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12/5発売『あらすじで読む霊界物語』(アマゾン楽天ブックス

文献名1大地の母
文献名2第10巻「九尾の狐」
文献名3金神の篭池
著者出口和明
概要大正3年(1914年)夏、金竜海の建設が始まる。11月、出雲大社宮司・千家尊福が来綾。大正4年(1915年)出口慶太郎は大本の奉仕者となる。福島久子は、本宮山麓の座敷牢で暮らす姉・米に憑いた悪狐を出て行かそうとする。
備考
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本文の文字数19525
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本文  ――龍宮の乙姫殿には、お住いなさる、お遊びなさるところをこしらえて上げますのざ。出口直に初発に型がさしてあるぞよ。この近くの屋敷のうちに、ざいぶ(大分)大きな堤も掘らなならんぞよ。(明治三十七年旧十二月十八日)
 ――今度の二度目の世の立替えについて、もとの陸の龍宮館へ立ち返りて、お宮が立ちて龍宮の乙姫どののお池ができたら、物事は神のほうは成就いたすから、今の世話がご苦労なれど、後のお宮になりたら相住まいではおれんから……。(明治四十二年旧七月十八日)
 龍宮の乙姫の鎮座する池を神苑内に掘らねばならぬことは、明治三十七年からすでに筆先に示されていた。それから十年を経た大正三(一九一四)年夏、王仁三郎は「いよいよ龍宮の乙姫さんの池を掘る」と宣言する。
 構想は雄大であった。金龍殿西北に大きな池を掘り、池の中央に冠島・沓島の二つの小島を作り、小さな宮を祀って小舟で渡る。池の西側に大和島を作り、北と南からみろく橋をかける。池の東南隅から突き出た小島を蛙声園と称し、小さな茶室を設ける。南の池畔には、蝸牛亭を建てる。池の東側にも島を作り、大八洲神社を造営する。将来は池をさらに西に広げ、東西の池を幅広い水路でつなぎ、そのうえに本宮橋をかける。全部完成すれば三千余坪の人工池が神苑内に満々と水を張り、お宮のある小島や橋の影を映す。あたりは総称して金龍池と呼ばれるはずであった。
 王仁三郎は、その構想をひそかに直に語った。
 神意の実現として非常に喜んだ直は、最後に池という名称にだけこだわった。
「この人間界での型は確かに池じゃろうが、神界に映る姿はそんな小さなものではございません。八百万の御龍体の神々さまが皆お集まりなさる大きな海やさかい……」
 王仁三郎は、即座に金龍海と改名した。
 金龍海の第一期工事予定地は野菜畑であった。この畑地は王仁三郎が入手して以来、雑草はびこる野に戻しておいた。潔めるためにだ。
 それを知らぬ澄が、「なんちゅうもったいないことを。大本の手に入れながらこんな荒れ地にしてほかしておいては、神さまの罰が当たりますわな」と嘆き、奉仕者を励ましてぼうぼうたる野草を抜かせ、耕して人糞を入れた。王仁三郎が黙って芽を出した野菜を抜いておく。澄がまた植える。そんな争いを繰り返していた土地である。
 後年、ある人が不満に思って聞いた。
「お池を掘る土地を潔めるために野に戻すと一言おっしゃって下されば、二代さまだって畑にはされないでしょうに……」
 王仁三郎は敷島をくゆらしながら、遠くを見る目つきをした。
「悪魔のさやる世の中、おしゃべりの多い世の中や。もしここに金龍海を掘ると明かせば、神のお経綸にどんな邪魔が入るや知らん。おまけにまだ次々と土地を買収して神苑を拡張せねばならん時代やった。もし神苑になると分かれば、地価は一度に暴騰するやろ。不如意の大本の経済の中でのやりくりや、たとえ女房子供にも洩らすわけにはいかん」
 金龍海の構想を発表した時、すでに王仁三郎の手でその周辺の土地は買い占められていた。
 上野に三千五百坪の植物園を作り、小松の苗を植樹した時もそうであった。王仁三郎は胸に暖める神苑ができ上がった頃に移植して、松の緑で覆う心算だった。しかしその計画を知らぬ澄は、「今に食料の不自由な時が来る。猫の額ほどのところにも食物を植えいと筆先にあるのに、小松林命がしょうもない、こんな小松苗ばかり植えさせて……これではどもならん」と、怒って引き抜く。また植える、また抜く。
 筆先を盾とする時、澄は誰の命も聞かぬほど頑固であった。
 たまりかねて、澄が直に告げ口すると、直は穏やかにたしなめる。
「先生にお考えがあるのじゃろ。好きなようにさせたげなされ」
「それでも筆先にこう出とります」と、澄が抗議する。
 直も合点し、王仁三郎を呼んで引き抜くことを命じる。
「わしは神さまの言いつけ通りにしとるのや。教祖はんは知らんでも、教祖はんの神さまは知ったはる。うかごうてみなはれ」
 王仁三郎は負けていない。
 直は神前に額づいて伺いを立て、やがてほっとしたように笑いだす。
「澄や、神さまは、あの者の思う通りさしておいてくれいと言いなさるわいなあ」
 普段は仲の良い夫婦だが、こういう食い違いの暗闘は始終続いた。
 七月二十五日に金龍海各島とお宮と蛙声園の起工式。
 八月八日、早くも金龍海開掘の地鎮祭が行なわれた。このお池掘りにかける王仁三郎の情熱はすさまじい。自ら陣頭指揮にあたり、夜ごとの二時三時、ひとり寝静まる工事現場をこつこつと見回る姿が見られた。一番早く蛙声園の茶室が仕上がると、王仁三郎は居をそこへ移して執筆しながら督励した。
