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文献名1大地の母
文献名2第12巻「永久の道」
文献名3三兄弟
著者出口和明
概要大正6年(1917年)11月、小笠原三兄弟(小笠原義之、森慶三郎、嘉門文蔵)の初参綾。
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2018-11-21 15:58:07
OBC B138912c02
本文の文字数13137
本文のヒット件数全 1 件/豊雲野尊=1
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本文  丹波の夜霧は深い。晩秋の寒気が衣服を通して忍びいる。山上花代は、かき寄せた襟巻に隠して、生あくびをかみ殺した。
「子の刻までもうじきやで、眠たかろうけどね、まあ辛抱しなよ」
 森慶三郎(四十三歳)はやさしく囁く。
「ちょっと寒おまんねん」と鼻声になるのを、
「宿ヘ帰ったら、熱いのでキューとやろかいな。何しろ、こんな大神事に、偶然にも参列できるのやして……こっち来いよ、始まるまで火にあたろか」
 花代の肩を抱いて、森慶三郎は人波をかきわける。金龍海のみぎわは、池水に照り映える十五ヶ所の篝火と無数の神燈で、まばゆいばかり明るかった。
 大正六年十一月二十八日の深夜である。金龍海の小島の一つ神島には、岩戸の上に新しく建立された大八洲神社が舞い散る火の粉に千木を染めている。
「どちらからお参りどす」
 松明係の森津由松の傍で、顔を篝火の炎に赤らめ手をあぶっていた田中善臣が、声をかけた。商人らしく、森は背を屈めて愛想よく答える。
「へえ、大阪から参拝させてもらいました」
「言葉が違いますなあ」
「和歌山で生まれて和歌山で育ちましたんや。けどなんですなあ、綾の高天原やと聞いとりましたが、さすがに神々しい別天地ですなあ」
「初めてどすか」
「二度目ですわ。九月の末に一遍参らしてもろたんですわ。それが今夜は大八洲神社の遷宮式など、ちょっとも知らんと来合わせたので有難いです。そやけどえらい人出ですなあ。どこからこんなに出てきやはるのやろ」
「京・大阪・福知山・中国・山陰・四国……東京からは岸一太博士はんやら静岡からは長沢雄楯先生御夫妻もみえてます。これは内密やが、皇后さまの叔母さまいうお方もおしのびできてはるはずどっせ」
「金龍殿のあたりに軍人がようけあったのし」
「あれは舞鶴の軍艦〝吾妻〟から御参拝のおなじみの海軍さんたちや。松本少佐・立花大尉・糸満大尉・佐伯少尉……京都からは福中機関中佐はんもみえとってどす」
「しかし、大本というのは、変わったとこですのう」
「そりゃ普通の所とは大変わりどすで。けどあんたはんの見られるところ、どう変わってます」
「まず初めて大本さんへお参りした初っ端からや。黒門の近くまで来たら、前を歩いていた男女の参詣人が急に四つん這いになった。まるで小さい穴でも通り抜けるふうに、腹ばうて、ぬたぬた手をついてくぐっていてしもた。あんまり妙やから、黒門の外から呼んでみたのや。『もし、ここは這うて通らんならんのけ』すると二人は立ち上がってきょとんとしている。すうと通りぬけて、わしも黒門を見上げました。何のことはない、高い高いただの門やった……」
「ああ、そんなこともようあるんや」と森津由松が口を出した。
「どうしてもあの黒門がくぐれんと、荷物も何もほり出して逃げてかえるお人もあるんどす。別に何のしかけもござへんのになあ」
 田中が説明口調になる。
「なんでや知らんが、あの入口でまず身魂相応の形がさせられるんどすなあ。這うて入った人たちは、たいてい鎮魂で憑きもんの正体をあばかれ、体から追い出されます。それで帰りにはちゃんと歩いて黒門出て行かはるんどす。恐いもんどっせ」
