたように和一郎が言った。
「そやさけ毎晩、わしは産土さまに安産祈っとる」
 世祢は四十五歳、六人目の子をみごもっていた。母の安産ばかりではない。この五月に出産した蘭の時にも、安産を願ってひそかに産土参りを続けていた喜三郎だ。
 貞吉がつっかかった。
「せんぐり子ができよって貧乏の上塗りするのが、喜楽はん、そんなに好きけ」
「貧乏の上塗りしてもかまへん。それより子を産む元気な親が、わしは嬉しいのや」
 いっとき、みんなは押し黙った。
「喜楽はんの気持ちは分かる。そやけど、人は殖えても田畑は増えん。大地主はよいけどわしら小作百姓はどないなるんや。みなが喰いつめて、飢え死にせんなんじょ」
「殖えたら殖えただけ人間は努力する。むざむざ飢え死ぬかい。どんどん農業技術は改良されるやろ。仕事かて、百姓ばかりやない。人手を要する工業が発展する。土地の上に並んで住むのばかりが能やないで。空があいとる。立体的になってくやろ。そのうち丸薬三粒も飲めば腹のふくれるような食糧かて発明されるやろ」
「どえらいこと言うで、ふーん。ほんまになるやろか」
「なる。日本は確かに狭い国やが、貧しい国やないで。不毛の地というのは、この辺でいう荒地の事やのうて、物を植えてもできん土地のことや。禿げ頭に毛がはえよらんやろ。耕してみても、植えてみても、一向植物が成長せん土地や。砂漠いうてなあ、一年に二、三度よか雨が降らん。土はのうて乾いた砂ばかりじゃ。日本全体がすっぽり入るような砂漠が世界にはなんぼもある。シベリヤのツンドラ地帯かてそうや。一年中、寒うて植物が育たん。苔みたいなもんが生えとるだけや。中央アジアやヨーロッパ、アメリカ大陸などの高原地帯かてろくな作物はでけん。そんな国は、どんなに広うても富んだ国とは言えんのや。けど日本をみい。雨は適当に降ってくれる。一年中作物は育つ。おまけにすばらしい四季の移り変わりや。どんなとこでも草木は繁茂しとるやろ。海岸線も長い。つまり入りくんだ凹凸が多いさけ、海の幸も多いわけや。山の幸かて同じやで。山岳の多い国もまた広い富める国といえる。山岳を平面積に直してみい、日本はずっと広くなるやろ。それだけ産出物も増えんなんのや。豊かな海、広い山々を領する緑の国日本は、ちっぽけにみえとってその実、なかなかの広い国、底力を有する国ちゅうことになる」
「ふうん、けどなんぼ先生しとったかって、喜楽はんはわてらと同じ穴太のぐるりよりほか見たことないやろ。なんで日本や外国のことまで分かるんやろ」
「そら本読んで世の中を見渡してみいや。誰かて分かるこっちゃ」
「それならわしらは何でこんなに貧乏なんじゃい」
「富の偏在が第一や。穴太村をみい、百二十三戸あるが、三十六戸はその日が暮らせん貧農や。大地主の斎藤一族だけで穴太の財産の三分の一を占めてるやないけ。わしらかて、その日が暮らせん三十六戸とちょぼちょぼや。若うて元気やさけ、何んとかその日かせぎで食ってるだけや。富が少数のもんに独占されとるのは穴太だけやない。日本中がそうや」
「ほんまやなあ」
 貞吉が手を叩く。
「それから、せっかくの日本の地勢も十分にまだ生かされとらん」
「わてらにどうせい言うのや」
「親が子ふやすのぼやいとるだけではあかん。優秀なる子孫を産み殖やしてどんどん学問させる。人間のみる夢ならすべて実現は可能じゃ」
「……」
「わしはよう夢をみるで。例えばやのう。海底の鉱脈を掘り起こすのや」
 貞吉があきれてさえぎった。
「お前、山師とちがうんこ? 夢は夢、現実は現実や。穴太かて、わてらの子供の頃から今までちっとも変わらへん。親父や爺さんがやっとった通り、泥田に這いつくばるばかりの小百姓やんか」
