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文献名1大本七十年史 上巻
文献名2第2編 >第3章 >2 教勢の発展よみ(新仮名遣い)
文献名3修業者の激増よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2019-04-30 05:49:07
ページ426 目次メモ
OBC B195401c2321
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本文  大本の宣伝が各地に普及するにしたがって、大本を研究しようとする人々や、修業者の数もふえ、それらの人々が綾部へ綾部へと参集してきた。
 大正八年七月一日号の神霊界は「金竜殿雑記」の欄で修業者について「新聞の悪口の如きは何処を吹くかという有様、毎日五、六十より七、八十を算し、昨年の今時分よりは常に三、四倍の多きを示している」とのべている。同年の八月二一日には、女子講堂部が新設されているが、受講者は毎日五〇人ばかりあった。翌一九二〇(大正九)年の節分に五六七殿が竣工してから、講演場は男女の別なく五六七殿にうつされた。受講者の数は、おおいときは三~四〇〇人をこえ、鎮魂をうけるものは二五〇人にもおよんでいる。「大本時報」(大正9・3)が掲載しているところによると、正式の修業者の数は一月が七五〇人、二月は八一三人というように激増ぶりを示している。一月の内訳をみると、岡山県から一〇三人とあるのをはじめとして、四〇人以上の府県は兵庫・京都・福岡・熊本・大阪・島根・東京におよんでいる。二月は鳥取県の八七人をはじめ全府県(朝鮮、台湾を含む)から修業にきており、その後、五月から七月の間についてみても、毎日約二〇〇人内外という盛況であった。金竜殿における講話は、午前・午後の二回にわけでおこなわれ、幽斎修業も毎日二回にわたって実施された。
 中村純也は、一九一八(大正七)年一〇月二一日から一一月一日までの講話を、こくめいに日記に記しているが、それによれば、講師は浅野・森・小牧・岩田・今井・谷村・友清・湯浅などの人々であり、講話の題目や内容は「裏の神諭」・「天眼の話」・「講師の入信の経路」・「社会政策の根本改廃」・「天理教と大本の比較論」・「ポールリシャールの日本推賞論」・「祝詞解説・言霊アイウエオの説明」・「鎮魂」・「太古の神の因縁」・「肝川竜神と土米の話、大和三山巡り、雨の竜神、竜体は土中より発生、人間は胎生、立替には地軸の転動、海中に陸面露出する、世界統一の警告、国土の位置変動、四季の寒温熱が変る、大きな修理固成、五大洲の相似型、不可抗力の神力発現」「四魂の解説、恒天暦、太陽暦、大陰暦の話、天火結水地の話」・「慢神と慢信の話、空気と光熱の話、毛髪の話、天火水地の罰、地震と鳥獣の話、水の乱用を戒めお土の恩恵、娯楽は滅亡となる話」・「天孫降臨より早く二柱御降臨の話」・「沓島開きの話、開祖様御修業の話」・「竜のお話」「厳の魂─天照皇大神・国常立尊、瑞の魂─素盞嗚尊・坤の金神」・「大本の特徴は生きた教祖あり、生きた教主あり、大本は枢府である」・「過去の宗教は亡びに近い、学問は体主の進歩せるものなり、神任せは神の助けあり、正しい荒魂は即ち日本魂なり、自暴自棄は罪、自己を大切にすべし」・「素盞嗚尊の誤解と御神業、地軸は二十三度の変更、子生みの誓約、玉と剣、三柱神、五柱神の説明、二柱神の大偉業と竜神の活動さる話」等々であった。これらにより当時の講座内容がほぼ察知される。
 だが、修業者の聴講する課目については、一定のさだめがなく、講師の都合によって、その日その日の課題がかえられることもあった。そして、それ以外に特別の講座が、必要に応じて臨時におこなわれている。こうした講座とともに、希望者にたいしては幽斎修業がなされている。
 幽斎修業は、修業者にたいして、手を一定の形式に組みあわせて、瞑目静座させ、審神者は天津祝詞を奏上し、天の数歌をとなえ、石笛を吹きならして、「ウー」の言霊によって霊をおくる。本来、鎮魂は各自の浮遊せる霊魂を臍下丹田にしずめるものであったが、なかには憑霊が発動し、両手を振動したり、言語を発するものもあった。そこで発動のはげしいものは、別室へみちびいて特別に審神した。また別に、希望者に、岩戸修業をおこなわせたりもした。この修業は、三日間岩戸のなかにこもり、無言の業をなすものであって、鎮魂の自修や、神書の黙読あるいは、浄書などをした。食物はハッタイの粉と梅干・水だけが許された。三日日のおわりに先達者にしたがって、「う、し、と、ら、の、こ、ん、じ、ん、うしとらのこんじんさま。ひ、つ、じ、さ、る、の、こ、ん、じ、ん。ひつじさるのこんじんさま」ととなえ、つぎに「三千世界一同に開く梅の花 艮の金神の世になりたぞよ。しゆみせん山にこしをかけ、うしとらの金神まもるぞよ。三千世界の神、仏事、人民用意をなされ」と発声した。そして天津祝詞一回・神言一回を奏上し、「惟神霊幸倍坐世」を四回となえてそののち、五六七殿に参拝しておわることになっていた。
