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文献名1大地の母
文献名2第6巻「天雷の声」
文献名3三人世の元
著者出口和明
概要春蔵、せい、清の3人に曲津が懸かり妄動。牛人の金神と自称する村上房之助の妄動。口上林の九十九仙人に会いに行く。9月19日、金明会広前を東四辻に移転。10月10日、四方平蔵を伴い駿河の長沢雄楯を訪ねる。
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2018-05-22 04:03:38
OBC B138906c04
本文の文字数25668
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本文  提灯が一つ、ひそかに上谷の宿舎を離れて、危なげに山を下る。もつれる足をせかし、夜はまったく見えぬ瞳をみはって、必死に闇を泳いで行く四方平蔵であった。
 ――三体の大神が地ヘ降りてご守護あそばすと、世界は一度に夜が明けるから、三人のみたまを神が使うて、三人世の元といたして、めずらしきことをいたさすぞよ。いろは四十八文字で世を新つにいたすぞよ――。
 一月ほど前(旧七月一日)に出て、信者たちの血をわかした筆先であった。
 一度に夜が明けるという待ちこがれた筆先の実地が、上谷の修行者から優秀なる三人の肉体を選び出しいよいよ天降ったのだと、一同は狂喜した。審神者代理の四方藤太郎はじめ平蔵にしてからが、疑うてみるゆとりはなかった。
 しかし御三体の大神は、春蔵の口を通して、先ず上田喜三郎を仕組みの邪魔ときめつけられた。平蔵は動転した。その上教祖さまさえ、お三人をじきじき上谷まで出迎えられ、喜三郎の審神から引きはなされたのだ。平蔵にとってたいへんな衝撃であった。
 喜三郎を迎えに行った己れの行動をどう解釈すればいいのか。筆先を曲解し、出過ぎた真似をして、大神に敵対う罪を犯したことにはならぬか。平蔵の使者に対するおほめの筆先さえ、今となっては心もとなかった。
 御三体の大神さまへ帰順の誠を示すためにも、喜三郎上谷ヘ帰るの報はどうでも今夜中に自分の口から告げねばならぬと、平蔵は思いつめていた。
 一里半の山野の夜道は限りなく遠い。濃い闇をぬけ、本町の中村竹吉の離れ家、金明会の広前に辿りつくなり、平蔵は思わず大声を上げた。
 強烈な光が両眼を射抜かんばかり、真昼のように輝き渡っている。いつもの種油の燈明にほのゆれる静寂幽玄な広前は、そこになかった。数を増した燈明の他、百目ろうそくが二、三十本、異様な明るさと熱気をはらんで燃えたっているのだ。
 両手に百目ろうそくの灯を捧げた四方祐助が走ってきた。禿頭にろうそくの光が映えている。
「どうしたこっちゃいな、これは……」
 平蔵が上ずった声で問いかけた。
「おう、よいとこに来てくれちゃった、平蔵はん……」
 祐助は、すすけた黒い細い顔を半泣きにゆがめた。
「お三人さまが言うてんですわな。『邪神界が暗いから、どんどん灯をとぼせ』と……けどあんたはん、考えとくれやす、たいへんな物いりじゃ。種油だけでも一日に五、六升や。ろうそくかて、こんなにやっと灯したら、えらいこっとすわな」
 祐助の泣きごとを吹きとばすように、広前から野太い叫びが聞こえる。
「神なき国は暗黒であるぞよ。祐助どうした。暗い、暗い――」
「暗い、暗い、邪神界はまっ暗がりじゃ。もっと明るう、もっともっと――」
 うろうろする祐助を置いて、平蔵は草鞋をぬぎ捨て、広前へいざり寄った。
「御三体の大神さまに四方平蔵が申し上げまする。上田喜三郎と弟幸吉が、今夜上谷まで帰ってござりまする」
「なに会長が……それはえらいことや。綾部まで来んさきに、仕組みをせんならん。平蔵どの、御苦労」
 煌々たる炎のゆらめきの中に凛々しくも浮き立つ春蔵。その両脇に塩見せい(十八歳)、黒田清(二十三歳)が白い頬を上気させ、夢見るような瞳をして、豊かな黒髪を緋色の袴にすべらせている。
 ――ああ、美しい男神さま、女神さま。
 思わず手を合わせ、うっとり見上げる平蔵の鼻先で、ぴしり、広前の襖が閉まった。襖の内側に聞き耳をたてるまでもなく、三人の神がかりの声はつつ抜けだ。
「時が惜しい。上田の曲津に襲われぬ間に、神々を世におあげ申そうぞ」
 春蔵の言葉に応じて、甲高い叫びが上がった。
「皆の者、しっかりいたされよ。小松林は大神の仕組みを奪りにまいるぞ」
「上田喜三郎には小松林の悪霊かかりて、綾部の高天原を乗っとる横の仕組みをいたしておるぞ。上田を綾部へ近づけてはならぬ」
「世の元の三人あれば結構じゃ。上田の悪神を入れてはならぬ」
「三人世の元、結構、結構」
「三人世の元、けっこう、けっこう……」
 こだまを返すように、しばらくはその唱和が続いた。
 あたふたと通りかかる祐助老人をつかまえて、平蔵は訊いた。
「御挨拶がおくれたが、教祖さまはおってですかい」
「あかんあかん、広前はこんな大騒ぎしとってじゃのに、教祖さまはそ知らぬ顔でお筆先の御用ですわな」
 平蔵を押しとどめて、祐助が言った。
「お筆先なら、次々竹吉さんが持って行ってや。ほれ、朝から晩まで、晩げから夜半まで、浮かれ節みたいに読んどってじゃわい」
 なるほど、広前の神がかりの声を縫って、奥の居間から中村竹吉のしゃがれ声が響いている。
「竹吉はん、おってかい」
 一またぎの渡り廊下を越えて、この家の主中村竹吉の部屋に入った。行燈と机一つの四畳半はいかにも男臭い。いかつい肩の張った厚い胸板の上に、四角ばった顔があった。目が血走り、まばらに無精髭がのびている。
「平蔵はん、ありがたいお筆先が下りましたで。聞いとくれいな」
 繰りかえし読み上げたので、空でいえる文句に独特の節まわしがついていた。
 平蔵は、頭を下げて謹聴した。
 ――上谷は結構であるぞよ。修行場はちと激しくなるぞよ。世に落ちておいでます神さまの世にお上がりなさるのであるから、ちと様子もちがうぞよ……みな落ち神が出てくるから、綾部と上谷の修行場はたいヘん騒がしゅうなるのざぞよ。
 ――神に届けをいたしてお願い申せば、神界の許しが出るのを知って、諸国の落ちぶれ精霊が、この綾部の大本ヘ出てくるぞよ。出てくる精霊のなかには、手にあわぬ精霊もあれど、なにほどよき精霊でも落人となれば神の品位もなくなりて、そまつにあるなれど、役員は親切に世話いたしてやりてくだされよ。神縁をおとさして、神の威勢に傷がつくようなことがありてはならんぞよ。
 ――大地の金神を金勝要の神と申すぞよ。こんど艮の金神が表になるについて、この神を表面へお上げ申して結構にお祀り申さな、この世はおさまらんぞよ。むかしから結構なみたまの高い神ほど、世に落ちてござるぞよ。
 広前がひとしお騒がしくなった。神がかりの雄叫びに続いて、戸障子を手荒くあけたてし、数人が外へとび出していく気配である。平蔵は腰を浮かした。竹吉がぎろりと目玉を動かし、粘っこい口調で引きとめた。
「どこ行きなす?……落ち着いてお筆先を腹へ入れたらよろし。この世はただ教祖さまの筆先を通して神のお示しがあるだけじゃでよ。迷うたらあかん。筆先をよう読んどるもんが御養子となって、このありがたい御教を継がせてもらうのやさかい……」
「お世継はお澄はんと、筆先に出てまっしゃないかい」
