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文献名1大本七十年史 上巻
文献名2第4編 >第1章 >2 霊界物語の内容よみ(新仮名遣い)
文献名3神の経綸よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
備考
タグエルゼルム(エルズルム)、サルヂニヤ島(サルジニア) データ凡例 データ最終更新日2018-07-23 13:28:31
ページ666 目次メモ
OBC B195401c4124
本文のヒット件数全 1 件/霊神=1
本文の文字数4795
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本文  神の経綸についての『霊界物語』の叙述は、有史以前にさかのぼっており、筆先にある「言いおきにも書きおきにもない」神々の因縁に根ざすものである。その大要は「あらすじ」の項でのべたが、ここではとくにふれておかねばならぬ点を記述しておこう。
 筆先に「地の先祖」といわれている国祖国常立尊の神政時代には、まだ国境はなく、聖地エルサレム(今のトルコのエルゼルム)を地の高天原とし、国祖のもとに天使長をおいて世界をおさめていた。霊主体従が施政の基本方針であったが、体主霊従の風潮がおこり世がみだれてきたので、「天地の律法」を制定した。それは「省みよ。恥じよ。悔い改めよ。天地を畏れよ。正しく覚れよ」の五戒律と、「第一、夫婦の道を厳守し一夫一婦たるべきすこと。第二、神をうやまい長上をとうとみ、ひろく万物を愛すること。第三、たがいに妬み、そしり、いつわり、盗み、殺しなどの悪行を厳禁すること」の三綱領であった(『物語』2巻45章)。
 国祖はシオン山(小アジア)に鎮祭せる一二個の玉を国魂の神として大地の各所に配置し、これを守護するために八頭神を任命し、その各地域に八王の神をおき、主権を分掌せしめた(『物語』3巻2章)。しかるにその後、八王・八頭神は邪霊におかされ、世界は混乱した。二世常世彦命(盤古大神系)は勝手に天使長の職名を廃し八王大神を自称して、ついに国祖に隠退をせまった。国祖は聖地(エルゼルム)をさって、世界の艮にあたる七五三垣の秀妻の国(日本)にその精霊をとどめられることになった。また妻神豊雲野尊は聖地の坤なる島国(サルジニア)に隠退した(『物語』4巻45章)。筆先に「日本は艮の神国であるから、元のまことの守護神を艮の金神と申したが」(明治43・旧4・15)とあるのは、このことによるものである。
 国祖の後をおそったのは盤古大神であったが、大自在天神一派の対抗により、地上の神界・現界の勢力は二分し、しだいに八王・八頭神も中央勢力からはなれ、やがてそれらが民族の発生や国家分立の端緒となった。その後における各地域の勢力の消長や変遷については、物語の全巻におよび、しかも多岐にわたってのベられている。天孫降臨以後の日本のあゆみについては、『霊界物語』の叙述は具体的にふれられていない。
 なお太古における大地の変動については、つぎのようにのべられて山いる。大国常立の大神の「雄たけびによって大地の一部が陥落して、現今のアフリカの一部と、南北アメリカの大陸が現出した。それと同時に太平洋もでき上り、そのまン中に竜形の島が形づくられた。これが現代の日本の地である。それまでは、いまの日本海はなく、支那も朝鮮も、日本に陸地で連続していた。このときまで、現代の日本の南方、太平洋面にはまだ数百里の大陸がつづいていたが、この地球の大変動によって、その中心の、もっとも地盤の鞏固なる部分が、竜のかたちをして取りのこされたのである」(『物語』1巻21章)という。そのほか三五万年前までの地殻の変動などものべられており、『霊界物語』の叙述はこの太古の地理によっている。
 つぎは国祖の再現と世の立替え立直しの問題である。