 森は話し続ける。
「変わっとるのはそれだけやなかった。黒門をくぐって、受付へ顔を出して見た。長髪をひっくくって後に垂らした粗末な着物の男が、雑誌の帯封書きをしていた。わしが声をかけると、その男が見るなり、咎めるような声で言うのや。『待っとったで。あんたはん、えらい来ようが遅いやないか……』びっくりしてよ、何か人違いしてるのやろと思て、教主さんに会わしてほしいと頼みました。すると二度びっくり、その男が出口王仁三郎先生であった。まさか教主はんが受付で帯封書きしてはると、思わなかった。
 教主はんは言うのんや。『わししか帯封書きする者があらへん。これがどんな大事な仕事か知りくさらんと、阿呆どもが鎮魂ばかりに呆けさらして、しょうもない奴らじゃ』、それからにやっと笑って、『もっとも帯封書きだけで坐っとるのやないで。どういうものか、大本の人間は、初対面の人を怒らせるのがうまい。だから因縁のある人が来ると神さまから教えられた時には、わしが受付でこうやって網を張っとる。どや、受付は大事な所やろう』
 初めての時は一泊で帰ったですが、大阪ヘ帰ってからも、妙に出口先生に呼びつけられる気がして落ち着かなんだ。商売の都合つけてそこそこに出て来てみれば、なんと、こんな結構なお祭の宵でっしゃろ。お花、寒ないか」
 喋りながらも、連れを気にしている。
 田中の目も、ちらちらとそちらを観察していた。
「えらい粋な奥さんどんなあ」と田中は、察していながら訊いてみた。
「いや、違いますのや。女房は大阪に置いてますのん」
 真顔で答えながら、森は肩をすくめた。
「お筆先みとると、大本の神さんは男女の道は厳しいなあ。こんなお祭があると知ったら、連れてくるんじゃなかった。鬼門の金神さんに怒られたら、わややなあ」
「旦那はん、御心配やったら、わて、先に宿へ帰なしてもらいますわ。別に頼んでついて来たんやおへんさかい……」
 唇を突き出して、花代がすねた。森はうろたえて機嫌をとり始めた。
 気の毒になって、田中はなだめかける。
「まあまあ、あんたはん、ちょっとあの梅の木の傍を見とおみやす。ほれ、女の人が二人、立ってまっしゃろ」
 田中の示す指の先、池のほとりに姉妹のように寄り添っているのは、梅田安子と坪川あい、二人とも揃いの髪型、揃いの無地の着物である。
「あの二人、本妻とお妾はんどっせ。背の高い本妻の方は、あての姪どすけどな。その旦那が梅田信之いうて、今日の大事な祭典の副斎主をつとめとってどす。そうや、おまけに念の入ったことには、祭典の八雲琴を弾く伶人の一人はまきというて、本妻の妹、今は福本の嫁になっとるが、やっぱり梅田はんと子までなした仲どす」
「おお、おとろしいね、それでも罰があたらんのやろうか」
 花代は、興味ありげに訊いた。
「それが、どうも罰あたらんのどすわ。あても、ほんまのとこ、さっぱり分からん。教主はんは、そんなこと関係なしに梅田はんを大事にしてなはるし、三代さまの教育係にまで任じとってや。あんたはんらも、たいてい神さんが大目に見てくれてはるのと違いますか」
 その時、金龍殿から午前零時の合図の太鼓が鳴り響く。人波が割れて、この日の斎主、衣冠束帯の出口王仁三郎、附添の出口大二、副斎主浅野和三郎、同梅田信之、神饌長吉田龍治郎、副神饌長牧寛次郎、祓戸主湯浅仁斎その他七人の祭官が随い、北側広場に設けられた大祓の斎場に着席する。池畔の一方から六人の伶人の弾く八雲琴の幽幻な音色が鳴り渡り、人々を神代の昔に誘うようである。
 ふいに数えるほどの雨滴が顔を打つと思う間もなく、元の冴えた月夜に返る。
「龍神さんの潔めの雨どす」と、田中が森に囁いた。
 夜空に浮き出る松の緑、ゆらめく火明かり、純白の衣装もすがしい祭官たち、大八洲神社の十曜の金章が燦然として金龍海の清波に輝いている。大阪の煤煙の中で暮らす森には、信じられぬ厳粛さ美しさである。