「そやさかい、お澄はんを立派にもりたてていく婿はんがいるやないか。春蔵はんや足立はんでは、も一つ筆先が分からんであかん。まして昨日今日のぞいたぐらいの上田会長など……」
 不意に渡り廊下のあたりから、よく透る女の声が叫んだ。
「平蔵はん、中村はん、ちょっと来てえな」
 竹吉がかっと赤くなり、平蔵を押しのけるや廊下にとび出した。
「春蔵はんらが、新宮の安藤金助はんとこの庭掘りに出かけちゃったでよ。あの勢いやさかい、止める間ものうて……」
 澄の声だった。
 平蔵が中村の大きな体の脇をくぐって広前に出ると、神前はただ炎の波、人っこ一人いない。
「祐助じいさん、どこや」
「提燈と鍬持って、あわてて三人の後追うて行っちゃったでよ。金助はんの庭に、大地の金神さまが埋まっとるいうて……」
 この切迫した際だというのに、澄がころころと笑った。
「大地の金神、大地の、いうたら金勝要の神さまですなあ」と竹吉が言う。
「ひとかかえもある金の神さま、金の御幣持ったまばゆい神じゃげな」
 平蔵が眼をしばしばさせると、竹吉はあわてた。
「えらいこっちゃで。春蔵なんかが大地の金神を掘り出しよったら……お澄はん、わしちょっと見てきますで」
 走り出そうとする竹吉に提燈を渡しながら、澄が言った。
「お母さんは『何ごともみな神さまの御都合やで心配いらぬ』と言うとってじゃが、この時刻や、あの人たち何してんこっちゃら分らへん。中村はん、大騒ぎにならんように頼みますで」
「よっしゃ、わしがついてますさかい……」
 澄の信任の一言に、全身不動像の如くかちかちにさせて、中村竹吉が答えた。

 翌日の昼前、上谷に残った修行者と弟幸吉を連れ、上谷の厄神神社で鎮魂を修している喜三郎の前に、四方祐助老人が現われた。
「やあ、じいさん。綾部はどうした。ろくなこっちゃあるまい」
 喜三郎が笑顔を向けると、祐助はへたへたと坐りこみ、地べたに両手をついた。
「はい、たいヘんでござりまする。あたぶさいが悪い(みっともない)。お三人さまはさっき、警察ヘ引かれていかれましたわな。というのも、昨夜一晩かかって『大地の金神さまを掘り出して、世におあげ申すのじゃ』と、新宮の安藤金助さんのとこ……」
「教祖はんの元の屋敷の向かい側やな」
「へぇ、奥さんのお初はんが眼えつぶり(死ぬ)なはってから、金助はんは法華信仰やめて、熱心な信者はんになっとってです」
「一晩掘り続けて、金助はんとこから何が出たんや」
 祐助は泣き笑いの顔をくるりと撫で、
「そこがわしにはちょっとも分からしまヘんのや。金助はんも夢中になってお三人さまといっしょに水をかぶり、白衣をつけて、家の大黒柱の根元三、四尺も掘っちゃった。けど、何一つ出えしまへん。中村竹吉はんまで手え豆だらけにして、次の柱の下をどんどん掘り出しよった。『もっともっと、まだまだ誠心が足らんのじゃ』と言いなして、いっかな掘り止めなさらん。夜が明けると、人だかりがして来ますわな。すると警察の人が来ちゃって、『お前ら、何しとるんじゃ。尋ねたいことがあるさかい、ちよっと来い』言うて、お三人さまを連れて行きなした。足立先生は前から警祭の人には信用されてへんし、平蔵はんにかけ合うてもろてもさっぱりらちあかん。わしはもう心配で心配で、教祖さまにお伺いしたんですわな。あんたはん、教祖さまは平気なお顔や。『土の中から形のあるご神体が出るのではござヘん。大地の金神さまの霊気が地の上へお出ましになるのやで』と言うてすましてござる」
 喜三郎は目をつむった。直の心にあるもの、直の背後にあって直をつき動かしているものを見抜こうとするふうに。
 祐助は喜三郎に頓着なく、修行中の一同に行き渡るような泣き声で続けた。
「この頃の広前の様子を見とると、居ても立ってもおられんもんやさかい。もし会長はん、よう聞いとくなはれ。あんた方も知っとってやろ。教祖さまは日清戦争で台湾で死んじゃった清吉さんの恩給とか年給とかを『これは清吉の命とひき換えの大切な金じゃから』言うて、一文も使わずに貯めといちゃった。それをあんた、広前に人の出入りがようけになって、この頃は無一文で寝泊まりする者もえっとできたさかい、銀行から引っぱり出して、もったいない、白米を二石も買うてくれちゃったんですわな」
「なしたまた……」と誰かが嘆息した。
「それをよいことにして、近頃の信者いうたら金の一銭も上げようとせず、神さま神さまいうばかりで会計に心くばり気くばりするどころか、教祖さまの手足かじっててんとしてござる。二石の米もじきのうなって、また教祖さまはお澄はんを使うて、白米やら種油まで……この頃では種油だけやござヘん、お三人さまのお言いつけで、百目ろうそくをいっときに二、三十本立てねばならず……おっとろしや、湯水のように清吉はんの銭がのうなる」
「……」
「それに較べて、教祖さまのつつましいお食事いうたらどうやな。小さなお椀に盃一ぱいほどのご飯、おかずは青唐辛子二本や。それもへたの皮はむいて食べ、芯は陰干しにしておいて集めて焚き付け、灰は畑の肥やし。大根は面をむかれても中身は信者たち、むかれた皮は御自分がおあがりになる。ただ一言の苦情も言われず……」
 しんとなった中で、祐助爺さんが涙鼻をすすり上げた。
「平蔵はんが広前におってやろ。何しとるんじゃい」と喜三郎が尋ねる。
「なんの、平蔵はんはお三人さまに夢中で会計どころですかいな。今朝も金助はんの庭で『平蔵殿、あれ見やいのう』と春蔵はんが望遠鏡でものぞくような恰好しちゃったら、平蔵はんは目をふさいで『はい、拝めました、拝めました。大きな龍神さんが拝めますわな』などと天眼通に一心不乱じゃ。中村竹吉はんは居問にすっこんで、お筆先を大きな声で読んで読んで読み倒して、『教祖さまの後継ぎ婿はこのわしや』というとってじゃ。お澄はんに聞いたら『へえそうですかい』とけろんとしたもんや。春蔵はんは春蔵はんで、『出口家の養子にならねば、盤古大神一人でお道を立てちゃる』とがんばってんですで。一体どうなっとるのやらあまり心配じゃさかい、元からやっと(たくさん)ない髪がますます禿げて、おまけにあたぶさいが悪い、竈の煙でこの通りの黒光り……それを所帯のやりくり一人でしとってんお澄はんいうたら、他人ごとみたいにわしをからこうてや。『御苦労の黒うの祐助はん』……」
 祐助はしゃくり上げ、黒い手で涙と鼻を拭きとった。
「阿呆くさ。神さまや教祖さまのことやなかったら、楽隠居の身で誰がこんな気苦労しますかいな」
「よしよし、これを持って綾部へお帰り」
 喜三郎は、机上の半紙に筆を走らせる。

禿頭鳥居(取柄)もかみ(神)もなきままに
クロウクロウと愚痴を祐助

 むずかしい顔でその狂歌を読み上げ、祐助はにやりとした。
「ははは、これはありがたい。お澄はんに見せたろ」
 心配症も吹きとんだのか、祐助は歌を懐に、いそいそと上谷を降りていく。

 二、三日後、修行者の一人、村上房之助が無断で上谷をおり、綾部ヘ走った。入れ違いに足立正信の代理として、新宮の四方源之助と西原の西村文右衛門が羽織袴姿で上がってくる。
 四方菊右衛門の宿舎で、喜三郎は両人に対した。直の夫政五郎在世中より組頭として陰に陽に直をかばい、ついに信者となった四方源之助のことは、喜三郎も聞き知っていた。貧乏で無知な信者の多い中で、地位も学識も最右翼である。
