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文献名1大地の母
文献名2第11巻「天下の秋」
文献名3神島開き
著者出口和明
概要大正5年(1916年)6月、神島開き。帰綾後、王仁三郎は女装して教祖室に入り、出口直は王仁三郎が坤の金神の御霊だったことを覚る。9月、王仁三郎は夜に神島に行き、二つの玉(如意宝珠の玉、紫の玉)を持ち帰り、金竜海の大八洲神社に祀る。10月、大勢で神島に参拝。尚江と一二三が尉と姥の型を演じる。島から戻り大阪で宿泊しているとき、直は筆先によって王仁三郎が待ち焦がれていたみろくの大神の御霊だったことを知る(見真実)。
備考
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OBC B138911c03
本文の文字数21997
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本文  大正五(一九一六)年六月初旬の風が瀬戸内海の沖の香を含んで、播州高砂港の波止場を吹き過ぎる。長い波止場に沿って二十軒ばかりの小さな家がひと並び、南端が漁師橋本福太郎の家である。波止の道はその先で草むらとなり、石積みの突堤へとつながる。
 夜釣りから帰って一眠りした福太郎は、家の前に立って大あくびした。背こそ五尺一寸足らずの小男だが、汐焼けした肌は浅黒く、筋骨は逞しい。生まれてこの方四十一年間、福太郎はこの波止に生きてきた。妻たねとは結婚まもなく死別したまま、独身で通している。母やすは六十五歳、福太郎の着物のつくろいぐらいまだできるし、四歳の時にもらった養女八重はもう十三歳、家事は一人前にやってのける。淋しくないと言っては嘘になるが、高望みさえしなければ、彼の好きな恵み深い海は三人家族を飢えさせはしまい。今の気楽な境涯もわるくなかった。
 小舟の浮かぶ浅い港の対岸に、向島と呼ばれる中洲が横たわる。岸辺の葦の茂みには小鳥たちが囀り、青い松林には潮風が鳴っている。
「おう、山出雲がいでよるぞ」
 通りかかった川西友吉が声をかけた。
「そうやなあ」と福太郎は、のんびり東南の空に浮かぶ雲を仰ぐ。
 播磨灘でもこのあたりは、別名響灘と言われるぐらいよく荒れる。だから雲行きは漁師にとっての日常の挨拶同然であった。ちょっとした言葉の使い分けで、彼らは雲行きを表現する。「のぼる」といえば西から東へ、「くだる」といえば東から西へ、「さがる」といえば北から南へ、「いでよる」といえば南から北への雲の流れを指す。夕方、西の空が焼けると「明日は天気や、鎌を研げ」と言い、東の空が焼けると「落日(雨が近い)になってきたなあ」と警戒しあう。
 川西友吉は、橋本福太郎より二つ年上の従兄である。漁師と船宿を兼業し、大きな船も所有していて、福太郎より経済的には遥かに豊かであった。友吉も、汐焼けした逞しい体格を持っていた。妻いさとの間に二人の男の子があるが、煙草好きで酒を呑まぬ点は似ていて、仲が良い。
 山出雲の動きから目を離して見返った時、友吉はもう背を向けて突堤のほうへ歩いていた。突堤の中央に小さな祠があり、大神宮が祀ってある。友吉は毎日一度、気の向いた時刻にお詣りに行くのだ。それを欠かすとどうも落ち着かぬらしい。
 突堤の傍に、長髪をなびかせた和服姿の二人の男が立っていた。二人とも高齢だが、一人は髭もじゃで前額部が禿げ上がり、ずんぐり肥えている。
 彼らはこちらへ向かって歩き出し、川西友吉とすれ違って、福太郎の傍へ来た。
「ちょっとおたずねしますが……」
 髭もじゃが、容貌に似合わぬ澄んだ声で問いかけた。
「高砂沖の一つ島一つ松という島を知りなはらんか」
「さあ、知らんなあ」
 福太郎が受け流すと、二人は軽く会釈して行きすぎる。
 波止場では漁師が十人ばかり、網の手入れや船の修繕をしていた。二人はその傍にたち止まり海の方を眺めた。
 あんなところで何しとるのやろと気になって行きかけるや、目ざとく見つけた髭もじゃが手招きした。何かまだ訊きたいらしい。人にものを訊くのに手招きして呼びつけるなんて気にくわん。
 福太郎は足を止め、気づかぬふりで腕組みし、中洲の方を眺める。
 ――けれど変な奴らや。友吉とすれ違ったくせに訊こうともせんと、そばにあんなに人がいるのに、なんでわたいにだけ訊きたがるのやろ。
「あの島やが、なんちゅう島だっしゃろ」
 水平線のかなたには四国の山々がうっすらと浮かび、右に家島群島、小豆島、左に淡路島がぼんやり見える。その中間、沖合三里に、やわらかな丸みを帯びた小島がほのかに浮かび出ている。男の指先は、その小島を指していた。
「あれなら神島や。四十八の家島群島の一番上にあるから上島とも言うなあ。焙烙(素焼きの平たい土鍋、ほうろく)を伏せたような形やで焙烙島ちゅうものもおるし、見る方向によっては、牛が寝そべっている姿に似とるから牛島とも言うで」
「うし島!……」
 二人は顔を見合わせた。せきこむように一人が訊く。
「島の端にひょろんと天にのびたような木、あれは何です」
「一本松と言うとるなあ」
「それや」と、髭もじゃは大きな声を上げ、
「わしらは丹波の綾部の大本から来た村野と谷前やが、あんたのお名前は……」
「橋本福太郎……」
「橋本、橋本はん……おおきに」
 村野は、いきなり手を差しのべて来た。

 村野龍洲と谷前貞義がその小島に執心するのには、わけがあった。
 今から四カ月ほど前……つまり大正五年二月下旬の夜、澄が臥龍亭に入ると、王仁三郎が目を開けたりつぶったり、ぱちぱちさせ、何かしきりに考えている。こんな様子には慣れっこの澄が、声をかけた。
「先生、また何しとってんですいな」
「おう、神さまがいろんなことを見せなさるんじゃ」
「いろんなことってどんなことですい」
「お前に言うとすぐくさすさけ言わん」
 ふだんならいっこう頓着せぬ澄だが、このときは夫の脇に坐り込んだ。
「くささへんさかい、言うていな。なんや知りとうてかなわんわな」
「さっきから、目を開けてもつむっても、小さな島が見えてしようがない。確かにどこかで見たことのある島やが……松が一本きりしかない丸い島や。どこやったかいなあと思うてあちこち霊視しとるのやが、坤の方角としかわからん。その島がどうにも慕わしゅうてならんのや」