 しかし、以上のような講話や鎮魂については、一九二〇(大正九)年五月二三日の公告で、
「従来の鎮魂帰神の実修法を更め、単に静座瞑目せしめて、お筆先を守護神に聴かしむるに止め、施術者の霊を注ぎ気合を掛くることを廃す。(但し静坐の姿勢は従前の通り)病気鎮魂及び憑霊の発動者には、特別鎮魂を施すことを得。其要領は従前の通りとす」
 さらに同年六月には講座修業の方法を改め、
「神諭の拝読及び解説に主力を用ふる事、神諭の精神を体得するに必要な霊学講話を行ふ事、霊魂教育法として修業者に静座瞑目せしめ、その守護神に神諭を読み聞かせること」
と通達し、各支部や会合所も本部の方式にならうように指示した。
 一九一九(大正八)年から一九二〇(大正九)年にかけて全国的に宣教活動が活発になるにしたがい、修業のために綾部をおとずれる人々がにわかに増加してきたので、従来の宿舎ではとうてい間にあわなくなった。そこで、綾部町の民家を買収することになり、これを改造して「大本宿舎」五ヵ所があらたに設けられた。しかし、大本宿舎に合宿することを好まない人たちは旅館に宿泊したので、町の旅館はほとんど修業者で経営がなりたつほどであった。また綾部へ移住してきていた人たちは、その出身地域の人々が修業にやってくると、自宅を提供して修業者の便をはかった。修業者のなかには、数日間大本の道場(当時金竜殿)で講座を聴講して帰るものもあったが、残留して、一、二ヵ月滞在し、神苑の清掃や造営の奉仕などにたずさわるものもあり、さらに四、五ヵ月も滞在して奉仕する人々もあった。このころの修業者にたいする案内の記事をみると、「修業者の修業実費は『並』三食一泊七五銭、『特』同九五銭、修業日数七日以上三週間位にてよろし」と記され、「金をとらないで何うして食べるんだらうなどと、要らぬ御心配は御無用に願ひます。世界の最も聖なる此の団体は、凡て独立した資産によって自活している団員で組織されております。独立した団員によってのみ、独立した仕事が出来るのです」と付記していて、その意気ごみのほどがうかがわれる。
 しかし、修業の名目で綾部へきたものが、みながみなまで信者となったかというとそうではない。教団の機関誌が告示しているように、「疑はしければ、まず来って研究せよ」というのであるから、「真の邪教であるなら、たたきつぶさねばならない」との目的で修業にやってきたものもあり、また理解を示したり、共鳴したりする程度で、入信するまでにはいたらなかったものも相当にあった。けれども、ともかくも一度修業をうけたものは、社会の攻撃がいかに不当であり、それらが実際を知らぬ非難や為めにする悪意のものであるということを認識し、大本を見直していった。
 このようにして教勢が発展し、信者層のひろがりが拡大してゆくなかで、大本にたいする当局の監視の目もひときわするどくなってきた。一九一九(大正八)年の二月二五日、京都府警察部長藤沼庄平と中村保安課長が綾部をたずね、それ以来きびしい監視がくわえられることになった。それまでにも、明治から大正初期にかけて、地元の綾部警察署がたびたび干渉がましいことをくりかえしていたが、府の警察部長みずからが、調査にのりだしてきたことは、これがはじめてであった。このことは教勢の発展にともなって意外に全国的な反響がおこり、そのはげしい宣伝の内容や鎮魂帰神には弊害があるとする考えや、当時の治安対策にも関連していた。これは、すでにそのころから、大本を邪教視する故意の中傷や批判攻撃が、社会からあらわれてきたことともつながりがある(第三編第一章参照)。

〔写真〕
○金竜殿 のち大広前・祖霊社となった p426
○教務局日誌 p426
○大道場は金竜殿から五六七殿にうつされた 鎮魂帰神の実修 p427
○岩戸修業のおわりにとなえる神文 p428
○幽斎修業場入口・蝸牛亭 舟は冠島・沓島開きに使用されたもの p429
○大本案内パンフレット p430
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