「御心配おかけしましたが、教祖さまの御神徳で綾部の騒動もひとまずおさまりました。一昨日は春蔵はんら三人が警察から帰って来る。続いて署長はんが二人も巡査を連れて、広前に来ちゃったんですわな。金明会が何やら怪しいものを祀って善男善女をだまし金儲けを企んどるのやないかと疑うて、隅から隅まで調べました。その時、教祖はんが発動しちゃって、頭から署長はんをどなりつけなはった。『明治二十五年から出口直は神の因縁ありて、うわベは気違いのようにいたして、警察のそばにおりて、世界のことを言わして気をつけてありたぞよ。この神の誠が分らぬか』と……」
 文右衛門が感動的に言った。
「考えても見ないな。わしらじゃったら、官吏侮辱罪でたちまち引っぱられるところやで。それが署長はんら、教祖はんの御威光に震えあがって、手も足も出せん。すごすご帰ったなり、文句一つ言うてこんのですわな」
「それが御神徳ですかい」
 喜三郎がつまらん顔をして横をむいた。
「お神徳はそればかりやござへん。その日の午後、わしらが相談に広前に参りましたら……」
 両人が力をこめてこもごも語る目撃談によると、明治二十四年以来発狂してほとんど座敷牢に閉じこめられている直の長女大槻米(四十四歳)が、髪ふり乱し、わめきつつ広前ヘ現われた。追ってきた大槻鹿蔵にも、激しくつかみかかる。神前に向って祈願していた直はたちまち発動し、娘夫婦に激しい調子で言い放った。
「大槻鹿蔵は大江山の酒呑童子の霊魂、米は大蛇の霊魂。この世を乱し、世界の人民を苦しめた極悪の神であるから、世の見せしめに九年のあいだ戒めいたしたなれど、改心のため、今日限り許してつかわす」
 荒れ狂っていた米は絶叫と共に倒れ伏し、意識を失った。直は、何事もなかったように自室に戻った。源之助はじめ、居合せた信者たちは「水じゃ、お神酒じゃ」と介抱につとめたが、米の息は止まる、体はどんどん冷たくなってくる。
「許すいうのは、昇天させるいうこっちゃろか」
 半時間もたつと、首をかしげる信者も出て来る。
 大槻鹿蔵は怒り出した。それがくせの両肌脱ぎになり、くたびれた弁財天の入墨をすごませて、直の部屋に乗りこんだ。
「わしらの悪口言いたてて、おまけにようもお米を殺してしもうたな。それでも母親か。元のように治して返さなんだら殺人や。訴え出ちゃるで、覚悟せいよ」
 直は筆先の筆をおくと、ほほえんだ。内心の喜びを包みきれぬ、はずんだ声であった。
「案じることはございまヘん。神さまがお許し下されたのじゃ。神さまの御都合次第に、元気なお米にかえしてくれますで」
 神言を信じて疑わぬ直の様子であったが、狂乱の米を長年みてきている源之助たちには、信じきれなかった。かれこれ一時間たって、筆先を終えた直が広前に出ると、米の冷たい頬に血の色がよみがえり、やがて瞳が開いた。
「お米」
 母親の声になって抱き起こす直。
「米、米」
 鹿蔵が直を押しのけて、米を揺すぶった。
「それがどうや、あんたはん。あの丸気違いのお米はんがころっと起き直り、恥ずかしげにうつむいて衣紋つくろうとる。普通の人間とちいーとも変わらんやござへんか。見ていた者は思わず、『出口の神さま――』と、一せいに唱えましたわな。九分九厘まで死んだ者が生き返った。それも足かけ九年の気違いを一度で治すやなんて」
 西村文右衛門が熱心のあまり、高揚した口調で言いきった。
「これは、並の神力でできることやおへん。一度でもお米はんの回復を疑うたわしも、心からお詫びしましたわな。お直はんは生神さまや。誠の艮の金神さまですで」
「はあ、はあ」
 気のない返事をして冷えた茶をすする喜三郎に、両人は顔を見合わせた。
 源之助が、厳しく膝をすすめた。
「ともかく、教祖はんは御神力をあらわしてじゃし、広前ではお三人さまがかかりなはって結構な御神示が下ります。その御神示は、上田先生、あんたはんにも聞いてもらわななりまへん。『艮の金神さまがこのたび表ヘ立たれるについて、この際、今まで落ちていた神々をこの世へ上げて霊魂を救うてやらねば、もう万劫末代あがることはできぬ。いよいよその仕組みにかかるが、いま上田の審神者が綾部に帰ってきたら、邪神界の神じゃというて片っ端から封じこめたり、追っ払ったり、霊縛かけたり、つまりは神界の邪魔をする。上田が我を折らぬ限り、綾部に寄せてはならぬ』と、まあ、こういうわけですんや」
「はあ、つまり足立はんの指図で、あんたはんらがそれを言いに来たのですな」
「足立先生ばかりやありまへんで。お三人さんはじめ中村竹吉はん、四方平蔵はん、それにわしら役員、いやいや教祖はんだって何も言うてやないが、同じお考えにきまってますわい」
「上田先生にかかっとる小松林は、お仕組みの邪魔をする御用やげな。小松林が改心するまで、先生は上谷でおとなしくして、綾部ヘ来んようにしとくれなはれ。それが綾部の役員一統の意見ですさかい……」
 喜三郎は、少々向っ腹が立ってきた。
「あんたら、ええ年をして、審神者を恐がっとるあの三人を、ほんまに正しい神がついてると思うてはるのか。おまけに、警察の署長があきれて帰ったり、長女の気違いを治したぐらいで生神やなんて」
 嘲笑を含んだ喜三郎の言い方に、二人はむっとした。重苦しい沈黙ののち、吐き出すように源之助が言った。
「お三人さまのことはともかく、艮の金神さまを信じない上田先生を、我々の指導者におくことも金明会におってもらうこともできまヘんわいな」
「さよか、そうやろなあ。ほんなすぐ園部ヘ帰なしてもらうわ」
 喜三郎は立ち上がって白衣を脱ぎ、よれよれの着物に着がえはじめた。幸吉が入ってきて、事情を察したのか、黙々と兄に習って手荷物をまとめだす。
 文右衛門は喜三郎の手をつかんだ。
「上田先生、あんた、本気で帰るつもりかいな」
「あたりきじゃ。役員一統の意見でわしを封じこめたいなら、こっちゃからおん出てやるわい」
「あんたは、艮の金神さまが綱をかけちゃった人や。それを出口の神さんの許しも受けずに……」
 四方源之助が続ける。
「わしらは、上田先生を大事に思うさかい、忠告しとるのや。先生の肉体は必要なが、先生にかかっとる小松林は去んでもらわなならん」
「そんなわけにいくけい。邪神どもが、正神の小松林命を煙たがるのはあたりまえや。審神がいやなら、わしの用はあるまい。ろくな奴の一人もおらん綾部になど、ようおらんわい」
「良うても悪うても、こうなったんはお前さんが持ちこんだ霊学のせいやないかい。とにかくしばらくは敵たわんと、上谷にじっとしておることや。頼んましたで」
 喜三郎は力なく坐り直した。祖母の誠心こもる説得により、ようやく穴太を脱けてきてこのざまである。腹立ちにまかせて帰れるものではなかった。怒りを鎮めようとして眼を外へやった。初秋の晴れ渡った青い空であった。
 両人はなお意見を重ね、おとなしくなった喜三郎に、小松林がこれで少しは改心できたろうと喜んで帰っていった。
 長滞在を許された幸吉も、あとに心を残しつつ、穴太に去って行く。

「やっぱり、天のぞいとってや」
 光が躍りこむように、明るい笑声がとびこんできた。澄が縁側に坐って、上半身をこちらにねじむけている。
「なんや、お澄はんかいな。珍しのう、何しに来たのや」
 天性の花が咲きこぼれたような笑顔を引いて、澄はちょっと黙った。それからまじめな口調で、
「先生に話があります。よいお天気やし、散歩しながら……」
 人に聞かせたくない話だろうと察し、喜三郎は、気軽に連れだって上谷を下る裏道に出た。