 八月十五日には、『直霊軍』以来中絶していた機関紙が『敷島新報』と題して発行された。王仁三郎は大正二年四月に本宮町十七番地に印刷所を設け印刷事業を起こしていたが、その具象化が成ったわけである。活字拾い・印刷・製本・帯封書き・発送まですべて王仁三郎ひとりがやった。記事の多くは原稿に書かず、思い浮かぶままを活字に拾っていったという。
 七月二十八日、第一次世界大戦が勃発、日本も日英同盟の情誼を理由に参戦を決意し、八月二十三日、対独宣戦を布告する。この日、直・王仁三郎も世界平和を真剣に祈願している。
 九月二十二日には完成した統務閣に大神の遷座を願った。統務閣(建坪三十坪)は八畳四室に仕切り、南北の廊下を隔てた西側二室を直が使い、東側二室を王仁三郎と澄が使った。
 直は一室に神床を設け、晩年までこの部屋(教祖室)で筆先を書き、次の間で起居した。
 翌二十三日には金龍海第一期工事完成、二十五日には統務閣から廊下でつなぐ金龍殿(建坪五十坪)が竣成した。同時に金龍海の第二期工事も各地からの奉仕者を集めて続けられ、まさに日に日に変わる大本であった。
 この時期、王仁三郎は金龍海掘りに教団の全精力を傾けたようである。
「神さまがお急ぎじゃ、皆出て来い」
 号令一下、老若男女・小学生に至るまで出てきて、作業を手伝った。奉仕者全員が池掘りにかかるので、教団の事務といえば、黒門前の大広間受付けにひとり坐っているだけである。老人や子供は小さなざるに土を盛って運んだ。王仁三郎の娘たちも、養子の大二も参加したし、澄もまた草鞋をはいて畚を担いだ。
 掘った土は池の中の島を盛り上げるのに使い、残った深部の粘土は一カ所にまとめられて山をなした。これは病気治しの「お土」として威力を発揮し、信者たちは喜んで自宅へ持ち帰った。吉田一の足や、佐藤忠三郎の鼻も、この金龍海の豊かなお土の恩恵をこうむった。
 福知山の信者たちは荷車に米を積んで大本まで運び、献労奉仕した後、空になった荷車にお土を乗せて持って帰った。
「出口直一代は木綿の着物に晒のねまき・つむぎたび・紙まき草履に蓑笠と定めるぞよ」と筆先にあるので、作業着は毛織物はもちろんズボンも許されず、法被に股引き草鞋ばき姿である。絹物を持っている者は売り払い、木綿の着物に買い替えた。
 雨の日、野外作業に変わって一同草鞋作りや縄ないに精を出した。奉仕者は京・大阪から馳せ参じていたから、慣れぬ藁仕事に戸惑った。王仁三郎は自ら草鞋をつくって指導したが、思わず見惚れるほどその手際は鮮やかであった。
 作業は瞬時の油断を許さぬ張り詰めた空気の中で続行された。佐藤忠三郎は、三つ四つ年下の相棒中倉伝四郎(愛媛出身)とともに土砂を積んだ畚を担い、統務閣の前を通った。
「やっこらしょ」
 思わず声を掛けて、忠三郎は肩に食い込む重みをずらした。と、教祖の居室の障子が少し開いて、直が声をかけた。
「佐藤さん、ちょっと……」
 畚を降ろして忠三郎が縁に近づくと、直が静かに諭した。
「日々ご苦労さんですが、佐藤さん、あんたは掛け声かけんと仕事出来まへんか。『大本の御用は抜身の中にいるような気持ちでちっとも気許しはでけんぞよ』とお筆先にありますじゃろ。抜身の中であんな声が出ますか」
 それはそうかも知れない。忠三郎の鼻の怪我も、元はといえば気許しからだ。
 ――けど、大体遊び好きのわしが、これだけ真面目に神さんに尽くしとんのに、これ以上まだ抜身の中で息つめているような気持ちをせいというても続くもんやない、第一、大将である管長みずから、工事を指揮しながら藷もかじれば屁もたれとるわ。
 頭を下げて教祖の前を辞したが、そんな不満が頬をふくらしていた。
 一汁一菜の粗末な食事で重労働するため、奉仕者はいつも腹を減らしていた。その上、昼飯など管長初め立ったなりでかきこむのだ。だから彼らの一番の楽しみといったら、休憩時の茶菓子で、たいてい梅田信之が私費をさいて差入れた。作業の激しい時は、特別の差入れ、つまり駄菓子の代わりに嵩のあるパン類を配って励ましてくれた。
 私生活に批判はあっても、信之の人柄には皆敬愛の情を寄せていた。
 池掘りは連日強行されたが、作業が進むにつれて、誰の胸にも水への不安が高まっていた。掘っている場所は高台の屋敷地で、四、五尺も掘り下げれば綾部特有の一枚岩根に突き当たる。水など出るはずもない。綾部の町の人たちも、それはよく知っている。
「金神さんの先生、あんな高いところに空池掘って何する気やいな。夢でも見とるんと違うか」と嘲笑し、「金神さんの籠池」と綽名した。たまりかねて澄が忠告した。
「先生、もし全部掘ってみても水が出なんだら、わたしらはよいにしても、神さまが笑われますで」
「そんなこと知るけい。神さまが掘れ言わはるさかい、掘るんじゃ」
「なんぼ神さまの命令でも、これ以上の恥の上塗りせんうちに止めたらどうですい」
「とにかく掘ったらええんじゃ」
 冠島・沓島・大和島の形が整う。簡素な宮を囲んでこんもりと小松の植樹もされたのに、一滴の水すら出ない。
 そんなことにかまわず、王仁三郎は遮二無二第二期工事の采配を振った。
 澄は呆れて、ついには聞こえよがしにぼやきだす。
「ほんまに阿呆なことして、よい笑われもんや。なした男やいな、この男は……」
「まあ見ておれ、お澄、もし水が出なんだら、神さまの言うことが嘘になる」
 王仁三郎の目には満々と水をたたえた金龍海が見えるのか、その表情に微塵のゆるぎもない。
 王仁三郎が京大阪方面にしばらく宣教に出かけてゆくことになった。後が気がかりらしく、帰綾までの作業予定をこまごまと澄に指示し、「しっかり掘らせとけよ」と念入りに申し渡した。王仁三郎が出て行った後、澄は皆に命令だけは伝えたが、作業を督励するだけの情熱はなかった。