 その夜から王仁三郎の右目の下のところが疼き出し、腫れ上がった。澄が抑えると石のような塊が指先に触れ、ひどく痛がった。その固まりは時と共にごく僅かずつ下へ下がり、やがて頬骨を越えた。
 王仁三郎は、村野と谷前を呼んで、坤の方角にある神示の島さがしを命じた。谷前貞義(六十歳)は、大阪の松島で鉄工所を持っていた。岡崎捨吉の導きで夫婦ともども入信している。
 島さがしの神命を受けて、村野と共に大阪湾一帯から和歌山の辺まで歩きまわり幾日も探し求めた。雲をつかむような話だった。
 四月四日は前述の通り浅野和三郎初参綾の夜であったが、浅野を残して王仁三郎はあわただしく綾部を発っている。翌五日、大阪・肝川の軍霊と合流して総勢二十名、大和の橿原神宮に参拝、続いて畝傍山に上り、山頂の畝傍神社(祭神神功皇后)に額ずいた。大正天皇御参拝の三日後である。
 その直後、王仁三郎が同行している村野龍洲に告げた。
「お参りしているとのう、またあの島が目に浮かんできて、今度ははっきり神示が出た。『朝日のたださす夕日のひでらす高砂沖の一つ島一つ松、松の根元に三千世界の宝いけおく』……」
 村野はその神示を二、三度復唱した。
「高砂沖の一つ島一つ松……あんたは播州の生まれやさけ、そのよしみでもう一度島探しをやって見てくれ」
 村野は抗った。
「管長はん、いくら神さんの御命令でもそれはむずかしい。高砂沖には数え切れんだけの島があります。島はみな一つずつやし、どの島にも松くらい生えとりまっしゃないか」
 四月八日、王仁三郎は村野をつれて大阪へ出る。難波出張所の神前で、神懸りして二首の神歌を詠じた。

世を救ふ神の御船はあづさ弓
播磨の沖に浮きつ沈みつ
三千年の塩浴みながらただひとり
世を憂し島にひそみて守りぬ

 畝傍の神示に関連あることは明らかだが、依然として島の所在は不明である。
 王仁三郎が右目の下に疼きを覚えてから四十八日目の四月十三日になって、固まりは頬を下がり、ついに右の歯ぐきに真っ白な頭をのぞかせた。
「お澄、痛うてかなわんわい。とってくれ」
 澄が指先に力を込めて思い切り引き抜いた。それは底の平らな純白の奇麗な石で、いくらか凹凸はありながら、こんもりともり上がった楕円形をなしている。
「あっ、大八洲さんや。金龍海の小松を植える前の大八洲さんにそっくりやなあ、先生」
「そうか、どこかで見たと思うたはずや。お澄、これは石やない、舎利や。わしの探している一つ島と同じ形じゃ。村野を呼んできてくれ」
 王仁三郎、痛みを忘れて叫んだ。
 村野がとんできて、小箱に納められた白い舎利を見つめた。
「よいか、この形を覚えるのやぞ。金龍海にはもう型が出とる。大八洲さんと舎利と一つ島とは同じ形や。この形の島を探せ」
「はい、必ず……」
 村野は神命に服し、即座に旅立った。しかし、まだ目指す小島を見ぬうちに村野は呼び返され、関東方面に出張を命ぜられる。続いて王仁三郎と合流して横須賀に滞在、探索は一頓挫したが、六月に入って谷前とともに島探しを再開したのである。
 地図上はただ一点のヽにすぎぬ神示の「憂し島」は播磨沖に浮きつ沈みつある「牛島」であり、まさしく一つ島一つ松。三千年の汐浴みながらかげから御守護下さった、救い神のひそむ島であろう。遠望する淡い島影は、あの白い舎利と全く同形なのである。
 橋本福太郎は二人の感激ぶりに動かされ、さらに言葉を添えた。
「そうや、あの島にはまだ呼び名があった。化物島というて恐れる者もありまっせ」
「へえ、化物が棲んどりまっか」
 谷前は、まだ感激のさめやらぬ面持ちで訊いた。
「この辺の漁師らは、獲った魚を夜の間に大阪まで運んで、夜明けに売りさばくのや。ところが、昼間うっかり神島さんの方に向いて小便しようものならえらいこっちゃ。夜明けまで漕いでもう大阪に着く頃やなと思ったら、目の前に神島さんがある。つまり夜通しぐるぐる神島さんの回りを漕ぎまわっとる。そんなんは度々あってなあ、石屋が石とりに入ろうとすると、鱗のある大蛇が恐ろしい勢いで下りてきよる。島の西南では鱗で磨れて黒光りしとる岩屋があって、そこを龍門言うとるぐらいや」
「へえ、龍門……」
 村野はおかしくなって、ちょっと笑った。王仁三郎や澄や長髪異様の大本人らが出入りして、磨かれて黒光りしている綾部の龍門館を連想したのだ。
 福太郎は笑われたと思ってか、むきになって、次々と古い言い伝えを引っ張り出した。
「や、嘘やと思うなら聞いてみい。この高砂の東宮町の辰巳矢之吉もお爺から聞いとるのやぞ。家島群島の中の男鹿にまだ流人が住んどる頃のことやが……」
 矢之吉の祖父が天気の良い夏の夜、神島付近で網を張って船で眠った。と、白髪の老人が揺り起し、「こんなところにおったら、網がみな無いようになってしまうぞ」と教えて消えた。夢やったかいなあと思いながら夜明けを待って見ると、網が全く無くなっていた。「きっと龍神さんの通り道を邪魔しとったんや」と祖父は言っていた。
 また、五大力(屋号)の年寄の祖父が加古川の川口で網を張っていた。すると川上から太い松の木が流れてきた。
「やっ、松の木が流れて来よんど」
 あわてて見ると、松の木が網にあたって、むっくり首を上げた。それがゆきひら(土鍋)のような目をむいてこちらを見た。あまり驚いたので震えが来、お爺は帰宅してから熱病にかかって死んだ。その松の木も確かに神島さんの方に行ったと言う。
 ほかにも神島全体が燃え上がるようにピンクに見えたり、火の玉がのぼったりするのを見たと言う人たちもおる。
 村野が急きこんで頼んだ。
「どうやろ橋本はん、今からわしらをあの島へ渡してもらえまへんか」
 福太郎は、今の話に怖気づかずにむしろ勇んでいる二人が、気味悪くなった。
 谷前が後をついだ。
「これには深い仔細がおますねん。あまり急やで無理か知れんが、頼んまっさ」
「人も住まん島へ見ず知らずの人をよう渡しまへんわ。今から行きよったら、帰りは夜になるやろ。あんたらは丹波の山家の人やさかい、海を知らんのや。そんなに島へ渡りたかったら、日を改めて朝早うから出て来なあれ。そのときは船頭と舟を頼んだっさかいに」
 福太郎は、追い払う手つきをして行こうとする。
「せっかく遠くから出かけてきたんやし、なんとか渡してくれや」と、村野が追いすがる。
「あんたらもひつこい人やなあ。神島はんにはやたらと人が上がれんのや。わたいは今年は厄年やで、ことわりまっさ。どうでも渡りたいなら、日を決めて出直して来なあれ」
