文献名1大本七十年史 上巻
文献名2第1編 >第2章 >2 筆先のはじまりよみ(新仮名遣い)
文献名3四〇日の座敷牢よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
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ページ89
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OBC B195401c1222
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開祖の座敷牢の生活はわびしいものであった。鹿造からとどけてくる食事はいたって少量で、ふだん少食の開祖でさえ空腹をおぼえた。そのころ、鹿造の宅に世話になっていた四女りょうは、鹿造の目にかくれて母を見舞い、わずかながらも食べものを差入れるので、開祖はいくらか空腹をしのぎ、心あたたまる思いにひたることができた。神から「なおよ、これをしゃぶれ、これをしゃぶれば力がつく」とおしえられ、開祖はときどき自分の掌をなめていたという。
しばらくすると、「なおよ、満月の夜には出られるわい」との神示があったが、数日後の十五夜にはでられなかった。神のお告げもうそだったのであろうかと、開祖は力をおとし、しみじみ、さびしさを感ぜずにはいられなかった。もとより狂人でもなく、ただ、帰神のためにこのようなはずかしめをうけねばならぬ。なんという情けない業のふかいことであろう。これでは出口家の名をけがし、先祖に申しわけない。こうなれば死んでおわびするほか道はないと、開祖はついに死を決した。開祖が神名をとなえて、神にいとまごいのあいさつをすると、「罪障のあるだけのことは、あってしまわねば、死んでも同じこと、霊魂はなおさら苦しむぞよ。いまでは地獄の釜のこげおとし、耐らんと良い花さかぬ梅の花、この経綸成就いたしたら、夫の名も出る、先祖の名も出る」と神示があったので、ようやく思いなおしたのであった。
それから幾日かすぎて、鹿造が開祖にむかい「出口家の家を売ることを承知するなら、牢から出してやろう」ともちかけた。開祖は「出してさえくれれば」と承諾したので、四〇日目のちょうど満月の夜、牢から出ることができた。鹿造は、さっそく家ばかりでなく鍋釜まですっかり売りはらってしまった。ただ残ったのが、むかし開祖が貧苦のなかで、毎晩四升の米の粉をひいた石臼と三つ重ねの盃だけであった。
〔写真〕
○開祖・放火の嫌疑で警察に連行される p89