 金龍殿に安置された神籬が唐櫃のまま池畔の小舟「日の出丸」に移される。斎主、副斎主が神霊に添い奉り、祭官たちは二隻の小舟に分乗し供をする。霧は白く水面を這い、舟はさながら雲上をかき分けて行くようである。
 八雲琴の調べに送られて金龍海の島々をゆるゆると一周、と、頭上の空のみさっと時雨れて、雨滴が一瞬池の面に細波をうつ。
「龍神さんもこの祭典には参加しとってやなあ」
 あたりは感嘆の声で揺れ動いた。
 小舟は神島に横づけされ、唐櫃は社頭に安置された。斎主・斎主附添は外陣に、浅野・梅田副斎主は殿上に、その他の祭官は階下斎場に席が決まると、篝火の火が一時に消される。十四夜の月は雲を払って、水色に下界を浸す。神籬は円陣に移され、斎主出口王仁三郎によって御神霊鎮めの儀が行なわれる。扉を通して、内からは王仁三郎の奏上する祝詞の声がかすかに洩れる。
 三十分の後、外陣の扉がさっと八文字に開かれ、八百万の天津神国津神に向かって宣詞が宣り上げられた。
 この時王仁三郎には豊雲野尊の和霊賢和田姫命が降られて、容貌・音声・振舞ともに優雅を極める。続いて賢和田姫命の神がかりによる和歌三首を女声で高唱、終わると社頭に下り、祭官を率いて神嘉言、太祝詞を唱える。
 再び篝火が点火され、神饌・玉串奉奠、最後に傍仕の任に当たった豊本景介、岸一太、福中鉄三郎の挨拶があった。
 祭官一同、小舟に乗って神島の霊域を離れる。時まさに四時、大八洲のしじまを破って雉の鳴く音が長く尾を引き夜明けを告げる、奇瑞があった。この秋、湯浅仁斎が宇津の里で見つけてきたつがいの雉で、長い見事な尾のあまりの美しさに持ち帰ったところ、「この鳥や、今度の祭典に必要なのは……」と王仁三郎は喜んで大八洲の岩戸に養わせていたもの。
 少しは心を洗われた気味の花代と無言で暁の道を帰りながら、森は自分の胸の底から噴き上げる、あの雉にも似た感動の叫びを、懸命にこらえていた。
 森慶三郎は旧和歌山藩の生まれ、七人の男兄弟の三番目である。父森儀三郎は、廃藩後も武士気質を捨てられず、利殖の道を計れなかったため、大勢の家族を抱えて座食した。貧窮のどん底に陥ったあげく、森家七人兄弟は離れ離れに散る他なかった。
 慶三郎は二十一歳で湊屋町の北野家の婿養子となり、妻まさとの間に四人の子をなした。北野家は養父の代からの商家であり、万雑貨の店の他、和歌山産出のネル地を関西一円に卸す仕事も手がけていた。
 まさは人のよい女であったが、商売にかけては男まさりの働き者、若い夫妻が助け合って家業に打ちこむのを見て、「おまさは日本一の婿はんもろうた」と北野の父は喜んだ。子供らにとっても、慶三郎は心やさしい申し分のない父親であった。
 ところがこの日本一の婿さん、貧しいうちはよかったが、金さえ握れば、とことん使わずにおれぬという困った性分が出てきたのだ。殿さま並みの茶屋遊びに一夜で有金をはたき尽くして、ひょうひょうと帰ってくる。
 お家大事のつましい商家にとって、これは大問題であった。とんでもない婿はんや、先が思いやられると、北野家では青くなって騒ぎ立てた。
 明治末年、三十七歳の折、大阪に養子に行った次弟嘉門文蔵からメリヤス輸出の仕事を手伝ってほしいとの話が出た。自分から北野家の籍を抜いた慶三郎は、妻と四人の子供を和歌山に残し、単身大阪へ走った。
 慶三郎はメリヤスの製造工場を起こし、弟文蔵の輸出業の顧問格ともなって縦横に腕をふるった。事業はとんとん拍子に発展した。
 メリヤスの卸しに朝鮮へ渡って、慶三郎はそこで思いがけぬ恋をした。釜山の業者に招待された酒宴の席で出会った花代である。同い年であるからとうに盛りを過ぎた大年増ながら、そのあだっぽさ、奔放さの中に滲むいい知れぬ情感に心そそられ、酔い痴れる。
 当時、花代には朝鮮銀行の頭取という、ひどく羽振りの良い旦那がついていた。