 特別の感情を抱いているつもりはないのに、澄に対すると心がほぐれ、なごむ。祐助爺さんの言うように、常識では律しられぬ神がかりやら、信者たちの食事のめんどう、所帯の切り盛りいっさいを若い身に負うて、明るく健気なこの娘がいじらしい。
 修行者たちの禊する不動の滝の裏手、堂山の裾の森は蝉しぐれであった。
「広前の世話はめんどうやろ。よう抜けてこられたのう」
「お昼出しといて、えいっととび出してきましたんやで。今頃、祐助はんら、捜しまわっとるか知れん。それより先生、一度綾部へ帰ってきとくれんさい。病気でもしとってやないかと、うち、ちょっとは心配で見にきたんですわな」
「あいにくやったな。わし、何で病気せんならんのや」
「あれ、ほんまに……」
 あきれたように喜三郎を見上げ、崩れかけた口もとを、澄はあわててひきしめた。
「神がかりらが何か言うとるか」
「何を呑気そうに……言うとるどころか、先生、またい(にぶい)なあ」
「そうかのう。さっきもお三人さまやら役員一統の伝言を持って、人が来よったけど……」
「神がかりは四人ですわな、牛人の金神のかかっちゃった村上はんもまじって。伝言いうたら、『神界の大敵役の小松林が改心するまで上谷を出るな。綾部には近づいてくれるな』でっしゃろ。それだけやござヘん。ゆうべなど、鬼退治やいうて、角生やした先生の似顔絵を広前に張りつけて……」
「ひどい奴っちゃのう」
「へえ、その鬼の絵に睡を吐きつけたり、ひっかいたり、しまいに五寸釘打ちつけて『悪神退散、祈り殺せ』ですわな」
「う、痛っ。腹が病める。けったくそのわるい、あちこちちくちくしてきよった」
「あほらし、冗談やありません」
 思わずたじろぐほど、にらんだ澄の瞳には強い力があった。
「先生は、ほんまにそんな悪い人ですかいな」
「お澄はん、どない思うねん」
「ぼけーっとしとってんみたいなが、みんなが言うてんほど悪い人とは思われしまヘん」
「おっきに。そう言うてくれはる人は、お澄はん一人かも知れん」
 心から喜三郎は言った。八方ふさがりの今、喜三郎を公平に、冷静に見ようとしてくれている澄の善意は救いであった。
「うちには、何が何やらわからんもの。けど、あの四人の神がかりは正しいものやと思われしまヘん。騒ぎを大きゅうして、また警察沙汰にでもならんうち、一度綾部ヘ帰って、あの人たちを鎮めてくだんヘ。先生が間違っとってんやなかったら、誰に何と言われても、がんばっておくれなはれ」
 言うだけ言うと、澄は山を駈けおりていった。一陣の薫風が吹き去った思いであった。

 残りの修行者の根を固め、四方藤太郎に審神者の訓練を続けるうち、数日がたった。早朝の滝壺から上がって冷えた裸身を拭いている喜三郎の背に、赤とんぼが吸いついては離れる。
 白衣をまとい終わるのを待って、四方祐助がせき払いした。
「なんや、じいさん、また事件かい」
「いやいや……」
 祐助じいさんは喜三郎の前に一礼し、風呂敷包みから巻紙を取り出して、うやうやしく差し出した。
「これは牛人の金神村上房之助さまから上田喜三郎先生に対するお気付けのお筆先ですさかい、つつしんで拝読しとくれなはれ。返事を持って、急いで帰らんなりまへん。わしはおかげで牛人の金神さまのお覚えがめでとて……」
 白扇に書かれた文字らしきものを開いてみせて、祐助は押しいただいた。
「先生、読めますかい。これは現界の文字とちがいますで。天狗界の文字やげな。特別に牛人さまがわしに下されましたんやな」
 ――牛人の金神が、上田にちょっと気をつけるぞよ。神の都合があるによって、修行者一統引きつれて帰るべし。牛人の金神の命令に背いたら、怖いぞよ……。
 しまりのない仮名文字で、巻紙に際限もなく威しことばを綴っている。喜三郎は皆まで読まずいきなり引き裂いた。そうでもして、祐助の迷妄を醒ましたかった。
「先生、なしたことを、あ、あ、おとろしや、神罰たちどころやでよ」
「何がたちどころじゃ。現に破ったわしは、この通り、気分がすかっとしたやんけ。お前もためしにその扇子、破ってみい」
「この天狗文字を、なんちゅうもったいない……家宝にせんならん扇子やのに……」
「天狗文字か牛のよだれ繰り文字か見抜けぬわしかい。阿呆めが」
「そう言われたら、そんな気もするわなあ。ほんまに扇子破っても大事ござヘんか」
「わしが責任をもつ」
「ほんま、だんないやろなあ」
 祐助は、震える指先で扇をぴっと裂いた。緊張で体をこわばらせ、少し破れ目の入った扇子を陽にすかしてみる。手も足も歪まず、眼もつぶれそうになかった。かざした破れ白扇にも、すいと赤とんぼが止まって羽を休める。
「え、えーい、くそったれ」
 扇の骨がバラバラになるまで引き裂いた。大地に叩きつけ、踏み、跳び上がって蹴りつける。
「この頭の禿げた爺が、まだ二十やそこらの小僧っこにだまされるとは。えー、残念じゃ」
「祐助はん、着いたばかりで気の毒やが、わしはすぐ綾部へ行く。一緒に来てんか」
 気力は充実して、何者かが自分の腹にどっしりとあることを、喜三郎は意識した。四方藤太郎に厳重に留守を命じ、手早く足ごしらえして、ぷりぷり怒っている祐助をうながし、上谷を下る。
 ――お澄はんだけは待っとってくれる。
 頭の隅をかすめるその喜びに気づいて、喜三郎は人知れず頬を染めた。
 金明会の門前は信者と見物人であふれていた。半裸の村上房之助がざんぎり頭に鉢巻きをしめ、ひっくりかえらんばかりにふんぞり返っている。村上を生神と信じ畏怖している信者たちは、村上から霊験あらたかな白扇を授けてもらおうとひしめいている。
 喜三郎が広前へ上がると、村上は筆を持った手で招き寄せた。
「おう、小松林の上田か。よくぞ帰った。その方は、牛人の金神の命令を早速にきいた感心な奴や。褒美をやろう。家宝として大切に保存せいよ」
 机の上に山と積んだ扇の中から特に大きな白扇を選びとり、文字とも符号ともつかぬものを書き、もったいぶって喜三郎に差し出す。
「牛人の金神さま、これは結構な文字みたいやが、何と書いたります」
 喜三郎のからかいにも、村上は悠然と答える。
「読めまいがな。天狗界の文字であるぞよ。霊魂を磨けば、おのずと読めてまいるぞ。小松林の上田は修行不足であるぞよ」
「修行……こうか」
 大きな白扇が村上の頭上に激しくおどった。四つ、五つ、派手な音があたりに響き渡った。
「どうや、牛公。目がさめたかい」
 広前は凍りついた。怒りも痛みも感覚の埓外なのか、村上房之助はただぽかんと口をあけて立っている。
「お帰りなさい。先生、春蔵はんらは奥の間やで」
 台所から走り出てきて、しんとなった広前を見るや、澄は勢いよい声を投げかけてきた。
「よっしゃ。挨拶に行てくるわ」
 房之助一人を置きざりにして、腑に落ちぬ顔のまま、役員、信者たちが喜三郎に従った。
「上田の鬼めが攻めてきよる。大神さま、早く神罰をあててくだされ――」
 か細い女の悲鳴が、しめきった奥の間の内側から上がった。境の襖を、澄が引き開ける。喜三郎と春蔵の眼は、火花を散らしてぶつかった。
「今戻ったで……」
 一歩室内に踏み入って、喜三郎はにんまりした。三人の背の向こうに、角をはやした喜三郎の似顔絵が、釘ざしのまま張りついている。
「おのれ、小松林、御三体の大神の許しも得んと……」
 春蔵はまなじりをはねあげた。
「鬼退治はあいにくやったのう。こそばゆうてかなんかったで」
「く、くそっ」
