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文献名1大地の母
文献名2第9巻「丹波の曙」
文献名3鼬の最後屁
著者出口和明
概要明治42年(1909年)初春、王仁三郎と梅田常次郎(梅田信之)との出会い。王仁三郎は安子(常次郎の妻)に八雲琴を勉強しておけと指示する。常次郎にはイタチの屁袋の話をする。
備考
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OBC B138909c08
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本文  明治四十二(一九〇九)年初春、大日本修斎会京都支部(近松政吉宅)には、綾部から竹原房太郎と田中善吉が来て数日間滞在していた。近松家は政吉の妻自由と南部孫三郎の醜聞で一時支部を解散したが、その後王仁三郎の許可を得て復活していたのである。(第六巻「金明霊学会」参照)
 折りよく参拝に来た政吉の娘安子を叔父田中善吉がつかまえた。
「お安、会う度にきれいになるのう。今、お前のとこ訪ねていかんならんと思ったんやさ。どうや、梅田はんの道楽、まだやまらんかい」
「へえ、あい変わらずどっせ……」
 安子は視線をそらした。が、端麗な横顔に滲む淋しい翳りはかくしきれぬ。
「困ったもんや。どうでも梅田はんに会いたいんやが、そんならいつ帰ってくるやらもわからんやろなあ」
「どんな御用どす」
「それですがな……」
 竹原が勢いこんで立ち上がり、神前の三方から筆先の写しをとり出してきた。
「これは昨年の旧五月二日に出たお筆先や。お安さん、まず拝読しとくれなはれ」
 ――元の活神が沓島へ落ちておりたなれど、何かの時節が参りて来たから、明治四十一年の節分の夜に弥仙山まであがりておるぞよ。お借殿では何かの便利がわるいから、雑なお宮でよいゆえに早くして下されよ。
「もったいなや、わしらの力が至らんさかい、三千年の間落ちておられて元の活神さまを沓島開きでようやくお上げ申したというのに鎮まっていただくところさえないもんで、弥仙山の頂上の宮に木の花咲耶姫さまと同居して不自由をしのんでござった。いよいよ大望が切迫して、元の綾の高天原、つまりは綾部本宮村神宮坪の内の元屋敷へ帰るから、ほんのおがら(麻の皮をはいだ茎)建てでもよいから宮を造れと、神さまがおせかしですわな。開祖さまは直ちにお引受けし、役員を集めて神殿建築をお命じなされた。誰それが用材を献木する、誰それは金を用立てる、誰それは労力を奉仕すると言うてくれてじゃが、何しろ信者というてもその日暮らしの貧乏人ばかりじゃ、一向にらちがあかん。暮れには会長はんが御嶽教から帰らはって、『これではならん』と本腰を入れ始めた。何せ、まず土地を手に入れることから始めねばならん」
「土地いうてもなあ、龍門館の裏は藪やし横は桑畑で、あとはよその地面や。隣の四方源之助はんの屋敷に建ていと神さまは言うてじゃが、村一番の分限者に立ち退いてくれとも言えんわな。その上、『大広間も手狭になったさかい、同時に立て増しや』と会長はんが言うとる。金はなんぼあっても足りん」と、田中が思案顔になる。
「それでわしら、京都の支部の人たちからも寄付を集めに、ここに御厄介になっとるわけですわな」
 竹原の熱っぽい語に次いで、田中がいまいましげにぼやいた。