 二人は相談の上、改めて福太郎に告げた。
「神島には尊い神さまが御隠退になってるさかい、お祀りして世にお出しせなならん。その支度に旧の五月二十五日に渡りたい。前日の夜には来るから、船頭と舟を用意しておいてくれ」
 二人は波止の南端の橋本家を確認して去って行った。福太郎は、その後ろ姿を見送りながら思案した。
 ――あの眼は普通やないわい。姿からして海千山千の大物や。あまり深入りして、命までくれと言われんもんでもない。そこはええかげんにあしらっておかないかんわい。

「兄やん、明日は旧五月二十五日やのに、あれから何も知らせて来んのや。もう来やへんのやろ。奇妙なことばかり言う人たちやったが、やっぱり漁師やと思って嬲りよったかなあ」
 橋本福太郎は、大神宮の祠の前で従兄の川西友吉にこぼしていた。
「福さん、そんな変わった者の相手にならんと、夜釣りに行とりいな。へんにかまうと、舟も何も奪られてしまうで。それにまた、いつ来るやら分からん人を待ったところで、なんにもならへんがあ」
「それもそうやなあ。それでも約束して帰ったんやさかい、ほっとけんがなあ。今日は遅うても来ることになっとるんやが、もしほんまに来たら、おまはん、明日、神島へ渡してやってくれるかい」
「そら……そんな変わった人たちやったら、おもろいさかい、渡してやってもええがなあ」
 福太郎の母やすが、暮れ方の波止の道を、息せき切ってやってくる。草むらのところで立ち止まり、手を振った。
「福や、おまはんがしょうもないこと言うさかいに、そーれ、まいど来た人が三人も連なって来とるんやでえ。早う戻らんかいなあ」
「そら早う帰ななあかん」
 福太郎があわてて帰ると、家の土間には村野龍洲のほかに男一人女一人が待っていた。大阪から先発としてきた岡崎直子と今田鶴三郎であった。
「いやあ、あんた方の話を今しよったところやがなあ、まあまあおかけ……」
 福太郎が土間の縁を指さし座蒲団をすすめたが、村野が突っ立ったまま力を込めて言った。
「明日の人数ははっきりわからんのやが、橋本はん、大船を二、三隻と船頭を手配しといてくれんかい」
「あんたらだけとちがうのんか」
「実のところ、ずんずん人が増えてもてなあ、明日は先生がお渡りになって三千年落ちておられた坤の金神の神霊をお迎えすることになった。橋本はん、あんたもどえらい御用しなはるのう」
「そら頼まれれば、船頭集めはしますけどなあ……」と、何やら腑に落ちぬ福太郎。
 いさいかまわず村野はまた押しつけた。
「ああ、それからもう一つ。わしら三人、今夜はお宅で泊めてもらうつもりで来たんや。家の隅でも庭先でも貸しとくれ」
 橋本家は、土間の上がり口が四畳半、奥が六畳と三畳の小部屋があるだけで、客を泊めるような家ではない。
「そんな無茶なこと、よう見てから言うとくれ。こんな小さな家に寝られるもんかい。旅館があるさかい、そこで泊まっておくんなあれ。幸い、わたいの従兄が船宿をしとるのや。安うで泊めてくれるさかい、さあさあ、案内しまほ」
「いや、旅館ではあかんで。お宅でないといかんと先生が念を押しなはったさかい、庭の隅でもどこでもかまへんのや。泊めとくれやす」
「いやじゃ。先生やろが大将やろが親分やろが、ここはわたいの家やさかい、泊めんと言うたら絶対に泊めん」
「あんたはそんなこと言いなはるが、それはまだ神さまのことを知らんさかいや。教祖さまが冠島開きをなさった時の二人の船頭のうち、一人は橋本六蔵というのや。あんたと同じ姓やないか。知らぬとはいえ、これには深い因縁があることやでなあ」
 村野は平然と言ってのけ、動こうともせぬ。
 ――こいつらは文無しやな。それでしぶとくわしの家で宿をとる考えやな。ぐるになって来よったなあ。
 福太郎は腹を立てつつ、それでも川西友吉の家へ出かけて行った。川西家は北へ五軒目の向い側、海際にある船宿である。船と船頭の相談をしたついでに、さんざ「変わってる人」たちをこきおろした。
 とんだ災難とあきらめて、福太郎は押しかけ客を泊め、とうとう雑魚寝で一夜を明かした。
 翌二十五日朝七時頃、おだやかな朝凪に、船頭たちは大船を回してきた。しかし、雲行きが俄に変わって強風が波をあおり、空はかき曇ってくる。雲は密度を増し、雷が鳴りはためき、ついに叩きつけるような豪雨となった。神島渡島のために集まっていた船頭たちも皆帰ってしまう。
 先発の三人は高砂駅へ迎えに行っていたが、九時頃、四、五人がばたばたと雨中を橋本家にかけ込んで来た。続いて二、三人、また四、五人、あっというまに六十余人波止の道も狭しとばかり、橋本家へ押し寄せてくる。三部屋はたちまち人であふれ、隣の軒の下までずらっと居並ぶ。男も女子供もすべて和服で、大時代な刀を持っている者も何人かいる。
 驚いたことに、この凄じい雨足を眺めながら、彼らの顔は晴れ晴れと笑っている。
「どうです、この気持ちのよい雨は……」
「ほんとうに浄めの雨で結構なこっちゃ」
「龍神さまのお迎えでっしゃろ。冠島開きの時も、こんなやったそうどすなあ。ありがたい、ありがたい……」
 家の中につまっている人まで障子を開け放ち、空を仰いでありがたがるので、家の中はどこもかしこもずぶ濡れだ。あるじの福太郎は家の外に押し出されて、いるところがない。軒下で彼らと一緒に雨を避けながら、あきれ返って聞いていた。
 ――何という変わった人ばかりやろ。こんなえらい雨が何ありがたかろう。結構もくそもあるもんか、阿呆ばっかり寄っとるわい。
 谷前貞義が出て来て、福太郎に言った。
「橋本はん、人数は六十三人や。船の用意ができとるかい、船頭はんはどこにおってや」
 ぷいと横向いて、福太郎が答えた。
「この雨では船は出んさかい、みな帰ってもろたで」
「そらあかん。浄めの雨やさかい一しきり穢れを洗い流したらもう止むと、先生が言うてはる。すぐ集めて来てんか」
 逆らおうとしても、福太郎にはうまい言葉が見つからぬ。もうやけくそで、褌一つの裸になり、雨をついてとび出して行った。本音は、この得体の知れぬ集団から逃げ出したかったのかも知れない。
 川西友吉の家で、この成り行きをぼやいていると、南の空が白みかけ、豪雨が静まって来た。
「あれ、妙やなあ。雲がどんどん逃げよるで」
 びっくりして空を見上げていると、雲の破れから陽の光がもれ始めた。ともかく福太郎と友吉は、手分けして船頭集めに走る。