 瞳も、頬も、炎のように燃えたたせて、春蔵がつかみかかる。とびすさる喜三郎。金切り声をあげ崩れ去った人垣は、二人を押し包んで広前まで移動した。
 喜三郎は踏みとどまり、しんとした目で三人を見すえる。
「春蔵、清、せい、お前らにかかっとる霊は正神やないぞ。審神者のわしを恐れるのがそのしるしや。恐ろしゅうなかったら、神前に坐ってみい」
 自ら神床を背に正座して、喜三郎は三人をうながす。人々は、波の引くように神前に坐った。とり践された三人も不承不承に膝を折る。
 胸元に組んだ審神者の指先は、剣のごとく春蔵に向いた。
「四方春蔵にかかられし神のみ名を伺います」
 静かな声音が響き渡った。ややあって、春蔵のくいしばった唇が動く。
「盤古大神なるぞ……」
「何神の御子なるや伺います」
「われこそは日の大神の直系にして、天地ひらけし時、現在の支那北方の地に降りたる祖神なり」
「さらば天地の律法はいかに」
「……」
「この肉体にかかられし目的は」
「天地の邪気凝りかたまりて発生したる悪霊どもが、律法にそむきて、この世をわがもの顔にはばりておるぞよ。このままでは天地が滅びるゆえ、この肉体を使うて、三千世界の立替え立直しをいたすぞよ」
 喜三郎は鋭く向きを転じて、塩見せいに迫る。
「神名を伺います」
 せいは身震いし、白いのど首を昂然とそらした。
「われは天王星より地上に降り来たる大自在天神であるぞ」
 野太い男の声であった。
「何故にかかられしや」
「豪勇無双のわれに対して、小松林ごとき審神者が何を申すか。八千矛のわが威力を揮うて、再び天下を治めんために現われたわ」
 審神者の指が黒田清にふり向けられるや否や、憑霊はとび上がって甲高く叫び出した。
「す、す、素盞嗚尊はわれなるぞ。わが言向け和せし八頭八尾の大蛇が、八王八頭の身魂を冒し、神界を汚しおった。時到りて黒田清の肉体を宮とし、天叢雲剣を以てなぎ払うぞよ」
「御三体、共に降りしゆえんをお伺い申す」
 喜三郎の視線は、ゆっくりと春蔵の面に戻った。
「われら三柱の大神あらば、三人世の元、三千世界は手のうちのごとく自由にいたすぞよ。因縁ある三人の肉体を選びし上は、小松林ごとき、いかに敵たおうとも、高天原はぴくりともいたさんぞよ」
「その方ども、この審神者を明き盲と思うか。この広前を国祖国常立尊の地上神界に再現あそばされる尊い仕組みの地場と知って、再びかき乱しにきおったな。春蔵、よう聞け。お前らの名乗る盤古大神も、大自在天神も、三千年の昔国祖の定め給うた天地の律法の厳正さに論争うて、八百万の神々を動かし、ついには国祖国常立尊に御退隠をせまり、尊を艮の果てに、妻神豊雲野尊を坤の果てに押しこめて、『艮の金神、坤の金神は鬼門、裏鬼門の祟り神』とまでののしった神や。それより地上は神をないものとして、霊主体従の神律は地に堕ち、悪鬼羅刹の跳梁を許し、体主霊従、力主体霊の世界に世を持ち荒らした。すでにお前らの世は終わった。このままでは、地上界は泥海となるばかりや。天の大神は、この行き詰まった世の立替え立直しを再び国祖に命じなされたのや」
「……」
「三千世界の立替え立直しとは、国祖艮の金神を表に出し、霊主体従の神律世界に立ち返らせ、みろくの世を実現させることや。一度は国祖を押し込めた側の身魂が、再び同じ過ちを繰り返す気か」
「だまされるなよ。上田の悪霊の舌の先に乗せられるなよ」
 黒田清が狼狽した声を上げる。喜三郎の言霊は、並み居る人の胸に笞打つごとく響く。
「聞け。真正の盤古大神ならば、すでに時節の来たるを知って、神政を大神に奉還なされたはず。お前らは盤古大神の系統に属する妖魅であろう。三人世の元とは何ごとや。盤古大神一派と大自在天一派は、激しく対立して覇権を争った仲やで。その上、地上現界(大海原)の主宰として国祖の御隠退に準じ、神退いに退われてさすらい給う素盞嗚尊が、何でお前らの一味に加わらんならんのや」
「……」
 喜三郎の言葉は、なだめるようにやわらかく続く
「心を鎮めて省みてくれ。わしらは、因縁あって地の高天原に引き寄せられて、三千年来の神のしぐみの端くれになりと加わるべき使命を有する身や。この時をおいていずれの代にか改心し、天地のまことの神業に奉仕する機会があるかい。修行半ばの未熟な心で妖魅に惑わされ、千載の悔いを残すやないぞ。分かってくれ春蔵、せい、清……」
「黙れ、黙れ、黙れ、小松林……」
 悲鳴に近い叫びと共に、春蔵、せいがうちかかる。
「悪神、立ち去れい」
 気力をこめて、喜三郎は一喝した。高く体を切って、憑霊は去った。三人は、広前に無様に転がった。
 針の落ちる音も聞こえる静寂の中から、喜三郎は立ち上がった。誠意をつくしても、なお言向け和しきれぬ焦燥感が、苦く心を噛んでいた。

 おとなしくなった三人を引き連れて上谷に帰った喜三郎は、彼らにその不心得をくれぐれもさとし、再び幽斎修行に加える。
 九月上旬のある日、四方春蔵が修行中、何者かの霊に感合して、折れ釘流の筆先をさらさらと書いた。
「この世いっさいの神界のことを綾部の大本ヘ引き継がねばならぬから、上田殿、足立殿、四方春蔵殿、至急来て下されよ――九十九仙人」
 喜三郎は修行者を見廻して問う。
「何や、この九十九仙人ちゅうのは。誰か知らんか」
 村上房之助ら二、三人の者が聞き知っていた。
 自称九十九仙人、本名は吉崎兼吉、弥仙山の麓の丹波国何鹿郡東八田村字於与岐(現綾部市於与岐町)に生まれた。七歳の時に山中で白髪異様の老人に出会い、種々の神秘を伝授され、以来その言行が一変し、木片や竹の端などで金釘流の神勅を書き始めた。彼は高言する。
「わしは天のお宮の一の馬場の大神さまの命を受けて、天地の神々に大神の神勅を宣伝するのが一生の天職や。わしの書く神勅が、現代のわからず屋どもに分かる道理もなし、分からせる必要もない」
 親族、兄弟、村人らからは気違いと見られ、誰も相手にせぬ。二十五、六歳のころ郷里の於与岐を捨て、口上林村(現綾部市の東北部)の山奥に小さな庵を建てて居住する。平素は樵夫を業とし、自分一人食うだけの米塩を貯えると、後はひねもす神勅だ。竹の先を叩きつぶして作った筆で引き割った板に書き記し、日当りの良い場所を選んで斜めに立て、大空にさらしているという。
 興味を持った喜三郎は、翌日訪ねるつもりのところ、急用で綾部に帰り二泊した。三日目の正午過ぎ、四方祐助が上谷の修行場からあたふたと飛んできて、喜三郎に報告する。
「先生、えらいこっちゃでよ。今の先、足立はんと春蔵はんが謀し合わせて、上谷を出て行っちゃったで」
「へえ、どこ行ったんや」
「九十九仙人のとこですわな。上田先生を出し抜いて仙人に会い、神界の秘術をこっそり伝授してもろて、あふんとさせちゃろちゅう魂胆や。十分の神力がなかったら、先生を追い出せヘんさけや。ほっといたらどもこもならん。わしが山の口まで案内しますで、早う早う……」
 喜三郎はせきたてる祐助を待たして直に面会し、報告する。直は神にうかがって命じた。
「先生、御苦労はんでござすが、すぐに二人の後を追うとくれなはれ」
 喜三郎は祐助を案内に立てて、口上林村に向う。ここは上林川の下流に位置し、大半が養蚕を業としている。仙人のおるという杉山の一里ほど手前で、祐助を帰した。後は雑草の生い茂る羊腸の小路を一人で登る。祐助の書いたそそっかしい一枚の地図がたよりだ。
 草深い峻坂を中腹近く登ると、路のかたわらの林の中に小さな小屋があり、入口に奇妙な張札が見える。
