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文献名1大本七十年史 下巻
文献名2第6編 >第5章 >1 再建への動きよみ(新仮名遣い)
文献名31 再建への動きよみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
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ページ629 目次メモ
OBC B195402c651
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本文  保釈出所後、出口聖師は中矢田農園における悠々自適の日々のなかで、数おおくの随想の歌をよまれている。
 その随想の歌のなかには、〝高山の頂き見ればまのあたり十重に二十重に雲のつつめる〟〝まがつみの世の終りかも思はざるわざはいばかりつぎつぎいたるも〟〝地はふるひ雷たけり火のあめのふりて苦しむ世は近みたり〟〝三千歳の世の改めも迫りけりこの行くさきは心ゆるすな〟など警世の歌がおおくみうけられるが、一九四三(昭和一八)年をむかえると、〝御経綸三千年に充ちぬるは明治の二十四年なりける〟〝五十年の地上の準備の神業をへて十八年は第一年となれり〟〝昭和暦十八年の元旦は五十年準備の充てる日にぞある〟〝昭和十八年の歳より三千年のいよいよしぐみの幕はあがれり〟〝まのあたり世の立直し迫りけりかへておきたし人のこころを〟などと詠まれている。
 これらの歌は筆先に、「艮の金神は、この世を始めた神なれど、あまり我が強うて、丑寅へ三千年と五十年、押込められておりて、蔭からかもうておりたが、蔭からの守護はそれだけのこと、神の威徳はチットモ人民にわからんから、表に現われて、神の威勢の光りを出して、世界を救けるぞよ。大もうなことであるぞよ」(明治33・旧4・7)としめされていた「三千年と五十年」の意義をあきらかにしたものである。神のご経綸三千年とあるのは一八九一(明治二四)年までのことであり、一八九二(明治二五)年に大本は出現したが、それより五〇年間は世に押込められていた。五〇年の準備の神業をおえて、昭和一八年の元旦から三千年の経綸の幕があがるというのである。それは大本の神業がいよいよ立直しの段階にすすむことを意味したものであった。
 一九四二(昭和一七)年の七月末には第二審の判決があって、治安維持法違反事件は全員無罪となり、八月七日には聖師らがながく押込められていた拘置所(昭和一六年一一月刑務所を拘置所と改称)から、六年八ヵ月ぶりで出所をみたこともあって、信者たちは大本再建についての希望をますますもえあがらせた。

〔写真〕
○本土決戦 一億玉砕……くるしみはなおもつづく 必死の竹槍訓練 p629
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