 宣教を終わったその夜の終列車で帰綾した王仁三郎は、その足でまっすぐ工事現場に行き、予定通り作業が進捗していないのを知った。
 統務閣にかけ込むなり、王仁三郎は凄じい見幕で怒鳴る。
「こらっ、お澄、わしが帰るまでにやっとけ言うたこと、まだ半分もでけとらん。おのれ、何さらしとったんじゃ」
 顔は朱をそそぎ、目は煌めき、髪は逆立って、明らかに帰神状態である。さすがの澄も、その勢いにのまれて縮み上がった。
 王仁三郎はつむじ風のように深夜の町へ走り出し、本宮・上野・東四辻などの役員や信者の家々を叫び回った。
「神さんの経綸がわからん奴は、どいつもこいつも出て失せい」
 驚いた役員たちが、寝ぼけ眼でぞろぞろと工事現場に集まる。肌寒い中秋の真夜中、現場にかがり火を焚き、そのあかりを頼りに強行作業が始まった。澄も作業に加わったが、なんぼ神さまのお仕事か知らんがこんな夜中に叩き起こしてまでと、夫が小面憎くてならぬ。けれど、かがり火を背にしてまさに仁王立ちとなった王仁三郎の燃えるような眸を見ると、下手に逆らえばばっさり首でも切られそうな気がして、手を休めるどころではない。深夜の工事現場には、殺気にも似た緊張感がみなぎった。
 徹夜の作業は何度か繰り返された。よほど完成が急がれているかと思えば、必ずしもそうとは取れぬ節もある。
 若い者は王仁三郎に連れられて山へ行き、砕いた岩をロープで引っ張って工事現場へ運ぶ。金龍海の周囲の石垣にするためである。
「これこれを土台に、この石をこう向けにこう上げて、これはこう……」と、王仁三郎の石積みの指示は細かい。ジャッキなどなくすべて人力だから、五つ六つただ積み上げるさえ重労働である。
 積み上がった頃を見計らって、王仁三郎が検分に現われる。
「こら、こんな阿呆な積み方があるか、やり直しじゃ」
 せっかく積んだ石を挺子で無残に崩してしまい、さっさと蛙声園に引きあげる。皆はぽかんとしている。
「あれではあんまりどす。若い者が可哀想やおへんか。やり直し、やり直しでは工事も進ましまへん」
 湯浅仁斎や田中善臣が代表して苦情を持ち込むと、王仁三郎はとぼけたように答える。
「お前らの霊魂の立替え立直しの型やわい」
 はて、そう言われても、どう積み直したものか分からない。やがて役員たちは要領よくなり、苦情の代わりに誰かが代表して謝りに行く。
「どうも不都合なことで申し訳ございまへん。おっしゃる通りに立替えますさかい、もういっぺん現場でお指図願います」
「みんな改心しとるか、本気で立直したいと思っとるか」
「へい、本気で心から立直さしてもらいます」
「よし、ほんなら行ったろ」
 にやっとして、嬉しそうに王仁三郎は現場に出ていく。茜色の夕陽を浴びつつ、また土台からやり直しだ。
 来る日も来る日もこんな無駄とも思える苦労が続くと、佐藤忠三郎はほとほと愛想が尽きてきた。鼻の傷がふさがって、顔面の格好がとれてきだせば、娑婆が無性に恋しかった。
「えーい、くそ、抜身も立替えもあるもんか」
 現場から抜け出て、本宮山近くの藪に隠れて寝転んだ。煙草を吸いながら、何とか大本を逃げ出す算段はないかと頭を働かす。
「おい、佐藤、煙草の火を貸せ」
 ぎょっとして起き直ると、王仁三郎が傍らの藪かげから片手をつきだしている。うす気味悪くなって、もっそり立ち上がった。
「まだ逃げ出すのは早い早い……」と、王仁三郎が言い、うまそうに敷島を吸いつけると、どっかりあぐらをかく。
 ――くそう。
 忠三郎もやけくそに坐り直した。王仁三郎の眼は、黒雲の行方を追っていた。
「賽の河原の石積みや。積んでも積んでも崩される。積まん方がましやないか。わしもそう思う時はある。お前と一緒や。築いても叩きこわされるんじゃ。いずれはなあ……」
 まるでこわされるのが王仁三郎自身でもあるかのような、深い淋しい声であった。
「それでお前はやっぱり逃げ出して京都へ帰るか。もうこりごりか」
「その通りどすわ。それだけ分かってもろたら面倒が省ける。明日にでも帰らしてもらいますわ」
「放してやりたいのは山々じゃが、そうはいかんわい。お前は死んだ兄貴とふたり分の御用をせんならん。お前の生きるところはこの大本の中にしかない」
「そんな勝手な……」
「勝手でもおどかしでもない。そう決まっとる。おまえもわしもや。もがいているのはお前だけやない。なぜわしがこんなことをするか考えて見たか」
「……」
「龍神さんの池を掘るだけやないで。掘ることによって誠の信仰がどんなものかを教えとる。叩かれても、倒されても起き上がる、つぶされてもこわされても立直す。神の道は服従や。理屈を越えた神への絶対服従が人の道や。わしはその精神を植えつけとる」
「だって、みな服従しとりまっしゃろ。あんな無法なやり方にでも、管長さんの無茶を承知で、神さんの命令と受け取ればこそ文句も言わず……」
「形の上ではのう。しかし心の中では、文句たらたらや。わしにはその心の文句が筒抜けに聞こえてくるわい。
 服従でも二通りある。軍隊で上官が兵卒に強いるような権力による服従なら、先ず形式を絶対とする。立替え立直しを実現する大本の神の道は、形ばかりではあかんのや。心から任せ切った精神的服従でないと、これからの使い物にはならん」
「けれどなんぼなんでも、管長はんの言うた通り積んだ石を……」
「馬鹿げていると思っても、そこに我意以上の神意を感じて積み直す。それぐらい我を捨てんと、今度の大神業のお役には立たん」
「……」
「わしも我意で考えれば、あんなところに池を掘って水が出るとは思わん。けれど神さんが掘れと命じなさるから掘るのや。籠池と笑われようが掘る。金龍海に水が満ちるのは神意やさけ、わしらは気楽に掘れば良い……」