 慶三郎が思いあきらめて帰国したあと、花代は、実の妹と旦那との情交をつきとめ、逆上した。
「そんなに欲しいのなら、くれてやる」
 叫びざま、力にまかせ持っていた煙管を妹の顔面に叩きつけた。煙管は折れて飛び、雁首だけが妹の額深くめり込んでいた。花代は、旦那と妹と実の母親に絶交を宣言し、そのまま釜山を飛び出して一人日本ヘ帰った。
 大阪で花代と再会した慶三郎は、妻も子も忘れて、たちまち二人の愛の巣に溺れこんでいった。
 大正五年正月元旦、慶三郎・文蔵兄弟は、思い立って同じ大阪に養子に来ている次兄小笠原義之宅を訪れた。
 三人とも父に似ず商才に恵まれていたのか、小笠原家の看板業も手びろく順調に伸び、かなりの資産ができていた。心うれしい元旦であった。
 祝い酒を飲み交わすうち、「人としてこの世に生をうけた以上、何か国家に功労をたてるか、記念すべき建造物でも残したいものだ」と言う話になった。さて、それには何がよいか、で三人は意見をたたかわした。ほんの座興のつもりであったが、だんだん真剣になってきて、ようやく三人の見解が束ねられた。
 近来、わが国民の頭から敬神の念が薄らぎつつあり、国体の如何をすら解せない者の多いのは、実に嘆かわしい次第である。尊皇というも、愛国というも、その淵源はことごとく敬神より発する。この際、直接間接に敬神の念を鼓吹するには、神社を建設して一般に敬神の範を示してはどうか。それこそわれら三兄弟の心意気を顕わす記念の建造物となるであろう。
 そう熱を吹く小笠原は、酒の上でのはずみではなかった。彼はもう十年以上前から神に憧れ、前年の十月にも大峯山から鞍馬山ヘ登って、一人で修行していたのだ。
 その場で実行方法の具体策まで練った。神社の建設地が、まず小笠原に一任された。
 商売はそっちのけで、小笠原は場所探しに走り回った。約半月後、京都嵯峨の奥、俗に言う空也の滝を候補地に決め、三人で実地踏査に出かける。空也念仏の祖、阿弥陀聖と言われた空也上人が行をしたという因縁の霊地である。天然の屏風を立てたような岩が三方を囲み、中央正面には愛宕山から落ちてくる三丈余の滝が水煙を上げ、いかにも霊場にふさわしい。一も二もなく決定し、直ちに建築に着手することにした。
 小笠原は力説する。
「いやしくも神霊の御降臨を仰ぐお宮を造営するんやね。それなら、石垣一つ築くにしても、世間並みに予算を立て金銭に制限をつけることはしたくない」
「つまり金に糸目はつけんということやろ。よし、分かった」
 弟たちもすぐに応じる。
 大正五年三月着工、同年十月、神殿・拝殿・社務所等が落成、参道の急勾配には百六の石段を刻み、石の大鳥居を打ち立てる。総工費二万五千円、道楽の域を越える巨費である。三兄弟の私財をほとんど傾け尽くすほどであったが、悔いはなかった。
 ところが奇妙なことに、宮はでき上がったものの、肝腎の祭神が決まっていないことに気がついた。三人はあわてて相談し、三人で協力して造ったのだから三種の神宝に象って御神体とすることにした。小笠原義之は鏡、慶三郎は劔、嘉門文蔵は曲玉を調えた。神紋も三人の兄弟に因んで三つ巴とし、社名を八百万神社とした。日本のどんな高貴の神々さまでも御降臨願おうという、欲ばった心算である。
 竣工祭を十月十五日と決めてから、さて神主の選択に困った。これだけ兄弟の誠意を傾けて神社を作った限り、祭典の神主もそれにふさわしい高潔な人格の持主を選びたい。しかし見渡す限り、世間の神官で世俗にまみれぬ人はありそうに思えぬ。とりあえず愛宕山の神官の野間某という七十歳を越えた老人に頼み、祭典をすませる。
 以後は三兄弟が一人ずつ奉公人を出し、交替で社務所に宿泊お給仕をさせた。
 嵯峨に弁財天を祀る小さな祠があり、菱田という行者がお守りをしていた。菱田行者の心願は、弁財天の祠を立派に普請したい、ということであった。嵯峨の奥に神社を建立した奇特な三兄弟の噂を伝え聞いて、行者は小笠原の家に訪ねてきた。