「もうちっと待てい。わしが穴太の農業、いや、日本の農業を変えちゃる」
 喜三郎は決然と言いはなった。

 九月、母は六番目の子、次女君を産んだ。その元気な産声を聞くや、喜三郎は産土さまへとんで行き、嬉しげに感謝の祝詞を捧げるのだった。
 たわいないいたずらに熱中していた十代をぬけて、初恋に破れるや女あそびに憂身をやつし、信仰にほうけ、今は一転して農事改良家――その時、それぞれに喜三郎は夢中になる。友達に大きな口をきいた手前ばかりでなく、牛馬にも似た激しい百姓の労働は、自分のためにも軽減せねばならぬ。まず農具の改良発明こそ焦眉の急と信じた。喜三郎は労働のあいまに頭をしぼった。
 鍬の幅が狭すぎはしないか。もしこれが倍の幅であれば、一打ちで倍の土が耕せる。振り上げる鍬の重さはいく分増えようが、倍仕事がはかどれば、半分の労力で済むはずである。小学生でもできる算術だ。百姓は慣習から抜けきれないから、これほど簡単な考案さえようせぬ。
 思いつくと待ったなしだ。父の妹小石が嫁いでいる隣村の薭田野村柿花の鍛冶屋西田へ走り、首をかしげる西田にかまわず、新案の鍬二十丁ばかりを後金で注文した。でき上がった鍬はやたらに幅の広い代物だった。喜三郎は〈上田式能率鍬〉と称して村中を売り歩いた。結果は散々であった。振り上げるには重すぎたし、深く土中にささった鍬は抜くのに手間がかかる。こぜて起こすと、鍬の柄は元から折れてしまう。すぐに廃物となってしまった。
 鍬にこりずに、次の考案にかかった。上田式米搗き機である。子供の頃から喜三郎は、家の土間にうめ込まれた唐臼の米を踏んで精白し、その足のだるさに泣いてきた。もし前後に唐臼と杵を置けば、一度の労力で二度搗ける道理だ。喜三郎は村人を集めて、上田式米搗き機の説明会を開いた。なるほど理屈はそうでも、ただでさえ重い杵を踏むのに前後に力を入れたのでは、体力は倍を要した。結果は失笑を買い、〈米喜三〉という綽名をたちまち追加される羽目となった。
「楽して働こうちゅう了簡で百姓できるかい。この恥さらしめ」と父は怒った。

このほかに二三の農機具の発明を
考案したれどいずれも失敗

 どうもわしは理化学的な頭脳はもちあわせていないらしいと喜三郎は悟った。農事の改良はあっさり他に任せることにして、兄弟が殖えれば心から喜びあえる社会、働くものが働いただけに見合う収入を得る世の中にするために社会制度の改革を考える方が適任と、素早く頭を切りかえる。
 天下国家について思案しながら秋田に麦まきし、後を見ずに一丈余の高土堤から山田に落下した。またしてもの失敗に恥じ、痛む腰を隠して働いたのがいけなかった。三日後、吉松に発見された時には、腫れあがって熱をもち、動けなかった。吉松は蒼くなり、叱ることを忘れて赤熊(現亀岡市東本梅町赤熊)の外科医を呼びに走った。外科医は往診に来て、無情にも宣言した。
「こらあかん。手おくれや。一生治らんのう」
「簡単に言うてくれてや。あんまりや。何とかしてえな。尻が割れるように痛いんや」
「尻は初めから割れとるわい」
「冗談やないで。いずれ国家の大改革を計らんなん身や。わしを動けんようにしてみい。人類の大損失やで」
「人類か猿類かわしゃ知らんけどのう、この腰ばかりは手にあわんわい。まあ、あきらめて、寝て暮らしな」
 思えば、幾度崖から落ち、相撲でこけて、この腰を痛めたことだろう。とうとうわやになってしもた。喜三郎はさすがに声をあげて泣いた。