 王仁三郎が立ち去ってからも、忠三郎はしばらく動けなかった。家族持ちの役員たちは、朝家を出る時、いつどこへやられてもよい覚悟で家族と別れてくると言う。命令さえ下れば、即座にそのまま任地へ向かうのだ。
 そういった根性を、不断に王仁三郎は役員信者たちへ叩き込んでいるのだろう。
 忠三郎はうめいた。
 ――よーし、金龍海に水がたまるかどうかこの目で見届けてやる。わしの進退はそれからや。

「大本に御殿が立ったら大臣や華族さんも参拝なさる」
 誰からともなく流布されていた風説が現実となった。
 十一月十九日、石の宮鎮座一周年記念祭典、翌二十日、弥仙山神霊迎え五周年祭と二日続きの祭りに賑う金龍殿に出雲大社大宮司千家尊福男爵が乗駕。随員ふたりを従えた白く長いあご髭の六十九翁が祭典後の金龍殿広間で国民道徳鼓吹の演説をなし、参拝者を感激させた。
 千家尊福は明治十一(一八七八)年、先代尊澄の後を受け第八十代出雲国造を継ぎ、翌々年には公認された神道大社教初代管長となった。明治二十一(一八八八)年、元老院議官に任ぜられ、のち貴族院議員四回、埼玉・静岡・東京の各府県知事を経て、明治四十一年には西園寺内閣の司法大臣をつとめている。
 これまでの大本と出雲大社とのつながりは十三年前にさかのぼる。筆先の神示のままに出口直・王仁三郎・澄ら十五名がはるばる出雲の火の御用に出修した時である。
 そして十年後の明治四十四(一九一一)年一月一日、王仁三郎が竹原房太郎ひとりをつれて再び出雲大社を訪問、大本祖霊社を大社祖霊社の分社として組み入れ、合法化する交渉を成功させた。
 それからわずか三年。いつ、どういう政治的手腕を発揮したものか、王仁三郎がいかにも親しげに宗教界・政官界の重鎮千家尊福をこの丹波の一隅に迎えたのだから、誰しも驚いた。それも通りいっぺんの、ことのついでに立ち寄ったわけでもなさそうだ。
 一行は王仁三郎の案内で、まだ水の入らぬ金龍海を見、未完成の神苑内を歩き回る。どこもかしこも広く深く精力的に掘り返してはあったが、雨水が底に溜った巨大な穴ぼこに泥をこねた土まんじゅうが二つ三つ、その上に小さな祠があるにすぎぬ殺伐たる情景であった。それでも王仁三郎の意気はあたるベくもない。
「日本は豊秋津根別の国、すなわち世界の核であり小縮図どっしゃろ。わしはこの霊域に金龍の海を造り、その中に日本の核として大八洲の雛型を生む。見といておくれやす。ここに根別の国の神霊を奉斎して神示のままに鴛鴦の遊びたわむれる天国浄土を移写しますさかい」
 尊福は夜はくつろいで、王仁三郎や役員たちと歓談した。
 福本源之助は奉仕辞退後、京都市中京区の『福ずし』で板前をしていたが、大本が忘れられず戻ってきていた。その世間で磨きをかけた料理の腕が役立って、当夜の賄い方をつとめている。源之助の傍でいそいそと手伝う姐さんかぶりの若妻は、梅田安子の妹まき、梅田信之との愛に破れてから一途に信仰生活に浸っていたが、やがて従兄弟結婚した。源之助の母はまきの母自由の姉である。
 台所では、張り切る源之助夫妻・澄や女たちのほかに、鼻の佐藤忠三郎が使い走りをつとめている。
 ひょっこり台所に顔を出した王仁三郎が、出来上がりかけの精進料理を見渡してうなずき、「何分お年寄りやさけ、よう吟味して、飯はふっくらとやわ加減に炊いてくれよ」と細かい気遣いを見せていた。
 その夜、一行は統務閣に宿泊した。翌日は「久し振りで休みをとり、大本でゆっくりしたい」という申し出で、尊福は朝から王仁三郎相手に談笑し続けた。
 昼食を終わって間もなく、澄が王仁三郎を呼んだ。
「先生、えらいこっちゃ」
「どうした」
「町の偉い人が男爵さまに御面会したい言うて大勢来ちゃったで」
「とうとう来たか。通ってもろてくれ」
 王仁三郎はすましていった。町の偉い連中は、大本を気違い集団とこきおろすことをもって文化人・名士たらんとする風であった。信者たちもずいぶん肩身の狭い思いに耐えてきた。別に何の連絡も宣伝もしたわけではなかったが、元司法大臣・東京府知事などの肩書きを持つ尊福の来綾は、昨日のうちに町の噂になったに違いない。周章狼狽、雁首並べて挨拶に来ることぐらい予測済みである。
 羽織袴・燕尾服などに身を固めて、初めて噂の大本内部に足を入れた町人たちは、本宮村のこの一郭の変わりように驚き、苑内あふれる活気に瞠目した。廊下で平伏したのは、何鹿郡長藤正路、綾部町長由良源太郎、助役、収入役、学校長、その他お歴々の十数人。
 おそるおそる広間へ入って来た時は、王仁三郎を見る目つきまで変わっていた。
 尊福は穏やかな調子で綾部町のことなど問いかけたが、こちこちに角張って答える彼らとの会見よりも、王仁三郎との対話を続けたいらしい。武士道の廃れはてた現今の浮薄な風潮に話が至った時、突然、王仁三郎は思いついた。
「そうや、男爵や町の皆さんに武術大会をお目にかけよう。いかがです」
「ほう、大本では武術もお盛んですか」
 尊福は、細縁眼鏡の奥に柔和な眼を輝かせる。
「いや、ほんの座興ですが……」
 町の名士たちも調子をあわせて口々に言った。
「それはぜひとも私どもにも拝見させていただきたいものです」
 王仁三郎はいそいそ立っていって、澄をつかまえ勢いよく言った。
「おい、客人たちに武術大会を披露する。腕におぼえのある奴らをぜーんぶ集めて来い」
「へえ?」
 眼を丸くする澄を残して、さっさと客間へ引っ込む。
 いかに御大将の一声とはいっても、日頃池掘りに明け暮れる若者たちに武術のわきまえなどあろうはずもなかった。力自慢の草相撲くらいなら辞せぬところだが、何しろお偉いさまの御前試合である。集まった信者一同は顔を見合わせてしょんぼりした。