「わしらは一生懸命集めとるのやが、京都の信者というても数が知れとる。思ったように金が集まらん。会長はんからは今日、『この忙しい時に役員二人まで出掛けて、いつまでぼやぼやしとる。この葉書着き次第すぐ帰れ』ちゅうお叱りが来た。人の苦労も知らんと。明日は帰るつもりやが、その前に梅田はんに会わんならん。というのは、来しなに教祖さまに御挨拶に行ったら、神殿建設の話は前に一度おいでたことのある梅田はんの耳にも入れとくようにと、わざわざ御注意があったのや。けどなあ、梅田はんに信仰があるわけやなし、まだ茶屋遊びがやまらんようでは、やっぱり無駄やろなあ」
 安子の胸は、神殿造営の話で喜びに震えた。
「そんな結構なことどしたら、なんでもっと早う言うとくれやしまへなんだんどす。梅田はお茶屋に流連けどすけど、四、五日たってお金がのうなると、きまって戻って来まっしゃろ。家へおいでやして、梅田が帰ってきたら、どうぞあんたはんからよう頼んでみとくれやす」

 夕方、安子の予測通り、梅田常次郎はひょろんと帰ってきた。
「やあ、叔父さん、おいでやす。大本の役員さんもようおいで……」
 常次郎は、田中と竹原に愛嬌のある笑顔で頭を下げ、後は二人を無視して大きな姿見の前に立つ。安子の手を借りて、着物から肌着まですっぱり着替えるのだ。それから卓袱台の前にあぐらをかく。
「お安、すぐ飯や。茶漬けでよいえ。御馳走を食いあきたら、たまにはおこうこ(沢庵)で茶漬けもよいもんや」
 竹原は常次郎の前に四角張って出て、神殿建設の事情を説明する。聞いているのかいないのか、常次郎は音をたてて茶漬けをかきこむ。秀でた額、高い鼻、意志の強そうな口元、それらが憎らしいほど冷静にとり澄ましている。
 田中は焦れて、声を高めた。
「梅田はん、お聞きの通りや。お安も熱心に信仰しとるこっちゃし、柱一本、瓦一枚でもよいさかい、寄付しておくれんかい」
 梅田は箸の先で歯をほじくりながら、そっけなく言った。
「わしは信心が嫌いやないで。こどもの頃に紙に自分で神名を書いて拝んどったぐらいのもんや。もう七、八年前かしらん、お安に無理矢理連れられてやけど、綾部にも参らしてもろた。けどなあ、大本の神さんはさっぱり有難い気がせんのや。有難いとさえ思わしてもろたら、まだ親がかりでかたまったことはできいでも、柱一本、瓦一枚、そんな物は邪魔くさい、屋根代ぐらいは出しまっせ。けど心がちっとも動かんさかい、どうしようもない。有難くもない宮建てて大本の神さん拝むより、祇園の芸妓の観音さんでも拝んどる方が、なんぼ結構やわからん。へんな話をするさかい、また里心がついたやないか。ほんなお安、行ってくるで」
 常次郎は箸を置くなり立ち上がり、箪笥から金をつかみ出して袂に入れ、銭湯へでも行くような調子で、ぷいと表へとび出した。竹原と田中は、気まずい顔を見合わせる。安子はうなだれて、白くて長い指先のこわばりを見詰めていた。

 お宮建設の御用から取り残されねばならぬのは、夫の浮気に耐えるよりも一層苦しくせつなかった。泣いて縋って夫に頼めば、いやいやながらも少しの寄付ぐらいはしてくれる気になったかも知れぬ。しかし安子の性格では、それができなかった。
 行燈のほの灯りで天井を眺めると、梅田といっしょになったその日から煩悩に悶えたあしかけ十年の日々が思い返されてくる。
「綾部さえ連れてってもろたら、旦那はんがお遊びやしても……じっと待ってまっせ。そやさかい、どうぞ……」
 夫の浮気公認と引替えに綾部へ連れて行ってもらったのは、明治三十三(一九〇〇)年七月であった。夢にまで見た教祖出口直との対面は、いっそう安子の信仰を燃え上がらせた。けれど信仰したからといって、禍いが避けて通ることはなかった。あるいはと期待した常次郎の素行は、参綾によって治まるどころか、むしろ逆であった。安子の言質を得て、さらに公然と茶屋遊びを続けた。