 宇能は仏壇からもぐさをとり出してきて、いやがる喜三郎を観念させ、一心に灸をすえた。三週間一日も欠かさず続けた。灸のため、不治と宣告された腰の痛みが消えた。だが起き出して初冬の寒空で麦をふんでいると、またぞろ腰が冷えてうずき出す。続いて腹水病を発した。
津の国の草山村にうまい灸の先生がいる」と聞いてきた世祢が、祖母と二人で灸点をつけてもらうことを熱心にすすめた。灸の効果を認めた喜三郎は、握り飯をぶら下げ、夜中発ちして摂津へと向かった。
 昼下がり、草山村の灸師の家をたずねあてた。灸師はかなりよぼよぼしていた。今年で八十だという。しかしさすがに経験豊かで、灸点をつけながら体の部位を押し、懇切に「これは何々のつぼ」などと教えてくれた。
 ふいに戸があいて、警官が踏みこんできた。半裸で寝そべっている喜三郎をうながして起たせ、灸師の胸ぐらつかんでわめき始めた。
「無免許で患者を治療したには覚悟があろう。警察まで同行せよ」
 警察の口ぶりでは、これまで幾度か現行犯でつかまっているようだ。灸師の免許がいつからどうなったかは知らぬが、灸師が学んだ昔はそんな法律はなかったのだろう。切りかわる制度についていける年ならよい。この温厚な老爺が、その熟練した技でもって人を助け、現に患者が治っており、その結果の礼によって生活の資を得ているものを何で禁ぜねばならぬのか。
 喜三郎は義憤を感じ、罪人なみに引き立てられる老人を見捨てられずに、地黄の警察までのこのこついて行った。
「この先生がいややというのを、わしが無理に頼んで灸点をすえてもらいましたんや。悪いのはわしの方やさけ、どうぞ許してあげとくれやす」
 喜三郎は灸師に代わり過料金二十五銭、懐はたいて支払った。

 その十ばかりの女の子に出会ったのは明治二十五年の晩秋であった。伏見へ米の粉を届けた帰り道、空車を引いて老の坂を越え、王子のくらがりの宮に来かかると、二足目の草鞋の緒がすり切れてぬけた。空は晴れていたが、寒風はきびしく、三足目の草鞋を結ぶ指先がかじかむ。結び終わって顔を上げると、街道の脇を流れる小溝につかって、ふるえながら四つん這いになっている子を見つけた。女の子にはちがいないが、髪がひどく赤くそそけている。
「おい、冷たいやろ。寒蜆でもとっとるんけ」
 気になって思わず声をかけた。
 女の子はふり向いたが、唇を一文字に結んだなり、また眼は真剣に水にかえる。行き過ぎかけて喜三郎、おせっかいなたちなのか、のこのこと車をおいて戻ってきた。
「まず上がれやい。凍えそうで見とれんさけのう」
 腕をのばしてひょいと抱き上げ、その軽さに胸がつまった。親のない子だろう、この寒さに破れ単衣で膝から下の濡れた素足が真っ赤に腫れている。女の子はバタバタ足をふってもがいた。
「あほ。邪魔せんときい」
「何で冷たい水に入るのじゃ」
「お金落としたんや。お使いに早よ行かんと叱られる」
「何ぼや」
「一銭。この溝こに、転げこんでしもたん」
「よしよし、一銭くらいわしが……」
 言いかけて見上げた女の子の瞳に、ふっとたじろいだ。身なりに似合わぬ清らかな面ざしに、双眸が澄んで力があった。
「いらんで。うち、落とした一銭が大事なんや」
 紫色にふるえる小さな唇をきっと噛んで、喜三郎をふり切って溝に入る。
「よっしゃ。一緒に探したる」
 喜三郎は悔いていた。つい風体を哀れみ、乞食にでもくれるように安易に金を与えようとした己れを。ぴしりと小気味よくそれを拒んだこの少女に恥ずかしい。
 どうでも一銭を探し出さねば気の済まぬ思いで四つん這いになった。真剣でなければ、切られるような水の冷たさには堪え得ない。
 間もなく石の下に沈んでいる一銭玉をみつけ出し、喜三郎はか細い少女の掌に握らせた。
「おおきに。おっちゃん、ありがとう」