「あんまりや、この急場に間に合いはせんが……」
 四方平蔵や田中善臣たち役員は蒼くなった。今さら「できません」など言って管長の面目玉をつぶせるものか。そうでなくともいったん放った言霊は元に戻らぬと、日々厳しい教えを実践している大本人であった。
 梅田信之が思案にあまって呟く。
「腕に覚えのある奴を全部集めろ、というても武道の作法ぐらいは心得とらなんだら話にならん。とすると……」
 信之は、にっと笑って澄を見た。
「ははあ。管長はんの心積もりが読めましたわ。二代さん、あれでいきましょ」
 外を指さす信之に、役員一同が立ち上がった。土塀の前、粘土の山をめぐって、今や子供たちが剣撃ごっこに夢中である。大二・直日・梅野・近松ムメノ・木下はじめらが棒を振りかぶって追いつ追われつしている。
「直日さんや梅野はんは町道場へ行っとってんでっしゃろ」と信之が言う。
「あほらしい。道場いうほどのところやありまへんで。直日があんまりせがむさかい、近くの元士族のお爺さんにちょこっと手ほどきしてもろただけで……」
「それでもこうなったら、ないよりはましでっしゃろ」
 湯浅仁斎が走っていって、子供らを呼んで来た。信之が重々しく口を切る。
「今から華族はんやら町長はん、校長先生らの御前で武術大会を行なう。腕に覚えのある奴は集まれ言う管長はんの御命令やが……」
「はい、うち、腕に覚えがあります」
 梅野が真っ先に進み出た。続いて直日も黙然と前へ。近松政吉の四女で六年生になるムメノも胸を張った。三少女はともかく薙刀を習ったことがあるのだ。さすがに男の子たちは照れて尻込みする。
「ここは大本やさかい、型がでればそれでよろしい。お国のために立派な働きをする型どすで」
 信之の言葉に、直日がきっと眼を上げてうなずいた。
「よし、それでは相手方を探さんならん。そうや、田中はん、その近所の先生とかいう方に頼んできてくれへんか。仲間を集めてもろてくれ。後はみんなで試合の準備や」と、きびきびと信之が言った。役員たちは気負い立って準備に散った。
 小一時間の後、王仁三郎を先頭に客人たちは金龍殿前の広場へ出た。幔幕が張り巡らされ、筵を敷いた見物席には参拝者が行儀よく坐っている。尊福や町の名士たちの席は正面の粗末な長椅子である。さて、いかなる剣豪が控えているかと眺めれば、選手席はざっと八人。そのうち三人は女の子である。
 王仁三郎は満足そうに席に着いた。
 五十年配の男が審判に立つ。第一試合は梅原代助の太刃と出口梅野の薙刀である。代助は信者ではないが三人の少女の師、福相な顔に白い髭をたくわえていた。
 老人と少女――。白鉢巻、赤だすきも凛々しく薙刀を小脇にかい込んだ十一歳の美少女梅野に、観衆の声なき声援が湧き立った。ふたりは礼法正しく向き合う。
「あの娘はわしの次女です。あんな愛らしい顔をしとって鬼娘と綽名されとるやんちゃ娘ですわ。女の子ながら、武士道は叩きこんどります」
 王仁三郎は、親馬鹿むき出しで中腰となった。
「えっ、やあっ」
 長い薙刀に振り回されるような格好で、梅野はくり出した。代助は落ち着いて作法通り受ける。しかし初試合の梅野の頬はかっかと燃えてくる。作法も型も念頭からはふっとんで、ただ無二無三飛び込んでいく。師匠であろうが何であろうが、どうでも勝たねば済まぬ勢いとなった。
「よし、梅野、恩返しや、恩返ししちゃれい」
 王仁三郎が大声でけしかけた。
「恩返し」とはどうやら「師匠をへこませ」ぐらいの意味らしい。適当にあしらっていた代助も、持て余したか、ころあいを見計らってポンポンと軽く二本とる。
 勝負あって代助が正面に向き直り一礼した時であった。くやしげにうつむいていた梅野が不意に薙刀の柄でこつん、後ろから代助の頭を殴りつけると、薙刀を投げ出して、あっというまに幔幕の外へ。一同ぽかんとなった。
「いや、これはどうも……全く無茶しくさる」
 さすがの王仁三郎も、きまり悪げにてれ笑う。
「なるほど、なるほど……これは楽しい」
 梅野の鬼娘ぶりが納得できたのだろう、尊福は笑い出した。
 続いて前田完美と近松ムメノ。前田はこの中では一番剣豪らしい壮年の男である。これも太刀と薙刀。もちろん勝負にならぬ。
 ムメノが敗退すると、変わってのっそりと肩幅の広い少女が立ち、薙刀を構えて前田に対した。
「直日です。わしの長女です」
 王仁三郎は眼を直日に注いだまま、早口になって囁いた。
「女学校の一年生やが、荒っぽいことの好きな娘で、女っぽいことが大嫌い、何しろ変わった娘です」
 まだまだ言い足りないが、前の梅野に懲りたのか、そこではしょった。薩摩絣に義経袴、ふっくらした頬を除けば少年といいたい身のこなしだ。運身運歩も自然で、薙刀の刃に気魄がこもる。どうやら試合らしくなったところで所詮は技量の差、二本とられて悪びれず静かに正面に一礼。
 少女の出番が終わると、後は五人の大人たちで鉄砲・弓術・槍・太刀・二刀流の五試合と変化に富むが、いかにも田舎剣士のにわか試合といった感じで、稚気満々。町の名士連は武術大会などと称して華族さまの高覧に供する王仁三郎の強心臓ぶりに呆れている。試合後、一同で祝い酒を汲み交わし、散会は午後四時となった。話題は尽きなかった。
 二泊三日の後、千家尊福一行は王仁三郎らに別れを惜しんで綾部の地を去っている。

 大正四(一九一五)年の正月気分も抜け出た頃、綾部の町は白一色に深々と包まれていた。西本町の「金龍餅」もさすがに客が途絶え、店ではもう明日のまわしにかかっている。
