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文献名1大本七十年史 上巻
文献名2第4編 >第4章 >3 外への発展よみ(新仮名遣い)
文献名3文書による外宣伝よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2020-06-14 11:36:31
ページ781 目次メモ
OBC B195401c4431
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本文  大本がはじめて、外にひろくしられるきっかけになったのは、エスペラントの採用がおこなわれた直後に、当時京都大学の学生であったエスペランチストの八木日出雄が、スイスの万国エスペラント協会機関誌「エスペラント」の一九二四(大正一三)年三月号に、「日本に於ける新精神運動」と題した一文を寄稿し、大本を紹介してからのことであった。この紹介記事はかなりの反響をよびおこし、やつぎばやに各国のエスペランチストから、続々と大本にあてて照会の手紙をよこすようになった。大本にたいする関心がどこにあったかを物語る好例として、たとえばフィンランドのアンチ・ラスクの手紙がある。それには

我々基督信者が偶像信者と云って嘲つて居るものが、却て大本の教が説いて居るやうに、和合と平和と純潔と進歩の裡に生活して行くことが出来ると云ふことを私は知ってゐます。而も何ぞや大多数の基督教徒は、争闘と反目と嫉妬のうちに暮してゐるではありませんか、我々の文明は余りに物質的であります。私の考へでは、東洋人の文化の方が我々西洋の文化よりも遙に精神的であります。

とのべられている。西欧の人々は、世界大戦とこれにつづく世界的激動によって、西欧文明を懐疑しつつあった。有名な哲学者、シュペングラーが『西欧の没落』をあらわしたのも、この時期であったし、そして、西欧の哲学や文学に東洋的神秘の世界が紹介されだすのも、この時期である。大本が外の人々から注目をあび、ふかい興味を示されるようになるのも、こうした背景を前提としていた。大本によせられてきたヨーロッパの人々の手紙は、そのおおくが西欧理念への疑問と、東洋への関心、また日本の美点などをのべたものであった。なかには世界大戦終了にともなう帝国主義列強の餌じきとなって、分割のうき目をみたハンガリーの元最高裁判所判事セベスティエン・イムレの手紙のように、「讃嘆すべき人」王仁三郎にたいし、「私達の惨状の為に神に祈って下さるならば、吃度神様は其お祈りを聞き届けられて、我々の為に正義が到るでせう」と記述するものもあった。最初はこれらの手紙にたいして、ひとつひとつ手紙で返事がだされていたが、それでは、とても間にあわなくなったので、一九二四(大正一三)年の九月一日には外宣伝部が設置されて金竜池畔の神武館で事務をとりあつかうことになった。外宣伝部はこれをエス語部・英語部及び支那語部の三部にわかち、エス語部と英語部の主任は西村光月の兼任、支那語部の主任は北村隆光、監督は当分教主補佐宇知丸があたることとなった。
 これよりさき由里忠勝に委嘱されていた「霊の礎」のエス訳は、一部分ではあったが、「神の国」六月号に掲載された。その後、英訳「霊の礎」とそのパンフレットが刊行されている。外宣伝への活躍を示す第一声ともいうべきものに、「新精神運動大本」。”Oomoto la Nova Movado”がある。これは外宣伝部から一九二四(大正一三)年一二月一一日に発行されたが、この書の内容を摘記すると
序言 一、大本歴史の概要 起源・神諭─最初の神意のひらめき・神の文章─霊界物語・重要神殿の破壊、一、大本とはどんな所か 大本の教義─大本の教旨・処世上の四大主義・四大綱領・霊力体・天地の律法・鎮魂帰神・精霊と人との関係・言霊学 一、大本と世界の将来 一、瑞月師の入蒙
とよりなり、表紙には宇宙紋章をあざやかにあらわした。鮮明なる写真五葉をいれたB6判四頁のこの小冊子は、大本の概要を世界に紹介するのには恰好のパンフレットであった。「新精神運動大本」は三〇〇〇部印刷され、日本はもとよりのこと、世界四八カ国のおもだったエスペランチストと各団体に配付された。その後その英訳書も全世界に送付されている。また中国文「大本須知」も発行されている。
 さらに翌一九二五(大正一四)年一月からは月刊「大本」(エス文)を発行して、大本についての教義宣伝もなされるようになる。入蒙後、責付をとりけされてふたたび入獄中であった王仁三郎にとって、外におけるこうした反響は、おおいなるよろこびであった。そのことは、大正一三年九月一五日附の左の獄中だよりによっても推察されよう。

大本の為記念すべき外宣伝部の設置を聞き、枯木春に遇って花発くの思ひあり。吾人が平素の志望の端を発したる瑞祥と云ひつ可し。西村、北村両主任を始め一同の諸士の奮闘努力を希望して止まず。又信者諸氏の応援あらん事を切に冀ふ。

さらに一〇月一〇日附の書簡には、つぎのようにうたわれている。

天の下四方の国々果てもなく生言霊のみいづ輝く
白雲のの彼方の国までも真言を伝ふ人ぞ雄々しき
大神の依さしに酬ゆる時は来ぬエス語に英語支那語宣伝
歎かいの中より亦もほほえみぬ外宣伝思ひ浮べて
愛の善信の真をば真向にかざして進めの外まで

 このようにして、大本の外宣教は、外宣伝部の設立によって、ようやく組識的にその活動がおこなわれるようになった。外宣伝部はその後、外宣伝会とあらためられ、さらに一九二五(大正一四)年一月二〇日には、大本の組織改革によって「外宣伝課」と改称された。

〔写真〕
外からの通信文と新精神運動大本 p783
○エス文 おおもと p784
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