王仁DBβ版 出口王仁三郎と霊界物語の総合検索サイト 文献検索 画像検索 単語検索 メニュー開く
サイトの全面改修に伴いサブスク化します。詳しくはこちらをどうぞ。(2023/12/19)

文献名1出口王仁三郎著作集 第3巻 愛と美といのち
文献名2愛 >愛をつくすよみ(新仮名遣い)
文献名3善言美詞よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2021-04-20 13:41:11
ページ14 目次メモ
OBC B195303c106
本文のヒット件数全 0 件
本文の文字数845
これ以外の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい 霊界物語ネット
本文  皇道大本の筆先にあるとおり、世の中が至粋至純であれば神さまの教えはいらぬのであります。
 世が乱れて人々がたがいに悪み、妬み、謗りなどする世の中となっているからして、なかにも日本人はそんな癖が多く、いわゆる島国根性であって、外国からも探偵気分が多いといわれる状態で、他人の非をさがすことを痛快事と考えるような癖があるのである。他人の悪いと思うところは直接その人に忠告をし、けっして他人の非をいわぬにかぎるのであります。すなわち善言美詞にかぎるのである。さればとて巧言令色とは違うのである。善言美辞は愛に発するものでなければならぬ。愛は善のため、愛のための愛であって、けっして自己のための愛であってはならぬ。戦争にたって国のためになったというが、それもやはり自己愛の拡張にすぎぬのであって、もひとつ大きい「世界愛」でなければならぬのであります。人類人主義、万有愛の神愛でなければならぬ。
(宗教無用論、「瑞祥新聞」昭和10年5月1日)

    ○

 善言美詞は対者によることであって、車夫が同士にたいしては車夫の言葉、ちょっと聞いてはなはだ悪言暴語のような言葉でも、それが善言美詞であるし、地位名望のある人たちの間には、それそうとうの美しい言葉がかわされねばならぬ。
「まだ生きてけつかるのか、米が高くて困るぞ、よう」というと、「やあ手前もまだ生きていたのか」。これは私が荷車をひいていた時代に、これらの社会においてたがいにとりかわさるる言葉であった。労働者たちの間の善言美詞である。こうした暴い言葉の底にひそむ、友を思うの情はたがいにじゅうぶんに相通じ了解されるのである。もしこれらの人が切り口上や、ていねいな言葉を使いだしたら敵意をふくんでいるのである。舌のもとには心ありとの神歌のごとく、要は心の問題で、敬愛の心からでる言葉は、表現はまずくとも、善言美辞となってあらわるるもので、この心なくて美辞を使うと、それは阿諛諂佞となり、欺言、詐語となる。
(善言美詞は対者による、「神の国」昭和5年1月)
霊界物語ネットで読む 霊界物語ネット
オニド関係の更新情報は「オニド関係全サイトの更新情報」を見れば全て分かります!
王仁DB (王仁三郎データベース)は飯塚弘明が運営しています。 /出口王仁三郎の著作物を始め、当サイト内にあるデータは基本的にすべて、著作権保護期間が過ぎていますので、どうぞご自由にお使いください。また保護期間内にあるものは、著作権法に触れない範囲で使用しています。それに関しては自己責任でお使いください。/出口王仁三郎の著作物は明治~昭和初期に書かれたものです。現代においては差別用語と見なされる言葉もありますが、当時の時代背景を鑑みてそのままにしてあります。/ 本サイトのデータは「霊界物語ネット」掲載のデータと同じものです。著作権凡例 /データに誤り等を発見したら教えてくれると嬉しいです。
連絡先:【メールアドレス(飯塚弘明)
プライバシーポリシー
(C) 2016-2024 Iizuka Hiroaki