「私は妻子眷属もない哀れな孤独者で年は六十七歳、この奥山へ通う人々のために一年中ここを住居として山路を直し、往来のお方の便利をはかっている者です。どうぞ御同情あるお方は、乞食にやると思うて、一銭でも半銭でもお心持を投げてやって下さい。世界の慈善者さま……矮屋主人」
 その主人らしい声が外にもれてくる。小屋の入口にたたずみ、聞くともなく耳を傾ける。
「お前たちが神さまの御用をする人間なら、なんで世間の義理や人情が分からん。そんなことで衆生済度どころか、自分一人の済度もできはせんわな。口先ばかりの誠で、心と行いは正反対や。わずか一銭二銭の金が惜しいのか。この老人の労苦に酬ゆることもでけんのか。たとえこの山奥で餓え死んだかて、神商売のお前らの汚ない金など受け取るかい。とっとと出て行け」
 それに揶揄的な語調で答えるのは、聞き覚えのある足立正信の声である。
「おい、爺さん、勝手なこと言うない。山道の修繕料よこせというても、どこに修繕してある。道草一本刈った跡も石一つ動かした気配もないやないか。今先も道端の芒で足を切るわ、石につまずいて生爪はがすわ、これだけ難儀させられて何が修繕費じゃい。淵川へ捨てる金はあっても、お前みたいないかさま爺さんに、阿呆くそてやれるかい」
 続いて四方春蔵の若い声。
「ほんまやでよ。世間はそんなに甘ないで。後生を考えてよいかげんに改心しなはれ。よい年して、乞食の真似などするやない」
 事情がどうやら呑みこめた。よい所で足立や春蔵に追いついたものと、喜三郎は声をかけて小屋に入る。
 二人は喜三郎の姿を見て腰を浮かし、足立がとってつけたように言う。
「やあ、会長はん、この山路を一人でどこへ行きなさる」
「お前らこそどこ行くねん」
「ちょっと急用ができて、上林の知り合いを訪ねます。まあ、ゆっくりと休ましてもろて、爺さんから結構な話でも聞かせてもらいなはれ。年寄りの言うことは為になりますぞ。さあ、春蔵はん、道草を食っとれん。早う行こかいな」
 足立は春蔵をせかして、入れ違いに出て行った。二人を見送って喜三郎は懐から十銭銀貨を取り出し、「御苦労でございます」と老人に差し出す。老人は嬉しそうでもなく受け取り、喜三郎の顔を凝視して「うんうん」と一人うなずく。
 足立らの後を追って出ようとすると、喜三郎の袖を引き、
「待ちなはれ、わしが近道を教えるさかい、慌てんでもよい」
 うまそうに煙草を二、三服吸い、老人とは思えぬ軽い足取りで先に立った。杉山の麓の谷川で老人は立ち止まり、指をさして教える。
「この川の向うへ渡ってとことこ歩いたら、仙人の庵につく。後は一人で行きなはれ」
 老人と別れ、谷川の急流を渡って杣道を登る。五、六丁も進んだ頃、道をふさいで蓬髪弊衣、髭もじゃの逞しい男が立っていた。年は五十余りか。眼光が異様に鋭い。一目で九十九仙人と知れた。
 仙人は顔色をやわらげ、愉快げに喜三郎に話しかけた。
「ああ先生、こんな山奥までよう来てくれました。この日を待ちかねてましたわい」
 仙人は庵に喜三郎を案内する。白湯をずず黒い土瓶から汲んですすめながら、仙人の書いた神勅なるものを見せる。その大要は出口直の筆先と対照するまでもなく、非常に類似している。
「今日までの世界はわれわれ大自在天派の邪神らが自由自在に跳梁していたが、天運循環して艮の金神が再現した以上は、これからは綾部の大本へ世を渡し、神界の一切の権利を国祖に手渡さねばならぬ」
 二人は神界の秘事について打ちとけて語り合う。喜三郎にとって、仙人から聞いた話は、今後の霊学研究上裨益すること大であった。
 深更になっても先を越したはずの足立と春蔵が現われないので、遭難でもしたのかと心配になり始めた。その懸念を察して、仙人は笑って教える。
「あの両人は先生を出し抜いて神界の神秘の鍵を握ろうとした腹黒い奴らやさかい、神界から戒められているとこです。天のお宮の一の馬場のお父さまも、天のお宮の二の馬場のお父さまも、天のお宮の三の馬場の国族武蔵吉崎兼吉も、みなあなたの体を守り、この神秘を伝えるために、二人をわざと遅らせている。明朝になれば訪ねてきますから、御心配いりません」
 あかず一夜を語り明かした。喜三郎は高熊山での二度の神界修行の見聞と符節を合わせる話ばかりに驚きつつ、改めて信念の熱く固まるのを覚えた。
 顔を洗いに暁の谷川に出る。峯吹く風に深霧の幕は尾上に散りゆく。百鳥の啼く音すがしく、潺々と流れる川の面に赤蜻蛉が舞う。深山の霊気に洗われて不眠を忘れるほど、気分はさわやかだ。
 仙人の作ってくれた朝粥をすすり終わった頃、足立と春蔵が訪ねてきた。彼らは先を急ぐあまりに山路に踏み迷い、さらに濃霧のため方向を誤って深い谷底へ転落、あちこちに傷をおう。夜道を迷い迷ってようやく辿りついたのが元の中腹の破れ小屋、例の老人から眼玉がむけるほどどなられる。さんざん陳謝したあげく、ようやく杉山の麓の宿屋に案内してもらって一泊し、早朝に登山してきたのだ。
 負け惜しみの強い春蔵は、平静をよそおって喜三郎に言う。
「先生は、わしらがあまり心得違いしたから神界からお気付けされたと思うとってんじゃろうが、これも何かの神さまのお仕組みでっしゃろ」
 足立と春蔵は、仙人に「神界の神秘をお伝え下さい」とこもごも頼む。しかし仙人の返答はつれない。
「ああ、そのことならもう上田先生にすっかり伝えてあるさかい、先生から、発表の許される範囲で聞きなはれ。それよりも、二人をここへ呼んだのは警告しておきたいことがあるからや」
 急に態度を改めて、足立に向う。
「よほど心中不穏とみえて、お前の面部には殺気が現われておる。一時も早く惟神の道に立ち返り、及ばぬ野心は捨てなされ。いま改心せんと、身の破滅を招きますぞ」
 次に四方春蔵に対して、言葉強く言い放つ。
「お前には盤古大神の霊が憑依しとる。お前の大望は、ちょうど猿猴が水の月を捉えんとするようなもの。早う改心せんと身を滅ぼすことになる。今より一心に真心もって神界に仕えたら、昔からの霊魂の深い罪科を許されてあっぱれ神界の御用に使うてもらえるが、さもないと、災禍たちまちその身に至る凶徴がありありと出とる」
 二人は真青な顔をして一言もなく震えている。仙人は立ち上がって、喜三郎に笑顔を見せた。
「いよいよ時節が来た。わしの神界から与えられた役目も今日で終わりや。明日からは人界へ下って、人並みの仕事について余生を送ることになる。再び訪ねてきてもらっても、もうここにはいません」
 言うなり、大鋸を肩にかけ、山奥深くヘ姿を没した。三人は思い思いの感慨に黙して庵を後にした。

 九月十九日、金明会広前は中村竹吉宅から再び金光教東四辻教会ヘと移転、艮の金神を遷座した。金光教とはっきり手を切った足立正信が大広前を明け渡し、近所の貸家に移り住んだためである。上谷に幽斎修行場をもうけてちょうど一月目。
 警察へは「金光教会は河守(現大江町河守)へ移転」の届け出を出す。翌日、警官が来て移転の理由を問う。喜三郎が「神さまの御命令」と答えればそれ以上詮索せず、「足立は問題の多い人物やさかい、帰した方がよいで」と忠告した。
 喜三郎の厳格なる審神に服して以来、春蔵たちは、鳴りをひそめていた。上谷も東四辻の大広前も小康を得て、泣きごと言いの祐助爺ですら、澄を相手に嬉々として竈の煙を吹き上げている。