 明治三十六(一九〇三)年七月、常次郎は廃嫡をとり消され、通いで、親元の呉服お召問屋梅常の店に坐るようになった。いかにも商売人らしくない若主人であったが、常次郎がおっとりと坐っていると不思議に客が寄ってくる。それでも店の実権はあい変わらず義母テルががっちり握り、口出し一つ許さなかった。月末になると、番頭が安子の元に月々の金を届けにきた。常次郎の茶屋遊びは、その間も続いていた。
 常次郎は「芸者のあだっぽい立ち姿が身震いするほど好きや」と言い、贔屓の芸者に梅常から持ち出した呉服を着せてはあかず眺めた。常次郎の柄の見立ては天才的といってよく、それぞれの顔立ちや姿に応じて選んだ着物は、これ以外に考えられぬほどぴったりと似合った。芸者ばかりではなかった。店の客も常次郎の柄の見立てに魅せられて、喜んで買っていった。迷っている時でも、常次郎の坊ちゃん然とした様子を見ると、ことわるのが気の毒で買わずにおれなくなるという。気が向けば常次郎は柄を考案して梅常で作らせたが、その反物は、目のある客の垂涎の的となった。
 七月三十一日、四魂揃うた岩戸開きのお礼、三代の世継の決まったお礼などを兼ね、出口直、王仁三郎、澄、直日ほか役員信者が多数揃って七社参りをした。七社とは、綾部町の産土神社七社(熊野新宮社・若宮八幡社・八幡宮・二の宮・三の宮・笠原社・斎社)を指す。安子ははるばる京都から参拝し、身も心も清らかな感動に酔いしれて帰ってきた。
 安子の留守中、夫は芸者お光を身請けして、近くに妾宅を持たせてそこに入り浸っていた。
 梅常からの仕送りは茶屋遊びとお光の生活費に消えていく。幾夜も一人で考えたあげく、安子は表を改造して小さな煙草屋を始め、そのわずかな利益で細々と食いつないだ。間なしにお光は身ごもり女の子を出産、続けて翌年、男の子を生んだ。二度とも、安子は産着を縫って贈った。
 お光の母親がやって来て、産婦の枕元で責めた。
「立派な梅常の跡取りがでけたんどっせ。石女のお安など追い出して、あんたが本妻におなりいな。どうせお安かてまだ籍に入れてもろてへんのやし……よいか、今夜は必ず梅田はんにねだって、しっかり梅常を握るのやで」
 気の弱いおとなしいお光は、生さぬ仲の母にけしかけられる程おどおどとして、それを常次郎に言い出せなかった。すると母親は、「この甲斐性なしの不孝者」とお光をののしり、さらに激しく責める。母と本妻安子への気兼ねの板ばさみになったお光は産後五日目、狂って家を抜け出た。安子はお光を捜して連れ戻し、癲狂院へ入院させるまでのいっさいの世話を見た。
 常次郎は茶屋に入り浸って帰って来ない。一月ほどして、煙草屋の店先にお光の父親があらわれた。くたびれきった初老の男で、自信のない目付きをしていた。
「お光が癲狂院へ入ってから、梅田の旦那はんは、一度でも見舞いに来てくれはらへんやんか。ときどき正気に返ると、お光は赤子や旦那はんのことばっかし言うて泣いてるそうどすわ。奥さんにこんなお願いできた義理やおへんけど……ちょっとでよいさかい、あの子に旦那はんの顔見せたっとくれやす」
 安子の言うことなど、聞く常次郎ではない。いつ帰るやら分からぬ常次郎のために買ってあった好物の金鍔をすすめながら、言葉を尽くして慰めるだけであった。
「……お医者はんは治ると言うてはるけど、ようなったらきっと旦那はんの足は向きます。それまで辛抱させとくれやす」
 お光の父は、やさしい聴き手を得て、いつまでも愚痴った。おもに後妻への不満であった。
「あんたみたいな良いお方を苦しめて、お光が気違いになるのも当たり前どすわ」
