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文献名1大本七十年史 上巻
文献名2第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜よみ(新仮名遣い)
文献名3債務の整理よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
備考
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ページ801 目次メモ
OBC B195401c4443
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本文  王仁三郎が蒙古から退去して入獄していたころから、もっとも切実な問題となってのこされていたものに、大正日日新聞社の社債四九万九四〇〇円(別に借入金一三万九六一九円)償還のことがあった。かねがねこの償還整理の問題については、幹部会議がたびたびひらかれており、その整理に奔走努力されていたのであるが、一九二四(大正一三)年の八月二〇日にいたって、大正日日新聞社社債債権人黒田祝が、代表名義人出口王仁三郎を相手どり、債権二万円と利子四八九六円の返済方を請求して、これに応じなければ訴訟するむねの通告をしてきた。これにたいして本部はつぎのような態度をとることになった。
 「大正日日新聞」の事業は、信者の団体たる当時の大日本修斎会の事業であり、資金はすべて信者の手から拠出し、信者によって経営したものである。したがって社債なるものも、事業に賛同して出資したことを証明する証券で、すべての責任は、大日本修斎会員相互の責任であるべきもので、その延長たる今日の大本瑞祥会が、当然これをおうべきものである。そうした性質のものであるにもかかわらず、一部の債権者は、社債証書の形式を問題にし、これを、たんに、代表的に記入された名義人出口王仁三郎その人にたいする債権とみなして、弁済の請求をあえてされてきたが、それではこれに応ずることはできない。したがって、すべてを、大本瑞祥会の責任として、社主出口王仁三郎名義の大正日日新聞社社債を解決したいというのである。この決定にもとづいて、黒田祝との間に交渉がなされたが、成功せずについに訴訟問題に発展していった。
 大本では、九月六日と七日の両日にわたって、本部役員・全国分所・支部代表者三三名による、同訴訟善処協議会が教主殿でもよおされた。協議会の冒頭において─二代教主出口すみ子・教主輔王仁三郎・三代教主直日の三者の合意にもとづいて、神苑・神殿をのぞく、出口家名義の土地・家屋・什器・衣類・雑品の一切を処分し、債務弁済にあてられたい(入監中の王仁三郎とはすでに相談ずみである)─との出口家の意向による、教主補佐宇知丸からの申しでがなされた。
 これにたいして、協議会を代表した国分義一が、二代教主をたずね、「教主のご意向は、信者として忍びざるところで、債務の弁済には、信者の協力奉仕によって応じたい」むねをこたえた。けれども二代教主は「出口家名義のすべては神さまのもので、信者方の誠心の結晶であり、最初の方針を実行するよう、代表者によって処分方を協議されたい」とかさねての要請があった。
 そのうち九月一〇日にいたって、福知山区裁判所から、黒田祝の債権による強制競売をなし、本宮山・天王平開祖奥都城・教祖殿・黄金閣の四敷地のさしおさえを執行するむねの通知状がとどいた。そのために聖地は、ただならぬ空気につつまれた。全国の主要分所や支部に速刻打電され、大本瑞祥会の幹部はその強制執行についての対策をねった。
 このとき再度、財政整理委員長東尾総務に二代教主から「自分たちはどれだけ不自由してもよいから、この際、出口家の申し入れを容れてもらい、また大本のすべての上に無駄のないよう緊縮施策をとってもらいたい」という申しいれをうけた。
 こうした状況のなかで、九月一六日には、全国分所および支部長会議が招集され、出席者一三〇人によって懇談がかさねられた。聖地が競売にふされるなどという危倶が生じてきたことにたいして、役員・信者は非常な責任を感じ、会議は異常に緊張した。債務のかたがわりを申しでる分所・支部があいつぎ、また私有の土地家屋の提供を申しでるものもあった。そこには教主・役員・信者をつらぬく護教の血がみゃくうっていた。なお出口家よりの申しいれの件については、神苑をのぞく家屋・土地の処分は出口慶太郎に一任し、刀剣その他の什器類の売却は森良仁に委任することにきまった。こうした努力のつみかさねによって一〇月一五日にいたり、神苑にたいするさしおさえの手つづきは解除をみたのである。だが問題が解決したわけではない。