 客たちはみな波止場へ出てはやりきっていた。彼らは口々に「船を早く出せ」とせがむ。だが、雨はおさまっても、岸壁に襲いかかる荒波はほとんど衰えを見せぬ。他地方では二月、八月に海が荒れるのに、この地方では梅雨期が最も危険とされる。
「この南風に、危のうて船を出せますかいな。とても無事には渡れしまへんで」
 集まった船頭たちは言い張った。
「船を出しさえすれば波も静まり、勝手に神島へとんで行く……そう先生が言うてはる」
 船頭たちの制止も聞かず、岸壁に回された三隻の大船に乗り込もうとする連中もいる。この騒ぎに、波止場の家々から見物人がたかり始めてくる。
 福太郎は、船頭たちの傍へ寄り、いまいましげに言った。
「聞いたかい。あんな無茶な話てあるかい。こっちは永年漁師で飯を食っとるのや。阿呆と気違いにつける薬はないというが、ほんまや」
「まあまあ、港の口まで船を出したら『こりゃかなわん、返してくれ』と泣き出すに決まったある。いっぺんびっくりさせて、懲らしめたろかい」
「どうもこのままでは気がおさまらんしなあ。ちょこっと船を出してやろ」
 船頭たちがにんまり笑いあった。
 出船の知らせで、橋本家から武者少女が現われる。きりっと髪を一つに束ね、白の剣道着に横縞の袴を短くはき、腰には脇差を一本ぶち込んだ藁草履ばき、右手首に白の風呂敷包みをからませて、左手に『木花直澄』(直日の雅号)と書いた笠を持っている。見物人たちの目はこの凛々しい少女に集まった。
 続いて現われた人物にも、彼らは微妙に反応した。見物人ばかりでなく、同乗する信者たちからも驚きの声が上がる。男とも女とも判別つかぬその大柄な人物は、しゃなりしゃなり船の方へ歩き出す。豊かな黒髪を中央で分け、頭上に大きく髷を結い、残った髪は背と肩に流している。着物は赤・白・黒の裾模様の三枚重ね、帯は前で蝶に結び、白足袋・草履、御丁寧に化粧された顔は肌白く、女と思えぬでもない。右手に握っているのは長刀であった。そのこぶしが馬鹿にごつい。
 新婦に付き添う母親みたいに面を伏せ、緊張し切ってその後に従っている二人は、大阪松島の谷前貞義の三度目の妻玉子(三十七歳)と吉野楼の女将吉野時子(三十九歳)である。
 昨六月二十四日(旧五月二十四日)、谷前家に現われた王仁三郎は、二階に掛けていた押絵の額伊邪那岐・伊邪那美二柱の神が鶺鴒のつがいを眺めている図を見るや、挨拶に出た玉子・時子に命じた。
「わしは明日、女神姿で神島に参らんならんのや。吉野はんはのう、あの図のようにわしの髪を結うてくれ。谷前はんは衣装を支度してくれ」
 王仁三郎の言葉は、そのまま神命であった。谷前玉子は、自分の着物を用立てるために箪笥の底までかき回す。吉野時子はもっとたいへん、まず豊かすぎる髪のもつれを梳き上げ、そこに巣食う観音さま(虱)から駆除してかかる。女神の結髪の形がどうにもつかめなくて、時子は一夜神前に坐って神示を請うたぐらいだ。
 橋本家の奥の間に入って、人々が豪雨に立ち騒いでいる間中、二人はせっせと王仁三郎を女神に仕立てたのだ。
「あの女の人、いつのまに来たんやろ。あんな人、おらへなんだのに……」
「男みたいでもあるで」
 福太郎もまた、王仁三郎が女装していたことを知らなかったので、女か男かの判断に興味をそそられた。喉笛を見てやれと思って知らんふりして側に寄ると、当人はまがう方なき男声で福太郎に囁きかけた。
「おっさん、おかしいかあ。まあ見とれよ、これもみな神さまの御用やさけのう、妙でもこうせないかんのや」
 そうか、この女装の男が先生と呼ばれる人やなと、福太郎はその時、直感した。
 王仁三郎の女装を見てことさらの感慨にうなずくものがいた。湯浅仁斎である。
 湯浅は郷里の宇津に田植えに帰っていたが、女装した王仁三郎が大烏(暁の烏)に乗り中空を坤の方角へ飛ぶ夢をはっきり見た。そこへ王仁三郎から「神さまの御用で神島へ参るから高砂へ来い」という通知があったので、田植えを捨てて馳せ参じたのだ。
 梅田安子も、雲に乗って天空を飛ぶ女装の男神の夢を見ていた。それが今、目前に見る王仁三郎の女装と全く同じであった。
 綾部からは四方平蔵・湯浅仁斎・稲次要蔵・宇佐美武吉、それに宇佐美の背に負われて参加した吉田一、京都梅田家から武術修行中の直日・大二・梅田一家、更に大阪・肝川の諸軍霊を合した総勢六十三名は、三隻の大船に分乗する。
 あれほど荒れていた海が凪ぎ、船は滑るように進む。まだ海上には霧が流れていたが、一同は神島の方向に向かって祝詞を奏上した。
 港の口まで来ると、いつか風は南から北に変わり、帆は順風をはらんでいた。船頭たちは出発前の悪戯気分など忘れたように、真剣に舵をとっている。
 一つ島一つ松はもはや幻ではなかった。晴れゆく靄の中から、その現身を、王仁三郎の目前に顕しはじめていた。
 今、海から生まれたように淋しく一つ、薄墨色の丸い島影を遠く見た時、王仁三郎は、かい寄せて懐に抱きたい思いに胸しめつけられた。順風満帆の船足さえ、もどかしい。
 船上の人々は、いつの間にやら手を合わせている。一つ島一つ松に向かって、神言の合唱が湧き起っていた。近づくにつれて、三度目の神言が海上を流れていく。長い風雪に耐え、潮に洗われ続けた荒い岩肌が痛ましく眼に飛び込んでくる。集塊状流紋岩および流紋岩で形作られた、直径約半キロ、周囲約四キロほどの岩の多い無人島である。
 午後三時、船は島の北東、わずかに開けた崖下の砂地の手前に着けられた。女神姿の王仁三郎が、待ちかねたように磯岩づたいに島に上陸。人々が後を慕った。昔から漁師すら上陸を恐れる神秘の孤島、龍の住処に嬉々として女子供たちまで上がっていくのを、船頭たちはただ呆然と眺めていた。
 人の背丈ほどの矢竹(別名女竹)が一面に生い茂っていた。宇佐美武吉は、背の吉田一をどうでも山頂まで連れて行きたかった。這うようにして上った。若者に手を引かれ、背を押されて上る老人もあった。少し離れると、笹に没して人の姿を見失う。互いに声をかけ合い、引き合いながら、三町余にして山頂に辿り着く。
 王仁三郎は、長刀を抜いて矢竹を切り開いた。刀を持っている者はそれにならい、やがて六十余人の坐るだけの空地ができる。
 村野龍洲が背負ってきた宮(高さ一メートル・横五十センチぐらい)を正面に置き、矢竹を敷いて一同その上に坐した。