「弁財天さまの御普請をしとくれやす。実は、私と弁財天さまとの約束があります。普請ができたなら、何でも一つの望みを叶えてやると、おっしゃるのどす。もしあなた方でしとくれやしたら、代わりに何でも一つだけ望みを叶えてもろうたげます」
 普請することは引き受けたが、望みの方は即答できない。早速二人の弟を呼び寄せて、弁財天に何を註文するか相談した。智恵を集めた結果、こうまとまった。昔、一国の政治を執るには、天津神算木の法によったと伝えられる。この法が復活されたら、世の中が無事大平に治まるであろう。その上、現今の新暦では農作物その他すベてに不便であり、旧暦はあるが用いることを禁じられている。今一つ宇宙の運行から割り出した恒天暦というものがあると聞く。これと神算木の法を教えてもらおう。
 小笠原が代表して行者と交渉した所、お伺いしておくと言うことであった。
 二、三日して聞きに行くと、
「御神託がありました。天下広しと言えど、天津神算木の法を知るものはない。必ず教えてやるから、すぐ神殿造営に着手せよ、と言うことどす」
 上嵯峨村に敷地を定め、普請が進行するにつれ、行者を通じて、神算木の法に必要な建築物の格好からその他色々の器具を造る図面が示された。いずれも風変わりな物で、なるほどと思わせる。兄弟三人、ますます勇気が湧いてきた。
「もしこれが完全にわれわれに伝えられたら、決して私すべきものやない。それこそ国家のために陛下に捧げるべしやしよ」と誓い合った。
 指図通り天心台と地心台を作り、弁財天の祠も完成した。小笠原は、行者について霊覚を得、天心台の運用を学ぼうと、専心修行に励んだ。そのために商売を廃め、一家を引き連れて嵯峨に移住、八百万神社の神官になる熱狂ぶりである。慶三郎も嘉門も月のうち何回となく通って行に励む。三兄弟の心は尽忠報国の赤誠に燃えていた。
 小笠原は弟たちに言う。
「人には無常ということがある。神算木の法を知り国に捧げるという大望を持った以上、万一わしの倒れることがあったら、お前たちが必ずその意志を継いで完成してくれよ」
 この頃になって、慶三郎は、和歌山においてきた北野まさと三人の子供を呼び寄せた。北野家の籍を抜いたとは言え、慶三郎が子供たちの父であることに変わりはない。大阪に嫁いだ長女秀子の結婚式で一度家族と会っただけ、離別してから五年たつ。神社を建立し神に仕える身で妻子を捨てておくのはいけないと自分も省み、兄弟にも忠告された結果であった。
 まさはまさで、「夫婦がそんなに長う別れとってはあかん」と人から注意されて好きな店を閉め、夫を追う気になった。それに下の男の子二人も、女手一つで育てるにはむつかしい年頃であった。
 故郷を離れて大阪の都に来てみれば、何もかも驚くことばかりである。話に聞くよりは大がかりなメリヤス工場、大勢の職人、女中たちに囲まれて夫は一まわりも二まわりも大きく逞しくなっていた。すみ子、孝一、もう抱き上げるには重すぎる末の子安蔵、涙ぐんで子らの頭を撫でまわす夫を見て、やはり家族は一緒に住まねばだめやと、まさは思った。
 夫が巨額の金を投げ出し、神社建設のために狂奔していることを、まさは知った。
「森家の罪滅ぼしのためや」と夫は言った。茶屋あそびよりましかも知れんと、まさは思った。
 大阪ヘ来ても、まさは故郷にいた時と変わらない。家つき娘で、家を守ろうとする意識のこびりついているまさは、無駄が何より気になった。自分が来たのだからと夫に願って、まず女中の数を減らし、なりふりかまわず働き出した。こまごました夫の身のまわりの気づかいよりも、店に出て働いている方が性に合っていた。