 出口龍は夕食の支度も終わって一息つくと、座敷に上がって鏡台に向かった。夫慶太郎の帰ってくる足音を気にしながら、急いで化粧の手直しをする。五人姉妹の中で一番不器量だと自覚している龍は、日頃の身だしなみを忘れない。結婚して十年、幸せであった。いま餅屋の女主人として、龍の毎日はその幸せすらかみしめる暇がないくらい目まぐるしい。しかし、二人の人生にも起伏はあった。
 明治三十八(一九〇五)年九月、結婚の翌年、夫妻は龍門館を離れ、舞鶴の海軍工廠に勤めて共稼ぎする。三年ほど働いて小銭をため、綾部に帰って、裏町の伊助の倉近くに小さな餅屋を開いた。一升の米を二臼でつくような細々とした商いで食いつなぐのがやっと、それでも長い奉公暮らしの娘時代を過ごした龍にとって、何の気兼ねもないわが店で愛する夫と共に働ける幸せをありがたく思っていた。
 やがて亀甲屋に近い西本町の表通りに店を移転、義弟王仁三郎の命名で「金龍餅」の看板を上げてから面白いほど客がつきだした。儲けた銭の隠し場所に困るほどの繁盛ぶりである。
 夫婦では手が足らず、手伝いを雇った。森津由松の長男助右衛門(二十歳)と宇津村の福井小房(十八歳)・すみえの姉妹、それに森本ふくえ(兵庫県氷上町出身)を加えての四人である。夫婦ふたりきりの所帯に若い衆たちが同居して、家の中は活気づいていた。
 丁稚の助さんは力持ちで働き者、おなごしの小房とどうやら好意を寄せ合っている。心変わりせず長く勤めてくれるなら、いずれ夫婦にさせたいと龍は思う。
 ふくえは器量よしで、ふくえを目当てに餅を買いに来る男客もあった。夫が美しく若いふくえに親切にしたり優しく言葉をかける時、龍の心はあやしく波立った。夫はまだ若く、惚れぼれするほど男前なのだ。二人が好きあったらどうしよう。そう思うだけでかっとする。
 仲の良い夫婦だが、この頃から痴話喧嘩を覚えた。言いがかりは決まって龍がつける。つまりは慶太郎が森本ふくえの顔を熱っぽい目つきで見たの、きれいな女客と必要以上に喋り過ぎるのというようなたぐいだ。それでも発展すると、おとなしい龍の顔色が変わって、いきなり箒をつかむ。頭を抱えて逃げ回る夫を、家中追いかけるのも珍しくなかった。
 それほど惚れた夫だからこそ、ふと見せる夫の淋しさ、表情の翳りに、鋭く龍は胸を痛めるのだ。
 子供が欲しいと龍は願った。若さと美しさを失っても、世の妻たちは母の座に安らげる。自分にはそれすらない。夫の生き甲斐をつなぎ止める子供が生めぬ。どんなに金があっても空しいのだ。
 龍は澄にその悩みを打ち明けた。
「そんなら梅野でも子にもろたらどうや」と澄はあっさり言った。
 龍は澄のどの娘もかわいかった。三代を継ぐ直日は別として、梅野・八重野・一二三、どの子でも欲しい。それに澄はまた身ごもっていた。
 子供たちは金龍餅の店で遊んでいても、夕方になるとさっさと帰ってしまう。家が近いのだから、龍がどんなに機嫌をとってみても、完全に龍の子になり切るのは難しかった。
 昨年の夏、店をしまってからふさぎ込んでいる夫にたまりかねて、龍が問い詰めた。
 慶太郎は遠慮がちに言った。
「神さまのおかげで、わしらは申し分なく幸せやな。けれど幸せ過ぎるだけに、食うものもよう食わずに立替え立直しの御用に打ち込んでござる人たちのことを考えるとなあ……」
 選ばれて果たした元伊勢水の御用、出雲火の御用、公認手続きのため王仁三郎に随行して大本の運命を決める印鑑をとりに帰った時の板挟みの苦しさ、それらの思い出が日のたつにつれ、激しく夫の心を捉えているのであろう。
 ――そうか、夫の淋しさは、きれいな女より、子供より、自分のことのためにだけ働く生き方への空しさだったのか。
 龍はさばさばと言ってのけた。
「やっぱりあんたが餅屋の亭主で終わるのは似合いまへんわな。大本に御奉仕させてもろちゃったら……一日夫婦で顔をつきあわせとるより、その方が気分が変わってよろしいわな」
「それでも店は……」
 本当なら、一時も傍を離れたくはない龍だった。けれど大本に奉仕することで夫の生き甲斐が買えるなら、こんな結構なことはない。龍だって、奉公先の不自由な中から竹の皮を拾いためて売ったわずかの金で筆先の紙を買った喜びは忘れられぬのだ。
「店のことは、私に任しときなはれ」
 龍は胸を張った。
 それ以来、慶太郎から翳りは去った。大本では荷の重い財務を担当させられたが、苦しい中を切り盛りして次々と神苑の土地を買い拡めていた。この頃では財務の仕事もそっちのけで池掘りばかりだ。寒風吹き荒ぶ夜半に泥まみれで帰ってくる。それでも工事の進み具合など語る夫の顔は、楽しげにほころんでいた。
 役員信者たちが一身一家をなげうって奉仕している時、龍は、夫にそれよりも生活の確立を選ばせた。教祖の娘夫婦としては批判もされようが、自分たちが食うこともろくにできずに何が立替え立直しだと龍は言いたい。まず生活の基礎を築いたからこそ、夫は家庭のことを心配せずに御神業に専念できるのだ。
 そんなことを言った時、夫は悲しい目になった。
「それは違うでよ、お龍。三千世界の立替え立直しが、生活の片手間みたいなそんなちょろこいことでできるもんではないわいな。明治の御維新でさえ、多くの志士が命を賭けて働いたからこそできたんや。まして三千世界の立替えやもの……多くの犠牲がいるのや。わしらはそこから逃げ出したんや」
 龍は黙った。男と女の考え方の本質的な違いだろうか。龍にしても、夫がもの足らぬげな素振りを見せるほど、立替え立直しよりはその日の売上げの方が気にかかった。
 生活が安定すれば、現実の変革などなければいい。夫と二人、いつまでも添うていかれさえすればそれでいい。でも、とにかく、夫に奉仕させることができたのだから、龍は満足であった。