 嬉しかったのであろう。愛らしいえくぼをちらと片頬にみせて、女の子はあたふたとお使いに走っていく。
 ――おっちゃんか……まあしゃない。
 喜三郎は苦笑して、車の梶を取った。少女の印象的な瞳と笑顔は、道々喜三郎の心を暖めたが、抱き上げた時のあまりの軽さと粗衣が、痛く心にささっていた。
 この小さな出来ごとは、やがて意識の底に沈んでいく。そして数奇な運命をたどる幾星霜の後も、喜三郎の体内に消えず残っている。なぜなら因縁の糸は、この時すでに、すれちがう二人に投げかけられていたことを、のちのち思い知る時がくるのだから。

 度変窟烏峰宗匠こと八木清之助は、千代川村拝田の静かな隠居所で、少年の頃から一日も欠かしたことのない日記の筆をとる。細長く綴じた二つ折りの和紙に、小筆の細字で丹念に書き込んでいく。
 ――癸未、先負五黄……四月十六日日曜降雨……雨天につき、本日朝より藁仕事……。
 清之助は筆を止めて、ふと娘のことを思った。長女さとは一昨年嫁していて、すでに父親の手をはなれている。気になるのはこの雨中もいとわず、いそいそと穴太へ向かった次女弁のこと。五年前妻みつが死んで以来、男手一つで育てて早や年頃の十九になった。春頃からにわかに娘らしくなり、近頃どこか、物おもわしげにみえる。時期を失せぬうち縁付けせねばならぬ。
 弁は祖母すまをせかしせかし、待ちかねていた穴太寺の春の法会の手伝いに連れ立って出かけたのだ。残ったのは二度目の婚家先も不縁になって戻っている妹なをと、長男丑之助。法会は十九日から一週間続くので十日やそこらは留守になる。筆をもち直し、清之助は要点のみ書き加えていく。
 ▽母、弁、雨中穴太寺へ。金竜飛蘭六本立て一鉢、右は本日八木丁子屋より頂戴する。
 今夜石屋にて沐浴す。

 四月十九日の弁は、穴太寺の春の無縁経法要の手伝いで一日忙しかった。
 本堂では、朝から回向が行われていた。叔父の行仁権大僧正が導主として、紫衣に緋紋白の袈裟をつけて中央に座し、左右に八人の僧が居並んで経をあげる。常行三昧または法華三昧。本堂には、善男善女があふれんばかりである。経が終わると和尚の説教、また経、説教、入れ替わりの参詣者のために、夕方まで繰り返される。
 それは四月二十六日まで一週間続く。しかし弁は、ほとんど本堂をのぞき見る暇がなく、庫裡で立ち働いていた。村の有力者などを、陣屋造りの本坊で接待するためである。
 本坊は延宝年間(一六七三~八一)、穴太寺が光秀の戦火に焼かれた折、日光輪王寺から火災見舞としてはるばる牛車で運ばれ、琵琶湖に筏に組んで流したと伝えられる。室内欄間彫刻は、日光の影響を受けたものだ。
 法要が終わると京都の天台宗の寺から来られた坊さんたちに風呂をすすめ、般若湯(酒)をふるまう。顔を赤くした坊さんたちが寝室に引きとっても、食器の後片づけが山ほど残っている。拝田村から一緒に来た祖母は寺が混雑するので先に叔父村上信太郎の家に帰っている。
 手は休みなく動いていても、弁の心はそこになかった。弁は三年ほど京都に奉公に行っていたが、二年前暇をとって故郷へ帰った。それからは、穴太寺に何か行事がある度、叔父行仁に頼まれ手伝いに来た。この春の彼岸の施餓鬼法要の時に、一人の若者と出会った。二言、三言何げない言葉を交わしただけなのに、その人はたちまち弁の心をとらえた。一目惚れである。父の冠句の弟子という。粗末な服装でいながら、弁の眼には衣冠束帯をつければいかにも似合いそうな品のよさに映る。