 国祖隠退後の地上の神界・現界は、「弱肉強食のシュラのちまたと化し去り」、「ほとんど全く崩壊淪亡しようとする場合に立ちいたった」ので、「天の大神は命令を下したまいて、盤古大神は地上一さいの幽世のご権利を、艮の金神国常立尊に、再びご奉還になるのやむなき次第となった」。「ここにおいて、天上にまします至仁至愛の大神は、このままにては神界、現界、幽界も、ともに破滅淪亡のほかないと観察したまい、ふたたび国常立尊をお召し出しあそぱ守され、神界および現界の建替えを委任したまうことになった」(『物語』1巻18章)というのである。かくて筆先の「三千世界一どに開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ」との宣言となり、「神が表にあらわれて、三千世界の立替え立直しをいたすぞよ」との警告となったのである。
 筆先に「むかしの根本から世におちて……三千年あまりての経綸であるから、一分一厘の間違いもない動かぬ経綸がいたしてあるから」(明治26・旧7・12)とあるように、国祖は再現の時節をまちつつ三千年あまりての経綸をし、その経綸のまにまに三千位界の立替え立直しがなされるというのである。なお神諭には「三干年と申しても、百を三十重ねた意味ではないぞよ。数十万年の永き神の世一代をさして申すことであるぞよ」(大正8・2・18)とある。『霊界物語』ではこの神の経綸を神劇にたとえて

霊界物語は歴史であり、教訓であり、教祖の筆先の解説書であり、確言書であり、大神劇の脚本であります。この物語によらなければ、教祖の筆先の断片的台詞書のみにては、とうてい神界のご経綸とご意志は分かるものではないのであります(『物語』12巻序文)。

と記述し、神の経綸は『霊界物語』によらねば理解できないと断言されている。ことに筆先には「むかしの神の世は結構でありたなれど、途中から悪神の世になりて、世界が悪くなりたのざぞよ」(明治33・旧12・13)とあって、三千世界を立替え立直すには、まず第一に悪神を改心させねばならぬというのである。
 筆先に「世が上下にかえるぞよ。……いままで苦しみておりた人民がよくなるぞよ。……運不運のなき世にいたすものぞよ」とか、「人民が神を押しこめて、天地の所有をわが力で奪りがちに致しておるが、世界の洗濯いたすについては、世界のものは一たん天へ引上げるぞよ。わがものと思うておりても、みな天地から世話がさしてあるのであるから、欲をいたして他人の苦労に、あわれみのない人民は、大掃除が始まると気の毒がでけるぞよ」(明治32)とか「世界中桝かけひきならすのであるぞよ」(明治31・旧5・5)などと示されている問題をふくめ、「われよし、強いものがちのやり方」を「みろくの世のやり方」に立替え立直してゆく指導精神は、物語の随所に応用自在に現わされであって、圧迫・搾取・専制・差別・権力の乱用などから解放された人民が、神恩を感謝し「みろくの世のありかた」を讃美する状況があきらかにされている。
 国祖隠退ころまでの物語では、邪神の権謀術数にたいして、神算鬼謀をもってこれに対応する場面がかずかずあるが、隠退後において、素盞嗚尊の宣伝使たちの活動は、武力や暴力を極力否定し、「誠の力は世を救う」という「誠」を唯一の力とした言霊戦により、すべてを言向けやわして、一切の問題を解決処理することを基本方針とした。そして、寛仁の態度をもってのぞみ、説得して対者を心から改心せしめるありかたを信条として活動している。
 筆先では「善と悪とを立て分ける」というきびしい精神がつらぬかれているが、『霊界物語』では「直日に見直せ聞き直せ身のあやまちは宣り直せ」という愛善の思想が強調されている。時所位によっては徹底的な無抵抗主義にたち、「神は愛なれば善悪をさばきたまわず」として、神の摂理による直日の魂の自発をまつ寛容性を発揮し、主神の神格である至仁至愛の精神を堅持した万民救済が主眼とされている。
 『霊界物語』は、「われよし、強いものがち」が依存するたたかうための軍備や、制圧するための暴力は徹底的に解消せしめ、あらゆる邪神・邪霊を言向けやわし、神心にたちかえらせて、憎み・争い・偽り・盗み・殺しなどのない、平和な世界・「みろくの世」を実現するのが目的であり、筆先の「改心」による身魂の立替え立直しを第一とし、天地惟神の大道にもとづいて「世界一つにいたす神の経綸」をすすめてゆこうとするのである「世界は一つ」の理念として「高天原の全体を統一してみる時は一個人に類するものである。故に、もろもろの天人は、その一さいをあげて、一個の人に類することを知るがゆえに、彼らは高天原をよんで大神人というのである」(『物語』49巻1章)とする、「大神人」の姿を地上に実現するのが「地上天国」であり、それが「みろくの世」である。