 自分の幸せにひきかえて、一代で財を積みながら実子もなく、後半生のほとんどを牢につながれる姉米の身の上を龍は思う。八人兄妹のうち苦労のないものとてなかったが、中では凡庸な自分が一番幸せで、不幸せはお米姉さんであろう。
 米姉のことを思うと、今の龍の幸福までぺしゃんとしぼんでしまいそうに思える。大槻鹿蔵は、人に憎まれ恐れられながら悪どく貯めこんで、綾部一の金持ちじゃろと噂されるまでにのし上がった。出口家がどん底にあった時、幼かった龍や澄の目からは贅沢の極みのような生活に奢っていた。米姉は鹿蔵に連れ添いながら、ことごとに母に逆らい、狂ってまでも母を恐れた。
「大本は善悪二つの世界の型を出すところ、他人の子には傷はつけられんから、直の血筋に悪のお役をさせるぞよ」と神さまは宣言する。
 確かに鹿蔵・米夫妻の過去なら悪の型にふさわしかろう。けれど年頃になるまでは、米は優しい気の良い姉であった。恐ろしい大槻鹿蔵に魅入られて、恋人宮絹との仲を裂かれ、婚家から攫われて陥ったあげくと思えば憎めない。鹿蔵を恨むあまりに姉まで嫌悪していた龍であったが……。
 明治四十年に米が再度の発動をすると、鹿蔵は北西町の座敷牢に閉じ込めて守りをしていたが、老齢でそれもできなくなる。養子の伝吉が東四辻で機を始めたので、その脇に座敷牢を造り、米を移した。
 明治四十四年暮には、鹿蔵自身東四辻に転げ込み、寝ついてしまった。あれほどの悪名をはせてかき集めた銭もなく、あるのは借金ばかり。龍が見舞いに行くと、鹿蔵が炬燵に寝たきりで動けぬまま、哀れっぽい声で伝吉を呼んでいたものである。
「伝や、早う早う来てくれ、睾丸が焼けるでよ」
 明治四十五年三月五日、大槻鹿蔵は老衰のため七十四歳で没した。葬儀は大本祖霊社で執行。
 鹿蔵が死ぬとすぐ、北西町の家は三十円の借金の抵当に羽室家にとられた。
 翌月、伝吉は経済的理由のために十二歳の伝三郎を連れて徳島県立工業学校の機職の先生として赴任する。米の食事は伝吉の妻みつ代が作った。ほかの人だとおとなしいのに、直や澄が見舞いに近づくと、米の霊が恐れて暴れる。かげから心を配るより仕方なかった。
 昨年秋、和知の丸上材木店で筏組み人夫として働いていた出口竹蔵が、一家をつれて綾部に帰って来た。長男松太郎(九歳)の学校が和知では不便であり、次男松次郎(六歳)ももうすぐ学齢期なので、ようやく綾部へ落ち着く決意をしたのだ。
 王仁三郎は本宮山の麓に小さな家を建ててやり、竹蔵一家を住まわせた。
 この家には因縁がある。五年前、京都の山中家で日の出支部を新築したが、発会式後まもなく地主の山中惣吉が「やかましいから家を持って立ち退いてくれ」と強硬にごねだした。妻いねの自殺に関連しての腹いせであろう。
 支部役員は協議し、新築まもない家をこわすことにした。こわした材木は材木商の佐藤家に保管され、別に三条猪熊下ルに家を借りて日の出支部を移転した。
 ふとした時、佐藤忠三郎がこわした支部の材木が使われずに置いてあることを告げると、王仁三郎はそれを綾部に運ばせて竹蔵の家にしたのである。同時にその傍に別棟の頑丈な座敷牢が作られ、東四辻から米が移された。並みの造りでは、すぐ破牢するのだ。死ぬまでに二十七へん破牢したという。
 隙間洩る雪が、戸締まりした店の端に積もっている。龍は座敷牢に呻吟する姉の寒さを思う。
 ――そうや、あの人を迎えに行きがてら、見舞いに行ってあげよう。
 手早く売れ残った金龍餅を包み、提灯をつけ傘をさして雪の街へ出た。大本の黒門を入って受付けをのぞくと、慶太郎がランプの傍で算盤片手に帳面をつけていた。この雪で工事も中止になったのであろう。
「なにしろ仕事がたまって、どうにもならんのや。もうちょっとしてから帰るさかい、先に飯を食っとってくれんかい」
「そんならお米姉さんとこに寄ってきますわ」
 そう言い置いて、龍は金龍殿の傍を通り、雪の積もった金龍海の池畔を東へ回って、本宮山麓の座敷牢の前へ出る。雪明りのせいか、牢内は一層暗くよどんでいた。片隅に火縄の火がくすぶっている。その傍の一点の赤は、米の吸う煙管煙草の火であろう。米は片時もさつき(刻み煙草)の五匁袋を離さないのだ。
「姉さん……」
「お龍かい……」
 身じろぎして、米が落ち着いた声を返した。提灯の灯が、米の白い裸の上半身を浮き上がらせる。予期していたが、龍は身震いした。
「この雪に……姉さん、裸では凍え死んでしまいますで」
「風邪一つひかぬわ。体が熱うておれんのや」
 裸でいるくせに糠で顔を洗い、花いかだ(白粉)をはたくおしゃれは怠らない。子供を産んだことのない乳房もたるまず、六十歳という年輪が信じられぬほど若い。時々盥で行水させると、どういう現象か、湯が乳のようにたちまち白濁するという。
「お互いやが御無沙汰やったなあ。慶太郎はん、元気に勤めとって、結構やなあ」
 米は機嫌よく笑い、「お龍、いっぺんここから出してくれやい」と格子にすり寄った。常人と変わらぬ米の声音に同情して外へ出してやった人は、えらい目にあう。錠を開けたが最後逃げ出して、その素早さといったら、二、三人で追いかけたぐらいでつかまるものではない。
 子供に言い聞かすように、龍は言った。
「そらわたしかって姉さんに外へ出てもらいたいで。それでも、着物を全部裂いてしまうようでは、出してあげとうても出してあげられしませんわな。外を裸で歩いたら、お巡りさんに捕まって、ここよりもっと暗いこわい牢屋へ入れられんなんさかいなあ」
 米は素直にうなずく。
 どういうものか、狂った米は腰巻き以外の一切をずたずたに引き裂く癖があった。どんなに着物を入れてもすぐに細かく裂いて三つ編みにし、天井から下げて火縄にしてしまう。