 王仁三郎は潮風に向かって石笛を吹き鳴らす。石笛の音は山頂に響き渡り、一つ松をめぐり、波間に尾を曳いた。この島に三千年間耐え給うた龍神のみ胸に、それはどんな音色となって滲んでいくのであろう。
 その感傷を切るように、王仁三郎は、素早く女竹をとって弓矢を作る。えびづるのしなやかな茎で弓づるを張った。
 一同の合掌の中で、女神は勇ましく手製の弓矢を構え、この世の邪気を射放つ型を四方に示す。それから坤の金神の鎮座を願って、山頂の式典が行なわれた。
 神霊の鎮まり給う宮を捧持して山を下り、砂浜のわずかな広場に勢揃いして記念撮影した。
 帰途の船の中で王仁三郎は男に戻る。穏やかな海を渡って高砂港に着いたのは、午後七時頃であった。
 人々の下船を見届けたかのように、再び豪雨が降り出していた。
「わたいの家は汚いさかい、もっと清らかな家へ神さまに上がってもろうとくれ」と、福太郎が一行を押し止めた。
「誰がそんなこと言うのや、神さまは『橋本へ行く』と言うておられるから、橋本へ行くのじゃ」と、王仁三郎が言った。
「何なと勝手にせえ」
 福太郎がやけくそになって家のくぐり戸を開ける。
 宮を奥の間に安置して、三つの部屋にあふれんばかりの信者たちは戸を開け、窓を開いて、嬉しげに龍神さんの雨の吹き降るさまを眺めている。
 ――ほれほれ畳が濡れる、ほれ床の間までしぶきがとぶやないか。ああ、情けない人たちやなあと、橋本家のあるじは気が気じゃない。
「福はん、駅まで提灯を持って送っておくれ」
 一休みして化粧を落とした王仁三郎が、気安く福太郎に命じた。厚子を着けて外へ出ると、雨は容赦なく降っていた。すすけた丸提灯をぶら下げて、福太郎は一行の先に立った。谷前貞義がお宮を前にかけて捧持する。雨のために提灯の底が抜け、灯が消えて暗夜の闇は一層深まった。
 びしょ濡れの信者たちは、高砂駅発九時十分の列車に乗り込んだ。窓々からのぞくどの顔も、来た時にも増して晴れ晴れと笑っている。手を振って別れを惜しむ人々に、福太郎も底抜けの提灯を降り続けていた。
 列車が去り、ホームに暗闇が帰ってきた時、福太郎は気づいた。
 ――しもた。銭もろてへん。船頭頼んだ賃金はすぐにも払わんなんのに……えい、意地悪のくそ神め、だから深入りしたらあかん、ええかげんにしとけと思っとったのに、うまいことあしらわれてしもたやないか。ああ、わたいは底抜けの阿呆やなあ。
 仇口(悪口)つきつき、泣くにも泣けずに福太郎は波止の道を戻ってきた。大水の引いたような家の中に、ぽつんと村野龍洲が坐っている。
「さあ、橋本はん、御苦労はん、勘定して下されや」と、村野が進み出た。
 翌日はさわやかな晴天であった。村野が「帰る前に鎮魂をしてあげましょう」と言い出した。母やすと娘八重は、素直に手を合わし目をつぶっている。
「橋本はん、あんたはこの高砂で神さんを祀らなならん因縁のお方や。まあ、ここへ坐ってみなはれ」
 福太郎は、不承不承に目をつぶった。ウーンと村野が一声かけると、福太郎はぎろりと目をむく。
「つぶって、つぶって」と注意して、も一度霊を送るや否や、福太郎はまたぽかりと目を開く。
「何で眼をあけるのやい」
 少々むかっ腹を立てて、村野が怒鳴った。
「あんたが今わたいの眼をねむらしといてウンとやられるさかい、何しとるんか調べるために眼を開くのやで」と福太郎が言った。
「ウーン、頑固な男や。あんたみたいな人はどこにもないわ」
 さすがの村野も、あきれて投げてしまった。

「お澄、一つ島の場所がわかったで」と勇んで、王仁三郎が出かけてから四、五日後、「カミサマノオトモシテカエル」という電報が届いた。直は、すぐ神前に伺いを立てる。
「お澄や、どえらいことですで。尊い神さまをお迎えするのじゃから、お扉を開いて支度しておくれ」
 直の白い顔が上気していた。澄はさっそく神前に供える「おなま御膳」の支度にかかった。
 いつものように、信者から献納された物を供えるつもりであった。それが神前にあった狐かずらの草を見たとたん、澄の気が変わった。狐かずらで丹念に心に映ずる島の形を作り、それを三方に載せた。「月の大神さま」と無意識に呟く。
 ちょうど顔を出した奉仕者の秋岡亀久雄に、澄は言った。
「お月さまにするような丸い石を探してきとくれなはらんか」
「あ、それならちょうど良い石があります。こないだ丸い石を拾って、あまり形が良いので、うちの庭に置いときました」
 秋岡の持参した丸い石を島の後に据え、月が半分出た形にした。それだけでは、何か物足りなかった。子供の玩具の『尉と姥』を持って来て添える。
「梅で開いて松で治める……そうや」
 澄は庭にとんで行き、梅の小枝と松を飾る。最後に「めでたい」で鯛を一尾供えた。我ながらおもしろい「おなま御膳」ができたので、直に見せた。
 直は口元をほころばせる。
「お前は知らずにしたのやろが、これでお喜びの形はできた。よい御用をさせられなさったなあ」

 六月二十八日午後一時過ぎ、王仁三郎は神霊を奉じ、二十余人の軍霊を従えて大本に帰着した。宮はひとまず龍門館に安置される。
 統務閣の自室に入った王仁三郎は、谷前玉子と吉野時子を呼んで髪を結い、化粧して再び女神の姿に扮する。その姿のままで、王仁三郎は教祖室の襖を開いた。
 直は驚いて身じまいを正し、「坤の金神さま……」と声を上げた。
 この日をどれだけ待っていたのであろう。直にかかる艮の金神の国常立尊と王仁三郎にかかる坤の金神豊雲野尊が世に落とされて三千年、絶えて久しい再会なのだ。その夜、直と王仁三郎は、御夫婦対面の神霊の喜びをこめて、祝の盃を交わした。
 金龍殿では、お供に加わった二十余人と綾部駅まで出迎えた三十余人の間でも、喜びの御神酒が交わされていた。

 九月七日夕方、王仁三郎・梅田信之・谷前貞義・村野龍洲・湯浅仁斎・榎本正澄の六人が、橋本家を訪れた。
「今度は夜さりの御用で、神島へ行かんなんのや。着いたらすぐ帰るさけ、そのままで行ってくれ、頼むで」
 夜の御用とは不可解だが、変わった依頼には慣れてきたので、橋本福太郎は川西友吉を誘い、すぐ釣り船を一隻回して来た。褌に半纒を引っ掛けただけである。娘の八重がせがむので、一行に断わって乗せてやった。しばらく船を漕ぐうちに海上は闇に包まれて、振り返る港には波止場の灯が人懐かしく点っている。単調な櫓の音をきしませて二時間半、神島に着いた時は月も星も見えぬ気味悪い闇であった。