 以来弁は、その人上田喜三郎の噂を注意して聞くようになった。天才、八文喜三、女たらし、神さまぼけ、村人の評価はまちまちでしかもそれぞれ矛盾していた。分からないところが、一層、喜三郎の人柄の奥行きの深さを思わせた。それになによりも、喜三郎の容貌は、弁の好みにぴったりであった。
 ――京都にも、あんな賢そうなきれいな男はん、いやはらへん。
 初めて会った時、喜三郎が照れくさそうな表情でいった。
「春の法会にも、来はりまっか」
 弁は、いそいで、強くうなずいた。
「またその時――」と喜三郎は、口の中でぼそぼそ呟いたように思った。はっきりと約束したとはいえない。けれど弁は、その時から、ずっとこの日を待ちこがれた。法会に着て行く着物、髪かたち、かくし化粧、娘らしく気を配りながら、頼りなげな思いに吐息する。
 ――穴太にかて、別嬪さんはたんといてはるやろ。その女たちも喜三郎はんをほっといてやないやろ。
 穴太と拝田村との間にある一里の空間が恨めしかった。手伝いに来てみれば、仕事に追われ、喜三郎が本堂に来てるかどうかさえ確かめる暇はない。一週間、毎日このようであろうか。なんのためにこの法会を待ちこがれたか分からない。無縁の法会に有縁を願う弁、けれど心の中ではどんなに燃えても、何人かいる手伝いの女たちにことわりを言って抜け出す勇気はない。
「代わったげる。ちょっと呼んではるえ」
 驚いてみると、弁より七、八つも年上の美しい女だ。
「……」
 小声になって、彼女はささやいた。
「喜楽はんや。お弁はんに用があると……」
 八田きわであった。度々寺に来るので、弁は見知っていた。一度結婚したが夫と別れ、子をかかえての独身暮らしである。喜三郎の女の一人、と弁は聞いたことがある。喜三郎よりも年上であり、さばさばしているので、同年配の女性に感じる対等の競争心も、嫉妬もなかった。
 赤くなって返事もできぬ弁の背を押して、きわは言った。
「中庭の築山のねきで待っとってや。後片づけもあらかた済んださけ、後はうちがちゃんとしとく。村上はんの家まで送ってもらいいさ」
 奥の書院で襷をはずし、急いで身づくろった。
 渡り廊下から中庭に下り、蓮池にそって足を忍ばせる。四日月が出ていた。桃山時代の様式を残すという名ある庭である。築山の西の老いた五葉の松も、池を取巻く美しい護岸石も、水の底に沈んだようにおぼろだ。池の中程にすうっすうっと六尺余の直線をひいて群がり立つ太藺の陰に、喜三郎の姿があった。大きな庭石に腰かけ、貧しい身なりにも頓着なげに、無心に池の面に見入っている。
 弁は、恋しい男をみつめた。野の風にさらされ、百姓仕事や車力に追われて日を過ごす身分卑しい若者にはそぐうべくもない古式優雅な書院。豪奢な庭の雰囲気。けれど恋する女の直感は見抜いていた。喜三郎のきめこまかな白い肌、くっきりした目鼻立、細長い指、そしてあたりに気おされぬ品位が、しっくりと庭にとけあって漂うのを。弁は息をつめ、おそれるようにたたずんだ。
 喜三郎は清水の湧き出る音を聞いていた。鯉がはねる。池の面に沈む多宝塔の影がくだける。と、そこに揺れて女の影が……顔を上げ、微笑した。自然石の橋を渡って弁に近づきながら、喜三郎の胸は、喜びに激しく高鳴る。
「呼び出してすんません」
 もっとロマンチックな一言をとあせりながら、ついぺこりと頭を下げた。
 弁は言葉もなく、固くうつむいている。素直な黒髪を紅絹で後に束ねている。そんな素朴な髪形を可愛いと、喜三郎は思った。ふっくらした唇、衿元から頬にかけての初々しい線もたまらなく好きだ。引きよせて抱きしめたい。だがあふれるような想いも、まるで怒っていて全身で拒む風な弁の前には言葉にならぬ。穴太中の女をものにしてみせると豪語し、実行しかけた喜三郎も、恋した相手にははなはだ意気地がない。うぶな少年と変わらなかった。