 最後にそう言って、お光の父はしょぼしょぼと立ち去った。
 ――良いお方……あてが良いお方……。
 安子は畳につっ伏した。お光の父さんがあての心をのぞいたら、きっと震え上がってやろ。落籍されて初めて常次郎に抱かれた時、安子はなぜか燃えなかった。妻であろうとあせる心とはうらはらに。その時の常次郎の興ざめた顔が忘れられない。それ以来、安子は女らしく甘えてより添うしぐさが出来なかった。身も心も乱れて溶けるような愛の情感などとは無縁だった。体がそうできているのか。そのくせ嫉妬は火を吹き、激しく身を焼き焦がす。女の生理の妖しさでもあろうか。貞女ぶった固い仮面が顔に貼りついてしまっただけ、それだけ心の中は焼けただれている。
 安子には決して与えられなかった子をお光がやすやすと生み落とした時、安子の痩せた身は、憎悪の刃と化した。二人目の男の子の産着を縫う手先が震え、幾度も指に針を刺した。やさしい言葉をお光に吐きかけながら、なお押さえきれぬおのが嫉妬の毒が、目には見えぬ霧となってお光をとりまき、気を狂わせたのではないか。
 自責の念が二重に安子を苦しめる。生きながら地獄へつらなる我が想念の恐ろしさに、神前に手を合わすこともできず泣きあかす夜々であった。
 やがてお光は退院してきたが、常次郎の心はお光に戻らなかった。
「甲斐性なしのお前が言うこと聞かんさかい、あてまで阿呆な目ェ見るわいな」
 義母の毒づきと厭味の中でお光の病気は再発し、癲狂院で死んだ。とり残された幼い女の子は里子に出され、男の子は江州の渋柿問屋に養子にやられた。
 お光の遺体が帰ってきた時、安子は呟いた。
「あんたはまだ仕合わせどっせ、もう苦しみからぬけてしもたんやさかい。あてには、まだまだ続くのや。業やな……業や、業や」
 安子は遺書を書き、部屋の額の裏に短刃と共に隠した。忍べるだけ忍んでお光のように気が狂いそうになったら、いつでもわが胸に短刃を刺す覚悟であった。自分を刺すつもりの刃が、どう間違って夫や女の胸をつらぬかぬという保証もなかった。
 何度か短刃に手をやりながら、その度に思い止まったのは、出口直の言葉があったればこそである。
 安子の心をのぞくように、直は言った。
「死んだら今の執着から逃れられると思うてはなりませんで。肉体を持って超えられなんだ業は、魂につきまとうて果てはせぬ。辛抱するんやで。だるまの絵に、ほれ、お足を書こまいがの。お安さん、わかるかい」
 ――いやどす。そんな死後の世界などなければいい。あては灰になって散ってしまいたい……。うつむいた安子の全身がそうもがいていた。しかし、直に逆らって死にきれはしない。
 信仰は安子の発作的行為を止め鎮痛剤の役目をしても、治病力はないかのようだ。あるがままの夫を認め、許し、無我の愛でやわらかく夫をくるむ芸当など出来はせぬ。いっそ常次郎の女たちへ向く目をつぶし、女たちに触れる手を断ち切ってやりたい。
 常次郎の心を女たちから引き離し、少しでも神に振り向けさせられたら……大本に入信してくれさえすれば、きっと夫の浮気はおさまろう。
 その執念をこめて、安子は直からいただいて肌身につけておいたおひねりさん(筆先を書いた紙片)を御飯にまぜ、一週間、常次郎に食わし続けたことがある。知らずに食った常次郎は、便所へ行く途中で卒倒した。安子は驚いて神前に供えてあった御神水を飲ませ、祝詞をとなえる。常次郎はやがて意識をとり戻した。
 この時とばかり、安子はきっと身を構えて常次郎に向かった。