 舟行燈は船に残る福太郎と八重の傍に残しておき、七人はろうそくの灯を頼りに上陸する。風が強くて、その灯もすぐ消されてしまい、島全体にぞっとする鬼気が漂った。
 夜目の利く王仁三郎にとっては闇夜も苦にならぬのか、「お前ら、そこで待っとれよ」と言い残すなり、どんどん先へ上ってしまう。村野龍洲が負けん気を出し、矢竹の茂みをかき分ける音を頼りについて行く。が、十歩と行かぬ間に、悲鳴を上げて助けを求めた。川西友吉は手探りで村野の傍へ行き、ようやく二人は元の位置まで戻る。どれぐらいの時が経ったか、六人は一団となってただ闇の中に立ちすくんでいた。
 やがて空から舞い降りるような勢いで、王仁三郎が帰って来た。
「さあ、船に戻ろ、ここや、ここや」
 王仁三郎の声に導かれて、一同はようやく汀ヘ下りる。八重は、船中で安らかな寝息を立てていた。砂浜で一夜を明かすことになった。
「おい、西瓜があったやろ。橋本はん、こっちへくれ」
 皆で一緒に食べようと思って積み込んでいた西瓜を、王仁三郎は要求した。福太郎が手探りで船からとって来て渡すと、王仁三郎は岩角で西瓜を割り、岩に腰掛けて一人でかぶりついた。
「うまい、うまい、夜露で冷えて、格別うまいのう」
 西瓜が大好物の福太郎は、腹が立ってたまらない。
 ――先生とも言われる人が、皆のおる前で一人で食うて、礼儀も人情もない男やなあ。一切れずつでも皆にくれそうなもんやのに、せめて子供の八重ぐらいには残しても……あれあれ、あの大きな西瓜を一人で食うてしもたらしい。ちぇっ、腹でも痛めばええのに。
 闇夜で見えぬが、堪能した素振りで西瓜の皮を海に投げる音。笑いを含んだ声で、王仁三郎は言った。
「一人で腹の神さんに供えてしもてすまんのう。わしは水火もいとわぬ働きをせなならんのや。どれ、朝まで寝よかい」
 言いながら船に乗り、八重の脇にごろんと横になる。はや高鼾。
 ――漁師なら助け合うのに、山猿の奴め、勝手なもんや。生神さんやと思うたら、食い神や。
 福太郎の腹の虫は、いっかなおさまらない。
 夜が更けるにつれ、夏の夜風も次第に冷えてくる。寒さは耐え難くなって来た。寝ているのは、王仁三郎と八重だけだった。他の連中は船で横になったものの、平袖だけではとても寝られぬ。船から下り、崖下の砂地に風をよけてしゃがみ込んだ。
 半纒一つの福太郎は、いっそうたまらない。もともと欲はからっきしない男で、銭金で船を出したのではないのだ。すぐ帰るからといわれて出て来たのに、こんな所で一夜を明かすはめになるなんて、むかむかして、他の連中に当たり出した。
「なんやい、夜の御用や御用や言うて、大将が寝ていて何の御用ができるもんかい。御神業いうたら、ぐうぐう御寝業のことかい。こんなこっちゃったら来るんやなかった。すぐ帰る、そのままで来てくれいうもんやから、阿呆が真に受けて、えらい目におうた。おう、友はん、今から帰のかい、帰のかい」
「これも何かの御都合でこうなっとるんやろから……」
 村野も寒さに震えながらなだめる。
「御都合もくそもあるかい。寝とるぐらいなら朝来ても同じこっちゃのに、この責任はあんたにあるんやで。大将を起こして、帰る算段せんかい」
 梅田らは黙然と坐りこんだままである。いくら腹が立っても一人で帰りもならず、かといってしんしんと腹の底から冷えてくるのだ。
 ――西瓜なんぞ食うとったら、こらただではすまんとこやった。丸ごと食うて寝とるあの男は化物かもしれん。
 福太郎は一人岩の上で躍り上がり、躍り上がり、夜明けを恋うた。
「おう、少し涼しいな」
 王仁三郎が起き上がってのびをしたのは、東の空が白みかけた頃であった。
「福はん、一晩御苦労やったな。体が疲れたやろ。わしらはこれから御用をするさかい、できれば少しお眠り……」
 王仁三郎の柔らかな声を聞くと、妙に怒りがとけてしまう。
 船に入ると、八重の体には黒い絽の羽織が着せかけてある。あれっ、と思って王仁三郎を見ると、薄い白衣一枚ではないか。父親の自分が、寒さのあまり娘のことを忘れていたのに。
 王仁三郎に従って、一行は南側から島の頂上へ上った。王仁三郎が岩の上に端座して石笛を吹き、皆が矢竹を敷いて鎮魂を修する。福太郎もそれにならって坐ってみた。今度は目玉もむかず瞑目すると、朝の潮騒が遠い世界へ魂を誘うようであった。
 王仁三郎がひとり立ち上がってそっと抜けていく。誰もついていく者はない。
 二拍手がして目を開いた時、王仁三郎は得意そうに白い包みを抱いていた。
「さあ、もう御用はすんだで、このお供をして帰るんや」
 あっとみんなが腰を浮かした。どうやら白い晒に包んであるのは丸い二つの玉らしい。その丸いものの正体は王仁三郎も言わぬし、誰も聞かぬ。
 福太郎はその正体が知りたくて始終王仁三郎の傍へひっついていたが、どうしてもわからなかった。けれど気になるのは、包んでいる晒である。よく見ると紐が垂れているのだ。
 思い切って、福太郎は聞いた。
「先生、その晒、越中褌と違うかいな」
「そうや。下がすうすうするわい」
「褌の中身は?……」
「阿呆、金玉に決まっとる。けれどこれは金やないで、玉は玉でも如意宝珠に紫の玉……三千世界のお宝や」
「へえ、そんな尊いお宝を褌で包んでも、罰あたりまへんのか」
「どっちゃも玉を包むのに変わりないわい」
 王仁三郎はにこりともしない。
 帰途の船中、たまりかねたように村野が言った。
「先生、わしにもおかげをもらわしてもらえまへんか」
 村野が晒の包みを掌に受けて押しいただく。羨ましげに、他の者たちが村野を注視した。そのうち、村野の額が黒ずんで来て、脂汗が滲み出した。ついに堪え切れぬ呻きを上げる。
「これ、お返しします。どうぞとっとくなはれ……」
 王仁三郎が笑いながら、村野の手から丸い包みを受け取った。村野に襲いかかった腹痛も、玉を手放すと同時に治まってしまった。
「それだけの神格のできとらん者が如意宝珠の玉にさわるとこんなもんや」
 王仁三郎は言い、じっと遠ざかる一本松を眺めた。
 村野は脂汗を拭い、まだ青い顔で、しきりに神島に向かってお詫びしている。
 ――ああ、助かった。わいも「見せてくれ」というとこやった。けど村野はんが持ってもあの通りやのに、自分のしめとった褌はずして包んでも罰あたらん、先生はやっぱり生神さんかも知れんなあ。
 櫓を漕ぎながら、福太郎は思うのだった。