 そのうち、夫の外泊の多さに、いやでもまさは気づかねばならない。花代の存在を店員から知らされても、それほど衝撃を感じなかった。四人の子までなしたという重みが、まさを落ち着かせていた。「日本一の婿はんもろうた」と早とちりして喜んだ気のよい父の言葉は、まだまさの胸に残っている。妾を持つのは男の甲斐性という男の側の一方的な言い分も、やっぱりそんなもんやわなあと夫に照らして、自分を納得させた。まさには、仕事に追われる楽しみがあったから、それに子供たちをかまうだけで手一杯であったから、夫の浮気という思案に余る難題と正面から取組むのは、できるだけ避けたかった。
 大阪の辻本家に嫁している長女秀子が訪ねて来て、夜はほとんど家にいない父の行状を知り、憤激した。新妻の潔癖さで、そうした父を許しているふうな母の態度にまで食ってかかる。かえってまさは、夫の側に立った。
「もうお父さんも若くはなし、子供たちも大きなる。どうせそのうち別れるやろ。それにのう、商売を懶けなさるわけじゃなし……」
「母さんはすぐそれやから……父さん奪られてしもても、うち知らん」
 秀子は、ぷんぷんして帰ってしまった。
 大正六年九月初め、慶三郎は、ふとその年の正月に大阪平野町の島田という盆景屋で見た図柄が胸に浮かんで離れなくなる。弁財天女が岩上に腰をかけ琵琶を弾じている前に、白蛇が耳をそばだてて聞き入っている盆景である。急に欲しくてたまらなくなり、妾宅へ寄って花代を誘い、さっそく島田ヘ行った。その盆景を説明し、さらに弁財天女の腰かける岩の傍に鶴を、波打ち際に龍を配した図柄を注文した。
 店主は慶三郎の顔をじっと見つめた。
「且那はん、その絵柄はどなたはんが考えなはりましたん」
「誰と言って……なんとなし、わしがそんな図柄を欲しゅうなったのよ」
「へえ、そうだっか。けど不思議だんなあ。旦那はんの言わはる図景は、丹波の大本はんにあるのんと同じだっせ」
「大本?……それ、なんやね」
 店主は奥ヘ引っ込んで、二、三冊の『神霊界』を持ってきた。
「明治二十五年から世の立替え立直しを叫んどる宗教だす。これを読んで見なはれ」
 手にとってパラパラと見ただけで、容易ならぬ記事が目につく。あるだけの『神霊界』を借り受け、なお初号から取り寄せてほしいと金を預けて頼んだ。
 妾宅へ戻ったが、この夜ばかりは花代の甘え声にも耳をかさず、『神霊界』に読みふけって夜を明かした。すると綾部ヘ参りたい気持ちが押え切れず、九月下旬に第一回の参綾を果たした。
 商用や天心台の修行の都合を片寄せて、今宵、花代を連れ、二度目の参綾となった。期せずして大八洲神社の遷宮式に列し、理屈より先にその壮厳さに感動した。八百万神社を大本に献納したい。燃え上がるように森慶三郎は思った。
 思いつくと、矢も楯もたまらなくなる。しかしそのためには、どうしても兄弟の賛成を得ねばならない。
「一つ電報で呼び寄せるか」
 思わず声に出していた。並んで歩いていた花代が、どしんと体ごとぶつかってきた。
「御寮さん呼び寄せてどないしなはりまんねん。ほならわて、こんなり大阪へ帰なしてもらいます」

 遷宮式のすんだ二十九日午後一時から大八洲神社初祭が執行される。森も花代も参列した。斎主吉田龍治郎によって初発祝詞が奏上されると、教祖出口直は、教主王仁三郎・二代澄・三代直日・教嗣大二・教統梅田信之・教監豊本景介・浅野多慶・牧八重野・豊本夫人・星田悦子らを随え、神島に渡る。
 前夜の遷宮式には高齢のためか参加しなかった教祖直の姿を、森は初めて目前にした。八十一歳という直の神々しさ、奏上する祝詞の声の玉をころがすばかりの美しさに魅了される。
 その直は、神前に伏したまま、激しい神人感合の域に入っていた。同時に王仁三郎には賢和田姫命の神がかりがあり、一首の長歌が高らかに詠まれたが、事があまり急であり、また長いので、聞き入る参拝者たちの中でも全部を記憶する者はなかった。
 祭典が終わってからも、直の感合は去らず、拝跪三十分に及んだ。