「旦那はん、あんたはんほど幸せな人はおへんえ。お金はあるし、ひまはあるし……けどそれを良いことに使いなはったらよろしいのに。おひねりさんを頂いて気絶して、御神水で息を吹き返しなはった。これが神力、神さまのお気付けというものどす。それが分かりなはったら、ギャッと心を立替えられまへんか」
 常次郎はふらふらと立ち上がり、苦笑した。
「お安、お前は結構なやっちゃ。神さんさえあったら他には何もいらんのやろ。かわいい女さえあったらよいわしと、ちっとも変わらへん」
 こういう出来事があっても、常次郎の心を神に向けることはできなかった。夫はいっそう神から、安子から遠のいていった。

 竹原と田中がむなしく引き揚げて四日目、安子は近松家へ行った。父母の顔を見たいからではなく、支部に参拝するためである。支部の神前に平伏していると心の炎症は鎮まり、一時なりと妄想がかき消える。
 支部には、ちょうど綾部から上田王仁三郎が来合わせていた。
「先生、いつおいでやしたんどす」
「今さっきや。忙しさけ、今夜すぐ帰ぬ」
「へえ、そら忙しおすなあ。よほど大事な御用どすか」
「なあに、梅田はんに会いに来たのや。いま、おってかい」
 安子は教祖を生神とまで信じているが、会長のことは軽く見ていた。役員信者間に根強く残る「小松林の容器・悪神の型」という王仁三郎観を安子もまた持っており、これまでもできるだけ避けようとしていた。けれど常次郎に会うためにわざわざ出て来たのなら、お宮の御用に関してのことだろう。役員はだめでも会長はんなら旦那はんも折れるかも知れんと、安子は期待に胸をはずませる。
「四日前に遊びに出たきりどすさかい、今日は帰って来まっしゃろ。先生、うちへ来て待ってくれはりますか」
「ああ、そのために来たんや」
「こないだ竹原さんや田中の叔父さんが来やはったけど、なんにもなりまへん。どうぞ梅田に神さまが分かるよう、有難いお話しとくれやすな」
「よっしゃ、有難い説教したろ。案内してくれ」
 安子は王仁三郎を連れ帰って、奥の座敷へ通した。常次郎の趣味は茶屋遊びのほかに人形蒐集があった。部屋の幾つもの棚には美しい着物をつけた人形がぎっしり並んでいる。だが王仁三郎は人形の脇に置いてあった二絃の琴を吸われるように見詰めた。安子は常次郎不在の無聊をわずかにこの八雲琴で慰めていたのである。
「先生、八雲琴、お好きどすか」
 安子の言葉に答えず、王仁三郎は琴を座敷の真ん中に持ち出して、爪弾き始めた。
 王仁三郎は、瞳をきらめかせて安子に言った。
「この二絃の琴は、古事記にある天沼琴が起源なのや。つまり、須佐之男命がその女須世理姫と大穴牟遅神(大国主命)に授けられた三神宝、生太刀・生弓矢・天沼琴の一つ……息長帯日姫(神功皇后)の帰神の時、神霊降下の祈りをこめて仲哀天皇のひかせ給うた大御琴も同じや。わしは琴の代わりに天の岩笛を吹くことを教わったのやが……」
「そう言えば、初めて手ほどきされた曲が須佐之男命の出雲神歌『八雲立つ』どしたえ。この神歌にちなんで、八雲琴、または出雲琴とも名付けられたそうどすえ」
「それを聞かせてんか」
 王仁三郎に請われるまま、安子は出雲神歌を詠いつつ弾いた。二絃の琴ながら、五音六律の澄んだ音色のなかには神代の昔から秘められてきた日本民族の伝統と神さびた清らかさがあった。
 現今の形の八雲琴は、文政三(一八二〇)年、伊豫国宇摩郡天満村の中山琴主が創始したものといわれる。琴主は生まれながらの盲目であったが、産土神である八雲神社に祈願をこめ、目が見えるようになった。後、出雲国天日隅宮に参籠し、神示を受けて、この二絃琴をつくった。曲は古事記、万葉集、古今集など古典から歌詞をとった上の巻三十六曲、国学者の歌った下の巻三十六曲、合わせて七十二曲を本曲という。幕末から明治中期にかけて江戸・京都などの上流の人々の間に広く学ばれたが、神前に捧げる調べとして三味線・尺八などとの合奏を禁じ、俗曲は弾いてはならぬなどあまりに厳しい定めがあるために、この頃は弾く者さえ稀であった。