 初めの頃、近所の白波瀬弥吉爺さんが、憤然としてみつ代に抗議した。
「この寒いのに、なんぼ気違いやかて裸にむいとくのはけしからん」
 みつ代が事情を説明しても信じてはくれず、白波瀬は大本に交渉して一組の布団を借り出し、座敷牢にさし入れた。翌朝、布団にくるまっている米を期待して爺さんがのぞくと、どこにもそれがない。米はにっこりし、きれいに解いて編んだ幾つもの糸玉を見せる。中身の綿は細かく引きちぎられて窓の格子から一面に外へ散っていた。
 こんな話をしながら、みつ代はこぼしていたものだ。
「ほんまにうちらが着せんみたいで、外聞が悪うてかなわんわいな」
 それは妹の龍にしても同じこと、けれど外聞は二の次にして、何といっても年なのだから、体が心配である。
 その龍の心配を見越したように、米が言った。
「それでもお龍、うちに憑っとってん神さんがなあ、うちの体は年やでもう役に立たんさかい、そろそろ宿替えしたい言うとってんじゃわな。うちもちっとは楽になるやろ」
「宿替え……姉さん」
 龍はぞっとした。
 次々に元気な体を選んで憑られたのでは、たまったものではない。それも出口家の血筋に……。
 米は気楽そうに煙管を吸いつけ、
「うちはもう死んでもかまへんのやで。へんな神さんの容器になっとるのも、もうしんどいしなあ……」
 龍は鳥肌立つ頬を押えた。裾から凍えついてくる雪道の冷たさだけではない戦慄が、声まで震わせる。
「さあ、金龍餅を持ってきてあげましたで。はよ、食べとくなはれ」
 素早く格子の間から滑り込ませる。うっかり手を入れて、つかまれるのが怖かった。
「おおきに、金龍餅はあんこが多うて餅の腰が強いさかい評判や。よう繁盛しとってやなあ。どれ、神さまにさしあげて……」
 竹の皮包みを開いて、黙念と祈りを捧げる。
 龍は一刻も早く帰りたかった。まごまごしていて、米の神さんにとり憑かれたらどうしよう。
「さあ、あんた先に食べておくれ」
 米は竹の皮包みを格子まで持って来る。誰かが食べないと絶対に食べないのだ。
 龍は一つをとって口に入れる。寒さに、餅の上皮はもうこわばりかけていた。
「姉さん、また来るさかい、それではお元気でなあ……」
「もうちょっと待っとっちゃったらどうや、もうすぐ八木のお久はんがここへ来てやでよ」
「へえ、お久姉さんが……そんな知らせでもあったんですかい」
「別にないでえ。それでも見えるんじゃな。今ちょうど教祖はんの部屋を下がって、こっちへ来よってじゃわいな」
 龍は振り向いて、雪の神苑のあたりをすかし見た。人影はまだなかったが、米の言葉を疑わなかった。牢にいながら、世間の出来事は何でも知っている米であった。
 役員信者たちも、悪の型をさせられる気の毒なお役目と思いながら、米の神秘な力は認めていた。まだ独身の青年が見舞いに行くと、「あんたも早う嫁さんもらわなあかんなあ。どこの誰それはどうや」と、優しくすすめる。
 若い女にはこう言う。
「妊娠したらなあ、どこからでも何十里離れてもかまへんさかい、『お米さん、頼むで』と言うてくれちゃったらうちが必ず守って安産させるでよ」
 事実、「確かに霊験がある」と熱心に体験を語る者もあり、一部からは安産の守り神のように崇拝されていた。
 提灯の灯が近づいてくる。やがて久が荒い息づかいで歩いてきた。
「久姉さん、いつ来ちゃったんです」
「一時間ほど前ですわいな。管長はんはなんぼ瑞の霊魂か知らんけど、あれではあまり行儀が悪すぎます。股火鉢してなあ、股の間から焼き芋つきだして、わたしに『これ食いまへんか』言うてや。あんまりやさかい『ちょこっとここに坐りなはれ』と怒ったら、お尻叩いて逃げ出すやないか……金龍海にしてもまだ水は一滴も出んげなし、ほんまに、ほんまによい恥さらしや」
 龍は久姉が苦手であった。いささかでも曲がったことの嫌いな久は、こうと思い込んだらそこから抜けられぬ一徹さを持っていた。うっかり相槌打とうものなら、姉の悲憤慷慨をいつまで聞かされるか知れぬ。
「そうや、うちの人の帰ってくる時間や。久姉さんも一度遊びに来とくれなはれ」
 龍は久姉の足跡を踏んで歩きだそうとした。
 久が呼び止めなかったのは、提灯の灯に照らし出された米の裸身に叫び声を上げていたからだ。
「姉さん、なしたあさましい姿じゃいな。なぜ金毛九尾に宿を貸しなさる。さあ、どんと下腹に力を入れて、出て行けと追い出しなはれ、さあ、姉さん」
 久の悲痛な涙声に米は辟易したのか、牢の片隅に坐っておとなしく煙管をくわえた。龍は振り返った。逃げ帰りたいと願う足を、二人の姉を案ずる心が釘づけにしたのだ。
 久は身を立て直し、今度は米の憑霊に向かって攻撃し出す。
「これ、お米姉さんに憑る悪神殿、そなたの正体は既に見破られておる。教祖さまがおっしゃってござる。そなたは牛ほどもある白面の悪狐、口が耳まで裂けた金毛九尾であろう。さあ、もう良い加減改心して姉さんの体から出て行きなはれ、さあ、さあ……」
 提灯がとんで、雪道にぼうと燃え上がった。それでも久は一心不乱に格子にしがみつき、叫び続ける。はたから見ていると、どちらが精神異常者か分からぬ。
 雪の上に泣き伏した久姉の背に向かって、必死に龍は呼びかけた。
「久姉さん、帰ろう。頼むさかいまた明日にして……久姉さん、久姉さん……」
 しかし久は面を上げ、激情の余り、決して言ってはならない恐ろしい言葉を天に向かって吐いていた。
「米姉さんを助けとくなはれ、神さま……どうぞ、どうぞ、姉さんの苦しみの半分なりと、わたしの肉体が引き受けますさかい……」
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