 喜三郎は困惑して、ためらい勝ちに手を伸ばした。弁の細い手は、何の抵抗もなく熱い喜三郎の掌に。ほてる面をそらし、はずむ息を押え、ふるえてくる全身と弁は戦っていた。恋しい人の胸に――と願う心が、一時も早く突きのけて逃げたい衝動と入りまじる。
「お弁はん、好きや」
 押ししぼるような、かすれた声が、耳もとでした。弁は激しくおののくと、耐え切れなくなって、手を振りもいだ。
 ――いけない、逃げては。
 自分の胸に叫ぶ。なのに、足は勝手に怯えて走る。「好きや」といってくれた一言を抱きしめるように、胸もとを両手でおおって暗い露地を抜け、犬飼川に沿う小道を夢中で走った。
 弁のかけこんだ村上家の軒下に、喜三郎はたたずんだ。もう一言、「本気」で恋していることをつけ加えたかった。弁が自分を嫌いならあきらめもしよう。けれど好いてくれているなら……知りたい、弁の心を。
「どうしたんや。真っ青な顔やで」
 伯母えんの声だ。喜三郎はかたずをのみ、返答を待つ。やがて、
「道が暗うて恐かったし、うち……走ってきたん、動悸が……」と、弁がふるえ声で答える。
「遅うなるんやったら、明日から迎えに行かんなんのう。嫁入り前の娘やさけ、村の男衆にでも悪戯されたらえらいことやし」
「いいえ、伯母はん、うち大丈夫。一人で帰ります。……もう恐いことあらしまへん」
 弁はうろたえて伯母をさえぎる。喜三郎は、思わずのび上がって、櫺子窓に耳をすり寄せた。あとの会話は聞きとれぬ。が、喜三郎の体は喜びに熱くなった。
 ――嫌いなわけやない。わしと会うのを、かなんがっとらへん。
 やがてランプが消える。

屋内にパッと消えたる洋燈に
われあきらめて家路に帰る

 明治二十六年春のこの時点、穴太でもぼつぼつ行燈からランプに切りかわっていたらしい。拝田にいる弁の父八木清之助も、この日より二日前の四月十七日、日誌にこう書きとめている。
「八木に買物に行く。八百新氏方にてカレイ三十枚買う。代十銭五厘払う。中川氏方にてランプを買う。代四銭払う……」
 気が高ぶってなかなか寝つかれなかった。夜が白みはじめた頃、ようやく現実と夢路のさかいがぼやけてきた。赤毛布の上に、たくさんの女がうごめいていた。女たちの間におし込められて喜三郎はもがいた。
「遊びや、喜三やんのは遊びや」と、仙が弁にささやく。弁が泣いている。伯母おえんが、大きな体で弁を連れ去ろうと引っぱる。
「待ってくれ。お弁はん、お弁はん」
 走っても走っても赤毛布の上だ。無数の女の手が喜三郎にからみつく。
「お弁はん――」
 はりさけるばかりの声で喜三郎は叫び、自分の声に驚いて目覚めた。汗が喜三郎の全身をぬらしていた。夢と知ってからも、絶望感が喜三郎をうちのめした。
 井戸端で寝不足のはれぼったい顔を洗っていると、父吉松が声をかけた。
「喜三、お弁て、どこの娘や」
「え」
「かくさんとけや。お弁、お弁いうて寝言いうとったやろ。お前ももう年頃や。好きなら嫁にもらえ。身分違いやなかったら父さんが掛け合うてきちゃる」
 喜三郎はてれて首を振った。逃げるように外へとび出し、丁塚山(高熊山)の峠を眺め、大きく深呼吸した。
 弁の父度変窟烏峰宗匠も上田家と同じ小百姓、そして筆の行商で生計を立てている。百姓で食えず、車力に出ている上田家とどっこいだ。
 ――ようし、わしが一人前になったら、弁を嫁にしてこましたる。と、喜三郎は、心ひそかに誓った。
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