 王仁三郎は琴の譜面から顔を上げて強く言った。
「お安さん、いまのうちのよう勉強しとけよ。いずれ役に立つ」
「なんでどす」
「大本に必要な時が来る。頼むで」
 夕方になって、常次郎が帰ってきた。九年前に梅田夫婦が初参綾した時は王仁三郎は不在だったので、常次郎とは初対面である。互いにさりげない挨拶をする。王仁三郎三十九歳、常次郎三十一歳。
 常次郎が安子の袖をそっと引いて、次の間へ行く。
「おい、お安、あんな『祓い給え』、誰が呼んで来た」
「へえ、おなじみやさかい、寄っとおくれやしたんどっしゃろ」
「あんな者は出入りさせなや。『祓い給え、潔め給え』とか、何とかぬかして、金をとりに来る手合いや。役員があかなんださかい、親分が乗り出して来よったんやろ」
「そんなふうな考え方せんといてほし。あても綾部へ行ったら、お世話になってます。せっかく寄ってくれはったんやさかい、夜御飯など御馳走しとおす。支度するまで、すんまへんけど相手になってあげとくれやすな」
「悪い時に帰ってきたもんや。しゃあない、今度だけやぞ」
 常次郎が観念して座敷へ行くと、王仁三郎は畳の上に置いた達磨を握りこぶしで踊らせて遊んでいた。その無心な様子に、ふっと心の警戒がゆるんだ。
 台所で聞き耳たてる安子に、聞こえてくるのは王仁三郎の気楽そうな馬鹿話である。
「わあ、台所からええ匂いがしよる。匂いといえばなあ、梅田はん、わしは生まれてからあんな妙なもん見たこともないし、あんな怪体な匂いもかいだことないで……」
「そら何のことどす」
「まあ、お話にもならんくらい、ひどいもんや。十二、三年前やったが、わしは郷里の穴太で二、三人と組んで精乳館いう乳屋をやっとった。一日の仕事も終えた夕方、白い浴衣に着替えて外の藪小路に立った時や。西の方から青い稲田をわたって幅二尺ばかり、長さ六、七間の真っ赤なもんが、大蛇のうねるようにやってくる。近寄るのをよくよく見れば、何と貂くらいもある大鼬が二匹先頭に立って、その後から数百匹もの並みの鼬が行列をつくって歩いとるんや」
「ちとそれは大袈裟やおへんか。六、七間で二列ならまあ七、八十匹ぐらいやないと……」
「気にするな、なにせ多いいうことや。数十匹でも数千匹でもどっちゃでもよい。それはおもろい方に考えとけ」
「ふーん、それで」
「狐の嫁入りやのうて鼬の嫁入りか、一族郎党引き連れての大引越しか、それともなぐりこみの一隊か。今なら行列の最後についてってそっと見届けたいとこやが、その頃はわしも若いし、殺伐たるもんやった。いきなり稲田にとび込み、手当たり次第にひっつかまえて、路上に投げつけ、投げつけ……」
「無茶ァしなはる」
「四、五匹ばかりふんのびとるうちの一匹を、鼬の親玉が足ひっかついで藪の中に逃げ込みやがった。藪は竹の子が出来る頃で厳重に垣が結うてある。あちこち走り回るうち他の死体までうまいこと持ち去られてもて、敵は藪の中からケチケチ奇妙な声をあげて騒いどる。仕方なく残る二つの鼬の死体を持って帰った。わしら百姓は、鼬のわるさには、日頃ほんまに参っとったんや」
「……」
