文献名1王仁三郎その他
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3霊の礎よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
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データ凡例共通凡例S
データ最終更新日2025-10-17 22:22:22
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一、第一天国たる最高最勝の位置を占めたる天国の天人の姿は、実に花の如く、黄金の如く、瑠璃光の如く、かつ金剛石の幾十倍とも知れないような、肌の色を保っておる天人ばかりである。
そして大抵は有色人種、殊に黄色人種が多く、白色人種はその数においてよほど少数である。これを第二、第三の天国の住民より仰ぎ見る時は、ただ単に像が強力なる光輝を放射しているようで、充分に見分くることができない。
また第二、第三の天国には白色人種も多数に住み、有色人種も多数に住居している。そして白色人種は白色人種で団体を造り、ここに集合し、有色人種は比較的に少ないようである。
また宗教の異同によって、人霊の到る天国も違っておる。仏教信者は仏教の団体なる天国へ上り、耶蘇教信者は耶蘇教の団体なる天国へ上り、回々教信者は回々教の団体なる天国へ上り、それ相応の歓喜を摂受して、天国の神業に従事している。また神道の信者は神道の団体なる天国に上り、神業に従事している。そして神道のうちにも種々の派が分かれ、各自違った信仰を持っている者は、またそれ相当の団体にあって活動し、歓喜に浴して、天国の生涯を楽しんでいる。
一、いかなる宗教といえども、善を賞し悪を憎まない教えのない限り、いずれの宗教信者も、各自天国へ上り得る資格はある。しかしその教えにして充分に徹底したものは、どうしても高き優れたる天国が開かれてあるから、不徹底にして、霊界の消息に暗いような宗教の天国は実に最下方にあって、見聞の狭い人間のみの団体が造られてある。現代の○○教や○○教などは、倫理的教理のみに堕していて、肝腎の霊界の消息を教えない、否霊界の真相を徹底的に知悉していないから、かえって中有界に逍遥する人間が多い。
すべて天国の団体に加入し得るものは、神を固く信じ、篤く愛し得るものである。不信仰にして天国に到る者もあるが極めて少数である。
いずれの宗教も信ぜず、守らず神の存在を知らずして天国へ行った者は、大変に魔誤付き、後悔し、かつ天国や死後の生涯のありしことに驚くものである。
また現界にある時、熱心に宗教を信じ、神を唱えながら、天国に上り得ずして中有界に迷ったり、はなはだしきは地獄へさえ落つる人間もある。神仏の教導職にしてかえって天国に上り得ず、中有界に迷い、あるいは地獄に落つるものは随分に沢山ある。神仏を種にして、現界において表面善人を装いつつ、内心に信仰なく、愛無く、神仏を認めない宣教者は、死後の生涯は実に哀れなものである。
また熱心にしてよく神を認め、愛と信とに全き者は、死後天国の団体に加入し、歓喜を尽しつつあるに引き替え、肝腎の天国の案内役とも言うべき宣教者が、かえって地獄落ちが多くて天国行きが少ないのは、いわゆる神仏商売の人間が多い故である。現界においてなすべき事業も、また商売も沢山にあるに、それには関係せず、濡れ手で粟を掴むようなことや、働かずして、神仏を松魚節に使っている、似而非宗教家ぐらい、霊界において始末の悪いものはなく、かつ地獄行きの多いものはない。
一、高天原における団体は、大なるものは十万人もあり、五万人、三万人、一万人、五千人、少ない団体になると四~五十人のもある。ゆえに各自の団体の天人は、自分の団体の一人でも多くなることを希望しているから、天国へ上り来たる人間に対して、非常なる好感を以て迎える。
一、また天国の団体にある天人は、いずれも男子なれば現界人の三十才前後、女子なれば二十才前後の若い姿である。この故は現界人の肉体は物質界の法則によって、年々に老衰して頭に白雪を頂き、身体に皺のよるものであるが、人間の霊魂や情動は不老不死であって、どこまでも変らないものだから、精霊界の天人は年がよっても、姿は変じない。
ゆえに、現界において八~九十才にて死んだ人間も、精霊界の天国へ復活した後は、その強壮な霊魂のままでおるのだから、決して老衰するということはない。天人にも五衰という説があるが、それは決して天人の事ではない。霊界の八衢に彷徨している中有界の人間の事である。
ゆえに天国へ行った時に、自分の現界の父母や兄妹、または朋友、知己なぞに会っても、ちょっとには気の付かないようなことが沢山にある。その故は自分の幼児たりし子はすでに天国にて成長し、老いたる父母は自分と同様に壮者の霊身を保ちておるからである。されどよくよく見る時は、どこともなしにその俤が残っておる。
精霊の世界はすべてが霊的の要素から成り立っておるから、現界の事物の如く、容易に変遷するものではない。これが精霊界と肉体界との相違せる点である。
アヽ惟神霊幸倍坐世。
大正十一年十二月