 ――筆先、霊学肚へ入れておいたら、世界一目に見えすくぞよ。その仕組みであるぞよ。
 ――金明会、霊学会をこしらえて、綾部世の元にいたすのであるから、みな心得てくだされよ。今、大事のとこざぞよ。悪きことは互いに気をつけ合うて、一つ肚にならんと、はだはだになるようなことでは、みな兄弟であるから、仲よくいたして神の世話いたしてくだされよ。みな了簡がちがうぞよ。昔の始まりからのことから分かる世になりたぞよ。将来のことも分かるぞよ。
 ――金神が、艮と坤ヘと立ち分けられて押し込まれ、長らくの苦労いたしたぞよ。これから鬼門の金神、裏鬼門の金神と夫婦が表に現われて、出口の神におん礼申すのざぞよ。昔には、この身魂は夫婦でありたぞよ。今は親子となりて、夫婦の御用いたさすぞよ。
「今は親子となりて……親子となりて夫婦の御用を……」
 中村竹吉の声がゆるんで、そこで止まった。お筆先の写しを置いて頬杖つき、思案にくれる。
 ――親いうたら、艮の金神出口教祖さまのみ魂やし、子いうたら筆先でお世継と出たお澄はんの婿養子。婿の最有力候補は四方春蔵やが、何せ若い。才走りすぎて心配や。今度は、会長に審神されて味噌をつけた。副会長の足立も婿になりとて画策しとるが、あの年でしかも二人の子持ち。四方純とも醜関係がある。おまけに近頃、四方純の腹がせり出してきよった。足立の子やというのは誰の目にも明らかや。まず失格やろ。問題は筆先にも出とる上田会長。確かに霊学はたいしたものやが、こんな男が艮の金神の御用どもしたら、さっぱりこの大本をわやにしちまうでよ。
 竹吉は、目の端をかたわらの男に投げた。もう昼近くというのに、喜三郎はこの広前の片隅であたりかまわぬ高鼾、口を半開きにして寝こけている。
 ――わしらは教祖さまに神なろうて夜明けと共に起き、頭から水をかぶって清浄無垢、汚れはみじんも残さず洗い清め祝詞を奏上、畑仕事、草むしり、庭掃き、洗濯、それからぴりっとも膝をくずさず、腹いっぱいの声はり上げてお筆先をいただいとるいうのに、何と情けない、この会長ときたら。
 ――朝の拝礼に起こしてやったら、「み魂で拝んどるわい」とぬけぬけとぬかしおって、教祖さまや信者の祝詞に鼾で合わしくさる。
「朝飯どないするんや」ちゅうて親切に気いつけたのに、「ここで食うわ」と枕元を叩く。放っときゃええのに、お澄はんが膳運んでやるさかい、ますます図にのる。蒲団から首と手だけぬっとつき出し、いきなり食うさかい、みかねて、「おい手水だけでも使わんかい」言うたら、「手水つかうほど汚れとらん。お前代わって洗といてくれや」、ぐうっ、なんちゅう……。
 ――教祖はんもお澄はんも我慢して、表は文句こそ言うちゃらへんが、あんなだらしないことでは、叩き出されるのも時間の問題やろ。どう考えても、艮の金神の御用ができるのは、信仰に命を張っとるわししかない。そや、いったんは籍をぬいた女房の菊やが、いいかげん追い出してしまわなあかん。
 竹吉は、も一度水をかぶるために立っていった。神の選び給うわが身と思えば、たくましい五尺五寸のこの体がいとしい。
「他のことは構わいでもよいから、だいいちばんに筆先を十分のみこみて、われの身魂を水晶にみがくが一等であるぞよ」
 冷水をかぶるたびに水晶になっていくわが身、わが魂が分かる。風呂に入っても顔も洗わん会長とはどえらいちがいや。
 竹吉は法悦の中で、好きな筆先の一節を高らかに誦した。
「来いで来いでと待つ世は来いで、待たん世が来て門に立ちたが、待ちた世がまいりたぞよ」

 修行者の審神者は、四方平蔵、四方藤太郎にどうやらまかせられる状態になってはいた。喜三郎がついていなければ修行にならぬ段階から早く脱皮して、もっと自由になりたかった。審神者の養成に力を傾けて、一応目ばなしが出来るとなるや、次になさねばならぬ仕事が、急いて急いて待っていた。否、待ちかねて、喜三郎の夜を占めていた。
 人々が寝しずまるのを待って、喜三郎は起きる。窓よりのぞく月に祈りを捧げて筆を持つと、ぐぐっと下腹が熱してきて、重くなる。豆ランプの光に身をかがめて、一気に筆が走った。ほとんど明け方まで、筆は休みなく走り続ける。墨をする間も、和紙をひろげる間も、実に惜しかった。二番鶏が鳴いて夜が白み始めると、筆は止まる。起きてくる修行者と入れ違いに、蒲団にもぐりこむ。喜三郎の朝寝は続いた。
 綾部に来て間もなくからその仕事は始まっていたが、審神者の仕事の大部分を弟子に任してからの喜三郎は、夜半の執筆に心魂をうちこんでいた。高熊山での様々なる霊的修行の記録を、どうあっても書き残して後世に伝えねばならぬ使命感があった。が、旧金光教の信者であり、直の筆先一つに生きている役員信者らには知られてはならなかった。
 喜三郎の神界での見聞と、直の筆先はぴたりと一致する個所が多かったが、疑問とするところなきにしもあらず。正直いって、喜三郎は、筆先は無論のこと、出口直の身魂の審神がまだすっきりとできぬ悩みにとらわれていた。その人柄には無条件の尊敬をおぼえつつ、一方ゆえ知らぬいらだちと反発に苦しめられた。
 直の命、信者たちの帰依のよりどころである筆先が正か邪か、その判断すらつきかねて、どうして彼らの会長として涼しくおさまっておれようか。
 筆先に心酔しきっている中村竹吉や足立正信の所信を聞き正してみても、喜三郎には納得できぬ。むしろ軽侮の念を押えきれないのだ。しかも、次から次ヘと筆先を丸のみにして、無智な信者たちは喜三郎をも律してくる。
 早晩起きるに違いない筆先との対決、そのためにも喜三郎は、高熊山での神示のかずかずを復習し、自分の精神を整えておく必要にせまられていた。

 仮題『三界通覧』の和綴冊数もかなりかさんできた十月十日、喜三郎は、四方平蔵をともない、駿河に発った。
 役員信者の迷妄をさまし、正しい霊学を発展させるためには、やはり、歴史をふまえた長沢雄楯翁の重厚なる背景に触れて認識を改め、少なくとも平蔵だけでも喜三郎の片腕となってほしかった。いずれにしても、金明会は稲荷講社付属の建前であるから、その結成について報告し、今後の指示を仰ぐ義務があった。
 夜半発ちし、園部まで徒歩、園部から京都行きの夜汽車に乗った。
 京都~園部間の鉄道は、鉄道国有の世論をよそに、京都鉄道会社によって開通。明治三十(一八九七)年二月に二条~嵯峨間、四月大宮~二条間、十一月京都~大宮間、そして、嵯峨~亀岡~園部間が開通したのは明治三十二(一八九九)年八月十一日であった。
 八月十三日京都鉄道始業式、十四日午前中、嵯峨~園部間の無賃サ―ビス。翌十五日午前七時京都始発、八時四十六分園部着。盛大に花火が打ち上げられ、連日、火の車見物に弁当持参の見物客が押し合った。七条~園部間は十二往復、二条~嵯峨間は二十一往復の時刻表が残っている。
 喜三郎の二度目の綾部行き(七月三日)当時は開通以前であったし、祖母危篤の報で穴太へ戻った時(九月三日)は、心はやれども汽車に乗る金などなかった。園部から汽車に乗るのは、二人とも初めてであった。次の駅八木までのわずかな距離であったが、目の不自由な平蔵をいたわるつもりだった。
 京都での夜おそくの乗り継ぎの不便を避けて、八木の福島寅之助の留守宅に一泊を乞うた。主人寅之助は足立説得のため、土田雄弘と共に綾部に乗りこんだままであった。それから三ケ月近い。帰郷をすすめても、幽斎修行に熱中する寅之助は頑として受けつけぬ。