「さて、その死体をどうしたもんか。わしには獣医学の素養がある。さっそくメスをふるって、得意になって解剖を始めた。ところが、うっかり鼬の屁ぶくろを突いてしもて、ふんぷんたる毒ガスをまともにくらった。やっこさん、発射寸前にやられて執念こめたる最後屁やろ。さあその臭いの臭くないの。鰯のどうげん壺をまぜくりかえしたどころの臭さやないで。鼻も顔もはれ上がったようになってもて、三度の飯ものどに通らん。いかなる悪臭いうても、鼬の最後屁にくらべたら愛らしもんや。四、五日は寝込んでしもて、見舞いにきよる友だちまで鼻つまんで逃げていきよる。こうまで臭いとは思わなんだ。鼬死しても屁を残す。一匹でもこのくらいや、あの数百匹の鼬の屁士の総攻撃くらっとったら、今頃は命もあらへんわい」
 日頃、笑顔も惜しんでみせぬような常次郎が、大声をあげて笑いころげている。
 ――何がおかしかろ、こんな阿呆なこと言いに綾部から来やはったんかいなと思うと、安子は腹が立ってたまらない。
 夕食の支度ができて、三人が膳につく。
 王仁三郎は麩を口に入れて、また話し出した。
「そうそう、麩といえばのう、丹波と摂津の国境に吉野峠というところがある。この辺は茶・栗・柿・高野豆腐・湯葉・麩などが名産や。阿呆由という男がいて、主人の言いつけでそれらを一荷ににない、亀山といった頃の亀岡地方へ行商に出掛けた。さて売り声じゃが、茶・栗・柿・麩の四つの品を一つにまとめて『ちゃっくりかきふー、ちゃっくりかきふー』、何のことやらわからんので、さっぱり売れん。帰って主人に報告すると、大目玉を食った。『今度から茶は茶で別々に言え。よいか、みんなそれぞれ別々に言うのや』、そこで阿呆由は『茶は茶で別々、栗は栗で別々、柿は柿で別々、麩は麩で別々……』とどなって歩き、また失敗や。今度も主人に叱られた。『売り声があまり丁寧過ぎる。もうちょっと短く言わんかい』、阿呆由はあらん限りの知恵をしぼって、亀山の町を大声で売り歩く。『茶別栗別柿別麩別……』、『茶よい栗よい柿よい麩よい』、この二つの売り声を、かわりばんこにどなる。やっぱり一つも売れんさけ、帰って主人に叱られるのが心配で山間の溜池に身を投げてすんでに死ぬとこを、誰かに助けられた。仕方ないので麩一品だけ持たしてやったら、朝から晩まで口とがらして『ふーふ、ふーふ』……」
 のみ下した食物を吐き出しはせんかと思うほど、常次郎が笑った。安子一人、つんとすましている。今はこんな馬鹿話しとってやが、食事が終わったら改めて神さまの話が出るやろと思って辛抱しながら。しかし食事が終わると、王仁三郎は言い出した。
「話に夢中ですっかり長居してしもうた。今から綾部へ帰ぬわ」
 安子は目くばせしながら、
「先生、せっかく来とおくれやしたんどすさかい、まだよろしおすやろ。一晩でもゆっくり泊まっとくれやす」
「そうしとれんわい。何しろ席が暖まるひまのないほど忙しい身や。ほんな御馳走になりました」
 言うなり、草鞋をはいて表へとび出す。安子が続いて外へ出、追いすがって、うらめしげに訴えた。
「先生、あんな話しといやす間に、何で神さまの話しとくれやしまへんのどす」
「あれでええのや。時節がくるとのう、梅田はんはわしの手紙一本ですぐ綾部までとんできよる。けどお安さん、梅田はんが神さまの方向いたら、お前らの信仰など足元へも寄れんで。そうならんように、あんたも身魂みがいとけよ」
 ――ふん、うまいこと言いなはる。
 ひょうひょうと去り行く王仁三郎。安子は、会長にまで見捨てられた淋しさにうちのめされた。
 しょんぼり帰ると、常次郎は仰臥しながら思い出し笑いしていた。
「ああ、腹が痛いわい、久し振りによう笑うた。変わった『祓い給え』や。えらいあっさり帰りよったが……」
 その口ぶりは、用事がなかったことが物足らぬげであった。
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