文献名1大本七十年史 下巻
文献名2第7編 >第2章 >3 宗教提携のうごきよみ(新仮名遣い)
文献名3国際宗教同志会の結成よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
備考
タグ
データ凡例
データ最終更新日----
ページ784
目次メモ
OBC B195402c7233
本文のヒット件数全 0 件
本文の文字数1542
その他の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい
霊界物語ネット
本文
国際宗教懇談会で委託された委員の第一回会合は、一一月三〇日東本願寺枳殻邸でひらかれ、その後委員会と常任委員会によって成案を得、一九四七(昭和二二)年一月三〇日、枳殻邸において、国際宗教同志会を結成した。
同会は国際的かつ超宗派的に同志が協力し、宗教的平和日本の建設と世界の平和に貢献しようというものであった。そのため、国際宗教懇談会を開催し、関係諸機関との連絡その他適切な事業をおこなうこととした。二五人の委員をさだめ、その中から八人を常任委員にえらんで、代表に牧野虎次を推した。出口伊佐男は常任委員として、これに協力した。
一九四七(昭和二二)年二月二二日には国際問題綜合研究所(藤沢親雄・荘野忠徳)の主催によって、同志社神学館で、青年宗教人の語る会がひらかれた。この会には仏教(真宗・浄土宗・真言宗・日蓮宗・臨済宗・天台宗)、神社神道(出雲大社・八坂神社・白峰神宮など)、教派神道(天理教・金光教)、キリスト教(日本キリスト教団・日本聖公会・天主公教会)、生長の家、一燈園、世界紅卍字会が参加したが、愛善苑からは出口栄二が出席した。「一 再生日本に対する若き宗教人の使命、二 宗教と信仰生活の融合に関する具体方策、三 宗教の国際的提携の強化」の三項を話題とする討議がなされたが、その結果この会の参会者の総意にもとづき、三月二八日、国際宗教青年同志会が結成された。
あいつぐ宗教人の来苑、国際宗教懇談会・国際宗教同志会への参加・協力と併行して、全国各地で、愛善苑が中心となって宗教提携の実があげられていった。出口委員長は一九四六(昭和二一)年七月八日、九州・四国旅行の帰途、岡山県の金光教本部をたずね、金光摂胤教主と挨拶をかかし、嗣子の金光鑑太郎、堀尾教学部長その他の幹部と約八時間におよんでかたりあった。翌九日には金光鑑太郎と同行して黒住教本部を訪問し、黒住宗和教主、その弟の忠俊、川上教務部長らと会談した。金光教・黒住教・愛善苑の指導者の隔意ない会談ははじめてのことであったし、一〇月一七日には岡山県金光町で、金光教と愛善苑との青年が会合し、今後は岡山県下の全青年宗教人を結集し、毎月座談会をひらくこととした。
綾部では何鹿郡宗教懇談会の名のもとに会合をかさねていたが、一二月一〇日には何鹿郡宗教連合会を結成し、その世話役を愛善苑側か担当し、亀岡では一二月一三日南桑田郡宗教連盟を結成し、愛善苑がその推進にあたることとなった。その後徳島県では、徳島宗教懇談会、愛媛県西条市には、宗教家連合会、岡山県では、笠岡宗教懇談会などつぎつぎと結成されている。一九四七(昭和二二)年七月一九日には、北陸巡教のため金沢に入った出口委員長を中心に、仏教・キリスト教など宗教人との懇談会が開催されたが、宗教人としての使命を痛感する意見が続出し、宗教懇談会を結成して活発な宗教運動を展開する気運か醸成された。こうして、信徒のあっせんによって全国各地で各宗教人の語りあう会合がさかんになった。
一九四七(昭和二二)年一一月三日には、近畿宗教平和会議が京都東本願寺を会場として開催され、各宗教から代表六〇〇人が集会し、「一 なぜ平和は保たれなかったか、二 平和確立のために我等は何をなすべきか」を主題に、二日間にわたり熱心な討議がおこなわれた。愛善苑からは委員長ほか一〇人出席した。この会議では宗教国際連盟の提唱、中国への平和使節派遣、平和日設定、ほか多数の案件がとりあげられ、五〇数人の実行委員をあげて近畿宗教連盟を結成し、これにいっさいを付託して実行を期することになった。
〔写真〕
○出口委員長は金光教をおとずれ教主の金光摂胤(右)と懇談した p784
○各地で宗教懇談会が開催された 金沢 p785