 筆先の「元の神世に立直す」ということは、「世界一つにいたす経綸」を成就されることであり、すべてが大本元たる主神の「御心にかえって、本末内外の神的順序に新しくあらため、各自がそのところをえて、それぞれの天分使命を遂行する「みろくの世・神国の世」を実現することである。
 世の立替え立直しは神・幽・現の三千世界におよび、神霊世界の立直しは、神々の活動によるのである。しかも人間の霊魂にかかわる霊魂界の立替え立直しに重点がおかれ、身魂の立替え立直しと、それにともなう現世の立替え立直しが、人間の責務とされているのである。
 『霊界物語』は、すでにのべたように、全人類はひとしく神の子であり、人の生命は神のあたえたもうたものとして平等の尊厳をおしえ、ひとつの神のもとに兄弟同胞であるという「人類愛善」の思想が全面的に強調され、差別と排他による偏狭がきびしくいましめられている。
 また生命のあるところ宗教ありという永遠性と普遍性にたった宗教観を基本とし、「主の神は宇宙一切の事物を済度すべく、天地間を昇降あそばしてその御魂を分け、あるいは釈迦と現われ、あるいは基督となり、マホメットと化り、その他種々雑多に神身を変じたまいて、天地神人の救済につくさせたもう」(『物語』47巻総説)とし、世界の各宗教は、救世神の分霊が時所位に応じて出現し、教化したものであって、帰するところその根元はひとつであり、「万教は同根」であるととかれている。
 筆先には、国祖隠退後三千年の仕組によって世の立替え立直しをするとあるが、『霊界物語』では天地剖判のはじめより五十六億七千万年をへて「松の世」「みろくの世」が出現するといい、その時期はまさに現代であるとしている。
 なお「みろく」の意義については「ミロクという意味は至仁至愛の意である。その仁愛と信真によって宇宙の改造に直接あたらせ給うゆえに、弥勒と漢字に書いて弥々革むる力とあるを見ても、この神のご神業のいかなるかを知るを得らるるのである」(『物語』48巻12章)ととかれており、「ミロク」とは主神の信真・愛善の神格そのもの、また主の神の神格に根ざすすべての活動をいうのであると解説されている。
 要するに『霊界物語』が示すところは、大元霊神によって、一切万有が生成化育されたが、未完成のため、もろもろの邪悪が発生し、神霊界や現実界の秩序が混乱したので、素盞嗚尊の大神が救世の神業を遂行して、「みろくの世」を建設するために、「みろく胎蔵」の教を開示し、宣伝使を世界に派遣して、邪悪を言向けやわす活動を物語の形式にあらわしたのであって、全巻ことごとく、至仁至愛による救世の大精神でつらぬかれているといってよい。
 物語の教説によってみると、哲学や宗教や思想にたいしても、そのあやまりが指摘され、自己愛より生じた専制主義や、民族への圧迫・搾取の非が示され、人間の頽廃・遊惰な精神がいましめられていて、すべての人を「神の子・神の宮」とよみがえらせ、太元神の意志にもとづく、秩序あるひとつの世界と立直し、共存共栄せしめようとするものである。
 以上の意味からして、『霊界物語』は、「みろくの世」を招来するところの、人類にあたえられた、主神の意志と経綸の解説書であったともいえよう。そして大本にとっては神政成就の設計書であり、また主神の意志にもとづくものと、さからっているものとの善悪の規準を示した「最後の審判書」でもあったということができる。とくにその未来像への展望が具体的に描かれているのは、注目にあたいする。

〔写真〕
○山河草木 第61~72巻 p667
○霊界物語全巻 このほかに特別編として天祥地瑞9巻がある p669
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