 どうやら森は亀嘉旅館に腰を据えてしまったようである。大本の講座を受けに金龍殿へ日参し、鎮魂を受け、夜は夜で筆先に憑かれていて、いっこう綾部を動く気配を見せなかった。
 花代は先に大阪へ帰ってもよかった。森ほど信仰に陶酔できなかったのだから。それに都会生活に慣れた彼女には、綾部の生活は単調に過ぎた。それでも帰れなかったのは、森慶三郎という男をまさと共有しているからである。ちょっとゆるみを見せれば、子供をたくさん産ませたまさの方に、男の心が傾かぬでもない。そうさせてはならなかった。
 この世もあの世も、人間には初めから二種類しかないのだ。男と女――どうしてこの二種類が、数もそこそこ同じにあるのか、花代には分からない。分かるのは、ただ男と女が結び合うためにこの世には戦いがあるということ。だから花代は、熾烈に戦い抜いてきた。
 花代は愛媛県温泉郡三津浜町に生まれ、貧しさゆえに母に連れられて朝鮮に流れた。妹と共に芸者として育てられ、何人かの男の持物になった。
 大半の女は、男を一人独占して妻の座に安住し、ともかくもその生涯を終わるのだ。なのに男を共有することで満足せねばならぬ自分の運命が、花代には我慢できない。本妻との戦いの武器はただ一つ、長い色町の暮らしでみがいた手練手管である。
 何人か旦那を代え、朝鮮銀行の頭取の妾になった時、花代は、これで男から男への浮草のような人生の終着駅に達したかに思った。本妻は日本にいたので、花代はほとんど自分の立場を忘れ、独占の喜びに酔うことができた。
 花代の幸福は、うかつにも気を許した妹によって奪いとられた。男との戦いの前には、血を分けた母も妹も憎い敵と、骨身にしみて悟った。
 今の森慶三郎は、四十三歳というこの年になって、残り香のすべてをかけて掴んだ男、今度こそはどうでも自分のものとして死ぬまでしがみつかねばならぬ。
 花代は、森のようには、大本に関心が持てなかった。それよりも、遷宮式の時に見かけた梅田信之をめぐる妻と妾の関係にこそ興味があった。表面上であれ、どうしてあれほど仇同士の間に平和を保ち得るのか、周囲もそれを許しておくのか、その理由が知りたかった。
 人見知りしない花代は、まだ綾部に滞在中の梅田安子や坪川あいと友達になった。同じ花柳界育ちだけに、話の通じるのは早い。
 あいを見て、花代は、梅田が夢中になる理由が分かる気がした。あいのすべては梅田に向かって開いている。梅田の喜びを喜び、言いなりにいそいそと動く。技巧ではなく、天性のものらしかった。誰に対しても、疑うことのない無邪気な目を向けた。
 いつも梅田の傍に寄り添っているので、あいとは語り合う機会は少なかった。
 安子は花代の誘いにのって、亀嘉旅館にも遊びに来た。炬燵に入って、互いの過去を語り合った。安子は三十八歳、五つ年下だが、男のことでは花代と同様かなり苦労をしているらしかった。もっとも安子は妻として一人の男で苦労を重ね、花代は何人かの男の二号として苦労する違いはあったが。
「これだけ信心していてもなあ、ひょっとおあいさんの首をしめとる夢を見るんどっせ」
 告白するように安子が言った時、花代は、何か救われたような気がしたものだ。
「本妻さんにはお子たちがたんとおってんどしたら、あんたはんは、なんで対抗おしやす。色香どすか。そんなものは、いつかは色褪せます。旦那はんの好きなものを一緒に好きになっておみやす。旦那はんは、今何を考えとっておいやすか……」
「あの人やったら、いま大本の神さんに夢中だすさかい」
「そうどっしゃろ。あんたはんも大本の神さんを熱心に信仰おしやす。ここに引き寄せられたのは偶然やおへんえ。みんな深い神さんのお仕組の糸や。信仰だけが、旦那はんとあんたはんをつなぎ止める強い糸どっせ」と安子は言った。