 この二つの神宝は、金龍海の大八洲の岩戸の中に仮遷座した。王仁三郎が神島のどこでどうやって手に入れたかは、語らなかった。一本松の根本から掘ったとも、神島の龍門の洞窟から持ち出したとも噂はとんだ。
 九月十二日、出口直はこの岩戸に参拝している。

 ――変性女子は機の緯の御用であるから、さとくが落ちたり糸が切れたり、いろいろと梭のかげんが違うたり致して、なにかのことがここまで来るには、人民では見当のとれん経綸がしてあるぞよ。機織る人が織りもってどんな模様ができておるか分からん仕組みであるぞよ。でき上がりてしまわんと誠の経綸が分からんから、みなご苦労であるぞよ。霊が変化れていたさなできん仕組みがしてある故に、えらい心配を皆させたなれど、もう何彼の準備が立ちたから、この先はよく分かるようになりてくるぞよ。
 これまでには分かりたら、邪魔が入りて、物が出来いたさんから、九分九厘までは何もわけては言われん、言わんから分からんなり、分からんから疑うて敵に取りて来るなり、言えばかんじんの仕組みの邪魔になるなり、つらい仕組みであるぞよ。神の心を推量いたして、仲良く御用を勤めて下されよ。ほどなく実地を始めるから、そう成りたら、守護神も人民も、えらい経綸がしてありた、と皆が申してびっくりいたすなれど、しあがるまでは智恵でも学でも分かりはせぬ。……沓島へお礼に参るのも、人民は思いが皆違うぞよ。沓島のような淋しき所に押込められておいで遊ばしたお心は、どういうものでありたという事を、くみとれる精神の人でありたら結構なれど、そこまでのことがなかなか汲みとれんぞよ。今度神島ヘ渡るのも、同じことであるぞよ。(大正五年旧九月五日)
 十月四日(旧九月八日)午後四時、出口直(八十一歳)・王仁三郎(四十六歳)・澄(三十四歳)、それに直日(十五歳)・梅野(十三歳)・八重野(八歳)・一二三(六歳)・尚江(二歳)・養子大二(十四歳)の出口家はじめ直の娘の栗山琴・福島久・出口龍姉妹、上田世祢・西田雪・小西君など親戚一統、さらに役員信者たち合わせて八十一名、高砂港に到着した。
 出船は明五日午前二時の予定で、それまで船中で休息する。風が出てあゆび(船と陸を渡す板。四十センチほどの幅)が揺れていたが、老齢の直が畳の上を歩くようにすうと歩いた。その姿の神々しさに、見物の一人高砂町南材木町の伊坂常太郎(当時二十六歳)が、「この人は生神さまやなあ」と声を上げた。誘われたように、見物人の中から直の後ろ姿を拝むものまで出た。
 直が乗った船は奇しくも神社丸といい、船体の長さ四十七、八尺、板屋根がついている。この船は大本の御用船として、その後数年、神島参拝のたびに使用された。
 出船が旧九月九日、出口家の数が九人、京都七条の駅から揃って乗った数が九九の八十一人、しかも教祖の年が八十一歳、不思議な数の巡り合わせと信者たちは噂しあった。各地からの参拝者も加わり、一行は百数十人にふくれて、午前二時、高砂港を出発した。船は偶然にも大小とりまぜた九隻、これまた不思議と驚いた。
 宵に出ていた月は出船前に没していたから、海上は暗かった。一路舳先を揃えて神島へ。未明四時、島を一周して上陸する。
 この参拝で、どうにも困ったことがあった。四日の朝、綾部駅を出発する頃から急に王仁三郎は黙りこくり、一言も言葉を発しなくなった。頼りとする先達が無言になっては、不便極まりない。王仁三郎の指示は、すべて筆で示された。上陸に当たっても、参拝者全員に厳重な布告が回った。「王仁三郎より先に上がってはならぬ」というのである。
 船が接岸した時、どうしたわけか一人、人々をかき分けて飛び降りた。まだあけやらぬ砂浜を、その男はかけだして行く。王仁三郎が直をいたわるようにして上陸、その後からつつましく信者たちが従った。
 亀が甲羅を返したように、先走った男が砂浜でもがいていた。京都在住の女郎屋の親父であった。
 男は泣きながら叫んだ。
「神さんはわしをここまで連れてきながら、人前で恥をかかせるなんて殺生や」
 梅田信之がひざまずき鎮魂したが、男の背中が弓なりに硬直し切っていて、起こすこともできぬ。信之は王仁三郎に助けを求めた。
 王仁三郎は無言のまま素足となった。左足を上げて男の足から顔にかけて逆なでし、鎮魂の姿勢をとるとただ一声「許す」、再び無言である。男は急に柔らかくなり、自分の力で起き直った。
 後になって、佐藤忠三郎が王仁三郎に抗議した。
「人間は神の生宮どっしゃろ。それをなんぼ先生かて、足で鎮魂するなんてあんまり馬鹿にしとるやおへんか」
「仕方ないのや。男は左足で逆なでしてやる。女は右足で頭から足へと撫でてやる。神さまから罰せられた奴を治すには、こうせなあかんのや。よう覚えとけよ」
 谷前貞義の奉仕で新しく作って持参した神祠に坤の金神の鎮座祭を行ない、王仁三郎は祭服を改めて無言の大祓神事を執行する。
 祭典が終わり、一同が船着場の砂浜に下りた時、東天の雲を緋色に染めて無数の光の矢が天に走った。今、海から今日の太陽が生まれる前触れなのだ。みんな砂浜に坐って東の海に手を合わせた。深紅の日輪が波の果てにくっきり頭上をのぞかせて、みるみる大きくなってくる。空はすみれ色、波と雲は朱金色に輝き渡った。
 すると、崖の上から砂浜へ二本の松の枝が落ちて来た。驚いて見上げると、山腹に光に染まって立っているのは王仁三郎である。誰も何の意味かわからなかった。うっかりさわって叱られては、と松の枝を眺めるばかりである。
 澄の懐で乳を飲んでいた尚江が、急に膝から離れて、よちよち歩き出した。落ちていた松の枝を拾い上げ、それを箒のようにして掃き始めた。すると一二三が走り寄って、もう一本の松の枝を拾い、熊手のようにかき集める真似をしだす。
「お澄や、わかったかい」と、直が息を弾ませて言った。
「これを何と思う。子供がしとるのではない、神さまが実地にして見せていなさるのやで。よう見るのや、尉と姥の型をのう」
 その最後の一言で、澄は直の言おうとする意味を悟った。
 ――姥が変性男子(艮の金神)、尉が変性女子(坤の金神)。男子さまが掃き役で女子さまがかき集め役。男子さまは厳格な父神さまで、ああしたらいかぬ、こうしたらいかぬと厳しく立て分け掃き清めなさるが、女子さまは母神さまで、おやさしく、柔らかく、甘い神さま。百舌鳥も雀も狐も狸も何でも寄せ集めて救うて下さる方なのじゃ。この高砂の尉と姥とで、神さまは、世界の立替え立直しを遊ばさる。そうか、うちのつくったあのおなま御膳は、今日の、この光景を知らぬうちにつくらされていたのやなあ。