 喜三郎は、寅之助の神がかりに危惧を感じていた。今のところ、実直に審神者に服していて、妖魅のかかった兆候はない。しかし、荒い神がかりを好む傾向と頑固一徹過ぎる性情は、いったん慢心を伴うと制御がきかなくなろう。その恐れを予測して注意を重ねてはきた。が、できれば、寅之助には幽斎修行を断念させたい。彼の里心を呼びさますためにも、留守宅を見ておきたかった。
 鉄道敷設で茶店を畳み、少し奥まった鉄路脇に福島家は立ち退いていた。小さな家であった。見違えるほど面やつれした妻久が、喜三郎を見るなり畳みかけるように綾部での夫の様子を問い糺す。次女いと(八歳)、三女みずえ(五歳)、四女しず(四歳)、五女みつ(三ケ月)と、手のかかる四人の幼女を産後の身に抱えこみ、いつ戻るとも知れぬ夫の不在に心労を重ねる。かつてはぴかぴかに磨き上げ、それが誇りでもあった人力車が、まっ白く埃をかぶったなり忘れられていた。
 綾部に帰ったら叩き出してでも帰郷させねばならぬ。自責の念に、喜三郎は久を正視できなかった。
 翌朝、一番汽車で八木を発つ。
 駿河に滞在すること三昼夜、四方平蔵は、長沢雄楯に接して、正しい帰神と俗間に行なわれている稲荷下げとの雲泥の差異に目を開かれていた。
 往きはよいよい、帰りはこわい。十月十三日、まさにこの日は、四方平蔵にとって忘れることの出来ぬ大厄日であった。
 下清水から江尻まで二十町、午前一時発の急行に乗る予定でうす暗い夜のホームに立つ。平蔵はいっぱいの荷物を肩に、喜三郎は両手に持っていた。汽車はボギー式で、田舎の汽車とちがって入口が少ない。その上、あとで知ったが、停車時間は僅か二分。両手の荷物が邪魔になるので、喜三郎は手早く先に乗りこんだ。
 通路に荷物を下すや、目の悪い平蔵に手をさしのべて叫ぶ。
「ここや、早うこい。気いつけや」
 平蔵がようやく昇降台にとっついて片手をかけた時、はや汽車は動き出していた。肩一杯の荷がつっかえて足が乗らぬ。喜三郎は、とっさに平蔵の片腕をつかんだ。
「危い、危い」
 駅員の怒号が流れる。速度を増して七、八間、振りもぐように汽車は引きずる。平蔵は死力をこめて、喜三郎の片手にぶら下がった。瞬時、平蔵をつかんだ片腕にまっ黒い悪魔がかぶりつくのを、喜三郎は見た。
 どうしてあんな金剛力が出たのか、凄じい風圧に逆らって荷物もろとも平蔵を昇降口まで釣り上げた時、二人は口もきけずに震えつつ、車中の通路に抱き合った。
 ――これは単なる事故やろか。平蔵だけでも正しい審神者に育て上げわしの片腕にと、ここまで連れてきた。それを奴らは、平蔵もろとも本物のわしの片腕までもぎとろうとしやがった。邪魔な審神者に歯をむき出す邪霊群の必死の妨害や。
 まだ震えの止まらぬ平蔵の薄い背を抱きながら、喜三郎は神の加護を祈る。
 京都駅着午後一時。二人は東本願寺前の茶店に入り、昼食をすます。七条通りを西行、西七条に至る。ここから亀岡行きの乗合馬車が出ていた。
 切符を買い発車時刻を待つうち、平蔵が苦悶しはじめた。
「どないした、平蔵」
「蛸、蛸や……」
 茶店で食った昼飯の蛸が悪かったのだ。嘔吐し、下痢すること十数回、ついに土間に倒れたまま、死人の顔色となった。馬車屋の主人があわてた。
「あんた、切符の金返すさかい、さっさと去んどくれ。警祭へ知られては何も彼も焼かれる。営業停止や、どもならんで」
 コレラと判断したのだろう。どんなに急き立てられても、二人分の荷物は山とあるし、しかも平蔵をかついで山坂は越えられぬ。喜三郎は、直から授かった肌守りの中のおひねり二体(筆先の書かれた紙の極小断片)をとり出して口に含ませ、鎮魂する。ほどなく平蔵の顔色に赤味がさし、「大丈夫、大丈夫」と言いながら起き上がった。
 二人の荷物を肩に手に、ようやくあいた片方の腕で平蔵を抱きかかえて歩き始めると、二台の空俥が通りかかった。
「おう、救けてくれ、乗せたってくれや」
 地獄に仏であった。平蔵を先の俥に押し上げ、喜三郎は後の俥に乗る。桂大橋辺までさしかかると平蔵は元気を取り戻し、大声で喜三郎に話しかけた。
「何ちゅうこっちゃろ。二度までも死に目におうて、ようよう命とりとめましたわな」
「二度あることは三度いうさけ、気許したらあかんでよ」
 思い出多き老の坂を越え、王子、篠村と喜三郎の里心をそそる山々が見えてくる。
 篠村八幡宮の少し手前であった。目の前を軽々と走っていた平蔵の俥の鉄輪が、がらりとはずれてふっとんだ。平蔵は街道に真逆様、今度こそ蛙のようにのびている。
「平蔵……」
 喜三郎は覚悟して近づいた。むっくりと平蔵が起き上がった。恐怖の目で車輪のもげた人力車を眺め、蒼ざめた二人の俥夫ヘと目を移して、喜三郎に弱々しく笑いかけた。笑いはたちまち涙となった。かすり傷一つなく、平蔵は無事であった。
 日に三度、汽車、馬車、人力俥と乗物をめぐる災厄が降って湧いた。まるで平蔵の命を狙う刺客が待ち伏せ、罠をしかけたように。三度ともその難を切り抜け得たのは、平蔵自身の力だったろうか。否、否。肉体というものは何ともろく、ちょっとしたつまずき一つで果てるものか。無防備素手のこの肉体をどうして自力で守り切れよう。
 ――お前を死なすわけにはいかん。生きて御用をせいという神さまの御心やでと、喜三郎は平蔵の魂に呼びかける。
 平蔵は涙でいっそう見えぬ眼をみひらき、砂塵にまみれた足を運んだ。
 篠村から徒歩で八木まで行って福島家に立ち寄り、次いで八木の大橋越えて新庄村の土田雄弘を訪ねた。
 綾部で喜三郎の霊力にふれ心酔した土田は歓迎する。四方平蔵のほやほやの神徳談に花を咲かせていると、電報が届いた。その電文を見て、土田は困惑した様子である。「さしつかえなければ」と喜三郎が事情を訊く。
 従弟の南部孫三郎が危篤との知らせだが、病床へ駈けつけてやりたくても、このところ手元不如意で、京都までの旅費もないという。先々月に妻とらが長男をお産したばかりであった。
「一つ、先生の御祈願で、南部を助けてもらうわけにはいきまヘんやろか」と土田が頼む。
 南部孫三郎は慶応二(一八六六)年に京都に生まれ、明治三十二(一八九九)年現在、三十四歳。土田の叔母ゆかが南部の母になる。
 南部は金光教の教師になり、京都、備州、遠州、駿州に十七ケ所もの教会を開いたが、女性関係にだらしなくて幾度もあやまちをくり返し、ついに破門されて今では妹の家に居候している。二年前から肺結核をわずらっていたが、病状はかなり悪化していた。
 喜三郎は神意を問い、むずかしい顔になった。
「今日から七日目が大峠や。九分九厘助かる見込みはないのう」
「それでも一厘の望みはおまっしゃろ。もし南部の命を救うてくれはったら、わしがあいつを説いて先生の弟子にして、お道のために働かせますさかい、そこを何とか神さまに無理いうとくれやすな」
 喜三郎は笑いながら、
「治ってから、また金光教の布教師時代のやり方されたら、わやくちゃやさけのう」
「そんなこと、わしがさせますかいな。いくらなんでも、南部も女には懲りてるはずや……」
「神さまが聞いてくれはるかどや、知らんが、三年間だけ命を延ばしてもらうように頼んでみる。神さまは、三年間の行状を見届けた上で、また判断してくれはるやろ」
 喜三郎と平蔵を見送りながら、土田は南部のため万一の奇跡を祈った。
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