 信仰が旦那と妾の関係をつなぎ止めるという論理も奇妙であったし、妻の座を脅かされている安子が妾の側に立った物言いもおかしかったが、花代はパッと目の前が明るくなった。そうや、わても旦那はんが信仰してなはる間は負けずに信心しよ。
 安子が帰った後、花代は寝そべって、『神霊界』に発表された総ルビつきの筆先を読みはじめた。一節でも暗誦して森を驚かしてやりたかった。
 十二月四日、森慶三郎の手紙と電報で、兄小笠原義之が来綾した。弟の嘉門は商用で大阪を出られず、小笠原に一任するということであった。
 森は毎日浅野から鎮魂を受けていたが、一度も発動しなかった。小笠原は一度の鎮魂で発動し、深く感ずる所があったらしい。三兄弟が夢中になって知りたがった天津神算木の法も恒天暦もすでに王仁三郎に伝わっていると浅野に聞き、さらに驚きが加わった。
 だから、森が八百万神社献納の話を持ち出すと、小笠原は即座に賛成した。とにかく思いきりのよい、よく気の合う兄弟である。
 翌日、王仁三郎に面会を申し込み、兄弟は統務閣の教主室に通された。
 王仁三郎は梅田信之と何か楽しげに話し合っていたが、例のあけっぴろげな態度で二人を招じ入れた。兄弟はかわるがわる八百万神社の建設の話をし、大本に寄附したいと申し出た。
 話のなかばから王仁三郎は目を閉じたり開けたりしていたが、突然、妙なことを言い出した。
「その神社の桧皮葺の屋根は、誰に請け負わせなはった」
「あれは確か……京都大宮の渡辺と言う人やね」と小笠原が答えた。
「渡辺信朝はんやな」
「へえ」
 王仁三郎は、かたわらの梅田をつついた。
「どうや、梅田はん、何か思い当たることがあるやろ。大きな仕事を請け負うたから資金を用立ててほしいと、渡辺はんに頼まれたことが……」
「あっ……」と梅田は声を上げた。
「あります、あります。確か昨年の夏の初め頃、用立ててあげたことがおます。それ以来、商売がえろう良うなったと、渡辺はんは喜んではった」
 王仁三郎は満足そうにうなずいて、兄弟を見た。
「あんたらが屋根を請け負わした渡辺はんは、大本の京都大宮支部長や。小笠原兄弟三人は三つ(瑞)の身魂の代表や。梅田・渡辺両氏を加えて五つ(厳)の身魂となる。お互いにそれとも知らずに御用に使われておる。また奇なりと言うべし」
 梅田が感にたえぬ顔で、筆先の一節を暗誦した。
「――水晶魂を選り抜いて、神の御用に使うぞよ。この経綸は、後にならねば分からぬ仕組であるぞよ。誠の者に神がかかりて、誠の御用をいたさすぞよ。われがしておると思うておるが、みな神にさせられておるのであるぞよ。この神は、ちっとでも身魂に曇りがありたら、かんじんの御用には使わんぞえ。後になりたら、こんなことでありたかと申して喜ぶ仕組がいたしてあるぞよ」
 王仁三郎は、目を細め、
「宮の紋は三つ巴じゃのう。これは霊力体の表現で、素盞嗚尊の神紋であり、わしの出た上田家の定紋でもある。梅田・渡辺両氏は八坂神社・祭神素盞嗚尊の氏子やろう。これもまた不思議や。それに八百万神社の祭神が今もって確定しておらぬのも、初めから大本に納められる仕組やった。まことに御苦労でした」
 感激屋の小笠原は涙を浮かべて手をついている。
 森も嬉しいに違いないのだが、さっき梅田の誦えた筆先の文句が胸につかえていた。
 ――梅田はんもわても、妾をもっている。神さんの目から見れば汚れきった体や。それなのにわてらが選り抜きの水晶身魂やとなると、はて、大本という所は、世間並みの善悪の規準は通用せん所らしいわい。
 来春早々、八百万神社に参拝するとの王仁三郎の約束をもって、小笠原兄弟と花代が退綾したのは、十二月十六日であった。その間に東岩戸内で三日間言霊の修行をしたり、教理を研究したりして、兄弟は心底、大本信者になりきっていた。
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