 日輪は海を離れ、目も眩むばかりに金色の光を強めていた。
 九隻の船が高砂港に戻ったのは午後四時であった。港の入り口にある高砂神社に参拝し、尉と姥とで有名な相生の松を拝し、高砂浦駅から帰途に着く。

 その夜、出口家一統は、大阪松島の谷前貞義方に宿泊した。王仁三郎の無言の行はまだ続いていた。
 谷前家の離れの二階で王仁三郎は神像を描き、階下では神島から持した宮を祀ってその傍で直が筆先を書いていた。
 廊下を渡って来て直の部屋をのぞいた澄は、母の背に異様な昂ぶりを感じてはっとした。宮の前に面を伏せ、肩を落として直は震えているのだ。
「教祖さん、どうしちゃったんです」
 振り向いた直の顔は、かつて澄が見たこともないほど蒼かった。
「これがのう……」
 直は震える親指を出し、しばらく息をつめたが、思い決したように一気に言った。
「……先生が、みろくさまやったでよ……」
 直の言葉の意味が、すぐには呑み込めなかった。
「……みろくさま……先生が……」
 澄は同じ言葉をただ繰り返した。
 心底から深い溜息をついて、直は言った。
「先生はみろくの大神さまじゃと神さまがおっしゃる。何度お訊きしても同じことや。わたしは、今の今までどえらい思い違いをしていたのやで」
 やっとそれだけ言うと、直は今出たばかりのお筆先を澄の手に渡した。
 ――みろくさまの霊はみな神島へ落ちておられて、未申の金神どの、素盞嗚尊と小松林の霊が、みろくの神の御霊で、結構な御用がさしてありたぞよ。みろくさまが根本の天の御先祖さまであるぞよ。国常立尊は地の先祖であるぞよ。
 二度目の世の立替えについては、天地の先祖がここまでの苦労をいたさんと、ものごと成就いたさんから、長い間みなを苦労させたなれど、ここまでに世界中が混乱ことが世の元からよく分かりておりてのしぐみでありたぞよ。
 ……なにかの時節がまいりたから、これから変性女子の身魂を表に出して、実地のしぐみを成就いたさして、三千世界の総方さまへお目にかけるが近よりたぞよ。出口直八十一歳の時のしるし。(大正五年旧九月九日)
 澄は筆先を置き、直とはまた別の困惑を眉根に寄せた。
 ――わたしはどえらい男を婿にしてもた。なしたこっちゃろ。こらかなわん。
 直はいつまでも眠れなかった。王仁三郎を天のみろくさまと知った喜びか、はた、不覚にも今までそれを悟りえなかった悔恨か。
 王仁三郎と初めて出会った十八年前、若い若い、まだほんの子供としてぐらいより見ぬ直であった。神命によって澄の婿にこそしたが、人間心では、常に批判せずにおれぬ男であった。それを神は、経糸に対する緯糸、厳に対する瑞、変性男子に対する変性女子として、みろく神業には欠かせぬものときめつけた。
 それでいながら、争いは根深かった。どこどこまでも小松林を追いつめて、追いおとさずにはおれなかった。互いに憑る神霊同士のあの長い峻烈な火水の戦い。
 直は悩み抜き、ついに王仁三郎こそ坤の金神の御用という、動かぬ認識に立った。が、それもあくまで直に憑る艮の金神の補佐神としての坤の金神であったのだ。それを神は、坤の金神も、素盞嗚尊も、いや、直があれほど非難した小松林命まで含み込んで、すべてがみろくさまの霊であり、みろくさまこそ、根本の天の御先祖さまであると示されたのだ。
 さすがに太い直の肝魂がでんぐり返るほどの驚きであった。
 旧五月二十五日、王仁三郎が神島の神霊を大本にお迎えして来たのに、神は再び直に神島渡島と神霊迎えを命ぜられた。何故二度までもと直はいぶかしんだが、今こそ直は思い当たる。王仁三郎が女装までして顕われたのは、直のためであったのだ。坤の金神のお姿だと、直は驚きながらも、も一つ奥の天のみろくさまとは夢にも見抜けなかった。その不明のために、神はわざわざ神島のお土を踏ませなさったのだ。無言のうちに悟れよと、王仁三郎は示していたではないか。
 それすら王仁三郎のわがままと、自分は心の底で思ってはいなかっただろうか。
 ふと虚心に帰ると、虫のすだきが地の底から湧き立っていた。八十一年間の長すぎるばかりの生涯を顧みれば、春夏秋冬、季節の移り変わりを鑑賞するゆとりすらなく生き続けた。帰神までは夫や子らを養うための生活と戦い、帰神後は神業一筋に身も魂も没し切った。色花を見ることさえ心のゆるみと忌み恐れて……。
 それがいつか我となっていたのに違いない。その最後の我もぽっきり折れた思いであった。
 毎年鳴いているはずの秋の虫のすだきが、今は痛いくらい身に沁みる。
 経糸は張り終わった。後は緯糸が自在に織りなすのを待つばかり。どんなに途方もない錦の御機が織られるのだろう。それも、直がこの世で生きて見ることはあるまい。あとは天のみろくさまの懸られる王仁三郎に任せよう……。
 深い安堵の底に、一抹の淋しさが忘れていた直の涙を呼びさましていた。

 王仁三郎ら一行が綾部に帰着したのは、十月七日(旧九月十一日)の夜であった。依然として、王仁三郎は無言である。
 明けて八日早朝、王仁三郎は金龍海の大八洲に渡って、開口式を上げる。開口式とはどんなものか、どんな顔で誰が列席したかは残念ながら不明である。
 王仁三郎は大八洲を出て、ひとり船に棹さしながら、大好きな金龍海をめぐる。五日目の言葉は、そこで丹波の山々に向かって吐かれていた。
「……天下の秋やのう」
 大本では、この年の三回にわたる神島参りを「神島開き」といい、明治三十三年の冠島・沓島開きに対応する重要な行事と受け止めている。
 直がはじめて王仁三郎の神格をみろくの神と見出したことにより、長かった未見真実は終わりを告げ、見真実に入ったのであるという。つまり、大本における真実とは、王仁三郎に懸る神霊が「みろくの大神」であること。それをはっきり認識できた時、見真実に入ったといえる。
 しかし、真実を見、認めるだけで良いのか。
 この真実を天下に顕わし、みろく神即ち神素盞嗚大神のみ教えによって濁世を改めんとする者、そのために身を擲って活躍する人々こそ、顕真実の信仰者と呼べるのではなかろうか。
霊界物語ネットで読む 霊界物語ネット
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