 ついで一九二五(大正一四)年の九月四日、さらに京都地方裁判所から、滝川寿一郎家督相続人滝川辰郎および田中豊穎の両人より、栗田弁護士を代理人とする大正日日新聞社社債の返還請求訴訟があり、その弁論期日を一〇月七日に決定したむねの通知があった。これにたいしては、足立弁護士を代理人として応訴することになった。
 このときの債権請求は、滝川辰郎─五〇〇〇円、田中豊頴─九〇〇〇円のほかに、高井寿二郎─五〇〇〇円、浅野松子(正恭の妻)─二〇〇〇円、荒木兵一郎─四〇五〇円と増加してきた。王仁三郎は大本側のとった債務処理にたいし、「現界の金銭上の貸借などの問題を、単に大本の教義のみで処理せんとするのが間違っている。現界の事は現在の事情をよく頭に入れて行なわねばならぬ。現界には現界の法則がある、慈悲心、勇猛心、智恵が足らない。何事も相手の程度に応じて行動せねばならぬ。霊主体従の真釣合せが足らない」といましめた。
 一一月一八日、滝川らの訴訟による民事裁判は京都地方裁判所でひらかれ、一二月二三日、判決があったが、原告、滝川辰郎ほか三人の勝訴となり、請求総額二万一〇〇〇円ならびに、一九一一(大正一〇)年九月以降の利子として七分を支払うべし、という判決がくだされたのである。この債務整理は、当時の教団にとっては大きな問題であり、その解決はなかなかにはかどらなかった。
 この年の一一月一六日の賛襄会議における報告についてみると、本部の毎月の経常費は、一ヵ月平均にして、支出五三一〇円で、その内一五〇〇円は天恩郷費、五〇〇円が海外宣伝費にあてられている。これにたいし、収入は二一二〇円で、月々三一九〇円の赤字をだしていたことになる。そのような状況下に債務整理をなさなければならない。その解決策として、賛襄のうちから、経常費負担を会費制にしてはどうかとの意見もだされたが、聖師はこれを認めず、ただし懇談会をひらいて、自由意志によって協議するというのであれば別であるということになった。なおそのさい、役員にたいして、大本の造営物は一切信者総代の名義で登記するようにとの、聖師の意向が示された。その件について当日の賛襄会議は、その処理を大本総裁および、瑞祥会長に一任することになり、その結果、一二月五日には、神苑内の造営物一切は二代教主名義にかきかえて登記を完了した。
 このような状態のなかで、最悪の事態がおとずれてきた。というのは、一九二六(大正一五)年にはいってその三月一二日、京都地裁から通達がよせられてきたからである。それには、四月二八日までに支払わないときには、予定にしたがって強制競売にふすむねが記されていた。
 このために四月一三日には、債務問題を解決するための最後的な、賛襄会議が招集された。会議の席上、当日出席の賛襄の責任において、債務二万一〇〇〇円と利子一万円を加えた三万一〇〇〇円の負債を解決せよ」との深水静・平松福三郎らの案、「出席者個人において引受額を記入報告し、その上で、額不足なれば一般信者の奉仕に及ぼすを可とす」との大沢晴豊らの二案がだされたが、後案の実行によって解決することになった。そして即座に一万一五〇〇円の申しでがあり、さらにその額は一万二九一五円に達した。そしてその不足額は、一五日の全国分所・支部長会議を賛襄との連合会議にし、その席上ではかることになったが、分所および支部長よりの申しで額は、五九〇〇円、八六一〇円と上昇し、さらに時計・刀剣・骨とうなどを献上して処理しようと、あいついで追加申しこみがあった。そしてさらにその不足額は、東京確信会がひきうけようとの申しでもあった。このときの会議には大本のおしえにつどう信者の熱意が結集された。
 こえて四月二八日、いよいよ社債関係さしおさえ物件の競売指定日をむかえたが、債権者側と懇談した結果、内金支払いで、競売延期の承諾をうることができたので、その後、賛襄および分所・支部長は、地方において寄金に全力をかたむけたのである。
 全国各地においては、それぞれ信者大会がひらかれ、その返済方法について協議されたが、一方本部からも趣意書がつくられて各支部に配布され、協力がもとめられた結果、自発的な献納の申し出でがあった。また債権者にたいしては懇談がかさねられ、各地ごとに整理するなど、非常な努力が実をむすんで、さしもの巨額にのぼる債務問題もやっと落着をみるにいたったのである。

〔写真〕
○大正日日新聞社の債務証書 p802
○ひとつの危機 1926─大正15年3月12日聖地の強制競売開始決定がとどけられた p804
○危機の克服に信者の熱意が結集された 一九二二─大正一一年秋季大祭の分所・支部長会議で決定された財政整理案 p806
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