文献名1大本七十年史 上巻
文献名2第2編 >第1章 >4 「神霊界」の発刊よみ(新仮名遣い)
文献名3神諭の発表よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
備考
タグ
データ凡例
データ最終更新日2020-02-21 19:08:23
ページ355
目次メモ
OBC B195401c2142
本文のヒット件数全 0 件
本文の文字数2420
その他の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい
霊界物語ネット
本文
開祖の平がなばかりの筆先を、王仁三郎が漢字をあててその真意をわかりやすく発表したものを、大本では「大本神論」とよんでいる。王仁三郎は、すでに一九一四(大正三)年ころから「神論」を用意していたが、その発表はひかえていた。これまでも、筆先の言葉を抜萃して、「直霊軍」誌および「このみち」誌にわずかに掲載したことはあるが、まとまった筆先を機関誌など印刷物によって発表したことは、これまでにはなかった。
それが、「神霊界」に一九一七(大正六)年二月号から一九二〇(大正九)年九月号まで、毎号全ページの五分の一から三分の一におよぶ分量で発表されることになったのである。この時期から、世の立替えの予言警告が多量に発表されたのであるから、その発表のまきおこした反響は大きかった。神諭の言葉は素朴で直截的な表現であり、断定的に人の魂をうつものがあった。それらの神諭は、王仁三郎がその都度選択して発表したものである。最初に発表された神諭を左に抄出しておこう。
みろくの神の御出ましにおなりなさる時節が参りて、大国常立尊が出口の手で書き知らしておいた世が迫りてきたから、世界中の人民が改心を致さねば、この世ではもう一寸も先へは行けず、後へ戻ることもでけんぞよ。この世の来ることを明治二十五年から今につづいて知らしておるのにチットも聞入れがないが、国同士の人の殺し合いといふような、こんなつまらんことはないぞよ。
一人の人民でも神からは大切であるのに、屈強ざかりの人民が皆無くなりて、老人や小児ばかり残して、あとさきを構わずのやりかたであるぞよ。こんな大きな天地の罪を犯して、まだ他の国まで取ろうと致しておるのは、向うさきの見えぬ悪魔の所作であるから、どの国が仲裁に出ても天地の大神の御許しのなき事には、いつまでも埒は明かぬぞよ。
今までは悪のみたまの覇の利く時節でありたぞよ。これが暗がりの世でありたぞよ。この先は学や智恵や仏では国は建たんぞよ。一日も早く往生いたさんと、世界の物事が遅れておるから、筆先でいつも同じ事を気を附けるぞよ。
この神諭には日付が入れてないが、この原文は一九一六(大正五)年旧一一月八日の筆先である。
このころの教団の役員・信者のおおくは、明治の教育をうけて育成された人々ばかりであるから、戦争を「悪魔の所作」とみながら、なお明確な戦争否定までにはいたらなかった。そしてそのことは大正期における社会の時代思潮にも適合するものがあり、知識層や軍人たちが共感し入信にふみきったゆえんでもある。もし、この当時の役員や信者が、絶対反戦の思想を表明していたら、軍人などが参加するどころか、それよりさきに官憲によって問題とされていたのではないかと察せられる。「神霊界」の三月号からは「神諭」には必ず日付を入れて発表されるようなった。
筆先の発表ということが、容易におこなわれなかった長い間のいきさつが、一挙に解決したことは画期的なことであった。その根本的な理由としては、王仁三郎が筆先を慎重にとりあつかい、かねがね待っていた「時節」がいよいよ到来したということと、神島に参拝した後に、みろくの神の関係が明らかになり、王仁三郎の神業における位置が確定したということなどがあげられる。
神諭には霊的意義をふくみ、その内義は非常に深くひろいものがあるが、浅野らの幹部は、神諭の言葉をただ文字通りにうけ入れ、神の言葉は絶対なもので、かならず世に実現されるものと確信し、熱烈な信仰と信念から、世の立替えを社会に訴えた。
浅野の「立替え立直し」観を知るには、入信初期における代表的なものとして『大本神諭略解』(大正7・10)がある。これによれば「先づ世界を統一して祭政一致の世の中にする事を思へば現在は充分であります。日本は世界統治の使命を帯びたる霊能の国でありまして、神々から直系の霊魂を分けられ、所謂天孫系たる最優秀の人権であります」と祭政一致・世界統一・日本人の使命などについて論じ、立替えの神諭によって、いまこそ大難局到来のときであるとし、「何しろ世界の大掃除でありますから、仕組も長く範囲も大きい。日清戦争、日露戦争、世界大戦等、何れも一の連続行動で、尚ほ之に関連して、所謂天変地異等も起るやうであります。……若し今回、神から落第点を付けらるるなら、地球の表面には置いて貰へぬこととなるのであります」といい、天変地異を強調した。
浅野が大正六年の後半から「神霊界」に発表した論文「大正維新の真相」の緒言のなかに、「この世界の大動乱は天地創造の際からの約束で、源を天地の祖神から発し、明治二十五年以来徐ろに開始されていたのが、最近急速度で発展しかけたまでだ。人力でこれを防止し得る事でなく、又やたらに悲観したとて何の効益もない。人間は祖神の命に従ひ、神律神則を恪守し……丹波綾部の皇道大本は先づこの時運の到来を天下に警告し、また之に対する方針指導を与へ、最後に神人合一の理想の世界を将来せんが為に、予てより神界より特設された地上独一無二の中府である」とのべられている。思想的変動期を背景とした浅野らの神諭のうけとり方は、きわめてはげしいものであり、したがって宣伝もまた熱烈であった。
〔写真〕
○神霊界に発表された神諭 p355
○大本神諭略解 p356
○ふでさき でぐちなを七十七さいたいしをがんねんいちねん十がつのに十ににち をくにとこたちのみことへんじよなんしのみたまとひとつになりてをでぐちのかみとせかい江あらわれるぞよかわるぞよ をさんたいのをかわりのないをがみさまの五し五あそばすからてんちがそろをての五し五あそばすからはげし九なるぞよ こころみがけよ p357
○二代教主すみ子のうた 昭和25年6月神島の石碑〝みろくのおほかみ〟建立記念 p357
○(上)直霊軍婦人隊の一部 左から二人目二代すみ (下)武館開場式で武術の型がおこなわれた p358